


この連載の目論見は、モードの目的地を明らかにすることだ。
ファッションはどこかに向かおうとしている、と感じる。けれど、どこかに向かおうとしているか、そのどこかは誰も分かっていない。もちろんファッションデザイナーたちやファッションを楽しむ人たちが「ここに行くぞ」と目的地を決めていくようなものではない。 モードは様々な方向へと飛び出していく。そのモードの運動の総体を捉えるために、様々なモードそのものを分析すること。無数のモードのヴェクトルを足し合わせていくと、いったいどこに向かうことになるのか。まったくの無になってしまうのか、それとも、おおまかにせよ、モードは方向と大きさを持っているのか。
モードはどこに向かうのか。存在しない目的地を探す旅を始めよう。
かわいいの時代
現代日本は、かわいいの時代だ。
YouTubeやテレビをみていると、あちらこちらから「かわいい」を歌う音楽が聴こえてくる。HoneyWorksによる「可愛くてごめん」(2022年)を皮切りに、2022年「わたしの一番かわいいところ」でSNSを風靡した「FRUITS ZIPPER」、それに続いて2024年「かわいいだけじゃだめですか?」でこれまたかわいいの旋風を巻き起こした「CUTIE STREET」。どちらのアイドルも、かわいい衣装を着て、跳ねるようなダンスやあざとい表情をする——そういえば、テレ朝の『あざとくて何が悪いの?』放送開始が2020年であったが、2026年9月に終了し、あざといの時代は終わり始めているのかもしれない。あざといの時代が終わり、純粋かわいいの時代が始まる……のだろうか。
これらのアイドルをプロデュースするのはKAWAII LAB.(カワイイラボ)である。同時期、「最上級にかわいいの!」と歌う、超ときめき♡宣伝部もバズになる。アイドルたちはかわいいの中でポピュラリティを得ていく。
動くたびにひらめくフリルや派手なリボンや繊細なレース——かわいいファッションを身にまとうのは、ステージでスポットライトを浴びるアイドルだけではない。街行く人々もまた、かわいさを装う。「定点観測」の街頭インタビューで、フリルやレース、リボンをあしらったアイテムが特徴的なブランド、メリージェニーのロンT、Y2Kモチーフでありつつアイロニカルな雰囲気を持つイグサのシャツやパンツを着用し、ロリータファッション研究をしているある人はこう語る。
着ると気分が変わるパニエとか服の面積が増えて人に迷惑がかかるけど、目立つが故の堂々さとか強マインドになれて、これが本当の私だと。ロリータでしか満たされない気持ち「乙女心」が満たされる洋服だなと思います。一生やりたいけど似合わなくなるのが嫌なのでピンクハウスに移行するのかなと思う。(定点観測 2026a 21歳 女性 / 大学4年生(環境デザイン))
「強マインドになれて、これが本当の私だと」感じたり、「ロリータでしか満たされない気持ち「乙女心」が満たされる」と言う。同じくメリージェニーやイグサのアイテムを着こなす別の人は「JKにかわいいおばあちゃんってチヤホヤされて店で過ごしたい」と言う(定点観測 2026b 原宿 10036 21歳 女性 / 大学4年生 服飾)。

左:文中に登場するインタビュイー「定点観測2026a」右:文中に登場するインタビュイー「定点観測2026b」
2023年頃からトレンドワードとして浮上した「バレエコア」は、サテンやリボン、バレエの練習着やロマンチックなイメージから着想を得ており、K-POPのスターたち(特にNewJeansの影響は大きかっただろう)がSNSやステージでこのモチーフを用いたことが流行の原因の一つとされている。その流れを牽引したファッションブランドのミュウミュウは、ラグジュアリーブランドのなかでもとりわけアイコニックな存在となっている。リボン、フリル、ぷくっとふくらんだロゴ。少女的な記号を帯びたアイテムは、いまや年齢層を問わず浸透している。大人があえて持つことで、甘すぎない大人なかわいいを演出する。
