
ビスポークテーラー 里和慶一
Image by: FASHIONSNAP

ビスポークテーラー 里和慶一
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ビスポークスーツと聞いて、皆さんは何を思い浮かべるだろうか?アンダーステイトメントを旨とするダークスーツだらけのラック、着こなしや注文に関する小うるさいハウツーの数々、ジャズやクラシックの名盤が流れる重厚な雰囲気の店内、ウイスキーや腕時計への一家言を要求する排他性。
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ビスポークテーラー 里和慶一は、そうしたステレオタイプからどこか自由だ。ドリーミーなインディーポップが鳴るアトリエには、色彩豊かな柄物のジャケットが並び、ジーンズにジャケットを羽織ったカジュアルな装いで迎えてくれた。ファッションブランド「カヴァル(kaval)」と協業したガーメントダイのビスポークジャケットなど、クラシックの枠に囚われない取り組みも話題だ。誰もが知るイギリスの老舗テーラー「H.ハンツマン・アンド・サンズ(H.Huntsman&Sons)」(以下、ハンツマン)で英国王室や映画の衣装を手掛けたという、エリートキャリアとは裏腹な親しみやすさがある。
そんな里和が、このほどコートブランド「シクラ(Seihcra)」をスタート。ビスポークテーラーがなぜ今既製服を作るのか?なぜコートなのか?その経緯や「エゴ100%」と話す物作りの背景を皮切りに、モードファッションに傾倒した学生時代、ハンツマンへの思い、「テーラリング」という技術の本質までを訊ねた。
■里和慶一
1987年東京生まれ。銀座英國屋でテーラーとカッターそれぞれの修行を積み、7年半在籍した後に渡英。4年間ロンドンでテーラーとして活動し、うち3年弱、サヴィルロウのH.ハンツマン・アンド・サンズに在籍した。ロイヤルウェディングや映画衣装を担当するなど、同店で幅広い経験を重ねたのちに帰国。2021年に独立し、東京で「アーチーズ ビスポーク(ARCHIES bespoke)」を開業した。2025年10月には、既製服のコートブランド「シクラ」を立ち上げた。
アーチーズ:公式インスタグラム
シクラ:公式インスタグラム


フェティコに感化された「エゴ100%」の服作り
⎯⎯まずは、シクラを立ち上げた経緯について教えてください。
「フェティコ(FETICO)」デザイナーの舟山瑛美さんが長年の友人で、ショーを観に行く機会があったんです。彼女のパーソナリティを強く感じるエゴ全開の服が、たくさんの観客の感情を動かす瞬間を見て、まるで音楽のライブみたいだなと......すごいなと感じました。お客様と1対1で向き合うテーラーの仕事にはない体験でした。もともと音楽が好きでミュージシャンの仕事に凄みを感じていたのですが、ファッションでも既製品なら同じ現象を起こせると実感したんです。相手が身近な友人だったこともあり、自分もやりたいと考えるようになりました。
⎯⎯テーラーの本領であるスーツやジャケットではなく、コートブランドを作ったのはなぜですか?
そもそも、僕自身が既製品のスーツやジャケットをあまり買わないので。自分がユーザーとして使うものを作る方が自然だと思いました。スーツやジャケットを聖域と捉えていることもあり、それらを展開する予定は今のところありません。

