ビジネス界のトップランナーのキャリアを「丸ハダカ」にする、新感覚対談「Career Naked」。第5回目は、Allbirds(オールバーズ)合同会社 マーケティングディレクターに登場いただく。蓑輪氏はこれまでナイキやユニクロといった国内外の企業でマーケターとして活躍してきた。そんな彼が2019年から関わっているのが、サステナブルな素材にこだわり、快適さを追求したシューズとアパレルを展開するAllbirds(オールバーズ)だ。2016年にサンフランシスコで誕生したこのブランドは、近年、日本でもファッションや環境問題に対する感度の高い層を中心に認知を広げている。今回はブランドコンサルティング企業 H-7 HOUSE(エイチセブンハウス)代表である堀 弘人氏が蓑輪氏に、キャリアを通して得てきたこと、Allbirdsで取り組みたいこと、さらに日本のサステナブルの現在地について話を伺った。
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蓑輪 光浩さん/Allbirds合同会社 マーケティングディレクター
1974年生まれ。97年、ナイキジャパン入社。ショップスタッフ、ファイナンス、世界に1つだけのオリジナルスニーカーが作れるサービス「NIKE ID」のブランドマーケティング、広告戦略などに携わる。11年よりユニクロでスポーツ選手の広告起用や商品開発、各国のショップのオープンなどグローバルな仕事を手掛けた後、16年よりレッドブルに勤務。Z世代を巻き込んだイベント運営などを行う。18年にビル&メリンダ・ゲイツ財団 プロジェクトマネージャーに就任。19年より現職。
堀 弘人さん/H-7HOUSE合同会社 CEO/ブランドコンサルタント
1979年生まれ。米系広告代理店でキャリアをスタートさせ、アディダス、リーバイス、ナイキ、LVMHなど世界的に業界をリードする数々の外資系ブランドでマーケターとして、マーケティングディレクターを含む要職で活躍したのちに、大手日系企業 楽天にグローバルビジネスディレクターとして入社。また、国際部門にて戦略プロジェクトをプロジェクトリーダーとして率いてきた。2021年、自身の経験を国内外企業の活性に役立てたいとブランドコンサルティング会社H-7HOUSEを設立。メディアNESTBOWLのブランドディレクターも務めている。
Z世代から財団職員まで幅広いコミュニティ作り、自分の武器は多種多様な「仲間」だと言い切れる
―蓑輪さんはナイキ、レッドブル、それから現在に至るまで外資系の様々なブランドに勤められていらっしゃいますが、ご自身のキャリアについてご説明いただけますか?
基本的にこれまでは、ブランドの戦略やコミュニケーション、メディア、デジタルなど、コンシューマー系のマーケティングに携わってきました。大学を卒業してからは13年間ナイキで働き、店舗や、ファイナンス、ブランドマーケティング、広告戦略に携わっていました。そして2011年の東日本大震災をきっかけに「日本のために働きたい」という気持ちが強くなったんです。
ユニクロに応募した際、面接で柳井正会長にお会いしました。その時に「この偉大な経営者と一緒に仕事をしてみたい」と思い、ユニクロに入社したんです。扱う広告費用の桁がこれまでよりもスケールが大きくなって、マーケティングとしてできることの可能性も広がりました。同時にテニスの錦織圭選手らとアンバサダー契約をして、これからスポーツをユニクロとしてどのように解釈していくか、という時期に錦織選手をマネジメントするチームに入ることになって。スポーツ選手の広告起用と商品開発、各国にできるショップのオープンなどグローバルな仕事に5年ほど関わりました。
その後に入社したレッドブルでは、大学生と一緒にアンバサダーとして、ミニクーパーに乗って各地でサンプリングするグラスルーツ活動をサポートしたり、イベント運営などを行ったりしました。レッドブルで若い世代の人たちと交流した影響で、「この若い世代のために、自分は次世代につないでいかないといけない」と考えるようになって。ちょうどビル&メリンダ・ゲイツ財団がオリンピックにからんで、感染症の問題、世界の貧困問題への意識を高めるために、ソーシャルキャンペーンを展開していたのです。これは何か、普通には出会えない人たちに会えるのではと思い、そこに飛び込み、たくさんのことを学びました。
それから現在勤めているAllbirds(オールバーズ)が日本で立ち上がることをきっかけにお話をいただいたのですが、初めはブランドを知らなくて。調べてみたら、自分がやりたかった環境のことに深く関わっていたことが分かりました。Allbirdsの靴をはいた瞬間に「3年目でこの靴を作れるのならば、10年ほどかけたら世代を代表できるシューズを作れるかもしれない」と思って。スタートアップ企業のスピード感やカオス感といった、すべて自分で行っていく点が魅力的に映って入社を決意し、現在に至ります。
―その経験の中で、ご自身最大の武器はどういったことだと思いますか?
