日本国内の機屋(はたや)との協力で開発したオリジナル素材を、立体裁断によって浮遊感と力強さにあふれる服へと仕立てる「ノノット(nonnotte)」。デザイナーの杉原淳史は卸先ショップの店頭に自ら趣いて接客も行い、着実にブランドのファンを獲得している。ノノットは展示会開催時期に、最新コレクションを撮影したルックをバイヤーに見せない。業界の慣習に反するアプローチには、デザイナーとバイヤーの真剣勝負を望む杉原の熱い想いがあった。師匠であるステファノ・ピラーティ(Stefano Pilati)との邂逅から始まった服作りに掛ける情熱は、ファッション業界の未来にも向かっていく。
杉原淳史
1985年、福島県生まれ。文化服装学院卒業後に渡仏し、パリの老舗メゾンでモデリストとして経験を積む。5年半に及ぶパリでの生活を終えて日本に帰国後、カットソーメーカーの小野莫大小工業に入社し、自社ブランドのデザインや様々なブランドのカットソー製品を担当する。2023年秋冬コレクションより「ノノット」をスタート。
nonnotte 2024年秋冬コレクション
Image by: nonnotte
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ノノットを形作る、デザイナー ステファノ・ピラーティとの出会い
⎯⎯文化服装学院卒業後にサンディカ・パリクチュール校(Ecole de la Chambre Syndicale de la Couture Parisienne、2019年にパリのモード校IFMと合併)へ留学。ロンドンやミラノなど様々な都市がある中で、なぜパリを選んだのでしょうか?
洋服とは、西洋の衣服、服飾の歴史そのもの。自分が追い求める服づくりの技術「立体裁断」の叡智がパリのメゾンにはたくさん詰まっています。継承されてきた古の技術がどうしても知りたくて、迷わずパリを選びました。
⎯⎯杉原さんは「イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)」のクリエイティブディレクターを務めていたステファノ・ピラーティから大きな影響を受けているとのことですが、経緯を教えてください。
正直、最初は尊敬するデザイナーの一人というだけでした。しかしある日、パリの街中でピラーティ本人を見かける機会があって。その時の彼の服装が自分の中のメンズファッションの固定観念を大きく覆すスタイルだったんです。それからはただただ夢中になって、彼について調べ上げました。
⎯⎯きっかけはピラーティが手掛けたコレクションではなく、ピラーティ本人の服装だったというのが興味深いです。
どうやったら彼のもとで働けるかと、メゾンに何回も履歴書を送ったんですが、箸にも棒にも掛からなくて。そこで、大量に描いたデザイン画を持ってメゾンの前で、真冬に3日間、朝8時に行って電気が消えるまで出待ちしたんです。1日目と2日目は会えなくて、3日目にようやくアトリエのチーフの方が降りてきて「ここで何やっているの?昨日もいたよね?寒いから帰りなよ」と言われました。
⎯⎯実際に来てくれるとは。よほど目立っていたんですね。
「このメゾンで働きたいです。ピラーティに会えるまでは帰りません」と言ったら、ピラーティを連れて来てくれたんです。持っていた大量のデザイン画を彼に見せましたが、見終わると「ニコラ・ジェスキエール(Nicolas Ghesquiere)のところへ行った方がいいよ」と言われてしまって。それでも「あなたのもとで働きたいです」と話したら、今度は製品図を描いて持ってくるよう言われ、確認後、なんとか入社することができました。
⎯⎯入社後はどのような仕事をしていたんですか?
最初の2年くらいはインターンとして、パターンの縫い代カットなどをしていました。同じ仕事をずっと続けなくてはならなかったですし、当時は給料も安くてとても厳しい生活でした。でも、その時の経験が今に活きています。
パターンの縫い代を切るということは、パターンの線をなぞるということ。2年もやると、自分が覚えたいパターンを作る熟練の職人たちの線の癖が全部分かってくるんです。線が体に染みついたことで、何かが自分の中で覚醒しました。働き始めて3年目になると、ようやくコレクションピースを作らせてもらえるようになり、モデリストとしてピラーティにプレゼンするようになっていきました。
⎯⎯ピラーティの服作りを見てきて、最も凄みを感じた部分は?