その上で、自分が既製品で買うものがニットと靴、シャツ、そしてコートくらいしかなくて。コート以外の3つは専門外なので、自然とコートを作ることになりました。もちろんオーバーコートはビスポークでも作りますが、既製服を着てきた経験に基づく知見もあるので。デビューコレクションの3型が全てラグランショルダーだったのは、自分が一番着ているコートの形で、それゆえに疑問も感じてきたものだからです。
⎯⎯疑問というと?
僕自身はなで肩なので不満に思うことはないのですが、一枚袖のラグランはなで肩に寄せすぎたものが多いんです。パターンの制約上そう設計したくなるし、Aラインに広がるハンガー面も今っぽいですからね。ただ、これまで何人ものフィッティングをしてきた経験上、なで肩の人は実際そんなに多くない。いかり肩の人がそういう設計の服を着ると、ボタンを閉めた時に首が後ろに抜けてしまうんですよ。それを不快に感じる人は多いと思うので、いかり肩に寄せたラグランを作りました。あと、1枚袖の落ち方で僕が一番気になる点が、腕を下ろした時に袖が横に広がること。それを軽減するために袖の前側は袖山を高く、後ろ側は袖山を低く設計しました。
⎯⎯3型というコンパクトな展開ですが、デザインの背景について教えてください。
今回は、1950〜60年代のイギリスのタウンウェアをベースにデザインしています。同国のファッションを代表するコートであるバルマカーン。当時の雑誌などでたまに見られる変形のアルスターコート、そしてカントリースポーツ由来のフィールドコートを用意しました。あくまで、日常の街着らしさを追求しています。






バルマカーン
⎯⎯”ビスポークテーラーのコートブランド”と聞くと、スーツのようなフォーマルなスタイルに合わせるものを想像されがちかと思いますが、里和さんの意図としてはそうではない?
もちろん、ジャケットの上に羽織った時の形には拘りました。ジャケットの肩がコートのフォルムに影響しにくい型紙を引いています。ただ、僕自身もフォーマルな装いをあまりしないので、もっと自由に緩く着られるものを目指しました。元々ファッション畑の人間だと思っているので、ファッションとして楽しめる服を作ったつもりです。テーラーが作る服というより、デザイナーズブランドのように捉えてほしい。
⎯⎯ファッションとして楽しめる服を目指す上で、意識したことはありますか?
コスプレにならないことですね。古い時代の服を参照していますが、古着のように見えてしまうのは嫌で。例えばロングコートはIラインのシルエットに収めて、いずれもオーバーサイズにならないように注意しました。ダブルブレステッドのVゾーンは広めに取ったり、全体的に重心も下げるなどの調整をしています。重心が高いとクラシックの文脈になってしまいますから。ディテールについて言えば、ボタンはあえて小ぶりなものを使うなど、全体的にあまり過剰にならないよう気を配りました。


アクアスキュータムの服に見られるボタン留めのポケット。小さめのボタンが程よいアクセントになっている。
⎯⎯続いて生地についてお伺いします。今回のためにオリジナルで開発した生地もあるんですか?
オリジナル生地3種とメーカーの自社企画生地3種で、オリジナルは全て尾州の山栄毛織さまと開発しています。僕は針を入れた時に手応えのないツイードが嫌いで、ふっくらしているけど中が詰まった理想のツイードを作りました。また、テーラーとして扱い慣れている獣毛をメインに生地を揃えたかったので、キャメルとカシミヤを加えて獣毛の特性を取り入れた、3者混のコットンツイルも開発しました。
ただ「なんでもオリジナルを作ればいい」とは思わないので、尾州の葛利毛織さまとイギリスの生地メーカー ラバット(LOVAT)の生地も選びました。自分の想像力など高が知れていますから、その道のプロに敬意を持って、知恵とセンスを借りながら一緒に物作りをしたい。なので、シクラでは生地メーカーのネームを全てのアイテムに付けていて。ネームがないメーカーのものは僕が製作しました。



左:経糸にコットンカシミヤ、緯糸にベビーキャメルを配した3者混。毛羽のある緯糸が1/3の割合で表に出る織り方で、コットンツイル特有の光沢感を抑えた。緯糸が獣毛なので縦ジワが入りにくく、ラフに使える道具らしさがある(オリジナル)右:グリーンとネイビーで構成されたヘリンボーンに、ブラウンのネップを加えた配色がユニーク。ツイードとしては糸が細くて、見た目よりも軽い着心地も特徴。「自分では絶対に思いつかないデザイン」だという(ラバット)
⎯⎯山栄毛織のネームは初めて見るなと思ったのですが、里和さん自らデザインしたんですね......!
山栄毛織さまと葛利毛織さまのものは、両社から了承を得て僕がデザインしました。元々テーラーには生地ネームを製品に付ける文化がありますが、海外の有名メーカーの場合のみ付けるというのが大半。また、国内の生地が「尾州」などの産地で一括りにされることも多いと感じております。同じ地域でもメーカー毎に個性があり、どのような方々ともの作りをしているかまでお客さまに伝えたいのです。


