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「キミノリ モリシタ」森下公則 6年の沈黙を破り、“時間を刻む服づくり”が再び動き出す

森下公則のポートレート

Image by: FASHIONSNAP

森下公則のポートレート

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「キミノリ モリシタ」森下公則 6年の沈黙を破り、“時間を刻む服づくり”が再び動き出す

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 数十年来のファッション好きなら、「キミノリ モリシタ(kiminori morishita)」という名を耳にしたことがあるだろう。2003年にデザイナー 森下公則が立ち上げた同ブランドは、テーラリングを軸に、素材に幾層もの加工を施し、“時間の痕跡”を纏わせた服づくりで知られる。新しく仕立てられた服でありながら、着古したような深みと静けさを宿すジャケットやモッズコート。その独自の風合いは、「経年変化する美」を先取りしていたと言える。

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 発表の場を東京からパリへと広げ、世界的な評価も獲得したが、2019年を最後に活動を休止。森下はその後、「08サーカス(08sircus)」で制作を続けつつも、自身の名を冠したブランドは眠らせたままだった。しかし2025年秋冬、6年ぶりに「キミノリ モリシタ」は再び動き出す。なぜ今なのか。休止の背景、そして再始動への思いを森下に訊いた。(聞き手:AFFECTUS)

■森下公則
広島県出身。アパレルメーカーでチーフデザイナーとして数々のブランドを手掛けた後、2003年に自身のブランド「キミノリ モリシタ(kiminori morishita)」をスタート。東京とパリでコレクションを発表し、展開は世界約20ヶ国、70店舗に及んだ。2009年に独立し、kiminori morishita garments lab inc.を設立。2010年春夏より「08サーカス(08sircus)」を立ち上げる。「キミノリ モリシタ」は休止を経て2016年から2019年まで活動し、再び休止するが、2025年秋冬コレクションより再始動。素材に加工を重層的に施し、時間を刻むように服づくりを行う。

「kiminori morishita」2025年秋冬コレクションのルック
「kiminori morishita」2025年秋冬コレクションのルック

「kiminori morishita」2025年秋冬コレクション Image by: kiminori morishita

再始動までの道のり、休止と「違和感

── まず、「キミノリ モリシタ」というブランドの経緯について教えてください。

 「キミノリ モリシタ」は、前職時代に立ち上げた後、独立してから一度10年ほど休止しました。その後2016年から2019年まで再び活動を再開し、メンズ中心だった当初とは異なり、ジェンダーレスに近い形でスカートなどウィメンズのアイテムも取り入れ、テーマを固定せず、その時々の気分で前衛的なイメージの制作を続けていました。

インタビューに答える森下公則

「キミノリ モリシタ」デザイナー 森下公則

── 2019年を最後に再び休止されたのは、どのような理由があったのでしょうか?

 一番大きかったのは、時代の流れに対する「違和感」と、そこにコロナが直撃したことです。当初はショールームに入り、その後は小さなギャラリーを借りて発表を続けていましたが、海外ショップの衰退や新しいムーブメントの出現など、市場の潮目が変わってきているのを感じていました。展示会場に立っていても「何かが違う」と違和感が拭えず、ちょうど活動を見直そうとしていた矢先にパンデミックが始まり、続けられなくなった。結果的にフェードアウトする形で休止に至りました。

── 潮目の変化とは、ファッション的なスタイルの話でしょうか?

 いえ、スタイルというよりも、海外の卸先の状況が大きかったですね。オーナーが息子世代に代わったり、若い人たちの意見が入ってきたり、トレンドが変化したり。そうした意味での大きな流れの変化を感じていました。これといった一つの理由ではなく、景気も良くなく、社会全体に勢いがなくなってきていた。とはいえファッションには常に良いブランドがあって、そのころなら「サカイ(sacai)」の阿部千登勢さんが圧倒的に存在感を示していました。そうした新しい動きも確かにあったと思います。

── 今回、再始動を決断した際に背中を押したものは?

