アーティストの佐藤はなえは、東京藝術大学美術学部絵画科油絵専攻を修了後、同大学院で美術解剖学を学ぶ24歳だ。彫師でありながらも現役の藝大院生。あくまでアートプロジェクトの一環としてタトゥーを施す佐藤の"油絵を専攻していた"という経歴も興味深く、0.25mmの針を使い直径1mmの小さなタトゥーを希望者の身体に彫る「1mmタトゥープロジェクト」はSNSで反響を集めた。一方で日本国内におけるタトゥーに対するネガティブなイメージは根深い。「身体装飾についても規制が強い現代の日本で、男性年功序列の職人の世界であるタトゥー業界に、女性で反社会的なものと無関係の私がカラフルな1mmタトゥーを多国籍老若男女の人に入れたらハッピーだと思った」と話す佐藤は、タトゥーという作風をどのように築き上げ、なぜあえて日本国内で作品を発表し続けるのか。本人に話を聞いた。
佐藤はなえ
1997年、東京都新宿区生まれ。東京藝術大学美術学部絵画科油絵専攻に在籍中に石橋財団国際交流油画奨学プログラムに選抜される形で、イタリアに留学。タトゥーアーティストとしての技術を学ぶ。帰国後、同大学院美術解剖学研究室在籍。タトゥーとアートをテーマに研究、活動をしている。
公式インスタグラム/公式サイト
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目次
音楽と油絵を学んできた彫師、佐藤はなえ
ー佐藤さんは、東京藝術大学美術学部絵画科油絵専攻を修了。藝大に進学をきめたきっかけは?
確固たる理由はないのですが、音大の音楽教室で習い事をしていたので幼少期から藝大のことは知っていて。「大人になっても音楽や美術を学べるところ、楽しそう」と思っていました。
ー音楽教室ではどの楽器を専攻していたんですか?
5歳から15歳くらいまで約10年間チェロを弾いていました。少し話は脱線するかも知れませんが、私の体感として、タトゥーを彫っている時に手に伝わる機械の振動とチェロを弾いてる時に身体に伝わる音の振動は似ているなと思っています。
ー藝大の音楽学部には進学しなかったんですね。
元々は音楽で藝大に進学をしたかったのですが挫折したんです。音楽はスポーツと少し似ていて「1日演奏しないと、三日間はその感覚を取り戻せない」と言われているんですが、本当だったら毎日練習しなければならないんですけどだんだん練習が辛くなってきてしまって。「もうこれは続けられないな」と。
ー音楽から油絵の道に進んだきっかけは?
近所に画家が住んでいたこともあり、幼稚園生の頃から油絵には触れていました。なのでチェロを習い始めるのと同時期に絵を描くということもやっていて、チェロに挫折し、絵を選択した、という流れですね。
1mmタトゥーとは?
ー改めて1mmタトゥーとはどういうものなのか教えて下さい。
1mmタトゥーとは、最小単位である直径1mmのタトゥーを希望する人々に施術するプロジェクトです。
ー具体的にどのような展示で何を発表しているんですか?
前回の展示では、1mmタトゥーが入った人の施術箇所をポラロイドとして出力し、畳一畳分=皮膚1人分サイズに敷きつめた平面作品を展示するとともに、実際に1mmタトゥーが入った人によるパフォーマンス作品などを発表しました。
ー1mmタトゥープロジェクトを始めたのはいつですか?
プロジェクトとして成立したのは2020年です。実はそれ以前から、通常のタトゥーデザインを依頼してくれる人にたまに入れたりもしていたんですが、ツイッターで「1mmタトゥーを入れたい人はいますか?」と募ったところ、5000いいねくらい付いて。人が集まるならプロジェクトとし成立するなと。なので、プロジェクトになる前から自分の中で「面白い」「美しい」と思い、続けていたものではあります。
ー1mmタトゥーを思いついたのは?
2018年度に現代タトゥーと現代アートを学ぶために6ヶ月間滞在していたイタリア留学中でしょうか?
イタリア留学で見えたタトゥー文化の違い
ー留学先にイタリアを選んだ理由は?