里和が企画・製作した山栄毛織のネーム
⎯⎯目の前のお客さまのために仕立てるビスポークの注文服と、不特定多数の人に届くシクラの既製品では、もの作りがまるで違うと思います。どんなことを意識しましたか?
お客さまの理想を叶える注文服と比べ、自分の理想によりフォーカスすること。そして技術的な面では、パターンワークの違いを意識しました。既製服とビスポークの製造工程における大きな違いは、職人自身が縫わないことです。僕が縫えば型紙がどうあれ調整がきくものも、他の人たちが縫うとなればそうはいかない。誰が縫ってもエラーが起きづらく、仕上がりに差が出ない型紙を引く必要がありました。元々外注でパタンナーの仕事もしていたので、その経験が活きましたね。

ビスポークはお客さまの理想を汲み取って、服としての整合性をとりながら実現する仕事で、一般的なファッションデザインとは異なります。なので、デザイン面での作り分けは特にありません。その上で、シクラは「エゴ100%の服を作りたい」という思いで立ち上げたので、自分が着たいと思えるかどうかが唯一の判断基準でした。中でも一番大きなウェイトを占めたのは生地でしょうか。注文服の特性上、普段は同じ生地を大量に仕入れることは難しいので、自分の趣味を全開にしたセレクトや開発ができるのは、既製服ならではの楽しみでした。
「クラシックとモードに垣根はない」
⎯⎯話題を変えて、ご経歴とテーラーとしての仕事について伺います。里和さんはエスモードジャポンのご出身ですが、元々テーラーを目指していたのですか?
元はウィメンズウェアのパタンナーになりたかったんです。「サイン シャネル」という「シャネル(CHANEL)」のショー製作に密着したドキュメンタリーを観て、カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)と一緒に働きたいと思ったことが、ファッションの道を志したきっかけでした。ただ、専門学校1年生の時に「お前にウィメンズを作るセンスはない、女心がわかっていない」と言われてしまって(笑)。その後メンズに転向するのですが、そこでオートクチュールの職人としてフランスで活躍された垣田幸男さんに教わることができました。テーラリングに精通した高名な方なのですが、当時60代だった先生の働く姿は学生の自分が見ても格好よくて。何十歳も歳の離れた若者に格好いいと思われる仕事っていいなと思いました。クラシックなファッションというよりも、生き方としてのテーラーに憧れたんです。

⎯⎯ビスポークテーラーでありながらモードへの造詣も深い方、という印象がありましたが、お話を聞いて納得しました。
地元が高円寺に近かったので、中学時代から古着などに触れながら自然とファッションに興味を持ちましたね。ラフ・シモンズ(Raf Simons)やヘルムート・ラング(Helmut Lang)、エディ・スリマン(Hedi Slimane)、ステファノ・ピラーティ(Stefano Pilati)らが活躍するモード全盛の時代に育ちました。自分のファッションの原体験はモードで、今もそういったものが好きです。ただ、自分で作りたいと思ったことはあまりないんですよ。僕は自己顕示欲が強い方ではないので、自分自身を表現したいというより誰かのために働きたかった。パタンナーを目指したのも、カールのために働きたいと思ったからですし。人の顔が見える仕事に惹かれたこともあり、テーラーの道を選びました。
⎯⎯卒業後は日本の英國屋で経験を積み、ハンツマンに入店されました。日本のテーラーとの違いなど、何か印象に残っていることはありますか。
一番の違いは、仕事を進める上での責任の所在ですね。日本だと仕事を振った人と振られた人が等分で責任を分かち合う印象ですが、イギリスでは仕事と責任が一緒に回ってくる。リレーのバトンみたいに、走者が変わるたびに責任が丸ごと移っていくんです。大きなテーラーではセールスマン、カッター、テーラー、フィニッシャー、テーラーでも上着全般を縫う人とトラウザーズだけの人、ウエストコートだけの人といった分業が一般的なのですが、自分より前の工程で起きたミスだったとしても、それを見つけて完璧な状態で次の人にバトンを渡さないと、自分の評価に繋がらないんですよ。

