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「スタバらしさ」をめぐる消費文化論講義 第1回「そこにしかないもの」と「どこにでもあるもの」

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ACROSS編集部

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2022年2月、初の単著となる『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社新書)を刊行した批評家・ライターの谷頭和希による、「スタバらしさ」を通して消費文化を考える連載がスタート!
今回のテーマは、私たちが当たり前のように受け止めている「スタバらしさとは何か」に注目。改めて、本国での創立の背景やサードウェーブという概念、変遷を振り返り、参考文献と共に同氏ならではの切り口で分析していこうと思います。
第1回目は、なぜ、いま「スタバ」を取り上げるのか、です。(編集室H)
※本連載は講義スタイルのトークイベントとして開催した内容を元に、後日編集したものを掲載していきます。ライブ鑑賞をご希望の方は編集室までご連絡ください。

私はなにものか、そしてこの講義ではなにをやるか

「スタバ・スタディーズー『スタバらしさ』をめぐる消費文化論講義」を始めたいと思います。ご存じ、カフェチェーンの「スターバックス」(以後、スタバ)から消費文化を考える講義です。

さっそく本題に入ろうと思うのですが、その前に、そもそもお前は誰なんだ、と思う人も多いでしょうから、私がいったいどういう人物で、どんなことをやってきたのかということを少しだけお話ししようと思います。私は今年の2月に『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』という本を出しました。タイトル通り、ディスカウントストア「ドン・キホーテ」について考えた本ですが、私はずっと「チェーンストアから見た都市論」をテーマに執筆活動をしています。本や雑誌に寄稿することもあれば、ネットの媒体に記事を書くこともあります。

そんな活動をするなか、たまたまパルコのファッションとカルチャーのシンクタンクが運営するメディア『ACROSS』からお声がけをいただき、連載を始めることになりました。その打ち合わせのときにスタバの名前が出て、こういう形の講義が始まることになったわけです。

『ACROSS』は1970年代後半に創刊した紙媒体の頃から、「消費動向」を大きなテーマのひとつとして取り上げてきました。人々がどのような消費をしているのか、その消費によってどのような世界が見えるのか。常に時代の先端の消費文化を紹介してきた媒体です。そう考えたときに、チェーンストアが我々の消費文化に及ぼす影響は見逃し難いのではないか。コンビニやファミリーレストラン、果てはアパレルや本屋まで。我々が消費をする舞台の多くはチェーンストアです。そんなチェーンストアの中で「スタバ」を取り上げながら、そこから見える消費文化の姿を考えることになったのです。

 「スタバらしさ」を考える

では、どんな視点からスタバを考えるのか。その点を明確にするために、一般的なスタバの様子を見ておきましょう。ここに映し出したのは一般的なスターバックスの外観です。

スターバックス日本橋スルガビル店の外観
スターバックス日本橋スルガビル店の外観

独断を恐れずにいえば、ここには我々が「スタバ」といったときに思い浮かぶイメージが凝縮されています。白く等間隔に並んだ「STARBUCKS COFFEE」の看板の下には通りに面したテラス席があり、その背後にガラス張りの外壁が立てられ、そこからは木目調の内装が見えるーー。こうした風景があると、ああスタバだなあ、と我々は思うわけです。つまり、「スタバらしさ」を我々はなんとなくイメージできる。

そこで、私がみなさんと考えたいのは、この「スタバらしさ」とは一体なんなのか、ということです。この画像一つから、我々はある種の「スタバらしさ」を想像できるわけですが、それってよくよく考えると不思議なことです。それぞれが使っているスタバはバラバラなはずなのに、なぜかみんなが知らず知らずのうちに共通して持っているイメージだからです。

では、我々が感じている「スタバらしさ」はどこから生まれているのか。この講義では、この問いを考えてみたいと思っています。

「そこにしかないもの」としてのスタバ

では、そもそもなぜ、スタバなのか。スタバを考えることでなにが見えてくるのか。第1回となる今回は、それを考えてみましょう。結論を先に言ってしまえば、「スタバが持つ『そこにしかないもの』でありながら『どこにでもあるもの』という性質」が消費社会を考える際に非常に重要だから、ということになるでしょう。少し抽象的ですね。具体的に説明しましょう。

