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連載「ふくびと」ユナイテッドアローズ社長 重松理

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セレクトショップの草分け「BEAMS」立ち上げ

 婦人服メーカーに入って3年目、次第に自分のやりたい事が芽生え、水面下で転職を考える日々。そんな時、知人の紹介を通じて出逢ったのがダンボール製函業を営んでいたビームスの先代の社長。1976年、アメリカの輸入物を軸としたショップの企画書を作り新事業を企てる。

重松:やはりメンズを作りたいという思いがあったんですね。先輩を通じて知り合った先代社長の設楽さんと原宿で始めたのがアメリカのライフスタイル提案ショップ「BEAMS(ビームス)」です。26歳の時でした。原宿といっても人通りの少ない場所で、セレクトショップの先駆けだったのではないでしょうか。婦人服メーカーを辞め、わずか6坪の店を手作りして初代店長として働きながら月に一度の買い付けも担当していました。オープンしてすぐはあまりに客が来ないので、表参道までワゴンを引いていってビラを配りながら地道に売っていた時期もありました。

 時を同じくして、初めてアメリカの若者の生活を紹介した雑誌「POPEYE」が創刊。ビームスは「POPEYE」とともに育っていったとも言えますね。小売りは初めての経験だったので、もちろんコケた事も何度もありました。ポリシーを守り過ぎても、また時代に流され過ぎてもいけない。ファッションの難しさを痛感しました。


ユナイテッドアローズ誕生 目指したのは「十貨店」

 ビームスは順調に拡大していった。しかし、重松氏のもともと抱き続けてきた "洋服だけでなくライフスタイル全般を提案していきたい" という思いは一層強くなり、そのためには独立が不可欠だった。当時はバブル経済の絶頂期。アパレル大手ワールドという強力なパートナーを迎え、共同出資のもと新事業の構想を練る。平成元年(1989年)、満を持して創業したのが「ユナイテッドアローズ」だ。翌年には渋谷に1号店をオープン。 メンズ・ウィメンズ、ライフスタイルを提案する複合型セレクトショップとして、欧州のファッションを色濃く反映し洗練されたファッションを提案していく。

ユナイテッドアローズ 原宿本店 ウィメンズ館

重松:united_arrows_harajuku_womens_s.jpgビームスから独立して新しい道を選んだのは、ライフスタイルの提案を新しい形でやりたいという気持ちからでした。「ユナイテッドアローズ」の名前は、まっすぐ進みたいという事で「矢=ARROW」、そこに「束ねる=UNITED」という冠が乗って誕生しました。まさに毛利元就の "三本の矢" のごとく「束矢」の理念が生まれた訳ですが、今となっては海外の人にも非常に説明しやすく、創業当時の志が詰まった名前になっています。

 渋谷1号店で目指したのは「十貨店」。百貨店10分の1の商材を厳選してセレクトし、当初からオリジナル服飾商品や和食器も置いていました。立ち上げまでは順調だったのですが、オープン当初は赤字続きで大苦戦。軌道にのるまでは5年くらいかかりましたね。その時の苦労が引き金になり、後の財産を作っていったのだと思っています。


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