
Image by: FASHIONSNAP

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セレクトショップ「keg(ケグ)」には、「プロポジション(proposition)」や「シェヴィダレンク(Chez VIDALENC)」など、新しさと古さのあいだを行き交うブランドが揃う。オーナーの渡邉圭介は、「メゾン マルタン マルジェラ(Maison Martin Margiela)」から「メゾン マルジェラ(Maison Margiela)」へと移り変わる時代も含めて、約20年にわたり顧客と向き合い、旗艦店の恵比寿店では10年以上店長を務め上げた。そして2025年に独立し、東京に自身のショップを構えた。
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10代で洋服にのめり込んだが、故郷の小樽にはその面白さを共有できる相手がいなかった。それは、東京でも、会社でも、完全に埋まらなかったという。だが、共有できる人たちと出会えた。その場所は“店頭”だった。マルジェラ時代の接客、サカナクション山口一郎との出会い、資金ゼロからの独立、そしてアポが取れなかったパリでの仕入れ。kegに並ぶ服に囲まれながら、その歩みを聞いた。(文:AFFECUTS)
■渡邉圭介(keg オーナー)
1980年4月2日、北海道生まれ。小樽から上京し、大学卒業後にヨウジヤマモトで販売を経験。2007年、マルタン マルジェラ(現メゾン マルジェラ)に入社。新宿伊勢丹店店長を経て、恵比寿店店長を務める。2025年に独立し、セレクトショップ「keg」をオープン。独自の審美眼で選び抜いたブランドとともに、マルタン マルジェラのヴィンテージも扱う。
洋服の面白さを共有できなかった少年
⎯⎯北海道の小樽市出身。上京された理由は?
きっかけは、やっぱり洋服です。高校が私服だったので、毎日コーディネートを考えるうちに一気にハマりました。アルバイト代はほとんど服に使って、札幌まで買いに行っていました。でも、周りにそこまで服に熱量のある人はいなくて、その熱を共有できる相手がいなかったんです。当時はまだネットもない。雑誌を見るたびに「東京にしかないもの」があるように見えた。だから、表向きは大学進学ですけど、本当は洋服が欲しかったし、洋服の話ができる人に会いたかった。理由はそれだけなんです。

kegオーナー 渡邉圭介
⎯⎯当時はどんな服を着ていましたか?
1990年代後半で、基本的にヴィンテージでした。札幌には当時、古着屋や小さなセレクトショップがいくつかあって、そこをひたすら回っていました。ジャンルは定まっていなくて、ただ感覚で「これはいい」と思ったものを買っていたんです。ヴィンテージ以外の服は、ほとんど記憶にないくらいです。
⎯⎯ヴィンテージからどのようにしてマルジェラに辿り着きましたか?
2000年に入って、ヴィンテージを解体して再構築しているブランドがあると聞いて、それがマルタン マルジェラでした。それ以前は知らなかったです。ヴィンテージを入り口にマルジェラに辿り着いて、そこから一気にのめり込みました。
⎯⎯マルジェラのショップで働くようになった経緯は?
ここまで好きなら、もうマルジェラで働いたほうがいいんじゃないかって、単純に思ったんです。でも、どうやって入るのかが全然わからない。別のブランドで経験を積んで実績を作ってから挑戦しようと考えました。アルバイト情報誌で仕事を探すような時代で、もちろんマルジェラの募集なんか載っていない。一度、直接電話したことがあるんですけど、「募集していません」ときっぱり言われました(笑)。そりゃそうだよな、コネもないし、これは無理だなと思って。
⎯⎯マルジェラへは長き道のりになりそうですね。どんなブランドで修行されたんですか?
「ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)」です。正直に言うと、当時ヨウジが一番好きだったわけではないんです。ただ、新宿伊勢丹のメンズ館がすごく勢いのある時期で、メンズファッションの象徴みたいな場所だったのですが、その中で「自分が働くならここだ」と思えたのがヨウジだったんです。ちょうど求人も出ていたので電話をかけ、面接を受けて採用してもらいました。
⎯⎯ヨウジヤマモトにはどのくらい在籍を?
2年ほどです。一緒に働いていた先輩がマルジェラに入社したんですが、それがめちゃくちゃ羨ましくて(笑)。先輩は僕が無類のマルジェラ好きだと知っていたので、入社して半年くらい経った時に募集していることを教えてくれたんです。それで「面接だけでも受けさせてください」とお願いしました。結果的に採用してもらい、2007年に入社しました。
⎯⎯ちなみに、初めて買ったマルジェラの服は覚えていますか?
エルボーパッチのVネックだったと思います。
⎯⎯念願のマルジェラを手にしたときの感覚は?
正直、すぐには着られなかったです。着てみても、ちょっと擦れただけで「やばい」と思ってしまって(笑)。宝物を着るような感覚ですよね。飾っておくほどではないんですけど、部屋にあるだけでモチベーションが上がるというか。そこにあるのを見るだけでテンションが上がる存在でした。