もう1つの違いとして、イギリスでは各工程を担うチーム全員でゴールを共有して製作を進めます。どういう雰囲気に仕上げたいとかどういうフォルムを出したいとか、その服のあるべき姿を深く理解して縫うことを求められます。任された工程をただ綺麗に縫えばいいわけではなく、各人がディレクターのように全体を俯瞰しているんです。あと、職場の性格の違いで言えば、仲間意識はすごく強いですね。一度ファミリーになれば親身に守ってくれたり休日を一緒に過ごしたり、今でも頻繁に連絡を取るなど仲良くしてもらっています。

⎯⎯ハンツマンでのご経験で、特に思い出深いものを教えてください。
仕事の大きさで言えば、ロイヤルウェディングの衣装を担当したことですね。2018年と2020年の2回、新郎の衣装を製作しました。特に2回目はリピートで僕たちのチームに任せてもらえたので、最初の仕事を評価されたようで嬉しかったです。ウィンザー城に自分の作った衣装が展示されたことは人生のハイライトでした。もう1つよく話すのは、映画「キングスマン:ファースト・エージェント」の衣装製作で、フォーマルの衣装はほぼ全て僕が担当しました。ハリウッドのチームと仕事をするのは珍しい経験で楽しかったです。どちらも大変な仕事でしたけどね(笑)。
ただ、一番思い出に残っている仕事は、初めて仕事として縫わせてもらったジャケットです。僕が入社した当初は上着の職人に空きがなく、ウエストコートの職人として入社したのですが、最初の数ヶ月は自分の作業台もなくて。古いお店で作業場が限られているので、台が全て埋まっていたんです。毎朝休みの人の台を探しては、そこで仕事をしていました。そんな働き方に嫌気が差していた頃、上司がジャケットの仕事を始めて任せてくれました。上着の職人を目指していた僕のために振ってくれた仕事だったのですが、それを納品するタイミングで「こんな環境では続けられない」と伝えたんです。クビになると思ったのですが、その直後に自分の作業台が用意されて、上着の職人になることができました。実力を認めてもらえたと感じて、とても嬉しい瞬間でした。今でもそのジャケットがどんな服だったか、お客様の名前までよく覚えています。ハンツマンでの居場所を掴んだ、思い出の一着です。

⎯⎯そうした充実した経験を積み、2021年にはご自身の店アーチーズを立ち上げました。ハンツマンの影響が明確に感じられる服作りですが、やはり出身者として意図的に取り入れているものですか?
シクラの話にも繋がるのですが、基本的に自分が欲しくないものは作りたくないんです。そして、アーチーズの服にハンツマンの影響があるのは、単純に僕がハンツマンを好きだから。テーラーの中で最も好みのスタイルで、そこしか応募をしなかったくらいなので。ハンツマンの服ってすごくリアルだと思うんです。カントリーのテイストがありながら街着としての自然さもあって、軍服がルーツのテーラーとは異なるその雰囲気が、今でも大好きです。良い関係が続いていて、独立を応援してくれていることもありがたいです。
⎯⎯名店の伝統を受け継ぐことと、里和さんご自身のオリジナリティとのバランスはどう取っていますか?
アーチーズの服は、構造としても印象としても柔らかさを大切にしています。僕はジャケットを着る時、背筋が伸びるような高揚感や色気がある程度は欲しくて。一方で、日本の街の風景に馴染む抜け感も大事だと思うんです。なので、シェイプが効いて立体感はありつつも、柔らかな丸みを感じられるフォルムや着心地を目指しています。よりリアルで、道具として扱える服を作りたいんです。




