


ついに決断したようだ。そごう・西武は2026年3月25日、西武渋谷店を同年9月末で閉店すると発表した。振り返ると、百貨店グループのそごう・西武を保有するセブン&アイ・ホールディングス(以下、セブン&アイHD)がそれらの売却先を米国のファンド、フォートレス・インベストメント・グループ(以下、FIG)に決定したのは23年9月。FIGは家電量販店のヨドバシホールディングス(HD)にそごう・西武の再開発を一任した。西武池袋店にはヨドバシカメラが出店することが決まり、西武渋谷店についても同HDに一部の土地や建物を売却する方向で計画は進んでいた。ただ、池袋とは違い、渋谷店はA館やパーキング館が松竹映画、B館は東急系の国際など地権者が複数いることで、再開発がスムーズに進むかどうかは未知数だった。結局、地権者と賃借契約で合意できず、閉店に行き着くことになったようだ。今後はそごう・西武がテナント出店する地下2階から8階のA館、10フロアあるB館は閉館し、自社で不動産を持つ店舗は営業を続けるというが、百貨店という業態ではなくなる。
渋谷は行きつけの街でありながらも、西武渋谷店は特に買い物していたという記憶はない。西武ライオンズの優勝セール時に食品を買ったことはあるが、A館、B館とも出店しているファッションはありきたりの海外&国内のブランドで、特に欲しいと思うアイテムには出会えなかった。むしろ、服や靴、小物は渋谷パルコや丸井(現モディ、マルセルという専門店)、仕事で必要な画材や趣味の道具は東急ハンズ(現ハンズ)、下着や靴下、ステーショナリーは無印良品で揃え、ONE-OH-NINEのHMVでCDを買い、西武系のシードはとりあえず覗いてみるのがお決まりのコースだった。若かったということを割り引いても、百貨店のファッションでは伊勢丹や松屋銀座の方がバイヤーのセンスは光った。デパ地下の食品、惣菜類も高島屋や三越の方が一つ格上で美味しいものが多く、購買につながった。2000年代初めに訪れても、その気持ちは変わらなかった。

ただ、西武渋谷店を含めてセゾングループの広告作りやプロモーションは欠かさずチェックしていた。ポスターや新聞広告はもちろん、フロアガイドやパンフレット、ポストカード。そして、B4変でサブカルのフリーペーパー「GOMES」は、渋谷に出かけるたびにもらって帰ったものだ。制作にあたったクリエーターが誰なのか。浅葉克己、日暮真三、西村佳也、十文字美信etc,。業界では名の知れた方々とその作品を照らし合わせながら、コンセプトや表現、テクニック、考え方など学べるものは全て吸収した。西武セゾングループが消費文化をリードした1980年代。良くも悪くも物を売るためには潤沢な資金をかける。そうしたモデルを作り上げたのは同グループだった。
渋谷が若者を引き寄せた2000年頃、B館の上層階にあるデザイナーブランドもフェイスを整える程度で、在庫リスクを回避した状態。品揃えの奥行きがないから、商品どうしを比較できず選択肢が狭まる。平成不況の只中という言い訳はできたにしても、売場の窓から下を見ると公園通りや井の頭通りの歩道は平日にも関わらず行き交う若者で溢れかえっていた。なのに西武渋谷店の売場は閑散としていて、人流を取り込めきれていなかった。往年のようにプロモーションに力を入れたからといって、集客できるとは思えない。明らかにこれは凄い、バイヤーが選り抜いた、価格の割に価値が高い、そうした魅力的なブランドや商品が手当てできていないのだから、売上げが伴わないのは当然なのだ。
西武渋谷店側にも反論はあるだろう。中間層の没落、低価格SPAの台頭、カテゴリーキラーや郊外SCの出現、消費スタイルの変化etc.。百貨店が小売りをリードした時代は終わったと。しかし、どんな業態や消費スタイルも取りこぼすニッチな市場はある。マスではない個を攻略する手はあったはずだ。コロナ禍で外出できない中、自宅まで商品を届ける外商の売上げが落ちなかった百貨店もある。西武渋谷店の低迷は、富裕層のニーズを掘り起こすなど市場の開拓に挑まなかった点にあるのではないか。さらに西武池袋店が実施したeデパチカは、少し贅沢な食材などを近隣に宅配するものだが、これは好調に推移していた。夫婦共働きなど食材の買い物が難しい働き盛りをうまく捉えたわけだ。さらにネットで直販する新興ブランドを集め、こだわりのある商品を売場から発信するところもある。大丸東京店の明日見世がそうだ。大丸松坂屋側は「百貨店側は規模は小さくても、人生が楽しくなって生活に彩りが出る商材を探して行かないといけない」と声明を出していた。