⎯⎯「マルジェラ フリーク」は独自の存在感を放っていますが、店舗時代に印象に残っているお客さまはいらっしゃいますか?
印象に残っている方は数えきれないくらいたくさんいます。それでも、やっぱり一郎くん(サカナクション 山口一郎)はひとりのお客さんとして印象深いです。もちろん皆さん大好きですし、お世話になっていますけど、特別な出会いの一人だと思います。
⎯⎯山口さんと出会ったきっかけは?
地元で知り合ったわけじゃなくて、東京での出会いでした。「北海道出身のサカナクションというバンドがいるらしい」とは噂で聞いていて、ボーカルの方が小樽出身で同じ年だと知ってから勝手に調べてみたんです。ある朝の情報番組でマルジェラのニットを着ていたのを見て、「もしかしたら店に来るかも」と思ったんです。
その当時、僕は新宿伊勢丹の店舗の店長で、妻が恵比寿店の店長をしていました。もしサカナクションの方が来たら、小樽出身で同い年の店長がいることを伝えてほしいとお願いしました。そうしたら、3日後くらいに恵比寿店に来たんですよ。たまたま、偶然に。妻がその話を伝えてくれて、本当に伊勢丹に遊びに来てくれたのが最初でした。
⎯⎯渡邉さんは長く店頭を経験されていますが、当時の接客と現在の接客に違いはありますか?
あまり変わってないですね。当時も今も。マルジェラ時代には、学生もいれば、大社長もいるし、サラリーマンの方いて、本当にいろんな方がお客さんでした。あの頃の皆さんに共通していたのは、本当に服が好きだったこと。だからこそ、その人の好みとか、好きそうなテイストが、雰囲気からだいたい分かるんですよ。それを感じ取って「これ、好きですよね?」って出すと、「あ、本当だ。めちゃくちゃ可愛い」と言ってくれる。その瞬間が、僕はすごく嬉しいんです。
正直、売ろうという感覚はあまりなくて。経営者としては売上を作らないといけないんですけど、自分がやりたいのはそこじゃない。「これ良くないですか?」と言い、「いいですね」と返ってくる。それで十分というか。結果的に買っていただけたらもちろん嬉しいですけど、楽しいのはお客さんと「『良い』が分かちあえた」瞬間。その感覚を共有できることが一番面白いかもしれません。kegでもそこは変わってないです。
ロゴが前面に出た時代と、居場所を失った洋服オタク
⎯⎯渡邉さんが実際に見て、衝撃を受けたマルジェラの服ってなんでしたか?
1998年春夏コレクションで、「コム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)」と共同でショーを開催したシーズンの服です。「フラットガーメント」と呼ばれるコレクションで、服が平面で構成されています。最初に見た時、本当に鳥肌が立ちました。立体の服なのに、人が着ていない時は全くの平面。この服はもう完全にミュージアムピースだと思っています。