なだらかで丸みを感じるショルダーライン。肩先を盛り上げるビルドアップショルダーは英国式を象徴するディテールだが、アーチーズのそれは力みすぎない気楽さがある。
⎯⎯ファッションブランド「カヴァル」との協業など、クラシックファッションの枠に囚われない取り組みも印象的です。「クラシック」と「モード」の関係についてどう捉えていますか?
カヴァルとは、フランス軍の寝袋を仕立て直したサックコートや、ガーメントダイのビスポークジャケットなどを作ってきました。先ほど話した通り元々モード畑の人間なので、その分野の人と一緒に仕事をしたいという気持ちが今も強い。自分の培ってきた技術を提供することで、自分が好きな人たちと協業できるのは役得です。個人的には、クラシックとモードに垣根はないと感じていて、自分の技術や経験を異なる文脈で発揮していきたいんです。テーラー1人では作れないものを生み出せるのは楽しいし、新しい物を作る事で技術にも新しい価値がついてくる。ネイビーとグレーのスーツばかり縫い続けるより、僕はなんでも作ってみたいです。






ヴィンテージのフランス軍のリネン製スリーピングバッグを解体し、仕立て直したジャケット。20世紀にみられた4つボタンのジャケット「サックコート」を再現した型で、蒐集している当時の製図書をもとに製作している。
Image by: ARCHIES
テーラリングの真価、エルメスに学ぶ”信用の商売”
⎯⎯「ロエベ(LOEWE)」や「ボッテガ・ヴェネタ(BOTTEGA VENETA)」を筆頭に、「職人技術」の文化的な価値を称揚する動きが近年多く見られます。現場の職人としてこうした潮流をどう見ていますか?
僕はビスポークテーラリングを伝統工芸だと捉えていて。簡略化すれば存在価値がないと思うので、常に手間を惜しまずもの作りをしています。ただ、そこに付加価値をつけることは職人1人では難しいです。ロエベを例に取れば、工芸品をファインアートとして提示したり、協業を通じてその技術を斬新に応用させたりすることで、職人だけでは創出できない価値を生み出している。文化として育つかどうかは現場の踏ん張り次第で、声の大きい誰かが旗を振ってくれるのは良いことだと思っています。テーラリングがアートになれば良いとは思いませんが、物事が残り続けていくには多様な側面が必要です。カヴァルと協業したり、シクラを立ち上げることも、まさにそのための取り組みなんです。


⎯⎯その一方で、実際に手を動かす職人1人1人の姿は、多くの場合消費者から見えません。産業側がその存在を偶像化し、イメージとして消費させている側面もあるように思います。「テーラリング」「テーラー」はその最たる例ですが、言葉が一人歩きしていると感じませんか?
「テーラーリングの経験を活かして」とか「熟練のテーラーの技術が融合した」とか、そういった謳い文句は言葉遊びみたいなものだと思います。スーツやそれに類する服を縫える工場は選択肢が多くはないんです。ビスポークテーラーでは職人の手の個性が製品に反映されますが、製造を外注するもの作りではモノで差がつきにくいので、イメージが重要になるのでしょう。それは僕らとは違う商売の仕方で、ネガティブな影響も感じないので関係もないのですが、自分の文脈にない商売は続かないということは自分にも常々言い聞かせています。そもそも、服として格好よかったりモノが良ければ、それで十分なはずです。オーガニックという表示だけがウリの食べ物みたいなものかなと。

