「ヴァレンティノ」クチュールの挑発的なスペクタクル ミケーレが紡ぐ「美」の価値、憂いと賛美、そしてガラヴァーニの神話

VALENTINO HAUTE COUTURE 2026
Image by: photo: Courtesy of VALENTINO

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過去に回帰する価値を持った遺産は、時代を超えながら、いくつもの年月を生きる強靭さや時流や世相というある種の壁を打ち壊す天賦の才に秀でた作者の潜在性を引き立てる。そういった意味では2026年1月19日に逝去した「ヴァレンティノ(VALENTINO)」の創設者、ヴァレンティノ・ガラヴァーニ(Valentino Garavani)が現在までに紡いできた物語は、アレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)が言うように「神話的」である。何故なら、彼の遺したこのメゾンには、「美」に纏わる膨大な固有の言語を具えているからだ。そして、ミケーレ自身も多くの独自の言葉を持っている。時代によって「美」の価値や言語は変容していくものであるが、「ヴァレンティノ」、ガラヴァーニ、そしてミケーレが「美」の体現として共鳴するオートクチュールは、その変容を寛大に受け止めるほどの度量があり、絶対的な親密さと極上のスペクタクル、生来の個人的な喜びと公的な提言といった壮大なパラドックスも内包されている。このようなパラドックス、クチュールの過去、現在、未来、そしてその可能性は、ランウェイショーの根源が覆るかのような挑発的で、前代未聞のショー演出によって、「美」の価値や言語を顕在化させる。
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VALENTINO HAUTE COUTURE 2026
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招待状は木箱に入られた鈴。丁寧に包装されたそれにはメゾンのロゴと本作の主題である「SPECULA MUNDI(ラテン語で世界の鏡、の意)」と刻まれている。会場は、パリ16区にあるテニス クラブ ド パリ(Tennis Club de Paris)。会場に入ると、中央に大きな黒幕が敷かれ、左右13個ずつに分けられた、計26個のアルファベットが註釈された木製の円筒型の巨大な箱が並ぶ。それぞれの箱には、人の顔よりも少し小さめの12個ほどの金属板の小さな覗き窓があり、その前には椅子が設置されている。壮大なゴシック調のクラシックが流れる中、ショー開始時間を30分ほど過ぎた後、金属板を下げると、そこにはコンシェルジュが立っている。招待客はショーを覗き込んだ。これは「カイザーパノラマ」という19世紀末に欧州の主要都市に広がった装置であり、人が過去に置いてきた遺物である。往時は集合光学機械として使用していたこの装置をクチュールの崇高な「peep show(覗き見ショー、の意)」の舞台に変換させた。

VALENTINO HAUTE COUTURE 2026の招待状

ショー開始前の会場内の様子

ショー開始前の会場内の様子
「カイザーパノラマ」を通したクチュールは、ひとつのドレスを、オブジェや美の塔、あるいは風景そのものに移ろい得る可能性......延いてはクチュールに潜む言葉や物語の芸術的、哲学的な示唆の現れであろう。
コレクションノートにあるように、現代は「視線とメディアへの過剰露出、そして急激な消費行動の同時性」に溢れている。特にファッションの世界では「みる」という行為が過多しており、視点と視線の境界さえ曖昧となっている。歪んだ執着が蔓延していながら、我々は実際にどれだけのことを「みる」のだろうか?そして、そのような時代であっても尚、クチュールメゾンは残っている。それは何故か?ミケーレの思索はそこにある。強烈な視覚の刺激は、我々の欲望を掻き立て、クチュールの魔法に取り憑かせる。



作品群は極限まで精緻を極め、この世のものとは思えないほどの優雅さと美しさにかけて熟達されており、波動のように押し寄せるフリル、ラメを施したプリーツ、最上級のビーズ、レース、貴金属、刺繍、そしてまた刺繍......しかし仕上がったドレスはどれも羽根のように柔らかく、軽やか。まるで、ガラヴァーニが若き日に映画スターの美しい衣装に魅了され、ファッションの世界を志す契機となった1930年代のハイウッド映画の華やかな舞台衣装、あるいはミケーレ個人にとっては、ローマのチネチッタ(映画スタジオ)でエグゼクティブのアシスタントとして叩いていた「スーパーお洒落な映画界出身の、非常にクレイジーな女性」である母親を想起させる。

VALENTINO HAUTE COUTURE 2026
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一見すると、その文化自体が時代に取り残されていた感のあるクチュール、しかも「ヴァンレティノ」というガラヴァーニが遺した神話的な存在における、それを司るミケーレにとって、二項対立論的な創作手法は手中に確実に収めているのだから、「声なき声」など構いはしない。プレタポルテとオートクチュール、主体と客体…あるいは洗練と粗野、成熟と未熟、正統と異端、現在と過去、光と影、身体と精神、善と悪、西洋と東洋、といった二項対立論的な創作手法などの二元論的な概念は、彼の創作道徳の範囲内で完全に等価交換され、この潔癖なまでの加減乗除を経ることで、異種混合の個性を生み出す。監獄のような円形の独房から荘厳で華やかな舞台に、看守からコンシェルジュに、囚人服から高級注文服に、そして権力から解放に。我々もまた、この覗き窓から離れることができない、現代の歪んだ執着から純粋な欲望に感覚を変えられる。ミケーレにとって「美」の価値、クチュールとはそういった魔法であり、偶像的な存在であるのかもしれない。そして、現実を仮構に、そして非日常を日常に。人の眼に映るパノラマを恣意的に拡げるための装置......それが「カイザーパノラマ」なのだろう。

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現代に生きる女性は、確かに昔とは違うかもしれない。肉感というほどでもないし、いたずらに官能的とも違う。もっと気骨があって、粋で、かつ優美で、何より「生」に溢れている。ただし、美に飢えているとは違う。美の理念、概念がどこに存在し、どのように形作られ、そもそもそれが何か、見失いつつある。それは特定の誰かを批判しているのではなく、美そのものの危機を示す。このスペクタクルなショーの9日前に亡くなったガラヴァーニは女性を女神のように見て、この魔法、偶像に身を包ませていた。彼の女性や美に対するビジョン、そしてアトリエという崇高な集合、職人たちへの最大限のオマージュ…ミケーレの眼に映るこうしたパノラマを、我々は「カイザーパノラマ」を通して共有されている。してみると、ショーにありがちな派手な舞台装置とは訳が違う。

VALENTINO HAUTE COUTURE
Image by: 2026 photo: Courtesy of VALENTINO
彼の創作はこのような憂いと賛美が重なる暗示ではないだろうか。それに対する明確な提示を打ち続けている。複雑に見えて、実はシンプリシティーに富んでいる。意匠とは概念そのものになり得るものであるべきである。それがたとえ「時代離れ」と言われようと。「時代離れ?」そんなことはない。彼は離れているのではない。あくまでも当事者として、むしろ「時代」を実よく「みる」資質に裏打ちされている。生来の批評精神を具えた作者なのだ。
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