 一番の理由は、「今やらなければもうできなくなる」という思いでした。僕は61歳で、来年には62歳になります。自分の服づくりは現場に足を運んで初めて成立するもので、工場と直接やり取りを重ねる必要がある。誰かに任せて済むものではなく、体力的にも大きな負担がかかる。残された時間を考えた時に「今」しかなかった。

 その上で、かつて「キミノリ モリシタ」で展開していた服づくり、二次加工や三次加工を施し、メンズを主力にしていたスタイルを思い返しました。今の若い世代はおそらくそうしたテイストを見たことがないだろうし、しかもトレンドの気配としても、再びそうした要素が求められているのではないかと感じたんです。よそのブランドや服を眺めていると、「ああ、こういうテイストだったらもっと面白いことができるのに」と思うことが増えていき、ふつふつと創作意欲が出てきたんです。

kiminori morishita 08sircusのロゴ

 そして、「過去に培ってきたキャリアや技術を、変化したセールス環境や新しいスタッフとの関わりの中で、もう一度今の時代に合う形で表現できるのではないか」と考えるようになりました。総合的に見て「もう一度やってみよう」と思い至ったことが、再始動のきっかけです。

加工が生む時間の痕跡──素材・色・技術

── 今回の再始動コレクションは、2003年から2006年までのアーカイヴをベースにされたとのことですが、数あるコレクションの中でその時期を選ばれた理由とは?

 結局、自分が作りたいテイストや内容を突き詰めていくと、その時期に行き着きました。キャリアの中で一番充実していて、そして世の中に存在しないテイストだった。完成度に自分自身が納得していたのが、ちょうどその時代の服でした。今振り返っても「よく作ったな」と思えるものが多い(笑)。あのころのエネルギーがないとできないものもありますし、技術的にも今はできなくなっているものもある。そういう意味で、あの時代の服が一番だと思っています。

ラックにかかったアーカイヴの服

── 昔はできたけれど今は難しくなった素材や技術とは?

 ほとんどできなくなっています。工場が廃業したり、薬品や染料など二次加工に必要な原材料も、排水規制の影響で法的に使用できなくなり、メーカー自体が製造をやめてしまったり。そういうケースがかなりあります。職人さんも引退されてしまいましたし、生地屋や機屋も後継ぎがいなくて廃業してしまった。織機も、直せる職人がいないために動かなくなって、その結果「織れない」という事態も出てきています。この20年ほどで、本当にできないことだらけになりました。

── その状況で制作された2025年秋冬コレクションでは、ウール55%・コットン45%を使用した生地が、ドライな質感があると同時に滑らかさも感じられる、不思議な感触でした。

 これは、アーカイヴのPコートに使っていたメルトン生地がベースになっています。2003年秋冬シーズンの東京ファッションウィークの時に発表したものですね。この生地は、ベージュの生地の上からグレーを全面にプリントし、それをシェービングでこすって落とすと地の色が出る仕組みです。Gジャンと同じように、その人の体型や行動パターン、雨に濡れることなどによって色が褪せて、着る人の時間の経過とともに唯一無二の一着になっていきます。

 今回は、その手法をウールの生地で再現しました。ベースは平織りの生地ですが、綾織りに比べるとテンションが出にくく、やや風合いが硬い。その素材に顔料を全面プリントしてさらに硬さを加え、けれどもウールが入っていることで、しなやかさも生まれる。だから見た目にも手触りにも美しさがあります。

コートを触りながら説明する森下さんの手元

── ミリタリーパンツやフード付きアウターの色が、カーキとも土色とも呼べる独特の色味でした。どのような試行錯誤で、この色にたどり着いたのでしょうか?