最初は日本国内でタトゥーを学ぼうと思ったのですが、国内のスタジオの方々にお話を伺ったところ、女性1人では危ないと止められたんです。「じゃあ海外かな」と思い、当時カルアーツ※から藝大に赴任したばかりだった篠田太郎教授に相談したところ、友人でイタリアで活躍しているタトゥーアーティストがいるというので会いに行きました。山口こうぢさんという、イタリアで初めての日本人タトゥーアーティストで、0からタトゥーについてご指導いただき、様々なイタリアのタトゥー業界の先駆者と交流させていただきました。
※カルアーツ:カリフォルニア芸術大学の通称名。
ーイタリアはタトゥーの文化が発展しているんですか?
文化の発展が何を示すかが難しいですが、現在、イタリアでタトゥースタジオを開業するためには保健所などの行政機関を必ず通す必要があり、日本で言うところの美容師の国家資格のように、彫師が取るべき資格も存在しています。なぜタトゥーにまつわる資格や法律ができたのかを留学中に聞いた所、彫師の人口が増えたので法整備をする必要があった、とのことでした。つまり需要があるから、環境が整備されたんですよね。世界的なタトゥーコンペティションが月に何回もイタリア各地で行われたり、日本で言うところのコミケにあたるようなイベントにタトゥーブースがあったりと、文化として受け入れられている印象はもちろんありました。
法の問題が大きいんだろうなと思うんですが、そもそも日本国内は輸入制限がかかっていることもありタトゥー道具の入手が困難で、手に入ったとしても値段が4倍だったりします。日本においてもタトゥーに対する需要は一定数あるんですが、自治体や国単位で法整備が進むまでは欧米諸外国のような環境になるのはなかなか難しいところがあるかも知れません。
1mmという点が持つ意味と、流動的に変化し続けるタトゥーの特性
ー佐藤さんは、1mmタトゥープロジェクトの他にも、平面作品や立体作品、インスタレーション、パフォーマンス作品などを発表されていますが、それぞれに共通するものはありますか?
これまで発表してきた作品は平面作品よりも、立体やインスタレーション、パフォーマンス作品などのミクストメディアが多いのですが、「表現したいもの」という点では共通するものがあると思っています。例えば、2018年に発表した「GOSHUIN」という作品も形は違えど、"点を打つ"という行為としては1mmタトゥーと近いものがあるのかな、と。
ー「表現したいもの」は具体的にどのようなものですか?
全てを言語化してから作品を作るタイプではないので説明が難しいのですが、主に「動物としての人間がどう在るのか」という、人の営みの中に感じる美に引っかかりを持ちながら作品を制作しています。特に素材としての人体や鑑賞者、体感を共有することを意識していて、流動的なものや循環するものが、新しい状態に変化する地点や行為に興味があります。例えば、絵画の場合は素材や保存状態によって変化速度が異なりますが、タトゥーの場合だと日焼けや生活している中で触れる水などの生活環境に影響を受け、色や形を少しずつ変えていきます。なので、高齢者が持つ数十年前のタトゥーは古代壁画のような存在感を感じることも多々あります。
ー「GOSHUIN」も1mmタトゥーも「点」という共通点がありますね。
3歳の頃に初めて経験した書道が原体験としてあるんだと思います。どんな文字や図を書くにせよ、最初は点から始まるんだなと感じたのをよく覚えています。点は図や文字の一部だけど、"それ"になりきれてないものという感覚が個人的にはあります。ただ、1mmタトゥーに関して言えば私の中では絵の一つだと認識しています。
ー「1mmタトゥーは絵である」というのは具体的に?
タトゥーと絵画の手法的な共通点は、主に筆や針などに顔料をつけて描くことです。タトゥーも0.25mmの針を使い1mmのタトゥーを彫っているという点では描いている作業と似ています。なので点を「打っている」というよりも、描いているという感覚に近しいですし、1mmの色面が絵として成立するかどうかを研究している節もあります。
余談ですが、最近「1mmタトゥーの説明図を描こう」と思い、1mmタトゥーを1000倍に拡大して描いた作品を発表しました。実際の身体構造になぞらえて、 筋肉→脂肪→血管→結合組織→タトゥーインク→メラニン→仮皮の順に点描で描いていて、 実際にはカラーで観察できないサイズまで皮膚を拡大しています。
なぜタトゥーを作品の媒体に選んだのか
ーそもそもなぜ作風としてタトゥーという媒体を選んだのでしょうか?経緯を教えて下さい。
幼少期から油性ペンで人形の身体に絵を描いたり、文字を書いたりすることが好きだったので、それの延長だと思っています。学部1年生の頃から、モデルさんの身体に絵を描くようなことをはしていましたし、「タトゥーをやりたい」というよりは「人の身体に文字や絵を描くことがおもしろいな」という感覚がずっとあったのかな、と。
ー佐藤さんにもタトゥーは入っていますか?
