Masahiro Kubo

色と配置の妙は、日本人のDNAから

久保雅裕

アナログフィルターJournal Cubocci(ジュルナル・クボッチ)編集長

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ショーの招待状にテーマや前説が載っている事がある。「まとふ(matohu)」は、いつも素敵な文章を送ってきてくれる。だが、ショーを観るまでは、敢えて読まないようにしている。先入観を持って観たくないからだ。見終わってから、読み返す。そして、「あ~、なるほどね」と膝を打ったり、頷いたり。そうして、また違った印象が生じて2度楽しめる。写真を眺めながらだが。

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学生達に講義する中で、こんな話をする事がある。「知性は感性をあと押しする」。ピカソの作品『ゲルニカ』を例にとって、先入観を持たずに初めてこの絵を見たら、「なんか変な顔ばかりの稚拙な感じの絵だな~」と大体は思う。だが、ドイツ空軍による世界で初めての都市への無差別爆撃によって、スペイン・バスク地方のゲルニカの町が悲惨な状況に置かれた事に抗議して描かれたものだと知る事で、絵を観る目が変わり、違って見えてくる。それはスパイラル状に知識が感性を押し上げた事を意味すると。だから、知識も蔑ろにしてはいけないと話すのだが、寝ている輩もいる。僕の声が美し過ぎるせいだ。

閑話休題、「まとふ」の話。こんな色を、どうしたら出せるのだろうと思う程、見事な色を揃えてきた。間違いなく日本人のDNAに訴えかける色だ。僕には、まだまだ知識が足りなくて、言葉では上手く表現できない。でも写真で見てほしい。この色なのだ。そこへ持ってきて、ツバメ、浜千鳥、キノコ達。私にはキノコに見えたが、違っていたらゴメンなさい。

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このモチーフ達をどうして、ここに置くの?こう並べるの?という不規則性は、幼稚性を思わせるが、それが彼らの云う大和言葉の「うつくし」や慈しみの愛情に繋がる。日本人の持つ「カワイイ」の感性の本源的なものなのかもしれない。アシンメトリーや石庭に現れる日本の文化、それは配置されるものの調和が決して合法則的ではないけれど、何故か美しい。

あの置き方は、「間(ま)」の文化の賜物なのかもしれない。それも日本人のDNA。

色と配置で、日本のうつくしを見せてくれた「まとふ」のコレクションに、今夜は胸が躍った。

>>matohu 2017年春夏コレクション

【「ジュルナル・クボッチ」編集長久保雅裕の東コレコラム】
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