 あるデザイナーとの出会いがきっかけです。彼は友人でもあるのですが、とてもマニアックな人で。インドネシアやタイ、メキシコなどを旅したときも、空港にネイティブアメリカンの仲間が馬で迎えにきてくれたりするような人でした。当時の僕は会社員だったので、自由に飛び回ることができなかったのですが、友人は独立して自由にものづくりをしていた。その姿が羨ましくて、よく彼の店に通っていたんです。

 彼が作っていた製品染めの服を見て「何をすればこんな色が出せるのか」と感動しました。それで根掘り葉掘り聞いてみたのですが、教えてくれない(笑)。でも通い続けるうちに、少しずつヒントをくれて。そのヒントをもとに染め屋さんと試行錯誤を重ね、だんだん形になっていきました。

── このカーキが生まれた背景には、時代の価値観や変化も関係していましたか?

 2000年代前半は、日本のオリジナリティや技術が見直され、海外でも「侘び・寂び」といった美意識に注目が集まり始めた時代です。僕自身も、備前焼や萩焼のような焼き物に見られる、朽ちたような風合いとファッションを重ね合わせていました。たとえば、ヨーロッパは製品染めにしても色が綺麗なので、もともとは綺麗なカーキなんですよね。でも、僕はもっと土臭く、いわば“腐ったカーキ”と呼べる色合いに挑戦したかった。このニュアンスのカーキは他にはなく、自分のオリジナルカラーになり得ると思いました。実際にヨーロッパの展示会でも「美しい」と高く評価されました。

── 独特な色味は、具体的にはどんな手法で実現したのですか?

 染色方法は、まずベージュに染めてから黒を重ね染めし、黒の残し具合によってくすんだ風合いを出すというものです。配合を変えながら何度も試しました。今回も岡山の工場にお願いしましたが、当時の職人さんはすでに全員退職されていました。正直「もう再現できないかもしれない」と焦りましたが、幸い当時のレシピが詳細に残っていたんです。薬品や染料の配合率、水の量までデータ化されていて。

── すごいですね。まさに時間を超えて蘇った色です。

 そのレシピが残っていなければ、ここまで同じ色にはできなかったかもしれないですし、できたとしても完成までもっと大変な思いをしたはず。

カーキのパンツを手に取った森下さんの手元

メンズウェアの基盤から派生したアイコンアイテム

── 今回のアイテムには、本格的なミリタリーとミニマルなミリタリーが共存しているように感じました。ミリタリーウェアから発想する際、最も意識していることは何でしょうか?

 実は、ミリタリーを特別に意識しているわけではないんです。僕はメンズ出身で、スーツのパターンを徹底的に学びました。男の服は制服的な要素を持つものが多いですよね。制服と呼ばれるアイテムの源流はジャケットにあると思っています。どういうポケットを付けるか、どんなシチュエーションに応じて形が変化するか。その積み重ねが服を進化させてきた。だから僕の場合、ミリタリーそのものというより、ジャケットを起点に派生してきた“男の服”が一番腑に落ちるんです。

 若いころはポケットをいくつも付けたりと、無理をしたデザインに挑戦しました。でも年齢を重ねた今は「そこまでしなくてもいい」と思えるようになった。自分が考え抜いて作った生地や加工をきちんと見てもらうには、余計なディテールを削ぎ落とした方が伝わりやすい。今回は必要最小限の表現にとどめました。

「kiminori morishita」2025年秋冬コレクション
「kiminori morishita」2025年秋冬コレクション

「kiminori morishita」2025年秋冬コレクション Image by: kiminori morishita

── これまで、大きな刺激を受けたメンズブランドはありましたか?

 「シーピー カンパニー(C.P. COMPANY)」ですね。イタリアのブランドで、当時はマッシモ・オスティ(Massimo Osti)さんがいて、まさに神様のような存在でした。彼がクラシックカーのレースに出て、その時にブルゾンやウェアを着ている姿を収めた写真が、新聞のような大判の紙に載っていたんです。とても粗末な紙なのに、そこに写る服がとにかくカッコよくて。特にステッチワークがものすごかった。

 イタリアの服は運針が細かく、破れにくく、ほつれにくい。0.5mmや0.7mmのコバステッチ、ダブルステッチや3mmステッチなど、徹底的にこだわった縫製で本当に美しいんです。マッシモ・オスティさんが体現していた「カジュアルだけど美しい」という世界観を、初めて目の当たりにした瞬間でした。

── 今回のコレクションで、最も象徴的なアイテムを一つ挙げるとすれば何でしょうか?