⎯⎯「テーラリング」という技術がどういうものか、ビスポークテーラーのそれと既製服のそれでは何が違うのか、それらを正しく理解している人は業界人でもあまり多くないと思います。技術的な差についてここで説明することは難しいと思いますが、里和さんはご自身の仕事やその価値をどう捉えていますか?
そもそも、「テーラリング」って「パーソナライズ」だと思うんですよ。お客さまの体型に合わせたフィッティングという意味でも、希望のデザインやシェイプを一緒に実現するという意味でも、生地の特性に合わせた縫い方をするという意味でも。そして、全ての作業が一つのベクトルに向かって為されるという意味でも。アーチーズを例に取れば、フィッティングもパターン製作も生地の裁断も縫製もプレスも、基本的に僕が行います。「こういう形に、こういう着心地に、こういう雰囲気で仕上げたい」という理想のもとに、全ての工程に明確な意志を持って臨める。ハンツマンのようなチーム制でも、全員がディレクションを深く理解することで、一つの理想に貫かれたもの作りをしています。
だから、お客さまが思い描いた形と完成品が高いレベルで合致するんです。パターンオーダーなどの場合、工程が細分化されてより多くの人の手を経るので、その意志が希薄になっていくことは避けられません。工数や練度の差といった技術的な違いも当然ありますが、仰る通り話せばキリがないことです。ただ、ビスポークスーツの真の価値は、このモノとしての濃度だと思います。

⎯⎯コロナ禍のダメージもあり、聖地サヴィル・ロウでもテーラーの閉業は少なくありません。生活様式の変化は不可逆的で、スーツ市場が20世紀の活況を取り戻すことは考えにくい状況です。ビスポークテーラーが生き残るためには、どのような取り組みが必要だと考えていますか。
スーツが嗜好品になってしまった今、ビスポークであれ既製品であれ、新しい需要を喚起する以外に裾野を広げる道はないと思います。端的に言えば、その服を着る場面を作るということです。コミュニティを作って盛り上げることで、その外にいる人にも興味を持ってもらえるようにする。他の人が楽しんでいるものには自然と興味が湧くと思うので。
ただ、僕はプロモーションが得意ではないので、選ばれるに足る最高の服を作ることだけを心がけています。古着を資料として解体することがあるのですが、100年後に自分の服が古着として解体された時に、胸を張れるものを作りたいんですよ。ビスポークテーラーは実のところ信用の商売だと考えていて。お客さまに見えない裏側まで誤魔化しのないもの作りじゃないといけないと思います。例えば、他のお直し屋さんなどで中を開けられた時に、同じ職人さんにもすごいと思ってもらえるような服にしたい。そういう格好いい仕事をしていたいし、アーチーズという屋号がその品質や仕事ぶりを想起させるシンボルにまでなれば、産業が衰退しても生き残れると信じています。
⎯⎯アーチーズとシクラ、2つのブランドを通じて成し遂げたいことはありますか?
お客さまとの向き合い方、ブランドのあり方として「エルメス(HERMES)」を目標にしています。エルメスは、ブランドそのものに紐付くイメージが明確にあって、ディレクターが変わっても一貫しているじゃないですか。屋号を媒介にお客さまと純粋な信頼関係を築いているという点で、僕はエルメスが最高のブランドだと思います。自分も屋号を掲げる職人として、そんな存在を目指したい。
そのためには、何をやるかと同じだけ、何をやらないかという選択も重要だと思うんです。例えばエルメスで言えば、安易なコラボレーションをしなかったり、バーキンを大量に売らないこともその1つですよね。そういう意思表示の積み重ねも、ブランドに対する信用を形成すると考えています。その軸がしっかりとあれば迷うこともないし、僕のやりたいことをお客さまと共有していけると思います。ビスポークスーツでも既製服でも、お客さまには僕と一緒に何かを作っているという感覚でいてほしい。この2つの屋号を通じて、一緒にもの作りをする皆さまと長く楽しんでいければと思っています。

神奈川県出身。慶應義塾大学法学部を卒業後、製薬会社に入社し着道楽を謳歌するも、次第に"買うだけ"では満足できなくなりビスポークテーラー「SHEETS」に弟子入り。4年間の修行の末「縫うより書く方が向いている」という話になり、レコオーランドに入社。シズニでワンドアなK-POPファン。伊勢丹新宿店で好きなお菓子はイーズのアマゾンカカオシュー。
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