やはり仲間だと思います。若い頃に一緒に働いていた同年代がスケールアップして、その能力を十二分に発揮している方々が多くいます。そういう仲間が増えてきたのはもちろん大きいし、レッドブル時代には、お父さんと息子や娘みたいな世代の差がある、今でいうZ世代の人たちとつながりました。お互い「最近、何が流行っているの?」といったことを普通に聞けて、Instagramを見ていると、「ああ、こういうことね」と彼ら世代のトレンドがダイレクトに分かります。ビル&メリンダ・ゲイツ財団時代は政府の方々とお話をして、そこでも世界が広がりました。
結局、自分が持っている能力なんて大したことはなくて、いかに人とコネクトして、物事をプロデュースしていくか、だと思います。私はプログラムのコードも書けないし、フォトショップも操れないけれど、それができる人が周りにいれば、可能性が無限に広がっていくのです。
大失敗は商品を無視して作ってしまったCM素材の撮り直し、会社を辞める覚悟で臨んだ
―私たちから見たら蓑輪さんのキャリアは非常に輝かしいですが、これまでのキャリア史上最大の失敗について教えていただくことはできますか?
失敗は数多くしていますけれど、一番大きいのは、ユニクロ時代に起こったCMの撮り直し事件ですね。当時はCMが決まらないと他のクリエイティブの方向性が決まらないから、それをミスしてしまったことは、かなり冷や汗ものでした。
―なぜそのミスが起きたのですか?
商品のベネフィットに、しっかりと向き合っていなかったということですね。キャスティングに頼りすぎる方向にいってしまいました。最終的には良いものが仕上がったんですけれど、非常に大きなお金を預かっていろいろな人がからんでいたので、1つのミスでたくさんの方々に迷惑をかけてしまったと思います。
この出来事で学んだのは、「コミュニケーションの本質」をつかないと、賢人には見抜かれるということです。あとは撮り直しする時は成功しなかったら、自分は辞めるくらいの覚悟でいたこと。一緒にやっていた広告代理店の方も私も「辞める覚悟でいます」と話して、チームも再びエンジンがかかりました。今でも当時の営業担当者とは仲が良いですし、お互い「これが背水の陣というもの」と考えて録り直しに挑みました。もちろん、すべてそういう気持ちで取り組まないといけないとは思うのですが。
―なるほど。ちなみに現在勤務されているAllbirdsは、今まで勤めていらした大手のグローバルブランドと比べるとベンチャー企業である分、働き方やアプローチ、コミュニケーションがだいぶ違うと思います。その中で「これは進め方ややり方が異なる」と思われたことはありますか?
私はどちらかというと鈍感で楽観的なので、あまり細かいところは気にしないようにしています。若い時は怒りに任せてメールを書いて失敗した経験がたくさんありますけれど、それは何の生産性もありません。結局、社員は一番の仲間であり、一番のお客様です。そういう人たちに対して、衝突を起こす必要はないな、と思っています。
私はほとんどAllbirdsというブランドを知らない状態で入社しているから、2、3年勤めている人とは、どうしても仕事の進め方や信頼関係の築き方など、細かいところで差異は出てきます。でも20年仕事をしている中で、正直に鈍感でいることを学んだので、その経験を生かすようにしています。
ユニクロ勤務時代にクリエイティブディレクターのジョン・C・ジェイと何回か仕事をさせてもらった時に、『ジョコビッチに贈る本』を一緒に作り、いくつかの校正をしていたのですが、私は言い回しやフォントのサイズ、レイアウトなど結構、赤を入れたくなってしまうんです。でもジョンから「もっとクリエイターに余白を与えなさい。そうすると、クリエイティビティに伸び代が生まれる時が絶対にあるから」と言われて、その時「確かに」と思って。それからは、クリエイターになるべく余白を持たせるようにしたい、と考えるようになりました。この経験で、私もあまり同僚や部下の人たちに、細かく言わないようになったと思います。ちゃんとできているか、今度チームメイトに聞いてみようっと。
Allbirdsの創業は、ガールフレンド同士がキューピッドとなった
―Allbirdsはここ数年で日本の市場でも市民権と認知を得てきたと思うのですが、ブランドの成り立ちから現在に至るまでの、簡単なヒストリーを教えていただけますでしょうか?
