先日、ひょんなことから25年ぶりくらいに再会した男性がいる。
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改めて年齢を聞くと62歳とのことなので当方よりも8歳上である。ただ、正確に生年月日を聞いたわけではないので、学年でいうと7年上かもしれないし、9年上かもしれない。そんな感じである。
例にもれず、この方もアパレル出身者なので、必然的にアパレル系の話になったわけだが、大学生時代に「なんばシティ」の「ニコル」で販売員のバイトをしていたとのことで、逆算すると1980年代前半から半ばにかけてのことになる。
この当時、国内はバブル前夜の盛り上がりと、DCブランドブームの台頭で「ニコル」は販売員の立場から見ても売れに売れていたそうである。特に「なんばシティ」は一早くDCブランドを集積していたから施設全体でも売れていたし、なんばシティのニコルは全国でも1,2位を争うほどの売れ行きだったという。
今のなんばシティにDCブランドが集積されていた面影はほとんど残っていないが。
当時のDCブランドの服は高かった。Tシャツが1万円くらい、バーゲンで値下がりしても5000円くらいしていた。Rニューボールドだともう少し安かったがそれでも990円にまでは値下がりしなかった。Tシャツでその値段だからあとのアイテムの高価格は推して知るべしである。
彼曰く「高くて洋服が買えない人はショッパー(ブランド名入りの手提げ紙袋)を2000円くらいで買っていって、それが飛ぶように売れた」とのことで、たかがブランド名入りの紙袋が2000円で売れたというのもすごい時代である。ちなみにユニクロ、ジーユ―の紙袋は10円である。以前にも書いたが、レジ袋を5円、10円で販売するのは法律そのものに納得はしないが理解はする。ただ、紙袋を10円で売るのは疑問しかない。ヨドバシカメラは手提げ紙袋が無料なのに。だから個人的にはユニクロ、ジーユ―で絶対に紙袋は買わない。
それはさておき。
この当時、なぜ「ニコル」のたかが紙の手提げ袋が2000円くらいで飛ぶように売れたのかというと、この男性いわく「ブランド名の入った紙の手提げ袋をぶら下げて歩いているだけで、男女ともに一目置かれた。何なら女子にモテた」という。着ている洋服がニコルでなかったとしてもだ。
今の人達からすれば「アホちゃうか」と感じるだろうし、当方も「アホちゃうか」と思うのだが、確かに当時のうっすらした記憶を思い起こせばそんな雰囲気があった。もちろん、洋服に興味の無い高校生・大学生だった当方には無縁の世界だったことは言うまでもない。
男女ともにいつの時代も「モテ」を気にする人は少なからずいる。ただ、今とはモテの基準や要素はだいぶ異なっているように感じるが、モテたことのない当方に詳細はわからない。
ただ、今の時代に「ブランド」や「ショップ」の手提げ紙袋をぶら下げているだけでは絶対にモテないということだけはわかる。今の目から見れば、それは「単に買い物帰りの人」でしかない。
で、改めて電車の中や都心の人々を観察してみると、どうだろうか、2000年代後半か2010年代頃からだろうかショッパーをこれ見よがしに持った人は男女ともにほとんどいなくなっている。特に2020年代は皆無だ。紙袋をぶら下げている人は本当の買い物帰りの人しかいない。
当方が業界紙に入社した90年代後半にはこれ見よがしにブランドショッパーをぶら下げた男性はほとんど見かけなくなったと記憶しているが、女性にはその風習は結構根強く残っていた。このころには好まれるブランドはDC系ではなく、欧米ラグジュアリー系や一部の有力セレクトショップ系に変わっていたが。
90年代後半から2000年代半ばごろまでの若い女性、イキった女性はサブバッグ的にイケてる(と思われる)ブランドのショッパーをぶら下げていた。当方からすれば「メインバッグが小さくて困っているなら大きいバッグに買い替えて使えよ」としか思えなかったのだが、様々な業界人に尋ねたところ「イケてるブランドのショッパーをサブバッグに使っているのがイケている」とのことだった。
特にOL(アウトレットではない)女性層は、ハンドバッグとサブバッグのブランドショッパーというスタイルがしばらくの間定番だった。中には年季が入ってボロボロになった「プ〇ダ」とか「グ〇チ」のショッパーを意地のように使い続けているOL女性も少なからずいたが。
この奇妙なショッパー文化は個人的な感想でいうと、リュックサック全盛期になって消え去ったように感じている。ちょうど、サマンサタバサの凋落とほぼ軌を一にしているのではないだろうか。
老若男女ともにオンタイムでもリュックを使うようになれば、よほどの大荷物の時以外にサブバッグは必要なくなる。もっといえば、リュックサックなのにイキったラグジュアリー系のちんまりしたショッパーをぶら下げているのはコーディネイト的にも合わない。
これによって奇妙なショッパー文化はとどめを刺されたのではないだろうか。
現在、電車や都心の人を眺めていると、老若男女、インバウンド外国人共通して最もぶら下げられているショッパーはユニクロかジーユーだと感じる。そして、最大サイズのショッパーにパンパンに買い物した服が詰め込まれている。サブバッグ的にブランドショッパーをぶら下げた人は皆無に等しい。
ここでもバブル期とバブル期の残像はいつの間にかすっかり消え去っていたということになる。
この男性がアルバイトをしていたニコルは、2002年に岐阜の量販店メーカーである美濃屋の傘下になった。また同時期にナイスクラップは大阪のパルグループと資本提携して先日子会社化されたが実質的には2000年代前半から子会社だった。
この男性が新卒入社したフランドルは売上高が69億円にまで縮小し、先日不動産関係会社に買収された。
ビギは2018年から実質的に三井物産子会社になっており、ファイブフォックスも215億円にまで売り上げ規模を縮小してしまった。
これで完全にDCブランドの残り香も消えたし、奇妙なショッパー文化も終わったといえる。今回はそんな懐古である。
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