 モッズコートです。先ほどお話しした、製品染めで仕上げたカーキ色のものが特に気に入っています。もともとファー付きのモッズコートが好きで、昔はよく作っていました。外はハードで中は暖かく、Tシャツ一枚の上から羽織れる。そんな着方が好きなんです。

 以前はレッキスラビットを裏地に使っていましたが、今回は羊毛を使っています。食用の後に残る素材なので、今の時代に取り入れるには比較的適していると思って。レザーのフード、コヨーテのトリミング、シェービング加工、全てを同色に見えるよう一着まるごと同じ色で染めていて、製品染めやファスナーの仕様に至るまで、細部までこだわり抜きました。この一着には、今回自分がやりたかったことのすべてが凝縮されています。

ラックにかかったモッズコート
「kiminori morishita」2025年秋冬コレクションのルック

── 環境への配慮と従来からのこだわりが両立したアイテムですね。再始動に合わせて東京と大阪で開催したポップアップでは、来場者からのどんな声が印象に残っていますか?

 僕が会場にいると相手も緊張してしまうのか、あまり話しかけてくれませんでした(笑)。それでも会話をしていると、試着したり生地に触れたりしているときのお客さんの目が、キラキラ輝く瞬間があるんです。「あ、この人は本当に好きなんだな」と感じる。その表情や目の輝きを間近で見られたことは、言葉以上に伝わってくるものがありましたね。音楽でも何でも、心が高揚する時って分かるじゃないですか。まさにあの感覚でした。もちろん、昔から知っていたお客さんからは「復活してくれて嬉しい」と声をかけてもらったり、「今後どんな服をつくるんですか?」といった期待や興味を込めた質問ももらいました。

「とにかくモノを見てほしい」

── ブランドを休止されていた間、「ストリート」や「ジェンダーレス」といった大きな潮流が生まれました。それらをどう見ていましたか?

 「今の若者はこうなんだな」という感覚で、時代の流れとして受け止めていました。よく考えてみると僕が20代半ばのころ、ジョン・ムーア(John Moore)というデザイナーが手掛けた、先が丸くてコッペパンのような「おでこ靴」が初めて世に出てきて、自分にとってはすごくカッコよかったんです。当時、1980年代のスーツに合わせて会社の企画会議で推したら、社長から怒られたんですが(笑)。

談笑する森下さん

 今の若者が大きな靴を履くのもきっと同じでしょう。自分たちが若かったころも、上の世代から見れば理解できないことを面白がっていました。どの時代にも、その世代が夢中になるスタイルがある。僕もかつてそうだったし、それでいいと思っています。

── 一方で、現在の若い世代のファッション全体にどんな変化を感じますか?

 おしゃれに強い関心を持ち、覚悟をもって服を買う若者の絶対数が減ったように感じます。昔の日本は特殊で、地下鉄で「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」や「エルメス(HERMÈS)」を持ち、何十万円もする服を買ってカップラーメンを食べる若者がいた。海外では考えられないことです。でも、それが日本の面白さでした。

 絶対数が多い時代には、トレンドに左右される人もいれば、自分だけのスタイルを貫く人もいて、どこで調べてきたのか分からないけれど独特の格好をしている人もいた。いろんな流派が存在していたんです。今はそうした多様さも薄れ、全体としておとなしくなったな、と感じています。

── そうした変化を経て、ご自身の服づくりでこれから意識していきたいことを教えてください。

 僕が作るべきなのは、ワンシーズンで終わってしまう服ではなく、何年も着続けられる服です。コレクションという形をとる以上「春夏」「秋冬」とシーズン名をつけなければいけませんが、本音を言えばあまり意味がない。僕はシーズンではなく「何年に作った服か」が分かれば十分だと思っています。商売なのでバイヤーが来やすい時期に合わせて発表はしますが、過去の服とコーディネートできることを前提に、長く着られる服を作りたい。

── シーズンごとに、大きくデザインを変えるようなことは考えていないですか?