イタリア留学した際に「人にタトゥーを入れるのであれば自分も経験しておくべきだ」と思い、様々な色を試しました。私は名前がはなえなので、いろんな種類の花のタトゥーが普段は見えない部位にちらほら入っています。自分に彫ったことで、よりミクロにタトゥーを観察する楽しさを味わっていますが、人に見せる為ではなくあくまでプライベートなものなので、親しい家族や友人の前でしか露出しません。そもそも、人の体に絵を描きたくて始めたので、自分自身に入れたいという気持ちが強くないんですよね。本当に「試した」という感じです。実際に、留学先のイタリアでも全くタトゥーの入ってない彫師がいましたね(笑)。
ーあくまで「人の身体」にこだわる理由は?
人体を支持体として見ているからだと思います。支持体として見ると、全体を俯瞰してみることが出来るし、自分との距離感も丁度いいんですよね。自分で自分自身との距離感を測ったり、一定の距離を保ったりし続けることって難しいじゃないですか。作品として何か制作する時は、自分との距離を調節できないと私はやりづらいんですよね。
ーなぜそこまで「人の身体」を支持体(物質)として捉えることができるのでしょうか?
おそらく、私自身が人間とそれ以外のものをそこまで大きく区別していないからだと思います。人の身体に強く興味を持ったのは「人体の不思議展」を鑑賞した直後の小学生くらいでしょうか。幼少期から自分の体についてすごく考えていて、自分の体と自分の精神が同一のものであるという感覚があまりなかったんです。もう少し具体的に言うと、「自分の身体」と呼べるような範囲は、どこからどこまでのことを指しているんだろうと不思議に思っていました。おかしな話と思われるかも知れませんが、小さい頃はよく机の下に潜り込んで、机になりきろうとしてみたり(笑)。もちろん机にはなれないですが「机というモノの目線からその部屋を眺めるとどんな感じなんだろう」という遊びをよくしていました。
ただ、勘違いしてほしくないのは「自分の身体である」という証や印として身体に絵やタトゥーを施しているわけではないということです。おそらく一般的には「タトゥー」「皺」「髪の毛」「服」と違うものとしてそれぞれカテゴライズされていると思うんですが、私の中では今挙げた全てのものは身体を構成している要素の一つ一つでしかなく、明確に区別されているわけではありません。皆さんは大抵、施されているタトゥーにどのような意味が込められているのか気になりますよね?そういうことと同じように私は「この人は何故ここに皺ができたんだろう」「この人はどうして猫背になったんだろう」ということに興味があります。顔や身体は、その人の思想や習慣が体の表面に出てきているものなんじゃないかな、と。タトゥーも思想や習慣が色濃くにじみ出るものですよね。タトゥーの場合は「わざわざ出している」という側面もありますが、皺や雰囲気なども、わざわざ出さずともついつい出てしまうことの方が多いんじゃないでしょうか。
美しく、そしてタトゥーの行為自体に目を向けた「1mmタトゥー」
ー1mmタトゥーのコンセプトについて教えて下さい。何故1mmの点を身体に描くことになったのでしょうか。
ふと思い出したんですが、小学生の頃よく1人で西洋美術館に行って、ジョアン・ミロの作品を飽きること無く何度も繰り返し鑑賞していました。1mmタトゥーも同じように「作品として美しいと思ったので続けていた」ということが前提としてあります。次に、タトゥーやピアスのような身体装飾についても規制が強い現代の日本で、男性かつ年功序列の職人の世界であるタトゥー業界に、女性で反社会的なものと無関係の私が、カラフルな1mmタトゥーを多国籍・老若男女の人に入れたらハッピーなんじゃないかな、ということを思いました。
もう一つコンセプトを挙げるならば「タトゥーの行為」に焦点を当ててみようと思ったことでしょうか。「タトゥーを入れる/入れられる」ということに注目するのであれば、できるだけ皮膚に針で傷をつけると同時に顔料をいれていく、という流れをシンプルにしたかった。でも細すぎるタトゥーは色が抜けてしまう。だからといって、星やハートなどの記号は宗教や民族の中で既にそれぞれ異なる決まった意味あるので、その記号自体が持つ意味合いが強くなりすぎてしまい、タトゥーの行為に焦点を当てにくくなる。そういう様々なことを考えた末に、タトゥーとして残るものかつタトゥーの行為からも外れない一番ミニマムな形として、1mmタトゥーに辿り着きました。つまり1mmタトゥーで施される点は、意味を持たない点なのではなく、アート作品を作る上で鑑賞者によって解釈の幅が広がる形にしたいという私の普段からの作風がそのまま反映されています。
ー佐藤さんは「タトゥー行為」というのをどのように捉えていますか?
