ジャングル、ドラムンベースからドリルまで、ブリクストン出身の写真家、エディ・オッチェーレは何十年にもわたってイギリスのユースカルチャーを記録してきた。
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永久に鳴り響くBirdman(バードマン)の言葉を借りれば、エディ・オッチェーレ(Eddie Otchere)の話をするなら、リスペクトを込めて彼の名前を口にするべきだ。ブリクストン出身の写真家であるエディのバックカタログは、90年代の英国で培われたジャングルシーンの黎明期をカバーしており、ヒップホップを代表するMCたちのポートレートで彩られている。エディはWU-TANG CLANやナズ、ジェイ・Z、ビギー・スモールズ、そして英国内ではSO SOLID CREWやトリッキー、ゴールディーなどの先駆者たちをレンズに収めてきた。
彼は自らの作品とカルチャーを情熱と意志をもって語り、人生のもっとも甘美な部分をありのままとらえるという揺るぎないヴィジョンを有している。「自分が何のためにここにいるのかわかってたし、自分の人生、自分のシーン、仲間たちを記録するのは俺だとわかってた。それだけのことだ。代わりにやってくれるひとはいなかった」と彼は語る。「俺が撮影した物事の裏には、いつだって何らかの良くないことがある。だけどそれと逆のものを見せようと思ってるんだ」
今年の黒人歴史月間にはライカギャラリー・ロンドンのアナログ・ストリートフォトグラフィー&暗室のワークショップで、ホリー=マリー・カトと共に新米写真家へノウハウを伝授したエディ。ブラックミュージックの歴史を記録してきた自身のキャリアについて、VICEに語ってくれた。
⸺あなたはジャングルミュージック期に精力的に活動していましたが、その後発展した英国のブラックミュージックについてはどうですか?
エディ・オッチェーレ:グライムキッズたちのことを讃えたいね。なぜならヤツらはもう成長して、立派な大人になっているから。ヤツらはちゃんとしたことをやっていて、それに敬意を表したい。ヤツらの活動も、そのやり方もすばらしいと思う。俺自身はジャングルキッズだから、グライムキッズはいまだに俺たちのレイヴに来ていた若者たちっていうイメージがあるけど、当時は実際に若かったからね。ヤツらが独自のサウンドを考案したとき、それはガレージ/グライムって感じだった。そこからオリジナルのサウンドに進化していったんだ。ヤツらはヤツら自身のサブカルチャーを生み出した。だからD・ダブル・Eやどこかのホテルで繰り広げられるレイヴを見たときは、よくやってて尊敬するぜ、って感じだった。俺はジャングルシーンを記録するために現場に出ていて、グライムシーンじゃない。当時は子どもが生まれたばかりだったし、とにかく忙しかった。だからグライムキッズたちとレイヴをしたのはヤツらがもっと年を重ねてからだ。この写真は今年撮影した。
⸺あなたが撮ったSO SOLID CREWの写真について話を聞かせてください。
それは世紀の変わり目だった。俺はSO SOLIDや、バターシーに集まった観客を撮影するために現場にいた。SO SOLIDの初めてのアー写を撮ったんだ。ヤツらのことも誇りに思うよ。ヤツら自身のことも、ヤツらの活動も。ヤツらは自分たちなりの方法でメインストリームへと飛び出していった。
ヤツらが「21 Seconds」でチャート1位を獲ったときのことを鮮明に覚えてる。『Top of the Pops』に出演するとき、俺を呼んでくれたんだ。BBCの中に入ると、大麻のニオイしかしなかった。こんな場所でハッパを吸うなんてさすがだと思ったよ。間違いなく、あの世代では初めてのことだった。バターシーのガキたちがうまくやってると感じて、気分がよかった。
⸺DJやプロデューサーの撮影と、ラッパーの撮影は何が違いますか?
ラッパーは被写体として面白い。ヤツらは爆発的で、今にもこちらに掴みかかってくるような生き物だ。純粋なエネルギーだけがある。でもジャングルのプロデューサーは、ひとに見られるのを避けたがってた。たとえばシャイFXなんかは文字通りシャイだよ。ヤツは重要人物だけど、注目を集めたくないと思ってるからかなり難しい。ドラムンベースのプロデューサーは何もしたがらない。ヤツらは本当に世間と交わらないタイプの人間だ。実際、俺にとって問題はない。全く別のアプローチをとる必要があるだけ。ヤツらは分野における先駆者でありリーダーだから、ヤツらが何者なのかを記録するのが自分の義務だと理解してた。
ゴールディーはかなり協力的だったよ。ヤツのクラブに行って撮影することを許可してくれた。クラブで会えるってことはつまり、撮影のときにつながりを持てるということだ。他人同士じゃなくなる。ヤツらが心地よいと思えるような空気作りが必要だってことだ。ヤツらはラッパーみたいにスポットライトを浴びたいとは全く思っていないから。
⸺ノッティングヒル・カーニバルは、英国のカルチャーや、あなたの作品にとってどれほど重要な役割を担っていますか?
俺たち写真家が今の自分たちになれたのはノッティングヒル・カーニバルのおかげだ。カーニバルに行かない年なんてないし、カーニバルに行けば必ず写真を撮る。自分の写真であれ、母親の写真であれ。
この地球上に、200万人が集まって街中でレイヴをして、問題が起きない街は存在しない。今年のカーニバルが最高だったことは間違いない。これがあるから俺たちはここにいる。俺たちはこれを、人種差別主義者のクソ野郎どもに提示してるんだ。お前らクソ人種差別野郎どものためにやってる。お前らが俺たちのコミュニティに入ってきて、めちゃくちゃにしようとしたから。だから俺たちは戻って、反抗した。お前らのレイシズムに暴力では応えないって言ってやったんだよ。俺たちはレイシズムに愛で応える。お前らよりも優れた何かを築き上げる。それがこのカーニバルだ。カリブ系だけじゃない、アフリカ系も集まって、みんなでノッティングヒル・カーニバルを成功させるんだ。
⸺カーニバルで重要なのはサウンドシステムですよね。英国のブラックカルチャーにおけるサウンドシステムの重要性についてどう考えますか?
黒人の歴史と未来の何がすばらしいって、この国にサウンドシステムを持ち込んだのは俺たちだってことだ。サウンドシステムから始まり、ジャングル、クラブカルチャー、ベースカルチャー、ドラムンベース、ダブステップ、ヒップホップへとつながった。サウンドシステムがなければヒップホップも生まれてない。だから、黒人の歴史、そして未来の最高傑作はサウンドシステムだと讃えたいね。俺たちの歴史は口承であり、文字では残らない。俺たちが語り、発話するんだ。サウンドシステムは俺たちの歴史、そして俺たちの未来の一部だ。
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