Allbirdsには2人の創業者がいます。1人はティム・ブラウンという、ニュージーランド出身のサッカー選手で、国内では皆が知っている国民的なヒーローです。彼はスニーカーブランドが提供するキャッチーな色の靴ではなくて、シンプルなスパイクやシューズを履きたいと思っていたそうです。自分の時間を作ってはスニーカーをデザインしたり、自分で工場を調べてプロトタイプ(試作品)を作り、友だちやチームメイトに酷評されては作り直して。現役を引退してからはロンドンのビジネススクールに通い、キックスターターで、「ニュージーランド産のウールを使ったスニーカーを作る」というプロジェクトで資金調達をしました。
もう1人の創業者であるジョーイ・ズヴィリンジャーは、バイオテクノロジーの研究者でありビジネスマンとして仕事をしていました。当時は環境負荷の低いマテリアルを作って売り込んでも、市場が反応しないためスケールアップせず、ジレンマを抱えていたそうです。
そんな中、偶然にもティムとジョーイの現在の奥様同士が大学のルームメイトで、「うちの彼が…」という話をしたら、とんとんとブランド設立の話が進んでいったのです。
Allbirdsには「孫の世代にこの地球を美しく保ちたい。そのためには、自分たちが手掛けているシューズやアパレルは、なるべく温室効果ガスを排出しないような作り方をする。それをオープンにして広める。」という思いが根本にあります。
―日本においては、欧米諸国とサステナブルの考え方が若干異なることもあると思うのですが、Allbirdsは現在どのような方々に支持されていらっしゃいますか?
最近は女性もスニーカーを履いて仕事に行ったり、生活の中で履く方も多くなったので、女性も増えてきました。ただやはりスニーカーというと男性の方が中心。特に大学を卒業されて社会人になった20代中盤から、これからお子さんが生まれる30代中盤の方たちが多いです。もちろん、こういったサステナブルな取り組みにとても興味がある方もいらっしゃいます。あと、Allbirdsにはブランドロゴの主張が薄めです。ロゴが大きくデザインされたスニーカーは履きたくないと思っている、ミニマリスト志向の方やIT系、起業家系の方も来店されます。
ビジネスにもカジュアルにも使えて、洗濯機で洗えるメンテナンスの良さ。それからお店だけではなく、eコマースも充実していて、非常に買いやすい環境になっています。
パートナーや家族と一緒に来てプレゼントを買う人が増えてきた実感もあります。「洗えるんですか?シンプルでいいね。軽いね」などの会話をスタッフと重ねながら、商品を知っていただき、ご自身だけでなくプレゼントとして買ってくださるケースもあります。履き心地もいいので、親御さんなど年配の方にプレゼントされたり、足の問題を抱えている方が「動きやすいし軽いし、タイトな感じではない、こういう靴を探してました」と気に入って、何足も買っていただくこともあります。
マイナーチェンジを繰り返し、商品を成熟させる
―今後未来に向かって、Allbirdsという企業が進む方向性、もしくは蓑輪さんがお考えになる今後のマーケティング戦略の一端をお伺いしたいです。
日本でのAllbirdsの認知度はまだ10%程度です。40人のクラスがいたら、男子3人、女子1人くらいしか知らないため、もっともっと知っていただく余地があります。あとはリピーターの方が40%ほどいらして、2足目も買っていただいているので、その方たちに対するコミュニケーションの継続も工夫していきたいです。それから今後、商品は熟成されていくでしょう。たとえばオープンしたてのレストランに行った時に「あれ?」と思っても、半年くらい経ってからまた行くと、おいしくなっている、ということがあるじゃないですか。それと一緒で、商品は進化していくものです。私が今日履いている靴は発売開始して5年目ですが、多分20-30回くらい細かいアップデートを繰り返しているんです。
―5年で30回ですか?すごいですね。
マイナーチェンジをこっそりしていて、それが成熟につながっていくと思います。
―もはやOSに近い頻度でアップデートを行っているのですね。ちなみに、蓑輪さんご自身が手掛けられている日本独自の施策や企画、グラスルーツのイベントなどがあったら教えていただけますか?
今後の施策はいくつかありますが、コミュニティビルディングという課題には注力していきたいです。環境問題のようなこういった大きい話題は一つの企業だけが声を上げても難しさがあるので、専門家に参加してもらうことも考えて。自分たちのお店もコミュニティですけれど、周囲のお店も巻き込む、といったようなつながりを増やしていきたいです。
―さきほどプロダクトは成熟していく、というお話がありましたが、今後どのように広がっていくのでしょうか?
