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青山通りの巨大な遺構 「こどもの城」とはどんな施設だったのか

表参道・原宿のインフォメーションメディア
OMOHARAREAL

1日1万人が訪れた夢の施設。その全貌から、再開発の行方まで

(2026/08/10)

表参道・原宿エリアの文化や歴史にまつわるちょっとしたネタをご紹介する「OMOHARA TIPS」。今回は、2015年に惜しまれつつ閉館したものの、今もなお建物が残る青山通りの「こどもの城(正式名称:国立総合児童センター)」をご紹介!

ミラーガラスとタイル貼りの円柱が存在感を放つ、地上13階・地下4階の建築。その前に立つのは、岡本太郎のモニュメント「こどもの樹」……青山通りを訪れたことがある人なら、一度は目にしたことがある風景だろう。

2026年現在の「こどもの城」跡地と岡本太郎のモニュメント「こどもの樹」

この建物は、かつて子どもや家族連れがこぞって訪れた「こどもの城」。全国の児童館を牽引する拠点でもあった“遊びの聖地”とは、一体どんな場所だったのか。そして、なぜ今も青山通り沿いの一等地に建物だけが残されているのか。眠れる巨大施設の全貌に迫る!

「こどもの城」が開館したのは1985年11月1日。ユネスコが定めた1979年の「国際児童年」を記念し、厚生省(当時)が整備した大型総合児童センターだ。開館初日は雨にもかかわらず1万数千人が来場!その後も平日は約3,000人、日曜・祝日は約1万人が訪れ、驚異的な大盛況を記録したのだった。

1985年11月1日「こどもの城」開館時の様子/出典:こどもの城Webライブラリー

人気の理由は、子ども心をつかんだ設備の数々と、館内を探検できるオープンドアスタイルにあった。館内には体育室、プレイホール、造形スタジオ、音楽ロビー、ビデオライブラリー、パソコンルームなどが完備。体験プログラムも用意され、子どもたちは館内を自由に巡りながら思い思いに楽しめた。

さらにはレストラン、小児保健クリニック、保育施設まで備え、まさに子どもの文化と福祉を支える存在だったといえる。

「こどもの城」リーフレットの館内マップ/出典:こどもの城Webライブラリー

特筆すべきは、施設に併設されていた2つの名劇場!

ひとつは、日本で初めて舞台機構を総コンピューターにし、舞台面の全面転換を可能にした青山劇場。開館翌年の1986年から毎年上演されたミュージカル『アニー』や、少年隊主演の『PLAYZONE(プレゾン)』をはじめ、名だたる演劇、バレエ、コンサートが連日開催された。

左:青山劇場(1,200席)、右:青山円形劇場(376席)/出典:こどもの城Webライブラリー

もうひとつは、360度を客席が囲む青山円形劇場。当時、日本唯一の完全円形舞台で、舞台と客席の近さを生かした実験的な演出や、子ども参加型の公演も行われた。

この2劇場は音響専門誌で設備が特集されるなど、プロからも評価された国内最高峰の劇場だった。“御家族ぐるみでどうぞ”という開館時のキャッチフレーズ通り、「こどもの城」には、子どもはもちろん大人をも夢中にさせる仕掛けが詰まっていたのである。

「こどもの城」アトリウム(受付・案内・売店)/出典:こどもの城Webライブラリー

入場料は子ども300円、大人400円、さらに付き添いの6歳未満は無料。充実していながら破格の料金設定だったこともあり、年間利用者は80万人超。未就学児の利用も多く、近辺で買い物を楽しみたい保護者の託児施設としても重宝されていたようだ。

ここからは、そんな当時の「こどもの城」を彩った人気施設を写真とともにご紹介!(以下、5枚の施設写真出典は全てこどもの城Webライブラリー)

プレイホール
ネット遊具「わくわくらんど」をはじめ、おままごとコーナーや高学年向けのボードゲームコーナーを備えた約800平方メートルの広大な空間。曜日ごとに紙芝居や人形劇も開催されていた。

造形スタジオ
長さ17メートルのアクリル板に水性絵の具で自由に絵が描ける「プレイングボード」。工具や作業台も揃い、空間には子どもたちの作品が展示されていた。

AVライブラリー
約10,000タイトルの映像を無料で鑑賞できる映像の図書館。35室95人分の席を備えており名作をみんなで鑑賞する「面白ビデオ館」や、小中学生向けの「作ってみようアニメーション」などのイベントも曜日ごとに行われていた。

屋上広場
三輪車やスクーターを自由に乗り回せるほか、夏休みには「ちびっ子プール」が登場するなど、季節ごとに企画が開催されていた。

音楽ロビー
プロのミュージシャンによる演奏会だけでなく、楽器に触れたり実際に演奏したりできるワークショップも人気だった。

館内では手話やパソコン、水泳など、学びと遊びを兼ねた40種類以上もの体験プログラムを展開。そして、これらプログラムの運営から折り紙による館内装飾まで、陰で支えていたのがボランティアたちだ。

1998年には、実に年間延べ6,500人が家事や学業の合間を縫って参加。「子どもたちに豊かな体験を届けたい」という一心で集った人々の存在が、職員とともにこの夢のような空間を作っていたのである。

1992年に撮影された「こどもの城」(提供:渋谷区)

2012年に渋谷の「東京都児童会館」が閉館し、利用者が一気に2割も増加。まさに施設が必要とされていた矢先、厚労省から告げられたのは、2015年での閉館だった。理由は老朽化による117億円もの改修費と、全国的な児童館の普及。

需要がある中で下された唐突な閉館決定に、保護者や児童館関係者、さらには演劇愛好家や俳優らも声を上げた。結成された「存続を願う有志の会」は、1年間で26回もの署名活動を展開。全国から集まった署名は13万筆を超えた。日本劇団協議会会長や大手芸能プロダクション、是枝裕和監督など業界の重鎮たちも賛同。単なる児童館にとどまらず、一大文化拠点としてどれほど深く愛されていたかが窺える。

しかし行政の決定は覆らず、人々の願いが届かぬまま2015年、「こどもの城」は30年に及ぶ歴史に静かに幕を下ろした。

1985年の開館時から現在まで佇む岡本太郎のモニュメント「こどもの樹」。岡本太郎は、モニュメントについて以下の言葉を寄せている。「大人になって、ともすれば忘れがちになる子どもの心を、子どもの顔の集合として、いわば1つの曼荼羅として表現して、全館のシンボル・モニュメントとなることを考えました。」(「こどもの城ニュースNo.64」こどもの城広報部、1996年発行より)

閉館後の2019年、525億円で土地と建物を買い取った東京都。「都民の城(仮称)」としての再出発を計画したものの、突如襲ったコロナ禍により計画は白紙に。そこから長い空白期間に突入することとなる。だが2026年6月1日、止まっていた時計がついに動き出した。東京都が一帯の事業実施方針を公表。新たな都立中央図書館や劇場を備えた拠点づくりに向け、いよいよ事業者の公募が始まったのだ。建て替えか、それとも改修か。岡本太郎のモニュメントはどう受け継がれるのか……。かつて青山通り沿いのシンボルだったこの場所の行方は、まだ決まっていない。だが、「こどもの城」を守ろうと声を上げた人々やボランティアたちの熱意は、確かに次の時代へとつながっている。この街がこれからも、子どもたちの夢を育む場所であり続けることを願いたい。

Text :Rin Inoue
Photo:OMOHARAREAL編集部

最終更新日:

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