一番衝撃を受けたのは、やはり立体裁断でした。ピラーティ自身は自分で服を作らないし、絵も特段上手なわけではないのですが、モデリストが作ったトワルに対して修正方法を即答で伝えるんです。実際に彼の言うとおりに修正すると、本当にピラーティが言っていた形になるんですよ。審美眼がものすごかったですね。
⎯⎯立体裁断以外にも、ピラーティの服作りで驚いたことはありましたか?
たくさんあるんですが、元々彼はミウッチャ・プラダ(Miuccia Prada)のもとでテキスタイル制作をやっていたので、素材作りへの情熱が半端ではない。欲しい素材を実現するためのアプローチがずば抜けています。また、「こういう素材が欲しい」というヴィジョンが明確にあるのも素晴らしいと思いました。
⎯⎯ノノットとピラーティの服づくりの共通点と、逆に異なる点を教えてください。
共通点は、素材と立体裁断への情熱と追求ですね。この二つがあるからこそ、ノノットはノノットたりえると思っています。
異なる点ですが、ピラーティの服はどちらかというと主張が強いです。ブランドのスタイルを打ち出すデザイナーとして、服そのものの主張が強い服が必要な立場だったのだと思います。対してノノットは、外観のエゴを極力消して、本当に自分が着たい服という一点特化型にしています。言ってしまえば個性が少なくも見えるし、普通の服にも見えがちです。ただ、着てみると良さを感じて「どこにもないよね」と言ってもらえる。そんな服を目指しています。
最高峰の原料を使ってテキスタイルから開発、ノノットが定める“良い生地”の定義
⎯⎯ブランド名「ノノット(nonnotte)」の由来は?
フランス語の"non”は、英語で言うと"not"。この二つの否定の言葉を組み合わせた“nonnot”に、フランス語で「君」や「あなた」を意味する"te"を最後に加えています。「あなたを否定するものを、否定し返す」という「ダブルノット」ですね。装うことで内面から強い力が湧いてくるような服を作りたいと思って名づけたブランド名です。
⎯⎯全ての生地をオリジナルで開発。店頭に出ている2024年秋冬コレクションの中で、イチオシのテキスタイルを教えてください。
正直全ての素材への思い入れが強いのですが、ブランドとしてずっと欠かさず提案しているという意味では「ヘビーブロード」という生地です。最もブランドの姿勢を表していると思っていて、簡単に言うとドレスシャツのテキスタイルですが、すごくイージーケアなんですよ。
これだけだと従来のコットン地と大きな差がないように聞こえてしまうんですが、新しい概念の「普通」を実現するために途方もない手間と時間を注いでいます。通常、「ギザ・スーピマ・シーアイランドコットン」など超長綿の良い綿(わた)を使うと、その綿のタッチをダイレクトに感じてもらうために、100番手や200番手といった具合ですごく細い糸をひきます。ただ、細い糸で織った超長綿の生地は見た目がたしかに綺麗だし、肌触りも良いですが、1回着たらシワシワになってしまうという弱点があるんです。そこで、「ヘビーブロード」では、良い綿をまず太い糸で紡績するところから始めました。しかし、太い糸で織ると密度が甘くなってしまい、オックスフォードみたいなカジュアルな見え方になってしまうという課題がありました。
⎯⎯その課題をどのように解決したんですか?
