
Image by: FASHIONSNAP
1000年以上続く織物の町としての歴史を持つ、日本有数の機織り産地 山梨県・富士吉田市で、国内唯一の“布の芸術祭”「フジテキスタイルウィーク2025(FUJI TEXTILE WEEK 2025)」が開催されている。従来の毎年開催をやめ、1年間の準備期間を経て、ビエンナーレ形式で新たなスタートを切った今回、参加した約30組のアーティストたちは、1年間富士吉田でリサーチを重ね、その文化や風土から着想を得た新作や未発表作品を発表。町の姿や歴史に新しい形で光を当てた。
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日本各地のさまざまな繊維産地と同様に、職人たちの高齢化や後継者不足から廃業を余儀なくされる企業も少なくないこの環境で、他の地域とは異なる「アート × テキスタイル」「芸術祭」というアプローチを続ける意味はどこにあるのか、そしてビエンナーレ形式での開催は同芸術祭の役割にどのような変化をもたらしたのか、関係者たちへの取材を通して紐解いていく。
目次
富士吉田の歴史と課題
◆OEM促進が奪った町の「名前」
山中湖と河口湖の間に位置する富士吉田は、富士五湖地域の中でも、観光産業で魅力を打ち出すことが難しいとされてきた。「富士吉田のある山中湖にも河口湖にも無い魅力は、やはりテキスタイルでした」と山梨県富士吉田市役所 経済環境部 富士山課の勝俣美香課長は話す。

山梨県富士吉田市役所 経済環境部 富士山課の勝俣美香課長
平安時代の書物の中にも甲斐国(山梨県)の布について記述が見られることから、1000年以上の織物の産地として知られる山梨県。中でも、富士山から流れる清澄な伏流水の恩恵を受ける山梨県東部 富士吉田や隣町の西桂一帯は「郡内」と呼ばれる織物の一大産地となり、町人文化が花開いた江戸時代には羽織の裏地として用いられた高級絹織物の「甲斐絹(かいき)」の名産地として知られた。桐生などの関東近郊の産地と比較すると江戸から距離のあった郡内では、より運搬しやすい軽量で高品質なものが求められ、職人たちは日々技術を磨いていったという。着物の生産が減って以降は服地をはじめ、インテリアやカーテン、寝具などさまざまな用途に向けたテキスタイルを開発。工業化が進むに伴いOEMに強みを持つようになるが、同時に産地としての名前が出る機会が減っていき織物の町として名前が知られなくなっていったという。
そこで地域の織物メーカーたちが立ち上がり、町の名前を歴史に残していくことを目的としたブランディング計画を始動。2009年から東京造形大学との産学連携プロジェクトとして展開した「フジヤマテキスタイルプロジェクト」では、オリジナル商品の開発を行い東京の百貨店などで展開した。2016年からは、各メーカーのオリジナルアイテムを販売するマーケットイベント「ハタオリマチフェスティバル」を年に1度開催している。
フジテキスタイルウィークの事務局長である八木毅氏は、2015年に築80年以上の町屋を改修した宿泊施設「SARUYA」を開業し、2017年に富士吉田市にアーティストレジデンシーを立ち上げた人物。八木氏のようにアートを通して富士吉田を活性化したいという意欲を持って同市に移住してくる人が増えたことで、アートを介したさまざまな取り組みが発展し、2021年にアート展とマーケットイベントやワークショップなどが融合した芸術祭「フジテキスタイルウィーク」が立ち上がった。同芸術祭の実行委員会会⻑ 兼 アート展ディレクターでもある南條史生氏は、「地元から立ち上がった芸術祭という特性が非常にユニークなポイント」だと話す。一般的な自治体の取り組みはトップダウン型が採用されることから、役所の担当者の変更によって継続性が失われがちなのに対して、富士吉田では地域に根付いた住民たちがアートプロジェクトを主導していることで継続的な取り組みが実現している。加えて、「地場産業であるテキスタイルをテーマにした芸術祭」という点も、他地域にはみられない特徴だと強調。「地場産業の発展に寄与するだけではなく、クリエイティブな人々の出入りする町として町のイメージが変化していくことで、これまでにみられなかった観光的資産も新たに生まれていくでしょうし、この町に住みたいと考える若い方も増えていくのではないかと思います。日本の中でも非常に重要な芸術祭のひとつになるのではないかと考えています」と自信を見せた。