あまり言語化したこと無いので難しいですが、タトゥーは火傷に近い状態と言われていて、簡単に言ってしまえば傷なんですよね。針などの刃物を使い皮膚に傷をつけてインクを入れるというのが、タトゥーと呼ばれている行為。だから、傷として浅ければ皮膚が治癒したタイミングで顔料も抜けてしまいますし、タトゥーの上に擦り傷や過度な日焼けを負うと、それらが治癒するタイミングで一緒にインクも抜けてしまうことがあります。ほかにも水分量だったり、新陳代謝に左右されたりとかなり流動性は高いです。少しおかしな例えかも知れませんが、削ったり彫ったりすると二度と同じ形には戻らない石や木と、何か手を加えれば凝固したり融解したりする水やガラスなどの中間に、タトゥーというのものはあるような気がしています。
タトゥースタジオ「EANAHOTAS」も作家活動の一部
ー佐藤さんは2020年にタトゥースタジオ「EANAHOTAS」を設立されています。なんと読めばいいんでしょうか?
私も声に出して読んだことがないからわからないんですよ。誰も読めないと思うし、私も読めない(笑)。由来は、名前であるSATOHANAEを反対から並べました。たまに使うペンネームのようなものですね。
ーペンネームのようなものをスタジオ名に据えた理由は?
私にとってタトゥーを彫ることは作家活動の一部なので、スタジオという名前はつけましたが、意味合いとしては「佐藤はなえがやっているもの」という方が近いかも知れません。なので「佐藤はなえが開業したタトゥースタジオとして、タトゥーを施術しよう」と思ったことはありません。なぜかというと、作家の人間性と作品が必ずしも同じかというと、もちろん共通する部分もあるかとは思いますがイコールではないと考えているから。なので「佐藤はなえスタジオ」のように、名前(作家)+スタジオ(作品)を繋げることに多少違和感があったんですよね。
ーどんな人がスタジオには訪れますか?
20代から60代の公務員から経営者、国籍も様々です。傾向としては、人に見せる為というより自分で見る為に入れる人が多いですね。大半が趣味で入れていますが、手術痕や傷のカバーのために絵を入れる人もいます。
ースタジオのコンセプトは「あなたの欲しい絵を身体に」「タトゥー=自己表現」「タトゥーとアートを通じて、人の身体の面白さを満喫してほしい」。それぞれが意味することを具体的に教えて下さい。
「あなたの欲しい絵を身体に」とは、そのままの意味で依頼主が頭の中に描いているテーマやモチーフをできるだけ図像化するためにやりとりを重ねます。「タトゥー=自己表現」とは、自分を表現する要素の一つであるという位置づけです。これはタトゥーに限ったことではなく、表情の作り方、話し方、服装が全て自己表現ですよね。タトゥーも自分が自分らしくいられるのであれば入れればいいけれど、自分らしいと思えなければ入れるもんではないと思います。
「タトゥーとアートを通じて、人の身体の面白さを満喫してほしい」とは、人間として生まれたこと、自分の身体を持って生まれたことを楽しんで欲しいという気持ちで書きました。私は皮膚や体格をはじめとする、人体が持つ素材がもれなく美しいと思っています。ボディペイントとは異なりタトゥーはメラニン層の下に入る為、その顔料は皮膚から透けて見えます。また人体という有限の支持体の中で漂流を続ける顔料は、一緒に人生を楽しんでくれるものになるかもしれない。消したくなったら消せばいいんだと思います。よく高いとか痕が残るとか言われますが、今は技術が進歩しているので消せないわけではありません。
日本国内におけるタトゥーを取り巻くイメージ、そして今後
ータトゥーは世界中で古くから用いられており、日本国内でも和彫やアイヌなど古い歴史があります。しかし、ここ数十年は日本国内でタトゥーに対して良いイメージがありません。現状についてどのように考えていますか?