Maison Martin Margiela 1998年春夏「フラットガーメント」
⎯⎯現在ファッション業界は目まぐるしく変化しています。ご自身はどんな距離感で楽しんでいますか?
これが合っているかどうかはわからないんですけど、僕がマルジェラにいた中で、「あ、ちょっと流れ変わったな」と感じたタイミングがあったんです。コロナ前くらいですね。いわゆる「ロゴ、ドン」って言われるような、ロゴが大きく入っているものが正義、という空気が強くなった時期があったじゃないですか。たとえば、マルジェラも「Maison Margiela」のロゴが入ったTシャツが人気だったり。
その時に、いわゆる洋服オタク的な視点を持つ人の居場所が、ちょっと狭くなった感覚がありました。もちろん僕もミーハーなので、流行っているものは好きです。みんながオーバーサイズを着ていたら僕も着たいし、タイトなパンツが流行れば穿きたくなる。そこは別に特別じゃなくて、普通に皆さんと同じなんです。
⎯⎯でも、その時期に違和感があった?
あのころは服の背景や作りよりも、「分かりやすいかどうか」「一目で伝わるかどうか」が優先される感じが強くて。物語や構造より、ロゴやアイコン性が中心になっていた。2010年代後半から、コロナ前後にかけて、そんな流れが続いていた印象です。
ただ、ここ1年くらいで、また少し潮目が変わってきた気がします。ロゴの波が一段落して、もう一度、服そのものの作りや背景、物語に目が向き始めている。そんな空気を感じています。独立する時にそこまで戦略的に考えていたわけではないんですけど、自分がやろうとしていることは、これからの流れには合っているんじゃないかな、という感覚はありました。だから「勝ち目はあるかもしれない」と思えた部分もあります。
⎯⎯独立を意識し始めたのは、いつからですか?
腹を決めたのは1年前です。独立自体は、いつかはするだろうなとは思っていました。たぶん驚かれると思うんですけど、資金も貯金もゼロでした。当時の立場的にも、給料は悪くなかったと思いますが、全部服に使ってきたので。20年近く、ほぼ貯金はしていないんですよね。だからこそ提案するものに説得力があるかな、とも思っていますけど(笑)。
正直、周りから見たら疑問だった思います。貯金ゼロで独立なんて、普通は無理ですよね。でも、2020年代に入って、年齢も40に近づいてきて。会社から求められる役割も、少しずつ変わっていきました。接客そのものというより、顧客づくりの仕組みだったり、販売の教育だったり、マネジメントの比重が大きくなっていって。

⎯⎯新しい役割を経験されてどうでしたか?
頑張ってトライはしてみたんです。でも、正直まったく分からなかった。洋服が好きなスタッフには、いくらでも話せるんですよ。「今シーズン、これが売れてるらしいよ」とか、「絶対こっち欲しいよね」とか。そういう話ならいくらでもできる。でも、それはマネジメントとはちょっと違う。ブランドが大きくなるにつれて、洋服にそこまで興味がない子たちも増えていきました。その子たちにどう接すればいいのか、本当に分からなかった。もっと顧客を大切にとか、服の知識くらいしか教えてあげられなくて。
辞める前の3~4年は、ほとんど記憶がないんです。10年前のことは鮮明に覚えているのに、直近の数年は思い出せない。たぶん心を家に置いたまま出勤していたんだと思います。そんな状態が続いている中で、2025年に会社から今後の方向性や役割を言われた時、まったくピンとこなかった。その瞬間に、自分が一番やりたいのは、やっぱり店頭で服を見て、お客様と共有することだとわかった。そこがはっきりしたタイミングで、「辞めよう。今しかない」と思いました。
⎯⎯他のブランドに転職という考えは?
なかったです。最初から、いつかは独立するつもりだったので、もういいやと思ったんです。お金はなくても、自分の中には20年分のブランドの知識が積み上がっている。取り扱うならこのブランド、こっちのブランドは秋冬が強い、このブランドは今は無理でも次は声をかけられる。そういうことは全部、頭の中に入っていた。資金はゼロでも、やりたいことはパンパンに詰まっていた。それだけでした。
貯金はゼロ、パリに突撃、そして最初の30着を買い付け
⎯⎯最終的に、資金はどうされたんですか?
資金は日本政策金融公庫からの融資です。マルジェラに20年勤めて、そのうち14年ほどは店長を務めた経歴があったので、そこをちゃんと話して面接しました。借りられたのは、もう本当にギリギリの金額。そのお金を握りしめて、すぐパリに行ったんです。完全に勢いですね。扱いたいと思っていたブランドに、片っ端から「取引させてください」とメールしました。
⎯⎯どんな反応が返ってきましたか?
ほぼ全部断られました。まだ店も始まっていないし、どこの誰かも分からない日本人ですから。そりゃ無理ですよね(笑)。ただ、既にパリ行きのチケットだけは取っていたので、行くしかない。アポイントもほとんど取れていない状態で、とりあえず現地に行きました。そこで何をしたかというと、もう突撃です。