 長く着てほしいと思っている以上、ガラッと変えることはできません。ただ、デザイナーとしては難しいところで、業界は新しいトレンドを生み出す役割を求めてくる。それを否定しつつ「長く着てください」と言うのは矛盾しています。そこのバランスをどうとるかが、これからの自分の課題だと思います。

── 新しさを生み出す時のきっかけや考え方について伺いたいです。

 「新しい」という言葉の定義は人それぞれですが、自分にとっては常にアップデートすることだと思っています。型紙もシルエットも、その都度少しずつ違う。細かい部分を「ここをもっと良くしたい」「ここを大きく、または小さくしたい」と調整しながら、時代の雰囲気を感じ取り、それを将来に向けて形にしていく。だから、特定の大きな発想転換で「これが新しさだ」というよりも、小さな改善や自問自答の積み重ねによって、結果的に新しい服が生まれていくんだと思います。

窓辺

── 先日TOKYO FASHION AWARD」を受賞されましたが、このタイミングで応募された背景や、受賞への思いを教えてください。

 正直に言うと、「なんで自分が受賞しちゃったんだろう」という気持ちもありました。もっと若い世代で、これから初めてパリに挑戦したい人たちがいる中で、経験者である自分がその枠を取ってしまった罪悪感もあります。

 ただ、国内だけで活動するのは厳しい面もありますし、高額な服を求める目の肥えたお客さんは海外にも多い。必然的にパリには出たいと思っていました。これまでは自分の資金とコネクションで海外に出てきましたが、こうした公的な制度を利用するのは初めてです。違うチャンネルからアタックして、「あ、また『キミノリ モリシタ』が出てきたんだ」と認識してもらえたらいい。本当に新人のような気持ちで応募しました。

── 休止前はショーでの発表もされていましたが、今後の発表形態についてはどのように考えていますか?

 フィジカルのショーは想定していません。というのも、自分の服は細部までこだわっているので、ショーのような形式ではその良さが伝わりにくいのではないかと。むしろ実際に手に取って、袖を通してもらった方が違いを実感してもらえる。ファッションショーの華やかさや迫力はもちろん魅力的ですが、もうそういう時代ではない気がしています。自分としては、とにかく「モノ」を見てほしいです。

── 現在の日本では、後継者不足などによって失われつつある技術がある一方で、それでも受け継がれていく技術もあります。

 今はAIが台頭してきていて、デザインの分野でもAIが主役になる時代が来ると思います。実際、デザインはAIに任せて、自分はチェックだけをするというデザイナーもいます。でも僕はそうなりたくない。やっぱり生身の人間として、現場に入って、自分が一番いいと思えるものをコツコツと作っていきたい。それが自分にとって大切な姿勢です。

── 休止から長い歳月を経ての再始動。再会を喜ぶ人もいれば、今回初めて触れる人も多いと思います。「キミノリ モリシタ」のどこを一番見てもらいたいですか?

 まずは実際に着てほしいです。着てもらえば、必ず何か違いを感じてもらえるはず。今回のポップアップでも、ファーライナーの服を試着した若いお客さんが「なんだ、このヌルヌルした着心地!?」と驚いていました。一度着たらやみつきになる。そういう体験を通して、こだわりを感じてもらいたいです。

インタビューを受ける森下さん

photography : Katsutoshi Morimoto(FASHIONSNAP)

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AFFECTUS

AFFECTUS

2016年より新井茂晃が「ファッションを読む」をコンセプトにスタート。ウェブサイト「アフェクトゥス(AFFECTUS)」を中心に、モードファッションをテーマにした文章を発表する。複数のメディアでデザイナーへのインタビューや記事を執筆し、ファッションブランドのコンテンツ、カナダ・モントリオールのオンラインセレクトストア「エッセンス(SSENSE)」の日本語コンテンツなど、様々なコピーライティングも行う。“affectus”とはラテン語で「感情」を意味する。

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