matohu 2020年春夏コレクション
Image by: FASHIONSNAP.COM

Mugita Shunichi

モードノオト2019.10.14

麥田俊一

ファッションジャーナリスト

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matohu 2020年春夏コレクション
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劈頭第一にロートルの戯言を少々。ファッションに於ける「多様化」なる宣伝文句に、私は甚だ懐疑的なのだ。現代社会の特徴として、価値の多様化とか、多元性に対応するとか云うことが昨今話題になっているが、つくづく思うに、たいそう片腹痛いことではないか。価値とは主観の要求、とりわけ感情や意志の要求を満たすものだとするならば、なにも今になって、突如として、我々の主観が多様化したとは思えない。以前より潜在的には存在していた要求が、世の中の変化につれて、いとも安易に引き合いに出されたに過ぎないのではないか。簡単に云えば我々、贅沢に慣れ過ぎ、種々の要求が多くなっただけのことではないのか。

昭和30年代の蕎麦屋の品書き。天麩羅、カツ丼、稲荷鮨はもとより、中華丼や中華蕎麦、野菜炒めや焼肉、更にはハンバーグ定食、トコロテンに餡蜜もあった。月に一度の贅沢に、どぎまぎしたガキの頃も、今は昔。一つところで、人は、勝手気儘に食べたい物を口にした。価値の多様化には、まず、モノが豊富に揃わなければならなかった。既にそんな時代を経てきたわけだが、蕎麦だけを手繰っていた大昔には、価値の多様化と云う現象は起こり得なかった筈。勿論、高級店を標榜する蕎麦屋の、今様の品書きは、それとは様相を異にしているし、下世話な例を挙げ見苦しい我田引水ともなるのだけれども、今更、多様化なる惹句に頼るしかない今のファッションの脆弱な状況、ちと寂しい。

モノは、それでも溢れる。これ、消費社会の宿命。モノとしてのモノから、記号としてのモノへ、その方向に拍車が掛かった分、モノと人間の関係が随分と曖昧になった。昔は、人間が中心にあって、人間のシステムにモノが適合していたのが、いつの間にやら、その関係が逆転。モノは機能的で合理的に進化を続ける一方で、人間は以前よりは機能しなくなり、寧ろ不合理になっちまったね。この場合のモノは、そのまま服に置き換えることが出来る。つまり、服を着る側と作り手の関係が逆転してしまった。果たして作り手の沽券、何処に。

これ、今に始まったことか。表層、即ちトレンドを追随すると本質を見失うことがある。表層は屡々蛇行するものだが、底流は蛇行するものではない。外観(うわべ)とイメージ(品格)を人質に、お客の足もと見て、とことん小馬鹿にしてきた高級ブランドがあるとする。そんなブランドが束となり潮流を成している。片や、真摯な作り手の言葉は、漸次ギスギスとして痩せ細ってしまう。これでは、実に切ない。

matohu 2020年春夏コレクション ©︎FASHIONSNAP.COM

「マトフ」は、新たな連作「手のひらの旅」を開始すると同時に、プレゼンテーションに新作発表の形式を変えている。作品を貫く主題の背景を巡る旅の様子と、その土地の風土、服の製作工程に纏わる挿話を紹介する短いロードムービー(作り手と職人との交流を描いた)を上映しながら、数名のモデルを使い、作り手たち自らの言葉で作品の解題をするユニークな発表も今回が3回目。東京のファッションウイーク開催の前週に行なわれた。

今回の「旅」の目的地は、四国地方の徳島県。主題は「藍の源流」。藍染めの原料となる蓼藍(たであい)の畑、染液のもとになる蒅(すくも=藍の葉に水を加えて発酵させた黒褐色の塊)作りの現場、蒅を作る藍師や、蒅を使って藍染めをする染め師、徳島に移住して阿波藍で新しい活動を続ける若手集団等の仕事場を、作り手の二人が訪れ協業する姿を、今回のロードムービーは伝えている。

徳島県は江戸時代、阿波と呼ばれ、蒅の国内最大の生産地として、日本各地の染色文化に貢献した。往時は、絣や絞り、農民の作業着まで、藍染めは日本人の生活に欠かせない存在だった。しかし、石油で精製された科学藍が流行すると、手間の掛かる藍染めは急激に衰退。回復基調にあるとは云え、現在、蒅師は県内に5軒しか残っておらず、蓼藍の畑も少なく、需要に追いついていない状況だと「マトフ」の二人は語る。

実際の服はと云うと...深い余剰を青のグラデーションに閉じ込めた上衣は、藍に浸ける回数を変える段染めで仕上げた。異なる色に染めた糸で織り上げた繊細な波動のような柄は、細波のイメージ。四国の中央部を東西に流れる大河、吉野川に想を膨らませたものだ。ろうけつ染めで柄を描いた藍染めの長着は、青地に恒星が放つ朧な光の渦のような模様が浮かんでいるが、こうした近未来的な詩味は、若手の職人との協業で生まれた。

身体に纏う「纏う」と「待とう」の二重の意を重ねたブランド名は、伊達ではない。「消費して捨て去るのではなく、自分らしい美意識が成熟するのを待とう」は、作り手の真摯な提言。既に、和洋折衷を自家薬籠中のものとする「マトフ」の創作は常に面白いかと云うと、残念ながら、そうとは云い切れない。敬意は払う。だが、閉塞感、既視感、見ているこちらが消化不良を起こすほどの満腹感(胃もたれ)を覚えたことも屡々。日本人が和を扱うのは難しい。だが、「和」に寄り添う主題を「洋」のベクトルに、グイッと向かわせる強かなデザインが頼もしく、特異な美意識に裏打ちされた個性的な視座で、東京発信のエレガンスの規範を広げた功績は大きいのではないか。

この二人、果たして、不断の意志を持ち続けることが出来るか。正面より構えるのではない、何気なく、自由な態度で、柔軟に、しかし剛直にそれを身に付けることが出来るか。才能よりは経験だと思う。これに尽きる。経験とは、不断の探求の蓄積だから。それは「不断の意志」を持つことよって初めて生きるもの。その生きた経験こそ、尊重すべきものなのだ。デビュー時より彼等の服を見てきたが、二人の服作りの根底に流れる主題は、時間の流れであることに気付かされる。過去の作品が今以て新鮮である理由はそこにある。現代社会の雰囲気を写すことに専念する実感のデザインは、世の中が変われば古臭くなる。しかし、揺るぎなく美しい筆致で知的に構築された作品は滅多なことでは磨滅しないし、錆もしない。時代の流行に向かって開かれていて、随分と風通しがいいものなのだ。(文責/麥田俊一)

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