フジテキスタイルウィークの実行委員会会⻑ 兼 アート展ディレクター 南條史生氏
◆富士山の写真を撮るだけの観光客を変えるために
かつては富士山信仰の町としても栄えた富士吉田では、町のどこを歩いていても目前に大きな富士山を臨むことができる。数年前に八木氏が手掛けた空き家をリノベーションして作られたカフェ「FabCafe Fuji」の前の道路から見える絶景の富士山がSNSで“バズった”ことをきっかけに、その写真を撮るためだけに今でも毎日多くの外国人観光客が訪れている。ただ、客数自体は増えている一方で、一人当たりの滞在時間は短く消費が少ないため、地域経済への貢献度が低いというオーバーツーリズム問題が顕在化しているという課題がある。そこで、フジテキスタイルウィークは、オフシーズンである11月下旬から12月にかけて開催。通年の観光客誘致を目的とした取り組みとしての役割も果たしている。

FabCafe Fuji前から見た富士山(2023年撮影)
「地元ではまだまだアートイベントや、ハタオリマチフェスティバルさえ自分ごとになっていないのが現実ですが、富士山の写真を撮りに訪れてくださる方たちの数は、この10年間で信じられないほど増えました。しかしその方たちは、富士吉田を知ってきているのではなく、その写真を撮りたくてやってくる」と勝俣課長。「そうした方たちに、富士吉田自体の面白さを知っていただきたい。アーティストの皆様との繋がりを育んで、10年後、20年後には“富士山の麓に行けば何か面白いことが起こる”と思っていただける町づくりをしていきたい」と続けた。
「フジテキスタイルウィーク」の展示会場には、富士吉田市の織物産業にまつわる空き店舗や空き家を活用。山梨県の空き家率は全国4位の20.4%、富士吉田市も13.8%と空き家問題が深刻な社会課題として挙げられることに対して、空き家の清掃・リノベーションし、展示会場として用いることで空き家解消にも貢献するなど、テキスタイル産地を盛り上げる以外の目的も実現している。
ビエンナーレ形式で「布の芸術祭」はどう変わった?
毎年開催を採用していた頃は、各アーティストたちの十分なリサーチやフィールドワークの時間を用意することが難しいことから、テキスタイル表現を得意とするアーティストの作品を中心にアート展を構成していた。しかしそれは表現の芸術祭という形式において、表現の可能性を狭めていたのかもしれない。同芸術祭のアート展のキュレーターである丹原健翔氏は「最終的にテキスタイルを表現手法として採用した作品を発表することで、富士吉田のテキスタイルの美しさや魅力を表現することももちろん意味がありますが、芸術祭におけるアーティストの存在意義の重要性は、“富士吉田のテキスタイル産業の独自性をアーティストの視点から紐解き、導き出す”というプロセスの部分にあると考えています」と話す。2年に一度開催のビエンナーレ形式の採用によって、参加アーティストたちには1年間以上を準備にかけることが可能になり、約1年前から現地に滞在して制作を行ったアーティストもいたという。同時に、時間をかけて地元の理解を得ることで、地域の受け入れ態勢をより十分に整えることができた。

