Image by: FASHIONSNAP(Koji Hirano)

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私は「リュウノスケオカザキ(RYUNOSUKEOKAZAKI)」がこれまで作り上げた作品を見返しながら、「アートかファッションか」という問いに向き合い続けていた。しかしそれは古典的な価値観であると気付かされる。音楽やアニメ、映像といった分野では、ジャンルに縛られない表現が当たり前のように受け入れられている。その流れを理解していながら、ファッションにおいてだけは無意識に分類しようとしていた自分にも気付かされた。
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越境するよりかは「境界線はない」という認識が正しい。ただ、その中にグラデーションがあることも確かであり、大切なのはどのような形で社会や日常に接続されていくのかという点だろう。
彼は「プレタポルテに挑戦したい」と明言している。前回の展示会では、ブランドのシグネチャーであるワイヤーによる浮遊感を残しながらも、装飾を抑えたドレスを提示していた。その流れを踏まえ、今回ファッションウィークの公式としてコレクションを発表したことから、ひとつの転換点に立っているようにも感じられた。彼は本腰を入れたのだと受け取り、いち観覧者として、「期待と緊張」を楽しむようにコレクション会場に向かった。

彼の作品は、意図的に既存のファッションから逸脱しようというよりも、制作のプロセスに純粋かつ忠実であろうとした結果、既存の枠組みからはみ出ているように見える。その点が、このコレクションを読み解く上での難しさであり、同時に魅力でもある。
プレタポルテとして考えたとき、いくつか条件をクリアする必要がある。それは人が着るものとして流通できるのか。量産は可能か。機能性はあるか。価格はいくらか。着るシチュエーションを考慮しているか。そういった複数の座標軸がある。
その中で今回のコレクションと向き合うと、服としての機能や流通よりも、造形や思想が色濃く反映されているルックが多いように見えた。彼はこれまでと同様に布と身体と向き合いながら「祈り」という思想を我々に伝えているからだろう。ファッションとして流通させるのであれば、思想を伝えるだけでなく、着るために必要な機能美、着心地といった肌感覚に寄り添わなければならない。

印象レベルであるが、コレクションの半分が彼の得意とする過剰な装飾と造形美が強い。現時点では、ファッションデザインよりも、思想を布で扱う表現に軸足があるように感じられる。
一方で、ブランドが初めて“日常着への接続”を試みたアイテム展開も考えられたコレクションとして読むことができるように感じた。
これまで彼は図面を引かず、赴くままに手を動かしながら心地よい造形美を作っていた。その結果として、圧倒的なものを作り上げていたけれど、今回はTシャツやスカートなど、身体に寄り添ったアイテムから派生した彼らしい造形美と、制作工程の変化があるように感じた。


例えば、ポロシャツという誰もが着る一般的なアイテムにワイヤーを入れ変形させるというブランドらしさを取り入れている。これらはファッションに歩み寄った姿勢が形として現れている。

消費されるアイテムが7割、表現としての装飾が3割でコレクションを展開していたのなら、見るものを圧倒してきた造形美は薄れるリスクを負ってでも、プレタポルテを意識して、本格的に本腰を上げたと受け取っただろう。
ファッションは消費され、人が着ることで日常に落とし込まれて、カルチャーが生まれることに美学がある。ファッションデザイナーは、身体と日常、社会規範という制約を課せられたビジネスの中で、いかに新しいファッションを提案できるかという挑戦をしつづけている。ファッションウィークは、その「制限がある中での自由な表現をする戦場」として最たるものであろう。
今回のコレクションは、彼が届けたい思想の強さと、ファッションの可能性を期待する業界とのズレがあるように感じられた。



これを意図的に、いわゆる「一般的な服」を作れるようになれば、彼の造形美はファッションの歴史として更新され、我々のファッションという概念が拡張されるだろう。彼にはそのパワーや可能性を感じる。
もし彼が制作の純度を保ちながら、人に寄り添った彼らしい「思想」と人に寄り添った「洋服」の両立をコントロールできるようになれば、自らの手で布を通じて思想を伝える表現から、より社会や人の営みと密接に繋がるファッションへと開かれ、これまでの概念をさらに揺るがす存在になるだろう。
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