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スペック至上主義の日本人に「シンヤコヅカ」が提案する究極の“機能服”

Image by: FASHIONSNAP

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スペック至上主義の日本人に「シンヤコヅカ」が提案する究極の“機能服”

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 小塚信哉が手掛ける「シンヤコヅカ(SHINYAKOZUKA)」の2026年春夏コレクションにあたる「ISSUE #8」は、東京・科学技術館で発表された。会場へ向かうにあたり、私は自宅からの動線を考え、神保町駅で下車して徒歩で向かうつもりでいた。しかし、インビテーションにはこう記されている。

田安門ルート(750m)を推奨しております。
九段下駅2番出口から、九段坂を上っていくと左手に公園入口が見えてきます。
公園入口を入り田安門をくぐるとその先が北の丸公園です。
道沿いに進むと、左手に科学技術館があります。

 単に最短経路を知らせてくれている「親切」と読み取ることもできるが、“推奨”とは捉え方によっては「是非、九段下から田安門をくぐり、武道館の前を通って来て欲しい」という控えめな“お願い”に読めなくもない。私は、小塚のことを生粋のロマンチストだと思っている。きっと何か意図のある誘導なのだろうと、予定を変更し九段下駅で下車。指示通りに会場へと向かった。インビテーションには今季のテーマも書かれていた。「The moon is floating in the room」。直訳すると「月が部屋の中に浮かんでいる」。現実ではあり得ないこの光景は一体どんな状況なのだろうか。そんなことを考えながら夕暮れの坂道を上っていくと、まだ日は沈んでいないにもかかわらず、いくつかの“月”が眼前に現れた。

 一つ目は、田安門をくぐってすぐに見えた日本武道館の屋根。玉ねぎのような丸みを帯びた金色のフォルムが、まるで夕方の空に浮かぶ月のように見えた。「なるほど、小塚はこれを見せたかったのか」と(自己)満足げに歩いていると、父親と共に下校中だと思われる“黄色い帽子“を被った小学生に出会った。「部屋の中に浮かぶ不思議な月」のことを考えながら歩いている私にとって、ふと視界に入ったその鮮やかな色彩はその日に出会った二つ目の月だった。皇居に沿うように舗装されたうねうねとした道を歩き終わり、目的地で一服しようと入った喫煙所で最後の月、もとい“星”をみた。それは、科学技術館の外壁に施された、星を模した六芒星模様だったのだが「部屋の中に浮かぶ不思議な月」のことを考え続けていた私にとっては、十分すぎるプロローグとなった。

 そうした“月たち”に導かれるように会場に着き、ショーが幕を開ける。照明が落ち、モデルたちは真っ直ぐには歩かず、うねうねと蛇行するようにランウェイを進み始めた。その瞬間、私は思った。「インビテーションの通りに、九段下から田安門をくぐって来てよかった」と。なぜなら、私が皇居沿いに歩いてきたあの曲がりくねった道の軌道と、彼らがいま歩いているこのショーのラインが見事に重なっていたからだ。配られたインビテーションには、こんな言葉が添えられていた。

実際の月と同じですが、そんな当たり前の情景も心の天気が悪ければ見えなくなり、部屋の灯りをつけるようなスイッチが必要なのかもなと思いました。

 「The moon is floating in the room」小塚はこのテーマを通して、服そのものより先に、当たり前の情景が“素敵”に見えるためのスイッチを、そっと入れてくれたように思う。

 今回のステイトメントの中で、小塚は「部屋に月が浮かぶ(The moon is floating in the room)」というイメージを語る中で、「スイッチ」という言葉に触れていた。「心の天気が悪ければ、当たり前の情景も見えなくなる。だから、部屋の灯りをつけるようなスイッチが必要なのかもしれない」──それは現実の光源ではなく、曇った心にふっと光をともすような、月のようにそっと寄り添い、「なんだか素敵だな」とシンプルに感じさせてくれる光だ。今回、小塚はブランドとして「機能服」を目指したように思う。それは撥水性や保温性などの“スペック”を押し出す服とは全く異なるもの。直接的な機能とは異なり、感情に作用する“心に機能する服”である。着ることで心がほどけ、何気ない風景がふと美しく感じられるような、静かな作用。それは数値やスペックでは測れないけど、都市で暮らす私たちが本当に必要としている“機能”なのかもしれない。