現代の日本は、かわいいモードの時代である。だが、モードファッションの中心地はいまなおヨーロッパ・パリにあり、そこではやはりかわいさというよりは、成熟・セクシーあるいはヘルシーといった価値観が支配的で、かわいいがファッションの中心になっているとは言い難いだろう。もちろん、西洋モードの文脈においても、シモーン・ロシャやセシリー・バンセンといった、ある種の熱狂的な支持者を抱えるブランド、及びそこから派生するガーリーでロマンティックなムードのトレンドはたしかに存在しているのだが、それらのかわいさは、どちらかと言えば、ヨーロッパの中のロマン主義の長い伝統を継いでいるようにも思われる。
これに対して、ファッション研究のリーダーの一人、ヴァレリー・スティールは、2010年に書かれた日本のファッションがファッションカルチャーに与えた影響を精査する長い論文の最後に、印象的な言葉を書き残している。
日本はファッションの最先端に——最前線と言うことさえできるだろう——居続けている。しかしながら、今日の日本ファッションには、一九八〇年代の第一波の日本デザインのように知性に訴える前衛的スタイルだけでなく、人気のあるゴスロリのような幅広い若者向けのストリートスタイルが含まれている。現代の日本ファッションが世界的にも重要であり続けているのは事実だが、それはまさしくサブカルチャー的なストリートスタイルの様々な側面を、アヴァンギャルド(その美学は「ハイ」アートのレベルにまで推し進められている)の要素と混ぜ合わせているからである。〔中略〕日本はいまなお未来なのか? たぶんそうだろう。日本はたしかに、いまも未来のようだ。(スティール 2025, 504-505)
かわいいファッションが世界のモードに躍り出るのかは不明である。だが、このかわいいという日本的ともいえるモードは、他のモードにも勝るとも劣らない、モードを切り開く何か強い可能性と危うさを同時に含み込んでいるように思われるのだ。第3回となる今回は、それを分析していきたい。

2024〜25年頃に大流行した、腰まわりにティアードのミニスカートをレイヤードするスタイル。レースやチュール、フリルといったアイテムをストリートスタイルにミックスする「バレエコア」の代表的な着こなし(写真は全て定点観測より)。
かわいいに隠されたもの
現代の人々は、かわいいに魅せられ、かわいいを自己肯定の力として用い、子どもたちと一緒にかわいいを楽しむ。だが、私は、かわいいものがなんだか怖い。かわいいは何かを隠している。そう私は感じる。
へんな発想だろうか。だが、私は、「かわいい」をめぐる現代のアイドルソングを聴いたり、アニメをみたり、ファッショントレンドを眺めていると、かわいいの中に、たんに「愛らしい」とか「魅力的だ」といった、ポジティブで美的な意味合い以上の何か、より複雑で切実な何か、どろどろとした情念がみえかくれするように思う。
私はこう言いたい。かわいいの中には権力への意志がある。
かわいいことで、その人間や存在は周りからちやほやされる。庇護されるべき対象であるとして自己を位置づけることができる。つまり、かわいいことは、周りの人々に対して、「私を庇護せよ」と行動を強制する力を持っているのだ(なお、以下の議論は、Plourde(2018)の分析や文献に大いに基づいている)。
フェミニズム文学研究者のローリー・メリッシュが言うように、かわいいはこうすべきだという「規範的な反応」である。メリッシュは、トニ・モリスンの『青い眼が欲しい』を分析しながら、かわいいに分け入っていく。
この作品のなかで、クローディアは大人たちによってプレゼントされたかわいいモノに対する反発心を覚える。クローディアにとっては「私は赤ちゃんにも、母になるということにも全く興味がなかった。興味があったのは、自分と同じ年齢で同じ体格の人間だけであり、母親になるという見通しに何の熱意も湧かなかった。母になることなど、老後の話であり、それ以外の遠い未来の話に過ぎなかった」。モリスンのこの語りは、かわいいものが持つ支配力に対する非常に鋭い洞察だ。
「かわいい」とは、ある意味でつねに母親を求める商品であり、母性的な欲望を生み出すように構築されているのだ。〔……〕「かわいい」の消費者(あるいは潜在的な消費者)には、自分がその「かわいい」ものの母親であるかのように振る舞うことが期待されている。「かわいい」を評価することは、母性的な感情の儀式化された表現を伴い、それは「かわいい」を十分に鑑賞するための母性的/感傷的な資質(および美的感覚)を欠く(民族的、階級的、あるいは国家的)他者と対置されるようにして構築された、女性の主体性モデルを指定するものである。(Merish 1996, 186)