⎯⎯どんなコンタクトをされたんですか?
直接ブランドのアトリエに行って、インターホンを押して「ハロー」って。ほとんど一人でやっているような小さなブランドばかりだったので、デザイナー本人が出てくるんですけど、第一声は大体「お前、誰だ?」でした。「メールした俺だよ」と伝えたら、「ああ、お前か」みたいな感じで、「まあ入れよ」という流れに。メールだと断られるんですけど、会うと意外とフレンドリーで、お茶も出してくれて。片言の英語で話して、最終的には無理だと断られるんですけど、「君が嫌いなんじゃない。ただ、キャパがない。全部一人でやってるから、これ以上オーダーを受けても作れない」と言われました。普通なら帰るんですけど、僕は帰らなかったんですよね。
⎯⎯かなり粘ったんですね(笑)
普通なら帰ると思います(笑)。正直、半分くらい何を言ってるか分からなかったからこそ、嫌な情報は聞き流して、拾える言葉だけ拾って「OK、サンキュー」と返していました。それを3時間くらい続けていたら、さすがに向こうも「こいつ帰らないな」と悟ったんでしょうね(笑)。最後に、「分かった。30着だけなら作ってやる」と了承してくれたんだす。それが「シェヴィダレンク」でした。
⎯⎯ひとまず買い付けを決めて、今度は本当に帰られたんですね。
いえ、帰りませんでした。オープンに向けて秋冬分はオーダーできたんですけど、春夏向けの商品がなかったので、さらにお願いしてみたんです。「アトリエにある在庫を少し譲ってもらえないか」と。
デザイナーのフィリップ・ヴィダレンク(Philippe Vidalenc)は、「オーマイガー、オーマイガー……」と何度も言ってたのを覚えています。「お前なんなんだ」みたいな顔で(笑)。普通なら締め出されてもおかしくなかったと思います。でも、最終的にフィリップは地下のアトリエに案内してくれました。アーカイヴやサンプルが山のようにあって、素晴らしいものも多かった。そこでピックアップしたアイテムが、kegのオープン時に並んでいた服です。

⎯⎯ヴィンテージウェアとは別に、近年は各ブランドのアーカイヴも注目され、価格も高騰しています。そうした市場の盛り上がりは、仕入れや判断基準に影響していますか?
いわゆるデザイナーズのアーカイヴで言うと、正直、僕がやりたいのはマルジェラだけです。これからも扱うとしたら、マルジェラのヴィンテージだけだと思います。ただ、価格は本当に上がりました。10年、15年前とはまったく違う。時間が経って本当に古くなったというのもありますけど、それ以上に、情報の回り方が全然違う。SNSもあるし、欲しい人にすぐ届く。欲しい人が増えれば、値段も上がる。それは自然な流れかなと思っています。
⎯⎯kegのマルジェラのアーカイヴ品の仕入れはどうやっているんでしょうか?
うちで扱っているのは、昔マルタン マルジェラ時代からブランドに関わっていた方たちの私物なんです。年齢や生活の変化で手放してしまうけど、どこでもいいわけじゃない。簡単に市場に出すのは違う、と感じている人たちです。購入される方は僕の顧客だったりもするので、どんな人が持っていたものかも分かっているし、買う側も本当に好きな人たちばかり。だから、ヨーロッパで買い付けたり、フリマサイトを回ったりは一切せず、「マルジェラのOB・OG」と言える人たちから回ってくるのを、口を開けて待っているような感じです(笑)。
⎯⎯OB・OGの皆さんが、なぜkegにマルジェラのヴィンテージを持ってくると思いますか?
ちゃんと大事にしてくれる人に渡したいんだと思います。フリマサイトで高く売れたとしても、結局また転売されるかもしれないし、その服がどこに行ったのか分からなくなる。それが嫌だという人が結構多いんです。長く着てきた思い出のある服だからこそ、「本当に好きな人に着てほしい」と思っている。だから、うちに持ってきてくれるんだと思います。
「売れなかったらどうする」と一緒に生きる
⎯⎯「keg」という店名は、山口一郎さんのアイデアなんですよね。
そうです。独立を決めて、まず悩んだのが店の名前でした。僕はすぐカッコつけちゃうタイプで、フランス語で「ル・なんとか」みたいなのしか思いつかなかった。でも、自分のお店をカッコつけた名前にしたくなかった。妻にも頼んだんですけどお店の名前なんて「重責すぎる」と断られてしまいました(笑)。子どもの名前つけてと頼まれるようなものですよね。そりゃ頼まれても困るよな、と。
⎯⎯そのタイミングで山口さんが?
ずっと悩んでいた時に、たまたま一郎くんが遊びに来てくれて、軽く相談したら「いいよ、決めてあげる」って。30秒くらいスマホで検索して、「kegがいいんじゃない?」と言ったんです。小樽出身だから、まず「樽」と検索したらしいんですよ。そうしたら“keg”が出てきた。小さい樽という意味らしくて。「俺ら小樽だし、kegでいいじゃん」って。正直、そんな簡単に決まると思ってなかった。でも、その瞬間すごくしっくりきて、結局、30秒で名前は決まりました(笑)。