思想や風習は時代によって変化していくのですが、現代においてはタトゥーに対して良くないイメージが出来上がる時代背景があったので仕方ないです。若い人ほどタトゥーに対する偏見が少ないように思いますが、少子高齢化の日本ではその若者もマイノリティの為、マイノリティの価値観が大衆化するのには時間がかかるのではないでしょうか。 また日本国外でもタトゥーに対して悪いイメージがある国はありますが、こと日本においては特に思想的な背景があると思います。
ー思想的な背景というのは?
私は神社で巫女として数年間勤めていたのですが、手水や禊など身体を水で清めるという儀式があるように、汚れを洗い流すという文化がそれなりに根付いていると思います。みなさんも信仰がそこまでなくても初詣に行きますよね。ここからは憶測でしか無いのですが、そこで「何か汚れみたいなものを洗い流す」という意味で、水では洗い流せないタトゥーの性質に抵抗を感じるところはあるんじゃないでしょうか。水が豊かな日本では、盆石などの文化もあるように、そのまま留めておくというよりは、流れるように生ける方が感覚的に馴染みがあるのかもしれません。
あとは人が他者と対峙する時に顔や髪型、体格や服飾品を見ますよね。初対面の時に1番目に入るところに特徴的な部分があれば、それを咄嗟に解釈しようと思い、認識が複雑になると思います。⺠族の証明として顔にタトゥーを入れる文化はありますが、良い悪いの問題ではなく、言語と同じで情報が増えるということは同じルーツを持たない人にとっては解釈が複雑になるということだと考えています。図や文字が描かれたTシャツを見て読んだり感じたりしてしまうのは無意識ですから、タトゥーを見て何か思う人がいるのは当然ですよね。
ーあくまで 芸術作品としてタトゥーを描いている佐藤さんは今後のタトゥー業界をどう見据えているのでしょうか?
今後タトゥーの手法や道具が発展していき、より面白いタトゥーワークが増えていったら鑑賞者としては楽しいだろうなとは思っています。ただ、重複しますがタトゥーは勧めるものではないと思っています。なぜなら他人の身体の話だからです。スカートを履こうが、ズボンを履こうが他人が口出しする事じゃないのと同じです。タトゥーを入れている人も入れていない人も、それが理由で人間性を判断されるべきではないと思います。一方で先程も言ったように、露出部にタトゥーが入っていると相手がそれを解釈しようと、認識が複雑になるというのも事実です。
これに関してまだ私の知識が浅いので経験に基づいた偏見ですが、日本ではタトゥーは歴史やファッション、カルチャー、そして職人技として語られることが多いと思います。タトゥーをモチーフにした写真集や展示もたまにありますが、アートとして語ったり展示したりする人は少なく、書籍も少ないです。日本では大島托さんやGAKKINさんのように古代から現代を見渡して新たなタトゥー作品を発表されているアーティストは稀で、他の多くは「JAPANESE」と呼ばれる和彫、またはアメリカントラディッショナルなどのタトゥーをメインに制作しているように思います。一方で、和彫りでも現代だからこそ彫れる緻密な作品を作るタトゥーアーティストの方など、新しいアーティストがどんどん増えているのでこれから傾向も変化していくでしょう。一方、留学先やSNSを通して見る国外アーティストのタトゥーワークはもっと表現の幅が広いように感じています。美大出身のタトゥーアーティストも多く、絵を美術史から引用していたり、よりドローイング的な線であったり、身体の動きを生かした作品、行為そのものに焦点を当てた作品、数人の集合で見せる作品だったりその種類は様々。現代において、特に日本では悪いイメージで話題になることが多いタトゥーですが、アートなどの芸術文化として語れる側面もたくさんあるんですよね。
(聞き手:古堅明日香)
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