安藤安嗣志「How The Wilderness Thinks」

安藤安嗣志「How The Wilderness Thinks」
富士吉田に眠る膨大なデッドストックの絹生地を収集し、空間に吊るすことで洞窟のような構造を制作した安藤安嗣志の作品。富士吉田の染色工場の協力により先端が手染めされた800枚以上の布は、富士山の稜線を思わせる。安藤は、富士山の溶岩が木々を包み込み、木が燃え尽きた後に残る樹形の洞穴を巡って身を清め、生まれ変わりを願った富士講(江戸時代に富士山を信仰する人々が組織した講社)の「胎内巡り」を意識して制作したという。富士山の野性と、それに呼応してきた人々の暮らし、織物文化が重層的に場所性を形作ってきた富士吉田の歴史をとらえ、未来へと生まれ変わらせている。
「アーティストがその地域に入り込み、独自の素材や物語に触れることで生まれる作品が、作家自身のナラティブと融合することで、新たな視点から捉えられた地域への理解が作品を通して表現されることに美術の役割があると思っています」という丹原氏の狙いを実現するためには、2年という準備期間が必要不可欠だった。今回の参加アーティスト約30組の選定基準は、そうした地域に根ざした制作やリサーチから発展した作品づくりを得意とすること、低予算かつ冬場の気温が冷え込む過酷な環境下でも制作を乗り切れるタフさを持っていること、そして今回の機会を経てアーティスト自身の活動自体も次のステップに繋げられることだったという。

柴田まお「Blue Lotus」
今では使われていないプールを舞台にした柴田まおの作品。薄く水を張ったプールには、富士吉田の明見湖の蓮池から着想を得たブルーのオブジェが設置されている。プールサイドには複数のモニターを並べ、空間各所に配されたカメラが会場の様子をリアルタイムで投影。柴田はクロマキー合成技術を用いて、青色の彫刻が映像上では“消える”という仕組みを取り入れた、「見る・見られる」「実在・不在」「実像・虚像」「デジタル・アナログ」といった二項対立をテーマとした作品を手掛けてきた。同作では、鑑賞者が長靴を履いてプールの中に入ることができ、蓮の裏に隠れた鑑賞者の姿はモニター画面には映らない。これまでの作品にも見られた「見る・見られる」の二項対立は、鑑賞者の目線を通して「監視されることで得られる安心感・監視から免れることで得られる安心感」新たな関係性に発展された。
「柴田さんの作品のように作家のプラクティスと地元の物語が繋がる瞬間を生み出すことができるような作家を選ぶというプロセスがキュレーションの中であったと思っています」(丹原氏)
日頃からテキスタイルを表現手法に取り入れていないアーティストも参加した今回の芸術祭だったが、繊維産業が生活にまで浸透している富士吉田という地域をリサーチし、そこから着想を得た作品を制作するということは、同時に繊維産業への理解を深め、富士山のふもとでものづくりをするという感覚と同化して制作に向き合うことでもあったという。
「この地域のテキスタイルを見ろという表現ではなく、その背景にある精神性やこの町の空気感、歴史や人々の生活が描かれない芸術祭は富士吉田でやる意味がありません。作家たちも、この地域に滞在し“当事者性”を持ってこの地域の産業や風土に向き合い表現をする機会になったと思います。そういった意味でも、作品を見てすごく良い芸術祭になったと感じました」と丹原氏。