私が興味を持っているのは、BtoBやオープンソースで作ったプロダクトを、産業や業界を越えて使っていただくことです。今、開発している素材の中にプラントレザー(植物由来レザー)というものがあって、これは服や靴だけではなくて、家具にも乗り物にも使えます。そういう動きが加速していくようにしたい、と思っています。
―アメリカ、ヨーロッパ諸国では今サステナブルやエシカルのリーダーシップ、このトレンドを牽引してるのがジェネレーションZ世代と呼ばれてます。日本におけるサステナビリティに対しての意識や行動は蓑輪さんからはどう見えていますか?
この2年間で非常に加速したのではないでしょうか。ビル&メリンダ・ゲイツ財団で働いていた2018年ごろは広告代理店の調査でSDGs認知度は20パーセントを切っていたと思います。しかし今は小学生ですらというか、小学生の方が知っていますね。自分の子どもに「SDGs17の目標の5番って何か知っている?『ジェンダー平等を実現しよう』だよ」と言われましたが、このように教育にもしっかり組み込まれていますし、どの雑誌にもサステナブルという用語は出てきています。ただしワードとしては来ていますが、その本質を見ていかなくてはいけない時代になっていると思います。
私自身は、サステナブルなマテリアルなど、いろいろな話がポンポンと出てくる様子は、インターネットが盛り上がった21世紀初めと似た雰囲気を感じていて。だからこれからどんどんそういうサービスが出てくると思うし、期待しています。
―実際にサステナビリティを自分ごと化するためには、どういったアクションを取るべきですか?
「愛」と「会話」のふたつだと思います。やはり好きにならないと、守りたいと思わないですから。子どもが好きだとしたら、子どもを守ろうと思うし、子どもに病気をさせたくないとか、いいもの食べさせたいとか、いい教育を受けさせたいとか思う。地球や自然に対しても同じ感情が生まれます。それは愛ですよね。
また、自然に対してのリスペクトや愛があるのだとしたら、環境負荷の低い方法で一緒に生きていくしか手段はないでしょう。それがあまりに極端な方向に行き過ぎると自分もつらいから、まずは無駄な電気は使わない、必要のないものは買わない。そういうことを考える大事さが、「愛」かなと思っています。
また「会話」というのは、SDGsはシンプルな解がないからこそ、こういう問題を会話しやすい仕組みや対話が、家だったり友だちだったりコミュニティだったりに広がっていく必要があると思っています。だからなるべく会話ができる仕掛けを考えていますね。本日お越しいただいた原宿店の入り口にあるポスターや、『サスティナビリティレポート』も仕掛けの1つです。レポートは40ページくらいのアカデミックな内容で、PDFでも展開していますが、手に取って読む良さもあるので、あえて冊子にもしています。スタッフも説明しやすいですし。
―Allbirdsのおススメフットウエアを1つ教えていただけますか?
Wool Runner Mizzlesです。撥水の効果もあるので、雨も若干弾きます。そして中に被膜が入っているから温かい。柔らかくて軽くて暖かくて、においがつきづらいんです。もう少し気候が温かくなったら、日常的に履けるTree Runnersがおすすめです。
出張には必ず釣り竿を持参し、南米アマゾンでも釣りを堪能
―蓑輪さんのプライベートのお時間についてお伺いしたいと思いますが、今はまってること、仕事以外に時間を費やしてることがあれば教えて下さい。
私は熱帯魚が好きで、家には小魚用と大きい肉食系用の2つの水槽があります。あとナイキ時代から出張には必ず折り畳みの釣り竿と、小さな普通の仕掛けを持っていきました。私の場合、ランニングと釣りがセットになっていて。目的地があればランニングができるので、コンパクトな釣り竿とポケットに入れたエビや魚の切り身と、うきと針さえあればポーチに入ります。それを持って走って釣りをして戻ってくるといったことを、よく出張の時にしていました。アマゾン川で釣ったこともあります。ワールドカップに行った時も2人の日本人と一緒に1時間くらいかけて川に行きました。最近は出張にいけないから、それが熱帯魚につながっているのだと思います。
―今後どのような人材と一緒に働きたいですか?
やはり強い情熱と夢を持っている人と働きたいです。仕事を自分で探して、そのために人を動かしていきます。自分の強い意志があって、「僕はこの地球を変えたい」という人や、「靴の業界をこうしたい」「社会を変革したい」など、何らかの強い意志を持って自分から他の人を巻き込める人が、スタートアップの会社では活躍できると思います。
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