ビジネス界のトップランナーのキャリアを「丸ハダカ」にする、新感覚対談「CAREER NAKED」。国際女性デー特集に登場いただいたのは、美しく繊細なレースに白黒プリーツのカラーブロックドレスを着た、ファッションブランド「SOMARTA(ソマルタ)」のクリエイティブディレクターでデザイナーの廣川玉枝さん。舞台挨拶などで女優がこのデザインのドレスを着用しているのを見たことがある人も多いはず。また、昨年夏の東京オリンピックではアシックスとの共同開発で、表彰台に上る日本代表選手のサンライズレッドのボディウムジャケットを手がけたことでも大きな話題になった。「良い服には、時代を超えて生きていくチカラがある」という廣川さんのデザイン哲学とは。
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廣川玉枝さん/SOMARTA Creative Director & Designer
2006年、ファッション、グラフィック、サウンド、ビジュアルデザインを手がける『SOMA DESIGN』を設立。同時にブランド『SOMARTA』を立ちあげ『東京コレクション』に参加。第25回毎日ファッション大賞新人賞・資生堂奨励賞受賞。単独個展『廣川玉枝展 身体の系譜』のほかCanon『NEOREAL』展、TOYOTA『iQ×SOMARTA MICROCOSMOS』展、YAMAHA MOTOR DESIGN『02Gen-Taurs』など企業コラボレーション作品を多数手がける。2017年 SOMARTAのシグネチャーアイテム『Skin Series』がMoMAに収蔵され話題を呼ぶ。2018年『WIRED Audi INNOVATION AWARD』を受賞。2021年大分県別府市で開催される芸術祭「in BEPPU」にアーティストとして招聘され、同年12月「廣川玉枝 in BEPPU」にて市民とともに作り上げる新たな祭を発表。
堀 弘人さん/H-7HOUSE合同会社 CEO・ブランドコンサルタント
1979年生まれ。米系広告代理店でキャリアをスタートさせ、アディダス、リーバイス、ナイキ、LVMHなど世界的に業界をリードする数々の外資系ブランドでマーケターとして、マーケティングディレクターを含む要職で活躍したのちに、大手日系企業 楽天にグローバルビジネスディレクターとして入社。また、国際部門にて戦略プロジェクトをプロジェクトリーダーとして率いてきた。2021年、自身の経験を国内外企業の活性に役立てたいとブランドコンサルティング会社H-7HOUSEを設立。メディアNESTBOWLのブランドディレクターも務めている。
学生時代は「個性を伸ばすこと」「何でも受け入れる」ことを意識していた
―まず、廣川さんがファッションの世界に飛び込むきっかけを教えてください
子どもの頃から絵が好きで、油絵で人物画ばかり描いていて、将来は絵を活かせる仕事に就きたいと思っていました。高校を卒業して進路を決めるときに、ファッション情報番組の「FASHION通信」を見ていて、「デザイナーという職業がある」というのを知り、服のデザイナーなら、絵も描けるし、作ったものを人が着て喜んでくれると思い、文化服装学院への入学を決めました。
私は洋裁が得意じゃないし、家庭科も苦手でしたが、女性が美しく装い、服やヘアメイクによって変幻自在に姿を変えるファッションの世界に興味がありました。
文化服装学院は、服が好きな人が集まっていて、同じ会話ができるので、楽しく過ごしていましたね。学生時代は「個性を伸ばすこと」と「何でも受け入れてみる」ことをテーマにしていて、友だちに誘われて、ピナ・バウシュの舞台を見に行ったり、デザインコンペにも積極的に参加していました。
―卒業後は、イッセイ ミヤケに入社します。社会人時代に学んだことはなんですか?