ここでの「母性」というのはジェンダー化されている。私たちは、かわいいの前では、それを庇護する「母親」のような役割に回るように強制されるのだ。もちろん、庇護するための関わり方は、母や父といったジェンダーとは無関係でもよい。だが、かわいいは、「母親」であることを要求する。そして、母であることが、ときにそれのみが女性であることの主体性なのだ、と押し付けるような、強烈な強制力でもありうるのだ。
かわいいとはそれをみるものを母親にしようとする支配力なのである。かわいいは強さで他人を圧倒するのではなく、弱さで他人を制圧しようとする。弱さの暴力といってもいい。「かわいいは正義」というもはやクリシェとなり驚きを失ったネットミームもまた、かわいいの力を強調するものだ。正義というものが、有無を言わさぬ力を持ったものの象徴であるように、かわいいもまた、私たちに選択の余地を与えない力として君臨している。
関連していえば、私はかわいいものは嫌いではないが、好きでもない。なぜならまさに、かわいいものは私を母親にしようとするからだ。もちろん、私は、小さきもの、子どもたちもまた幸福であって欲しい、と知らない子どもに対しても思ってはいる。しかし、かわいいものが作り上げようとする母親とは、文化が構築した「あるべき母親像」のことである。それは、優しく、甘く、しつけるような、包み込むような権力を発揮するような存在だ。私は、かわいい存在に対してもまた、もっと淡白で、すっきりした間柄でいたい。それゆえ、あるべき母親像を要求するかわいいものは、私にとって恐ろしいものでもある。
『青い眼が欲しい』のクローディアは、やがて、人形を分解することを思いつく。
私にはただ一つの願いしかなかった。それをバラバラに分解することだ。それが何でできているのかを見極め、そのかわいさ(dearness)を発見し、私だけが気づいていなかった——どうやら私だけ——美しさや魅力(the beauty, the desirability)を見つけ出すことだった。(トニ・モリスン『青い眼が欲しい』)
私もまた、クローディアにならって、かわいいという概念そのものを分解してみよう。その先に何かが見えてくるはずだ。
少なくない人々は、かわいいを武器化して、この世界をサバイブしようとする。とりわけ、このジェンダー不平等な世界の中で、女性たちは様々なハラスメントに苦しみ、様々な社会的障壁を躱したり交渉しなければならない。その武器の一つとして、かわいいを手に取ることがある。かわいくなることで、周囲に自分をケアさせることを要求する。自分へのケアを要求することで、攻撃を避けようとする。それは、切実でリアルで、どこまでもハードボイルドな願いなのだろう。
だが、かわいいだけでいいのだろうか? こうした、庇護を要求するかわいいという力を用いて人とコミュニケートしようとする作戦は、いつもうまくいくのだろうか。かわいいに全振りすることによってこの世界をサヴァイヴしていくことは、本人にとって、周囲の人々にとって幸福をもたらすことになるのだろうか。
ここで、かわいいという「美的性質」は、周りの人々との関係性、すなわち「間柄」を操作する「美的力」であるという視点から考えてみたい(cf. 難波 2026, 119-122)。かわいいや「かっこよさ」あるいは「こわさ」といった性質は、どのような対人関係を作り出せるかを操作することができる美的性質である。私たちは、主にはファッションによって、こうした美的性質を操作して、どのような対人関係を作り出したいかを操作し、デザインしようとする。 金髪にしてみると、ナンパで声を掛けられる経験が減った、であったり、ベビーカーの進路を邪魔されなくなった、という体験談があるように、私たちは、見た目に基づいて、その見た目が持つ美的力によって対人関係を変化させているのだ。
