神戸の地で誕生したベビーショップ・ファミリアが百貨店に進出し、NBへと発展していくのにそう時間はかからなかった。オリジナルの衣料品にとどまらず、ベビー食器や輸入育児用品、ライセンス商品など商材を拡大。日本を代表するブランドに成長したが、バブル崩壊、競争激化で苦しい時代を迎える。
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阪急からのオファー
「なかなかいい商品のある店だ」。阪急百貨店初代社長の清水雅は、神戸を散策中に目にしたファミリアの店に可能性を感じた。早速担当者に指示し、取引をオファーする。ファミリア創立から1年も経たないうちの出来事だった。坂野惇子は「私たち自身の手で商品を扱わせてくださいませんか」と、買い取りを示されたにも関わらず、当時としては不利な条件である委託販売形式をあえて希望した。ブランドと商品への思い入れが強かったからだ。
そして51年4月、阪急百貨店に直営店を設けた。これが全国展開への大きな一歩となった。商品と接客の良さが評判となり、阪急側の販売予想を上回るペースで推移。神戸・岡本にあった作業場は毎年のように増築を重ねた。
54年には高島屋東京(日本橋)店、東京(新宿)伊勢丹本店で催事「子供服展」を開催。消費者だけでなく、百貨店や業界関係者の関心を集めた。生産・販売面で管理体制が整い、56年には坂野通夫が社長に就任。数寄屋橋阪急に出店し、東京進出を果たす。
同じ頃、ファミリアのベビー用品を普及するため、米国の育児用品の輸入販売も開始。ファミリア・コーナーは63年の高島屋日本橋店を皮切りに、新宿伊勢丹本店、高島屋横浜店、東急百貨店東横店、西武池袋本店と急速に拡大した。70年、日本で初めて「スヌーピー」の商品の販売を開始したことも成長に寄与した。
「子供のために」「お母さんの気持ちになって」という熱意は、様々な〝発明品〟を世に生み出した。縫い目を外側にした赤ちゃん用の肌着はもはや一般化したが、日本で初めて商品化したのはファミリアだ。オリジナルのキャラクター「ファミちゃん」をプリントしたTシャツは、それまで肌着としか見られていなかったT型のシャツを完全なアウトウェアとして提案した(57年)。
また、欧米の育児教育の啓蒙(けいもう)として『ファミリア・ガイド』を発行(52年)。72年にはベビーコンサルタントの大ヶ瀬久子の新しい育児法を解説した教育映画「あしたのママ」を撮影。社員教育用として企画したが、育児知識を身に付けたい妊産婦の役に立つことを願って製作した。このような活動は、今もマタニティーセミナーなどの取り組みとして続いている。
地域密着型経営で拡大
70年代後半から80年代には、総合アパレルが子供服に本腰を入れ始める。レナウンと小杉産業が抜きん出ていたが、樫山と内外編物が猛追し、市場争奪が激しくなっていった。80年代後半は、三起商行とべべが躍進。91年にべべが売上高400億円を実現する。量販店が単品量産で台頭し、デフレの波が押し寄せた90年代は、ロードサイド型のチェーン専門店が急成長。SC時代の到来により、SPA(製造小売業)形態が勢力を増すなど、子供服市場は競争が激化し、子供服に対する価値観も多様化する。
ファミリアは神戸・大阪・東京・京都・横浜のほか、82年に鹿児島・宮崎そして沖縄・仙台・名古屋、83年には新潟への進出を果たしていたが、さらなる「地域密着型経営」を掲げる。86年、山口県以西の九州全域をテリトリーにした福岡営業所を開設、88年は北海道営業所に続いて浜松、鎌倉、広島、市川へとネットワークを広げていった。
順調に拡大を続けてきたファミリアも、バブル崩壊のあおりを受け、92年を境に業績が下降線をたどり始めた。在庫量が膨らみ、効率的な仕組み作りが急務だった。坂野夫妻の娘婿である三代目社長の岡崎晴彦は、「今後は売り上げだけを追いかける時代ではなく、バランスのとれた経営が必要になる」と、97年に中期経営計画を策定。商品政策、営業政策、店舗の運営政策の三つの面から課題を洗い出し、見直しを進めた。
特に商品政策では、品番数や商品構成の整理、売れ筋追いかけ生産、期中追加企画に取り組んだ。大人の分野では様々なSPA向けシステムの開発が盛んだったが、子供分野には出産、入学卒業、七五三、お受験など大人とは異なる需要サイクルがある。各需要でのピークをどう判断するかなども子供独特のものだった。ベビー・子供市場に合ったMDカレンダーや需要予測システムは、自社で開発を進めるしかなかった。
96~98年には早期退職優遇制度を実施。3年間で75人の社員が職場を去った。
(繊研新聞本紙20年3月30日付:敬称略)
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