イッセイ ミヤケは、デザインという大きな枠の中に、プロダクトや建築、衣服があるという、モノづくりの本質から入る考え方があって、服は糸からできている、糸から服を作るというプロセスはとても勉強になりました。個性的で勢いがある先輩がたくさんいたので、その中で鍛えられましたね。
自分のブランドを立ち上げるときは、ニットの可能性を信じていた
―ご自身のブランド「ソマルタ」の哲学や世界観を教えてください。
イッセイ ミヤケではチームに入り、社会人を7年程経験して、パリやミラノで行われるコレクションなどいろんな経験をさせてもらったのちに、「自分のブランドを作ろう」と思い立ち、SOMA DESIGNを設立しました。
当時から、春夏/秋冬というファッション産業のサイクルが早いと感じていて、自分は「時代に左右されず、長く続けていけるものづくり」を根幹に置いたデザイン活動がしたいと思いました。他にない自分らしいものづくりを目指して、丁寧に開発していこうと、ニットの可能性を信じていましたね。それで、様々なテクニックのニットで作るコンパクトなコレクションからスタートしました。
―「ソマルタ」は世界的なセレブリティや数々の著名人が着用していますが、廣川さんはどんな人のためのブランドを目指していますか。
ブランドスタート当初は、未来に発展していく可能性があるものを作っていって、それをブランドの根幹にしていこうと決めていました。また、「アートみたいな服を着てみたい」という人がもしいるのなら、ソマルタを着てくれるかもしれないと思いましたが、デビューしたらアートが好きな人が集まってきてくれました。
私がもの作りで大事にしているのは、完成度の高いプロダクトを作って、時代を超えて生き続けられるものを送り出すことです。私は美術館が好きで、名画を見に行くと、そこには「時代を超えるチカラ」が備わっていることに気づきます。芸術性が高く、完成度の優れたものは100年経っても尚、ものの美しさで魅了し、これから先の時代の人が見ても、次の創造のモチベーションになるはずです。良い服には、時代を超えて生き続けるチカラがあるので、ソマルタでもそういう世界を創造できたらいいなと思いますね。
―「Skin」シリーズはソマルタの代名詞的なヒットアイテムですが、どういう発想から生まれたのでしょうか。
「Skin」シリーズは、文字通り“皮膚を着る”という考え方です。皮膚は、人種・国籍・性別を問わず、生まれたときからみんなが持っているもので、「皮膚を作れば、世界中の人々が共通感覚として理解できる」とテーマに据えました。皮膚そのものに近い、第二の皮膚としての衣服のデザインができれば、それはまさに“究極の服”だなと。
私が今座っている椅子は、椅子の形に、Skinシリーズのニットを着せた「Skin&Bone Chair」で、ミラノサローネに出展しました。椅子の形をした骨格に、ニットという皮膚を纏わせることで生まれるフォルムは、創造の可能性を広げてくれます。
―「Skin」シリーズが活かされて、アシックスと取り組んだ東京オリンピックのポディウムジャケットも注目されました。
東京オリンピックのポディウムジャケットは、アシックスが長年人体の発汗ポイントを研究されてきた“ボディサーモマッピング”に基づいて表現したものです。私たちが長年研究してきた皮膚そのものをデザインするという考え方は、「テキスタイル組織で皮膚構造自体をつくる」ということで、スポーツ工学にも応用することができました。
スポーツウェアは通気性や発汗性など、人体の機能と融合した服が求められるので、身体の組織そのものをデザインすることができるのは、私たちのデザインととても親和性が高いと感じました。
たくさんのものを見ていくうちに、「美意識の結晶」ができていく
―廣川さん独自の世界観や、見る者を圧倒するデザインはどのように浮かんでくるのか、その思考プロセスのインスピレーションはどこから来るのでしょうか。
衣食住のライフスタイルや、趣味の舞台や音楽など、日々の暮らしがインスピレーションになっていると思います。何かを見ることで、頭の中のフィルターを通して、新しいインスピレーションのタネが生まれてくるという感じがします。
インスピレーションのタネは、世界中にたくさん落ちていますが、美しい、可愛い、カッコイイなど、人の美意識の感覚は様々。美しいと思う心を養うためには、たくさんのものを見ないと自分の中で判断できません。なにごとにも好奇心を持って世界を見ていくと、自分のフィルターを通して、美意識の根幹が固まってきて、「美意識の結晶」ができていくという感じでしょうか。
