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連載「ふくびと」アタッシェ・ドゥ・プレスの先駆者 ワグ社長 伊藤美恵<後編>

ワグ代表取締役兼エファップ・ジャポン学長 伊藤美恵
ワグ代表取締役兼エファップ・ジャポン学長 伊藤美恵

 スペシャルインタビュー「ふくびと」ワグ代表取締役兼エファップ・ジャポン学長 伊藤美恵<後編>。先駆者が語るアタッシェ・ドゥ・プレス(広報・PR)の神髄や、真のグローバルで活躍する人材育成への情熱。そして伊藤氏自身のさらなる目標とは?

■まずは<前編>アタッシェ・ドゥ・プレスになるまでから

アタッシェ・ドゥ・プレスを日本へ

 「アタッシェ・ドゥ・プレス」として仕事を続けていくなかで、日本における「アタッシェ・ドゥ・プレス」の必要性と人材不足を痛感していました。日本では全くと言っていいほど認知されていませんでしたし、「私がやらなくては誰がやる」といった使命感にかられ、後進育成のための学校設立を考え始めました。それが今からちょうど10年ほど前の2000年のことです。

 それから徹底的に研究を重ねました。コミュニケーションの本地であるフランスはもちろん、アメリカやイギリスなどのあらゆる学校を訪ねて「生徒になります!」くらいの気持ちで見学をして勉強する日々。そんな中で辿り着いたのが、パリでアタッシェ・ドゥ・プレスの養成校として高い認知と評価を集める名門校「EFAP」でした。半世紀近い歴史を持った「EFAP」は、人と人とのコミュニケーションがアタッシェ・ドゥ・プレスの基本であるという考えを持っていました。「PRにとっては人間力がもっとも大事」そう考える私のスタイルとも合致し、「ここだ!」と直感で感じたのです。

念願の学校設立

 「EFAP」グループとは後に姉妹校として正式に契約を交わすことになるのですが、協力を得るための交渉は容易ではありませんでした。創設者のドゥニ・ユイスマン氏に、「日本で開校する権利をください」と何度も何度も手紙を書きました。

 ユイスマン氏とのアポイントを頂くことができたのは、2000年7月1日、私の56歳の誕生日でした。私は心の底から思いをぶつけました。パリで初めてアタッシェ・ドゥ・プレスの存在を知った日のこと。これだけ重要な仕事が日本ではほとんど機能していないこと。だから私がフランスと日本の架け橋になって後進を育てていきたいということなどを・・・。

PRを手がけるPAUL&JOEのショー

fukubito_mieito_pauljoe.jpg その日、ホテルに戻った私を迎えてくれたのは、部屋一面を埋め尽くすほどのバラの花束でした。「マダム伊藤、あなたの誕生日を共に過ごすことができて良かった」とのメッセージが添えられていて、「これがフランス人のコミュニケーションか」と感動したのと同時に、「やると決めた以上は絶対にやりとげる」という私の情熱が伝わったのだと感じる瞬間でした。

 しかし、ここからが努力と苦労の始まりです。EFAPの授業を全て録画して、フランス語から日本語に直訳したものを1つずつ授業の課題に置き換えていくという、気の遠くなるような作業の連続。そこで始めたのが2001年開校のMIE塾です。アタッシェ・ドゥ・プレス という仕事を日本に浸透させるには、まず日本の問題点を知る必要があったからです。ここでは、100名ほどの現役広報の方やコミュニケーションの仕事に携わる方が集まり、おかげで日本の現状を把握することができました。それから2年後の2003年、念願の「ミエ・エファップ・ジャポン(現:エファップ・ジャポン)」の開校に至ります。現在は、昼間部・夜間部を合わせて470名を超える生徒を卒業させることができ、少しずつ日本でもPRの重要性の理解と「アタッシェ・ドゥ・プレス」の認知が広がってきていると感じています。

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