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【連載:私を突き動かすもの】ダンサー菅原小春

 35周年を迎える「ナイキ エア フォース 1」。スポーツにはじまり、音楽、カルチャーシーンに至るまで、その真っ白なキャンバスにはさまざまなストーリーが刻まれてきた。今回、現代において"ゆとり" "ミレニアル" "ジェネレーションZ"などと社会からカテゴライズされながらも誰の色にも染まることなく、強烈な個性を放ち続ける3人の若き表現者にフォーカス。【踊・芸・音】のフィールドで活躍する3人のこれまで辿ってきた道のりと、今の彼女たちを「突き動かすもの」を探る。連載第1弾はダンサーの菅原小春。

 

卒業文集に綴った「夢」


ーダンスをはじめたきっかけは?

 踊り始めたのがいつなのか、自分では覚えてなくて。たぶん幼少期ですね。実家には3歳の時のバレエのチュチュが残っていたりするので、物心ついた時から踊っていたんだと思います。



 きっかけはわからないですが、常に音楽がある家庭で育ったからなのかもしれません。ご飯を食べるときはテレビじゃなくて、クイーンだったりビートルズだったり、父世代の音楽が流れているような家で。お姉ちゃんは歌って、私は踊ったり、自由な家族ですよね(笑)。常に何かを表現することや、クリエーティブすることが生活の一部というような環境でした。

 お遊戯や創作ダンスを続けて、それから徐々にモーニング娘。とか流行りの曲の振り付けをパートごとに考えたり、コスチュームも決めて近所のカラオケ大会に出たり。そういう創作や演出が小さい頃から好きだったんです。


ー

ダンサーになろうと決めた瞬間は?

 小さい頃からずっと踊ってきたので、自然な流れでした。小学校の卒業文集にはすでに「世界一のダンサーになる」って書いていました。世界なんてわからないし、そもそも知らないし、何が一番かなんてわかってなかったんですが、当時はただ漠然とそう思っていて。親からも「お前はここにいちゃダメだ」と言われて育てられたので、自然と海外を意識していたのかもしれません。

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ーその夢を叶えるために、どんなことを積み重ねてきたのでしょう?

 小学校の頃は、休み時間でも家でも、ネタを作る感覚で振り付けを考えてました。授業の合間の10分休みに、友達と動きのある面白いネタを作るっていう感じです。田舎なので、やることといったら山を駆け上がるか、海で遊ぶしかなかったので(笑)。とにかく、身体一つでこの休み時間をどれだけ面白くするか、ということに全身全霊を注いでいたんです。



 海外に出たのは18歳の時。行ってみようかな、という軽い気持ちではなく、覚悟を決めて行きました。当時はコンテストなどで結果を残すことに精一杯だったんですが、やり尽くしたというレベルにきていて。それで日本にいる意味が見出せなくなってしまったんです。ダンスは体を使うからアスリートでありながらスポーツとは少し違うし、表現だけど結果が伴う。そういうことに窮屈さを感じて、評価されることへの葛藤も強くなって、自分の世界が狭くなるのも感じていました。「外に出て行くしかない」という感じでしたね。

「誰かの何か」や「何かの私」ではない自分


ーダンサーをしていて壁にぶち当たった経験はありますか?

 

 それが困ったことに、常日頃なんです(笑)。ほぼ毎月ですね。自分でコントロールが効かなくなってダンスができなくなる時期がある。私の場合はダンスと人生観がリンクしているので、ライフスタイルのリズムが狂うと、ダンスもできなくなってしまう。その逆もあります。でも、思うように踊れなくて落ち込むということは、もうありません。それはもう小さい頃にやり尽くしたから。今は自分の生きているリズムが狂うと踊れなくなる。でも最近やっと落ち着いてきました。

ーそれはなぜ?

 

 今はタンバリンのおかげですかね(笑)。あと携帯をガラケーにしたりとか。表現者というのは、どれだけ自分と向き合うかということでもあると思うんです。今の時代は、多くの情報を浴びることが当たり前の環境。ふと気づくと、自分がその世界に囚われていただけで、本当か嘘わからない世界で彷徨っているだけなんだな、と。ある日そこから自分自身を解放してみたら、自分と向き合うってこうゆうことで、表現することとは何かを気付くことができたんです。「誰かの何か」とか「何かの私」とかじゃないんだって。

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ー他に惑わされず、自分自身を見つめ直したんですね。

 

 そうですね。基本的には落ち込んでる時って、あがいても無理なものは無理。最悪な時は最悪。どう這い上がろうとしても無理なので、どっぷり最悪に浸かりましょうと(笑)。どん底までいって泳ぎ切ったら自然と浮き上がってくるしかないので。

 周りに何を言われても自分のマインド次第なんです。例えば、大自然広がるアイスランド行っても、何とも思わないかもしれない。素晴らしい映画やアートに触れようが、自分のハートがオープンになっていないと入ってくるものも受け付けないと思うので。

ーどん底から這い上がるのは、簡単なことではないですよね。

 私の場合は、まずどん底まで落ちる。おせんべいもポテチもめっちゃ食べて、朝のニュースもダビングしたジブリも全部見尽くして、もう何もすることがなくなる。自然にそろそろ始めようかという気持ちになるまで待って、だんだん自分で探り始めるんです。これがだめなら、これは捨ててあっちを始めてみようとか。


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ー今振り返って、自分のキャリアで転機になった瞬間はありますか?

 まず海外に出たことですね。当時は無知で何も知識がなくて、ただ上手くなりたい、世界1位になりたい、というアバウトだけど純粋な気持ちでした。良いと言ってもらうまで踊ってやろうって。

 それがいつのまにか「仕事」になっていくにつれて、違うものに蝕まれているように感じることがありました。本当は純粋に踊りたいだけなのに。

 でも最近とてもいい経験をしたんです。冬の寒い日だったんですが、森の中のPVの撮影で、ほぼ裸に近い状態で24時間ずっと踊り続けたことがありました。コンテンポラリーダンサーの辻本知彦さんと一緒に仕事をして、森を徘徊しながら「この岩に対してはこう踊ろう」とか、初めての共同作業だったんです。その時「全部背負わなくていいんだ」って、自分の表現を理解してくれる人がいるとわかった瞬間に楽になりました。6年間ずっと、海外でも日本でも1人で走り続けて戦ってきたので。理解し合うことで素直に踊れたんだと思います。




ーそういった経験は初めてだったんですね。

 今までだったら「どうしてこの痛みを誰もわかってくれないんだろう」という思考になって、卑屈な自分が踊りにも出ちゃったり。それは脳を使って踊っているから。純粋に踊れる時は、疲れも寒さも全部なくなるくらいの感覚なんです。誰かのためにとかじゃなくて「無」。この人に見てほしいとか、この人にこう思ってほしいという考えが一切排除されて、自分は今ここにいるだけ。それで「どう表現する?」っていう状態ですね。

 

 本当に踊るってこういうことだったんだって、子供の頃以来の感覚でした。こんなにすごいことができるんだって、久しぶりに思えたんです。

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