参考にしたいのが、『木更津キャッツアイ』です。スタバを考えるときにこの作品は外せないだろうと思います。この作品は2002年に放送された宮藤官九郎のテレビドラマ。題名の通り、千葉県木更津を舞台にした一種の青春群像劇ですね。

この中で興味深いセリフが出てきます。ヒロイン的存在である酒井若菜演じるモー子が神社でこうお祈りするのです。

「木更津にスタバが出来ますように!」

このセリフには、スタバが持つイメージが凝縮されていると思います。このイメージをはっきりさせるためには、例えば、このセリフをこう変えてみるとわかりやすい。

「木更津に吉野家ができますように!」

たぶん、神社でお参りまでしてこう願う人はいないでしょうね。あるいはこれはどうか。

「木更津にガストができますように!」

うーん、これも変だろうと思います。そもそもガストありそうだし。

こう考えると、やっぱりこのセリフは「スタバ」でなければならない。では、なぜスタバでないといけないのか。それはずばり、スタバが「そこにしかない」という特別感と関係が深いからだと思います。なぜか人々はスタバに特別感を抱いてしまう。よく、「スタバがある場所は都会」ということが言われますが、スタバがある場所は都会で、それは地方や郊外には無い特別なものなんだ、という気持ちがこのセリフには込められているでしょう。スタバというのは「特別」で、「そこにしかない」なにかがある場所としてイメージされるわけですね。

興味深いのは、スタバ自体もこうした「そこにしかない」という感覚を意識しているということ。ジョン・ムーア『スターバックスはなぜ値下げもテレビCMもしないのに強いブランドでいられるのか?』では、スタバの本質を表す「ルール」が述べられています。その3番目のルールは「『どこにでもあるもの』を『他にはないもの』に変えよ」というもの。「そこにしかない」という感覚を作ることは、スタバも意識するルールなんですね。

ジョン・ムーア『スターバックスはなぜ値下げもテレビCMもしないのに強いブランドでいられるのか?』
ジョン・ムーア『スターバックスはなぜ値下げもテレビCMもしないのに強いブランドでいられるのか?』

木更津にも鳥取にもスタバはできた

このように『木更津キャッツアイ』に何気なく登場するセリフには、スタバが持つ「そこにしかない」というイメージが色濃く反映されているわけです。このドラマが放送された2002年当時、まだ木更津にスターバックスはありませんでした。だからこそ、このようなセリフが生まれたのでしょう。

しかし、ここで注目したいのは、実は現在の木更津には、スタバが4店舗もある、という事実です。モー子の熱烈な願いが届いたのかもしれません。いや、モー子の願いは叶いすぎたともいえるかもしれません。木更津に限らず、スタバは全国的に「どこにでもある」ようになったのです。

ここで一本のニュースを見てみたい。スタバが「どこにでもある」ようになったのがよくわかるニュースです。

47都道府県に唯一スターバックスが無かった鳥取県に今日、一号店がオープンしました。開店前には1000人もの行列ができました。……(つづく)
(ANN news CH『「すなば」に「スタバ」鳥取1号店 1000人が行列』 ,2015年5月23日)

ということなんですね。鳥取にスタバが出来た。初出店は2015年のことで、これによって47都道府県すべてにスタバができました。しかも、その後鳥取にはどんどんスタバができて、今では2〜3店舗ある。スタバがいかに「どこにでもある」ようになったかがわかります。

「どこにでもあるもの」としてのスタバ

今回、スタバについて調べていて驚いたのは、とにかくスタバがめちゃくちゃ多いってことです。スタバの最新の動向を追った記事を見てみるとこう書いてある。

米スターバックスが2022年度第2四半期(1~3月)の決算を発表した。売上高は15%増の76億ドル(約9900億円)と、第2四半期としては過去最高を記録した。既存店の平均客単価は4%増、取引高は3%増となり、既存店の売上高は7%増加した。新規出店は313店舗で、同四半期末時点の店舗数は3万4630店舗となった。うち米国が1万5544店舗、中国が5654店舗で、その合計が全体の61%を占めた。
(36Kr Japan「スターバックス、22年第2四半期決算 中国市場の売上高14%減も出店目標は維持」,2022年5月11日, URL= https://36kr.jp/185086/