⎯⎯仕入れた服が売れないかもしれない、という不安を感じることは?
ずっとあります。オープン前、最初の仕入れでパリに行って、まったく計画もないまま、勢いで商品を集めて帰ってきました。だけど、日本に戻って「ちょっと待って、これ誰が買うの?」とふと我に返りました。店頭に並ぶ予定だったのは、それが「味」ではありますが、ボロボロだったり、強烈な加工が入った服ばかり。冷静になって、何日も眠れない夜がありました。
でも6月にオープンしてみたら、顧客の反応がすごく良かった。それで一度は安心しました。とはいえ、「売れなかったらどうしよう」という不安は、今も常にあります。ご飯を食べている時も、夢の中でも、ゲームしている時も、ずっと頭のななめ後ろあたりにある。恐怖心との戦いです。
⎯⎯その不安を超えて服を仕入れようと決める時、最後の後押しになるものは何ですか?
不思議なことに、目の前に洋服があるとその不安は吹き飛ぶんですよ。「これ可愛い」「これ絶対いい」と思って、「あ、これ〇〇さん好きだよな」「あの人のサイズがXSだから、1点は入れとこう」と、もう完全にそっちのモードに入る。仕入れる時に、顧客の方が思い浮かぶので、その時は売れなかったらどうしようという気持ちは消えてます。でも終わって一人になると、また我に返るんです。「あれ? XSいる?」みたいに。その繰り返しです。

⎯⎯kegにはファッション業界の方も来られますか?
代理店の方がよく遊びに来てくれるんですけど、皆さん口を揃えて「応援してます。頑張ってください」と言うんです。最初はなんで応援してくれるのか不思議でしたが、聞いてみると、「こういうショップがないと困るんですよ」と言われて。
⎯⎯どういう意味なんでしょうか?
こういうマニアックな海外ブランドを仕入れるのは、リスクが高すぎるらしいんです。大手だとなかなかやりたがらない。でも、うちが扱っているのは「誰が知ってるの?」という海外ブランドばかり。その時に気づいたんですよ。僕が揃えたブランドは、トレンドを先取りしてるから他に無いんだって思っていたところもあったんですけど、それは違った。単純に、リスクが高いから誰もやらないだけなんだって。むしろそれに気づいて、今はちょっと焦ってます(笑)。
⎯⎯では今後、メジャーなブランドを入れる考えはありますか?
準備中で、取り扱いが決まっている比較的メジャーなブランドはありますし、その中には日本のブランドもあります。僕はメジャーなブランドが嫌いなわけではないんです。人気があって、僕自身も好きなブランドはたくさんあります。今はちょっとオタクすぎて、正直入りづらい店かもしれないですけど、これからラインナップはちょっと変わっていくと思います。でも、顧客に新ブランドのことを教えると「渡邉さん、そのブランドも全然マニアックですよ」と言われてしまって。僕からすると十分にメジャーなブランドなんですが(笑)。

⎯⎯10年後、kegはどんな店と言われていたいですか?
ちょっと矛盾してるかもしれないですけど、「こんなのどこにも売ってないでしょ」と言われたいです。最初は「これ何?」と思っても、着てみたら「めっちゃいいじゃん」となるような。その流れが10年後も続いていたら最高です。
「着てみていい?」「やばい、これ買うわ」そんな反応が僕の生きがいなんです。小樽にいたころは、そういう会話ができる友達がいなかった。だから東京に来たらいるだろうと思ったし、ヨウジならいるだろうと思った。でもいなかった。マルジェラなら絶対いるだろうと思ったんです。あれだけいい洋服を扱っているんだから、スタッフの中に超洋服オタクでセンスのいい人がいるはずだって。でも、結果いなかった。
⎯⎯どこにいましたか?
店頭です。お客さまだったんです。今でも「この人、カッコいい」と思うのは、やっぱりお客さまなんですよ。ようやく見つけた「共有できる相手」が顧客だった。だから結局、やりたいことはシンプルで。「これ良くないですか?」「めっちゃいい」を繰り返したいだけなんです。10年後も、お互い年を取りながら、そういう会話を続けていけたらと思っています。
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