以前ヤマハ発動機から「車椅子のデザイン」のオファーをいただいたことがありました。私たちは自転車を選ぶとき、ロードバイクやオフロード、電動や三輪車など様々な用途やデザインから選ぶことができますが、車椅子はデザインや目的別の選択肢がないことが課題にあり、それで、ヤマハ発動機は「女性がパーティーに行くときの車椅子」を開発テーマに掲げていました。車椅子は、毎日を共にするので、私たちは「身体そのものと一体になるデザイン」を目標に、マテリアルとカラーで、その人の足そのものになるようなデザインを考えました。「Skin」シリーズも、人間と一体になるデザインが根幹にあるので、対象が車椅子でも思考性は変わりません。身体に関与するモノが、デザインでアップデートできることは世の中にもっとあると思うので興味がありますね。
―他にも、大分県別府市のアートプロジェクト『廣川玉枝 in BEPPU』や、瀬戸内海の自然を表現したブランド『SANUA(サヌア)』へのクリエイティブプロデュース事業など、クリエイターとして地方や伝統的な行事、文化、風習などの関わりを大事にされています。
別府市で開催された芸術祭「in BEPPU」に招聘され、市民の皆さんと新たな祭りを作り上げましたが、地域で仕事をするときは、その土地の風土をリサーチして、そこでしかできない唯一無二のものを創造したいと思っています。別府なら温泉がたくさんあって、地熱と水脈が出会うことで噴気が沸き上がる「地嶽」と呼ばれる自然現象が特徴的なので、そこからインスピレーションを得た自然の神々を形にして、疫病祓いの意味も込めて新たな祭をデザインしました。今はパンデミックで外国に行きづらいので、地域のお仕事ができるのは幸せです。日本には面白い地域性があって、日本再発見のチャンスなのかなと思っています。
ブランド・サヌアでは、香川県さぬき市でものづくりをしているので、そこにある自然の風景を身に纏うような服作りを目指し、風合いの良い天然素材を使って自然染色を取り入れた服を作っています。日本の衣服文化を見ると、着物の時代が圧倒的に長く、それは自然染色の時代でもあり、色だけではなく自然物から得られる効能も着ることで得ていました。また、使い古した布を継ぎ接ぎし、刺し子で補修して着ていたのは、ものを大切にするという日本人の美しい心そのもの。先人の知恵から学ぶことは本当に多く、新しい発見もあって、これからの服作りに取り入れられたら可能性が広がると思います。
―ファッション業界には、「廣川さんのようになりたい!」という人がたくさんいます。
大事なのは、「自分の好きなものを追求していく」こと。私は「とりあえず何事も挑戦してみよう!」という性格なので、好奇心を持って、いろんなものを見たり、聴くようにしています。そうやって自分の好きなモノを集めていくことは、個性を伸ばすのと同じことで、いろんなチャレンジをしていくうちに、その人にしかない唯一無二性に気づく。だから、好奇心を持って、様々な経験をすることはチカラになると信じています。
女性が社会で活躍するためには、「家族、社会、国」の理解が必要です
―廣川さんは世界をステージにして活躍されていますが、日本の女性としてのアドバンテージや、逆に不利益を被っていたことはありますか。
女性としてではありませんが、ベルギーでの舞台衣装のデザインの仕事で、現地のアトリエで制作している時、締切りが近く制作時間も少なくなり、焦りを感じながら作業をしていると、スタッフの方に「日本人は、どんな時でも必ず良いものを作ってくれるから大丈夫」と声をかけられハッとしたのを覚えています。日本人は昔から、世界中に良いものを提供し続けているからそう思われているわけで、その信頼の大きさに感動しました。先人みんなが良い仕事をし続けてきたから、日本人の評価があるんですね。自分もそれに恥じない仕事をしたいと、モチベーションが上がりました。
―では最後に、今回の特集でもある女性のエンパワーメントについて、令和の時代を生きる現代の女性が世界で活躍するために、もっと輝くためにはどうすべきだとお考えでしょうか。
現代は女性が働くことが当たり前で、女性が社会で活躍するためには、家族でお互いに支え合い、社会の理解が必要不可欠です。自分の親には感謝しかありませんが、自分も家庭を持って、出産を体験し、働きながら子育てをすることの大変さを身を以て実感しています。環境に変化が訪れた時には、今までと同じではなく、無理なく自分のペースで働けるような仕組みとリズムをつくることが、長く前向きに仕事を続けられる秘訣だと思います。
撮影:Takuma Funaba
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