機屋さんの技術で、太い糸を使ってドレスシャツの生地に負けないくらい、密度を思いきり詰めた打ち込みをしてもらいました。かなりの難易度で、複数の機屋さんに頼んで実現できたのは静岡県のカネタ織物さんだけでした。これによって、エレガントな表情を保ちながら、シワがつきにくい性質を実現したんです。ヘビーブロードで作ったシャツは、洗って次の日にノーアイロンですぐ着られるのが1番の強み。洗ったシャツをパンパンと叩くと、シワがもう馴染むんです。僕が今着ているシャツも60回くらいは洗っていますね。
⎯⎯それだけ多く洗っているとは思えない生地のコンディションですね。
色々と考えたんですが、本当の意味で良い生地というのは、そういうことなんじゃないかなと思っています。やっぱり1回着るとケアが大変、アイロンが面倒くさいとなると、自分もクローゼットに眠らせてしまうので。
⎯⎯ノノットのアイテムで印象に残っているのがパンツです。快適性とエレガンスを兼ね備えたパンツはどうやって生まれたのですか?
再びピラーティの話になってしまうんですが、彼は脚がものすごく細身なんです。それがコンプレックスで、脚の細さを隠すために太いパンツを穿いていたんだとか。ただ、既存の太いパンツを穿いても「何か違う」とピラーティは思ったらしく、女性の服作りのテクニックをパンツにも取り入れ始めました。それは決してフェミニンになるためではなく、身体のコンプレックスを隠す、体から離れたところで造形するというウィメンズの立体裁断をメンズウェアで実現させた。そんなデザイナーの走りが、ピラーティだと思っています。
僕もお尻が大きいとか座高が高いとかコンプレックスがたくさんあるので、身体のラインを服の造形で隠す工夫が必要だと思い、ピラーティから学んだ技術でシルエットを組み立てました。これがノノットのパンツの出発点だと思っています。
展示会は“勝負”、バイヤーにルックを公開しないワケ
⎯⎯ノノットは展示会シーズン、バイヤーに対してコレクションルックを公開していませんが、こういったブランドは珍しいですよね。
ルックを発表しないのはバイヤーさんとマンツーマンで“勝負”したいという想いからです。モデルが服を着ているヴィジュアルを見ると先入観が生まれてしまう気がして。実際に服を見て、袖を通した時の直感を大切にしてほしいという考えから、事前に情報を公開しないという方法を試みてます。デリバリーの時には、エンドユーザーにスタイルを提案するという意味合いでルックを公開しています。
⎯⎯バイヤーの反応はどうですか?
最初は「なぜルックがないんですか?」と、すごく言われました。でもだんだんノノットの意図と熱意を理解してくれて、今ではそれが当たり前になっています。最近はデリバリーの際にルックを公開しても、お店からルックが欲しいと言われなくて、少し寂しいくらいです。
⎯⎯取引先さんも、自分たちがノノットを手に取った時の生の感触をお客さんに伝えることを重要しているのかもしれませんね。
そうだと思います。でも、展示会でルックを見せないことにはリスクもあり、思い入れの強いアイテムに注文が入らないこともしばしば。その時は“勝負”に僕が負けたということだと真摯に受け止めて、来シーズンに挑みます。
⎯⎯誰もが真似できるやり方ではなさそうです。
僕は先ほど展示会を“勝負”と表現しましたが、ルックが公開されたタイミングでバイヤーさんがオーダーしていないアイテムに対して問い合わせが殺到したとしたら、少し強い言い方をするとそれはバイヤーさんが勝負に負けたということ。その駆け引きが面白くて、まさに真剣勝負なんです。だから、展示会に来るバイヤーさんの中には3時間程時間をかけてじっくり選ぶ方もいらっしゃいます。頭から湯気が出るぐらい考え抜くバイヤーさんが多いです。
⎯⎯ノノットの現在の卸先の状況は?
大手3割、個店7割という状況です。シーズンの立ち上がりにはたまに店頭に立たせていただくんですが、実際に袖を通すお客さんの声を直に聞いて接客できることは、今の自分にとってかけがえのない財産になってます。
⎯⎯杉原さんは、Instagramでオリジナル素材について長文で説明したりもしていますよね。
自分の声をエンドユーザーに直接届けるためにやっています。また、ルックの事前情報がない中、リスクを背負って買い付けてくれたバイヤーさんに誠意を見せる意図もあります。あの投稿を読んで「お店に見に行ってみようかな」「直接触ってみたいな」と少しでも興味を持ってくれる人がいたら、それがお店のためにもなるかなと。
⎯⎯現在、ファッション業界には数多くのブランドがありますが、新しいブランドが消費者から興味を持ってもらうために必要なことはなんだと思いますか?