かわいいファッションのモードとは、かわいいという美的性質を用いて、間柄をデザインすることを(無意識にせよ)目論む。 このかわいい分析は、「JKにかわいいおばあちゃんってチヤホヤされて店で過ごしたい」と言う(定点観測 2026b 原宿 10036 21歳 女性 / 大学4年生 服飾)と語るかわいいモードを身にまとう人の意図をある程度は説明してくれる。「かわいいおばあちゃん」になることによって「JKに」「チヤホヤされる」。それは、通念が逆転した発想だ。年長者が年少者をチヤホヤするのではなく、逆のことが起きる。年長者が年少者を母にするのである。
最強モードかわいい
だが、こうしたかわいい論は「目立つが故の堂々さとか強マインドになれて」と冒頭で引用したロリータ実践者をうまく説明することはできるだろうか。 社会学者の有田亘は、ロリータファッション実践者へのインタビューを行い、彼らが「見られたい」から着るのではなく、かわいいものを「見たい」から着るのだと指摘している(有田 2013)。それを象徴するインタビューがある。
Eさん「すごく言い表しにくいんですけど、ロリータファッションて私の中でのレイヤーみたいなもんなんですよね。日常の上に覆いかぶさったもう一枚のレイヤーごしに見えるものって、みんなと同じものなんだけどなんか違うんです。だからみんなには私が見えてないみたいだし、私は見えてるけどもはや違う世界にいるっていうか、、、!わかりづらいですが笑 ある意味の最強モード、そのロリータファッションていうレイヤーの中ではマリオでいうとこのスターモードになってるわけです。どんな常識も今私には通用しない!みたいな笑」(有田 2013, 17)
このように語るのは、このEさんだけではない。他のインタビュー参加者もまた自分に「似合う」かどうかではなく、かわいい服を着ている姿をみることが楽しいから着ているのだ。かわいいがある種のエンパワメント的なものとして実感されるとき、おそらくは、こうした「ロリータファッションていうレイヤーの中ではマリオでいうとこのスターモードになってるわけです。どんな常識も今私には通用しない!」という気持ちなのではないか。私はいま、私がかわいいと思うものを着て街を歩いているという感覚。それが、かわいいモードが着ているものを「スターモード」にする力なのだ。
それは、これまで話してきたような間柄のデザインとは少し違う間柄を目指している。それは、自分のかわいさをある意味では押し付ける、強烈な間柄の支配への欲求ともいえる。冒頭のインタビュイーが「着ると気分が変わるパニエとか服の面積が増えて人に迷惑がかかるけど」と率直に述べているように、通常の間柄を蹴散らして、これが私のかわいいだ、と押し付ける間柄であるところに、ロリータファッションの爽快さと力強さがある。ロリータのモードとは、通常の間柄を切断するような「最強モード」なのである。だがしかし、ロリータファッションは、かわいいモードのもっとも力強い実践であると同時に、無数にあるかわいいモードの一つの実践であり、かわいいモードのすべてではない。
次に、より広くかわいいという間柄のデザインを考えてみよう。それは、どのような選択肢を可能にし、どのような選択肢を難しくしてしまうのか。先ほどのメリッシュが言うような「母性的な反応」をさらに詳しく分析していこう。
参考文献
有田亘.2013.「「視線革命」 としてのロリータ・ファッションへむけて」『国際研究論叢: 大阪国際大学紀要』26.3 (2013): 1-20.
ACROSS. 2026a. 「渋谷 10017 22歳 女性 / 大学4年生(ファッションデザイン)」https://www.web-across.com/observe/mino5u0000008gqf.html
ACROSS. 2026b. 「原宿 10036 21歳 女性 / 大学4年生 服飾」https://www.web-across.com/observe/trkkfk0000009rta.html
Plourde, Lorraine. 2018. "Babymetal and the Ambivalence of Cuteness." International Journal of Cultural Studies 21(3): 293-307.
最終更新日:
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