西武渋谷店もD2Cブランドなどを扱い、リアルとネットの垣根をなくすOMOを目指した。それがパーキング館1階のCHOOSEBASE SHIBUYA。サステナビリティをテーマにして約50社の商品を展開する。商品のQRコードをスマートフォンで読み取り、価格や機能を確認し、欲しい商品はウェブ上のカートに入れてレジで決済。その後に商品を受け取る仕組みだ。店頭の在庫は出店先に属し、渋谷店側は出展料と手数料を受け取る。西武側は在庫を常時管理するからECにもスムーズに対応できると自負する。売場開設から1年経った2022年の秋に見に行ったが、見ているお客は少なかった。商品がD2Cブランドだけに一般の雑貨店やネット通販では見かけない。興味をそそられると現物を確認したくなるので、リアルの売場があればありがたい。その意味では、商品といい、売り方といい、今の時代には合っていると思う。渋谷店のA館、B館は閉店するが、パーキング館が残れば売場は存続するのだろうか。

ただ、店内への入口は井の頭通りから公園通りに抜ける間坂沿いにある。通りから死角になる場所で、酔客の放尿スペースと化しているのか、悪臭が酷い。その後、何らかの対策が取られたのか。売場を残すにしても、もっと別の目立つ場所に移動する必要があると思う。
仕入れて、売る原点は変わらない

百貨店の総売上高は、バブル崩壊前の1991年には約9兆7130億円あった。それをピークに2020年は約4兆2200億円で半分以下まで下落。2023年にコロナ禍があけると、インバウンドも手伝って売上げは回復。24年の全国百貨店売上高は、既存店ベースで前年比6.8%増の5兆7722億円となり、通年でコロナ禍以前の実績を上回った。ただ、1980年代の市場規模には遠く及ばない。やはり売場の運営を取引先に任せ、商品の在庫リスクを負わないスタイルでは十分な粗利益が取れない。アパレルやバッグ、靴など人気ブランドさえ並べれば、売れた時代に甘んじたことで、どこの百貨店も同じような品揃えになってしまった。しかも、実店舗と並行してECに販路を広げるにも、自社で在庫を管理していないからできるはずもない。様々な業態が登場し激化する流通戦争の中で、百貨店は経営力を弱体化させていった。ただ、これらはあくまで外側から見た分析だ。
大手百貨店にはマンションアパレル時代は間接的に接し、プレスプロモーションの仕事をするようになってからは直接話をする機会を得た。アパレル時代にはヒットアイテムが出ると、その情報を得た百貨店のバイヤーから問い合わせが来ることがあった。対応した社長は、「キャリアゾーンを充実させるため、いろんなメーカーのアイテムをセレクトしたいので、うちとも取引して欲しいとオファーがある。でも、掛け率や返品などの条件が合わないので、断らざるを得ない」と、こぼしていた。社長の話は数十年経った今でも記憶の中にはっきり残っている。百貨店は商品を買い取らず、売れて初めて仕入れた形にする消化仕入れをとっている。在庫リスクを取らないのであれば、納入掛け率を上げなければならない。それは百貨店として利益が少なくなるので困る。でも、商品を買い取ってもらえなければ、期末に売れ残り在庫がどっと返品されてくる。中小零細のアパレルとしてはもっと困るのだ。