「まだ世の中にないものを作ること」だと思います。ただそれは「全く見たことないもの」という意味ではなくて。世の中には「ニアなところでないもの」が実はまだまだたくさんあると思うんです。
⎯⎯「ニアなところでないもの」とは?
たとえば、プロダクトデザインの世界では目から鱗と言われる商品がたくさん開発されていますが、それはファッション業界でも同じこと。今まで当たり前のように作られてきたシャツでも、工夫一つで「世の中にないもの」を作ることができる。そうやってブランドの存在価値を証明することで、消費者が共鳴してくれるんだと思います。
疲弊する日本の産地に救いの手を、服の文化を伝える使命
⎯⎯将来的にノノットの直営店をオープンする予定はありますか?
直営店というイメージは正直あまりありません。西洋で生まれた昔のオートクチュールのように、マヌカンが番号札を手に持って出てきて、一般のお客さんが座りながら注文する方式の、いわゆる「サロン」を現代の手法で復活させたいという想いがあります。要は作り手とエンドユーザーの距離を近づけたいんです。飲食店ではシェフの顔を見ながら食事をするのに、なぜに洋服ではそれがすごく少ないのか。僕はファッションの素晴らしさをダイレクトに伝えていきたいんです。
⎯⎯まさに往年のオートクチュールの発表みたいなイメージですね。
サロンでのオーダー後にお客さんとそのアイテムが生まれた経緯など、ストーリーについて話をして、到着までワクワクしながら待ってもらう、みたいなイメージです。もしサロンを現実的に開催するとなったら、インラインのコレクションのラインナップとは構成を変えた方がいいと思っています。A面B面みたいな形で分ける方法が、ブランドにとっても扱ってくださっているお店にとってもいいのかなと。サロンの場にバイヤーさんが来て、「◯番のシャツを◯枚」といったように発注しても面白いと思います。
⎯⎯今のファッション界の習慣とは違う動きです。
これが正解と言いたいわけではないですが、次の世代がブランドを始めるとなった時に、ランウェイや展示会以外での発表の選択肢を用意することは大事かなと考えています。
⎯⎯自分のブランドだけでなく、将来のファッション業界のことを考えているんですね。
この素材(ヘビーブロード)のように、守りたい技術が日本には多く存在しています。そして、僕の発注だけでは経営が成り立たない機屋さんもたくさんあります。次の世代にバトンを繋いで、日本の素晴らしい生地をたくさん発注してほしいんです。
良い素材を使った服を着る人が増えてくれたら、産地へのオーダーが増える。そうしたら、産地が疲弊し、素晴らしい技術を持っている業者さんが廃業してしまう現状をストップできます。
⎯⎯そういった現実があるのは本当に寂しいことですね。
ファッションを生業にする者として、良い服の魅力を全力で広めていきたいです。でも、今のファッション業界のサイクルでは、既に服が好きな人にしかリーチできない気がして。興味のない人を振り向かせるために、あえて既存のレールを外れてでも、エンドユーザーの近くにいたいです。服に過度な装飾をしていないのもそれが理由。まずはプレーンなものを着て良さを感じてほしいです。
⎯⎯ノノットの最終ミッションは?
技術の継承と進化。僕は裕福な家庭の出身ではないですが、コンテストを経てたまたま留学できて、たまたまメゾンの素材と技術に触れられました。でも、この道を通らなければ一生この世界を知らずに人生が終わっていたでしょう。僕は、この世界について知ることができたからには、後世に少しでもこの魅力を伝えていくことが使命だと思っています。
(聞き手:AFFECTUS)
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