世界全体のスタバについての記事なんですが、鳥取だとか木更津だとか言ってる場合ではない。34,630店舗のスタバが世界にあるんですよ。この数は驚異的です。

日本だとどうか。公式サイトを使って調べてみると2022年6月の段階で全国に1,714店のスタバがあります。他のチェーン店と比べてみましょう。コーヒーチェーンで比較すると、2位のドトールコーヒーショップは1,070店舗で、スタバの方が圧倒的に多いことになる。日本で一番多いコーヒーショップはスタバだ、ということです。「特別」どころじゃありません。どこにでもある。

さらに驚くのが、他のチェーン店との比較です。例えばファミレス。なんだかファミレスってどこにでもあって多いイメージがありますよね。ファミレス出店数が全国で最も多いのはガストです。しかし、その店舗数は1,300店舗なんです。つまり、スタバと400店舗ほどの差がある。日本のどのファミレスよりもスタバは多いのです。

ここで1枚のグラフを見てみましょう。これは、私の友人で地理学の研究をしている永太郎(@Naga_Kyoto)さんという人が作成した全国の飲食系チェーンストアの数をまとめた表です。上に行くほど店舗数は多くなります。

これで見ると、飲食系チェーンストアの中で、スタバはマック・すき家に続いて3番目に多いんですね。このデータはちょっと驚きでした。

「そこにしかない」のに「どこにでもある」

このように「どこにでもある」ようになったスタバですが、さきほど見たニュース映像で、興味深い言葉が流れていました。インタビューを受けていた学生のセリフが途中で出てくるのですが、彼はこう言うんですよね。

「ここで課題とかやったら、おしゃれかなと」

これは、『木更津キャッツアイ』で見られた特別感・「そこにしかない」感が、現在でも同じように機能しているからこその発言だと思います。スタバで課題をやることが、なんらかのおしゃれさを伴うステータスになると思われているのです。何度も確認している通り、スタバは「そこにしかない」という特別感と強く結びついており、だからこそ課題をやる場所としての特別感がある。

でも、実際、蓋を開けてみると日本で3番目に多い飲食系チェーンストアもまた、スタバなのです。特別どころか普通も普通。「木更津にスタバができますように」というセリフは、データに照らし合わせれば「木更津に吉野家ができますように」とお願いした方が現実的です。だって、現実には吉野家の方が少ないのですから。

それでも、やはりこのセリフは、スタバでなくてはならない。実際はどこにでもあろうが、スタバはある特別性を持っているのです。特別であると同時に普通でもある。言い換えれば、「そこにしかない」のに「どこにでもある」

ここには、スタバが持っているイメージと実態の興味深い乖離があるのです。

なぜ、スタバなのか。

最初の問い、つまり「なぜ、スタバを考えるのか」というところからずいぶんと寄り道してしまいました、すみません。この問いへの答えとして、私はスタバが持つこうした「乖離」こそが重要だと思っています。

現在でもよく聞かれる言説として、個人商店対巨大チェーンストア企業というおなじみの対立があります。こうした対立項が作られるとき、個人商店は「そこにしかない」から面白いけれど、チェーンストアは「どこにでもある」からつまらない、という前提があるように感じます。

しかし、どうもスタバを見ているとこの対立項が無効化されている。というより、この二項対立で消費社会を見つめることが意味を成さない状態が生まれているわけです。もちろんスタバは巨大企業だけれども、それを使う人々のマインドは、近所の個人商店に行くような、そんな特別感を抱えているわけです。

スタバには、個人商店対巨大チェーンストアという対立を超えて消費社会を見つめるためのヒントが隠されているのかもしれません。だとすれば、この不思議なチェーンストアの考察が、この消費社会を新しい角度から見つめ直す作業へとつながるのではないか。

つまり、「そこにしかない」と「どこにでもある」が奇妙に共存するスタバの空間を考えることこそが、消費社会に新しい視野を広げてくれると思うのです。だからこそ、私はこの講義でスタバについて語ろうとしているわけです。

では、具体的にこの奇妙な共存はどのような姿を私たちに見せていて、そしてそれはどのように「スタバらしさ」と結びついているのか。次回からはこの点について考えていきましょう。

【文:谷頭和希/ライター・批評家】

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