確かに大手百貨店は売場の販促に莫大な投資をするので、集客力は格段に高い。アパレルとしては売場に商品が並べば絶好のアピールになり、新たな顧客開拓のチャンスでもある。だが、目先に数字だけを追って百貨店だけ取引条件を緩和すれば、既存の専門店を裏切ることになる。社長は買い取ってくれる取引先とガッチリ組むスタンスを貫いていた。その後、百貨店側は驚くような手法に打って出た。バブルが崩壊した1992年から2000年前にかけて、自店の利益を確保するために、大手アパレルが納入する商材の歩率を10%も嵩上げしようとした。これはメーカー側が掛け率を切り下げることを意味し、それはそのまま原価率を押し下げ、製造をローコストの中国へとシフトさせた。百貨店に並ぶ大手アパレルの商品の多くがコストを下げた付加価値が低い商品になってしまった。結果的に国内産地の衰退を生み、価値が下がった割に価格が割高で、顧客離れを引き起こした。百貨店系アパレルの凋落も、百貨店本体が低迷する一因であることは否定できない。
大手百貨店と話をする機会を得て感じたことは何か。それはバイヤーや広報担当者に共通する横柄な態度だ。百貨店は業者や顧客以外の人間を見下しているのかと感じることすらあった。まあ、ここでは詳細な内容については差し控える。ただ、何百年もの歴史に裏打ちされた暖簾をもち、長らく小売業のトップに君臨してきたのだから、下々の人間なんか取るに足りない存在でしかない。そう言わんばかりの対応を受けたのは一度や二度ではない。こちらも真摯に丁重にやり取りはしたつもりだが、この方々は一般の企業社会とは違う世界にいるようだと感じざるを得なかった。先のアパレルの歩率アップや納入掛け率の切り下げも、アパレル側から申し出たというより百貨店からの要求だったと思う。アパレルは「それでは価値が下がりますよ」と反対したところもあるようだが、「そこを上手くやるのが、オタクの仕事だろうが」と、言いくるめられたアパレルもあったと聞く。
話を西武渋谷店に戻そう。ここが再開発されると、新たなテナントビルに生まれ変わる。渋谷エリアでは東急グループがいち早く従来の百貨店と訣別した。また、ターゲットを若者からミドルやマチュアにシフトしている。少子化で若者の数は減っているので、この戦略は理にかなっていると思うが、果たして。視点を東京全体の再開発に広げると、規模の大小、グレードの高低といった程度の差こそあれ、高層ビルにオフィスやホテルを構え、利用者が必要とする商品を揃えることで、物販サービスを複合するスタイルは共通する。再開発のもとにビル建設が進んでも、物販サービスのテナントはどこも似たりで、Shibuya Sakura Stageのように苦戦するところも出始めている。このコラムを書く前には高輪ゲートウェイシティと大井町トラックスが連結し、オフィスやホテル、商業の複合施設がグランドオープンした。そこでは体験型施設も多数見られる。
やはり、リアルな施設は行ってみたくなるように仕向ける工夫が不可欠のようだ。ただ、人間が生活する限りは消費は続く。また、ものを仕入れて、売っていくという小売りがなくなることはない。つまり、業界には埋もれた商材を掘り起こし、お客に提案して販売していく叡智が求められるのだ。それをデベロッパーとして孵化する役に回るか、それとも小売りの立場で拡販していくのか。少なくとも、不動産業で歩率家賃だけで稼げればいいという発想では同質化して限界が来るのは目に見えている。百貨店という暖簾を下ろし、門戸を閉めたとしても、やれることはまだまだあるはずだ。西武渋谷店の生みの親、故・堤清二氏は文化の創造にこだわり続けた。東京でも似たようなビルや店ばかりが並ぶ中で、カルチャーやムーブメントを仕掛けないと、街の個性はなくなる。西武渋谷店のスタッフ各位には閉店を新たなチャレンジの好機と捉えてほしい。閉じるから開く店もあるのだ。
※当コラムは2010年ごろからGoo Blogにて執筆をスタートしました。ですが、25年11月18日でサイトのサービスが終了し、Amebaへの引越しを致しました。過去14年にわたる月別アーカイブは、2011年から併載していますlivedoorブログ(http://blog.livedoor.jp/monpagris-hakata/)でご覧いただけます。
最終更新日:
ADVERTISING
PAST ARTICLES
【HAKATA NEWYORK PARIS】の過去記事
RANKING TOP 10
アクセスランキング

コンバース「オールスター」を模した初のシューズ型トミカが発売 全6種類