A-POC ABLE ISSEY MIYAKE「TADANORI YOKOO ISSEY MIYAKE」
今回のフジテキスタイルウィークの見どころの一つとして、宮前義之氏率いる「エイポック エイブル イッセイ ミヤケ(A-POC ABLE ISSEY MIYAKE)」が横尾忠則氏とのコラボレーションで制作した未発表作品の展示がある。
「作家たちにはそれぞれ立ち位置があると考えているのですが、エイポックは服という一つの“アート作品”を販売、流通させ、身につけることができるという形で展開することで、アートというものを再検証するような役割があると感じています。アートとして今の時代を捉えるだけではなく、アートをテキスタイルの魅力に還元する矢印として、エイポックは今回の芸術祭において不可欠な存在でした」(丹原氏)
アートがテキスタイル産地のためにできること
富士吉田だけでない多くのテキスタイル産地が後継者不足や過疎化で厳しい存続の危機に瀕し、それぞれのやり方で対策を講じているが、アートとテキスタイルを掛け合わせた芸術祭というアプローチを採用しているのは富士吉田ならでは。テキスタイル産地が、地域を盛り上げるために「アート」を選ぶ意味、そしてアートが地域にもたらす価値とはなんなのか。テキスタイル産地の未来を守るという目的において、アートは富士吉田をどのように変えていくことができるのか。芸術祭の準備期間を経て、丹原氏は2つの答えを得たという。
まず1つは、地域への理解。後継者が不足している文化の多くは、後継するべき人々の理解を得られていない場合が多い。しかし文化を守っていくためには、その文化に対して後継者たちが理解し、やりがいを見出しZ、どうすればより良くしていくことができるのかという発展性を当事者の目線から考える必要がある。アウトプットだけでなくその制作プロセスにも意味があるアートは、テキスタイルに人生を賭けてコミットしている職人や関係者たちの精神性そのものや、富士吉田でテキスタイルを作るという意味を理解するきっかけを鑑賞者に与える。今回の芸術祭では、地域に根付いた「富士山信仰」や民話として語り継がれている「徐福伝説」*をテーマにした作品もいくつか登場した。地元住民でなければ馴染みのない物語も、アートというフィルターを通すことで抵抗感なく感覚的にその本質を伝えることができる。
徐福伝説:秦の始皇帝から不老不死の薬を探すよう命じられた徐福が来日し、富士山麓にたどり着いた後帰れなくなり居着いた、という富士吉田に伝わる伝説。徐福は村人に養蚕や織物の技術を伝え、それをきっかけに富士吉田は織物の産地になったとされている。
「やっぱり、“What Ifの発想”が形になる瞬間って、我々が理性的に想像するよりも重要なんだと思います。例えば、『富士山が身近にある生活』を想像することは誰にでもできるけれど、実際に目の前に富士山がある環境で生活をしてみると、自分たちがどんなに壮大なことをやろうとしても、富士山という敵うことがない圧倒的なスケール感が日常の中に存在している。この環境の特殊さの中で得られる感覚を新たな視点から「形」にして発信できることが、美術の持つ力の一つなのではないでしょうか」(丹原氏)。

増田拓史「白い傘と、白い鳥。」

左:キュレーター 丹原健翔、右:増田拓史
増田は、広範な地域リサーチを起点に、個人史や言い伝え、歴史に残された複数の物語を一つの架空のストーリーとして編み直す手法で知られる作家。同作は、「甲斐絹」の技術が評価され、軍事用落下傘(パラシュート)の絹生地の生産地として発展した富士吉田の絹生地産業が、戦後には衣服やファッションへと姿を変えながら受け継がれてきた近代史を軸に、不老不死の薬を求めて富士山を訪れ、養蚕や機織り技術を地域に伝えたとされる徐福が、死後に鶴へと化身して再び富士吉田に降り立ったという伝承と重ねたという。白い落下傘や白い鳥など、白色を起点としたストーリーが展開し、輸入技術や文化の象徴としての徐福像と、パラーシュートで降り立つ身体の比喩と接続され、3つのスクリーンがそれぞれ連動と乖離を繰り返しながら重層的に表現されている。
もう一つは、実際に機屋からも聞かれる声として「固定観念にとらわれないアーティストたちの提案や発想が、産地にイノベーションを生むきっかけを与えている」ということだ。空き家や廃墟の活用方法をはじめ、繊維技術を活用した表現手法においても、アーティストたちの希望を実現するためには、これまでにはなかった発想が求められる。不可能だと思っていたことや不適切だと思われていた手法に美しさを見出す視点は、地域に新しい視座をもたらしつつあるのだ。
製品としての服や生地に触れるだけでは理解が及ばない産地の風土や歴史、価値観を感覚的に理解することができるきっかけを与えてくれるさまざまな作品が発表された今回のフジテキスタイルウィーク。作品を通して富士吉田の歴史や風土に想いを馳せながら会場を後にし、次の展示会場へと移動する最中に自然と目に入る雄大な富士山は圧巻で、多角的に富士吉田の産業や歴史について考える機会となった。ぜひ実際に自身の五感で体験してみてほしい。
最終更新日:
◾️FUJI TEXTILE WEEK 2025
期間:2025年11月22日(土)〜12月14日(日)
休館日:11月25日(火)、12月1日(月)、8日(月)
営業時間:10:00〜17:00 ※会場による16:00閉館(最終入場は各会場閉館30分間)
会場:山梨県富士吉田市下吉田本町通り周辺地域
チケット料金:一般 2500円、学生 2000円
公式オンラインチケット販売サイト
FUJI TEXTILE WEEK 2025 公式サイト
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