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ファーストルック

最後のルック

 小塚はその「スイッチ」という言葉に、自身の服づくりにおけるもう一つの軸「仕事とプライベートを切り替えるための装置としてのユニフォーム」=ワークウェアを重ねていた。ショーは、そのスイッチを入れるように、ワークウェアを彷彿とさせるつなぎで始まり、つなぎで幕を閉じた。

 部屋(ショー)のスイッチを意味するワークウェアとワークウェアの間に登場したルックたちは、まるで「当たり前の部屋」の中で、日常の手触りや生活の気配をそっと照らし出すような存在だった。ゆったりとした寝巻きのようなセットアップ、テーブルクロスを思わせる生成色の素材、実家にずっとかかっている少し古めかしいカーテンや絨毯を思わせるテキスタイル、小塚が「ミシンの練習にと母の日にプレゼントした布の花」が着想になったカーネーションがデザインされたサテンシャツやベスト、靴下。ブランドのシグネチャーとも言える極太のスウェットパンツも、今回の「部屋」というテーマに沿って見ると、怠惰に部屋で過ごす時につい手に取ってしまう、サイズが合っていないけど愛着があり、なかなか捨てられずにいるくたびれたスウェットパンツのようにも見えてくる。そこに共通しているのは、機能性やシルエットといった明確な要素ではなく、もっと漠然とした「情緒」や「感情」に訴えかける服の在り方だ。まるで、誰もが物置部屋のようになってしまった実家の自室を思い起こすような、そんな感覚である。

 ブランドビジネスは難しいもので、ブランドらしさを定着させるために同じようなアイテムを繰り返せば「アップデートがない」と言われ、新しい提案をすれば「らしくない」とファンが離れてしまう。シンヤコヅカも例外ではない。ブランドスタートから10年以上が経ち、増床オープンした直営店には国内外のファンが詰めかける。そうした光景は支持の広がりを物語る一方で、「らしさ」を手放しにくい状況にあることも示している。パリへの挑戦(ショーの開催)をまだ行っていないことを含めても、このブランドがこれからどう“次”に向かっていくのか、注視したいタイミングにあるように思う。

 経済的な安定と創造的な挑戦。そのせめぎ合いのなかで、小塚はデザインそのものではなく「語り」によってコレクションの見え方を変化させる力に長けている。今回のコレクションにも、驚くようなシルエットや装飾の新しさは少ないかもしれない。しかし、同じように見える服にまったく異なる文脈や視点を与えること。その「読み替え」の精度が、小塚の最大の武器だ。彼はいつも服そのものではなく、服の背景にある物語の“スイッチ”を押して、コレクションの風景を変える。ただし、その「語り」は、これまで音楽に大きく委ねられてきた印象もある。エレファントカシマシやくるり、ブランキー・ジェット・シティ、Mr.Childrenといった日本のロックバンドをショーBGMに多く起用し、情緒の流れをショー全体で設計してきたその演出は、ときにルックそのものよりも音楽の記憶が強く残るほどだった。そこには「服だけでは語りきれない」というロマンチストな小塚ならではの確信があったのだと思うが、言い換えれば、服の語りを音に任せすぎてきた側面も否めない。

 だが今季のコレクションでは、その関係性にも微かな変化があったように思う。月の光のような静けさで展開されたルックたちには、音楽が引っ張るのではなく、そっと寄り添っていた。語り手としての音ではなく、風景としての音。服が語り、音が包む、そんなバランスが見え始めてきた。シンヤコヅカの物語は、まだ進化の途中にある。

SHINYA KOZUKA 2026年春夏

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最終更新日:

FASHIONSNAP 編集記者

古堅明日香

Asuka Furukata

神奈川県出身。日本大学芸術学部文芸学科を卒業後、広告代理店を経て、レコオーランドに入社。国内若手ブランドに注力する。アート、カルチャーを主軸にファッションとの横断を試み、ミュージシャンやクリエイター、俳優、芸人などの取材も積極的に行う。好きなお酒:キルホーマン、白札、赤星/好きな文化:渋谷系/好きな週末:プレミアリーグ、ジャパンラグビー。

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