
左:岡本龍允(おかもと・たつや)、右:岡本竜(おかもと・りょう)
Image by: FASHIONSNAP

左:岡本龍允(おかもと・たつや)、右:岡本竜(おかもと・りょう)
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東京・原宿のゴローズビルの地下と1階に店舗を構える「ソラックザーデ(SOLAKZADE®︎)」。マドンナ(Madonna)やブラッド・ピット(Brad Pitt)、エイサップ・ロッキー(ASAP Rocky)、ブルーノ・マーズ(Bruno Mars)、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ(RED HOT CHILLI PEPPERS)のフリー(Flea)といった数々のハリウッドセレブもお忍びで通うヴィンテージアイウェア・ジュエリーの名店だ。“洞窟”と呼ばれるこの空間には、商品の域を超え、創業者兄弟が人生を賭けて研究した装飾文化の知がアーカイヴされている。
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2026年、ソラックザーデはオリジナルブランドの立ち上げを控える。これまでメディアにはあまりその素性を見せてこなかった創業者の岡本龍允、竜の兄弟がFASHIONSNAPの取材に応じ、近年のファッション業界、日本のものづくり、そして「ブランド」に対する考えを語った。
◾️SOLAKZADE®︎
日本初のヴィンテージアイウェア専門店として、岡本龍允、竜の兄弟が2005年に大阪で創業。創業時から揺るがない指標は「世界一ヤバい店を作る」ということ。2012年に原宿goro's Bldgの地下に店舗をオープンしてからは、ヴィンテージ・アンティークの蒐集による世界観構築だけでなく、いにしえの技術の研究開発にも熱心に取り組み、ヴィンテージの機械や道具も蒐集している。完全予約制で、2015年に同ビル1階にも拡張し、2500年前の古代ギリシャ期の物から第二次世界大戦期までのジュエリーを扱う「ジュエラー部門」、2022年にはヴィンテージカーの独自カスタムを行なう「オートモーティヴ部門」を始動。2020年、阪急メンズ大阪1階に「ラストストア(THE LAST STORE®︎)」をオープンした。
「ソラックザーデには眼鏡のすべてがある」と岡本兄弟は話す。同店では、眼鏡の歴史200年分、1800年代から1990年代までのアメリカ、ヨーロッパ、日本で作られた、3万本以上におよぶ眼鏡のデッドストックを収蔵。それらの制作当時の時代背景や文化、眼鏡そのものの技術やデザインをもとに、世界で初めて体系化・編纂した。技術や素材、構造、製法をネジの種類に至るまで研究し、眼鏡の持つ可能性の拡張を目指している。

SOLAKZADE®︎ 店舗外観
Image by: SOLAKZADE®︎
岡本兄弟がアイウェアに触れた原体験は、高校生の時に父親のクローゼットから出てきた「イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)」のサングラス。1970年代後期のものと見られ、瑞々しい質感で大きなサイズ感のプラスチックフレームに薄いグラデーションのレンズカラーは、当時の2人の心を掴んだという。
兄22歳、弟21歳。「デッドストックのヴィンテージアイウェアの蒐集を通じてタイムトラベル、カルチャートラベルしたい」という本能的な欲求から、日本中の個人の眼鏡店を巡り数十年前に作られた未使用のアイウェアをひたすら買い集めた。眼鏡の産地福井県鯖江市でも「面白い若者がいる」と噂を集め、次第に眼鏡系の商社やメーカーからデッドストックが見つかったときには連絡をもらえるようになっていった。
目次
“くすぶってるやつ”のための駆け込み寺に
⎯⎯ これまであまりメディア露出をなさっているイメージがありません。創業から現在までに、メディア露出についての考えはどのように変化しましたか?
岡本龍允(以下、龍允):何に向かっているか自分でも分からなかったけど、とにかくこのお店を作り、本当に“命を燃やす”ように、ただがむしゃらにやってきました。原宿に店を作った当時はメンバーも数人だけで、年300日以上ソラックザーデのみんなで同じ釜の飯を食っていた。本当にクローズドな集団で、他の人からの誘いはいつも断っていたし、尖っていて、いま思うとまるで「暴走族」でした。
でも、コロナ禍の前後のタイミングでふと立ち止まり、振り返ってみると、広い意味で昔の自分たちみたいな“くすぶっている人”って、いっぱいいるんじゃないかと思ったんです。同時に、それまでは純度、強度を保つべく小規模に、内向的に熱を集中させてきましたが、その輪をもっと広げて会社の規模を拡大しても、ソラックザーデらしさを失わずにいられるヴィジョンが見えた。そこからは自然と社交的になっていって、今では仲間も約50人にまで増えました。以前よりも外に意識が向き始めたことで、メディアに出ることにも前向きになったという感じです。
⎯⎯ どんなメンバーがお店を支えているんですか?
龍允:周囲には「くすぶってるやつがいたら教えてくれ」と言っています。社会の中ではまだ難しくても、僕たちは僕を含め、社会に馴染めない人間が自分らしさを隠さずそのまま活躍できる環境を実現してきました。だからそれを周囲にも還元したい。
⎯⎯ 「くすぶっている」とは?
龍允:世の中のレールにすんなり乗れない、というか。近年は、「社会不適合者」という言葉は必ずしも悪い意味じゃなくなり、自分に正直に生きることを目指しても良いという風潮が少しずつ増えていると思いますが、まだ自分の欠点とされる部分を補ったり、強みを活かして生計を立てていくのは難しい。でも、くすぶっている状態ってエネルギーがあるということだから。一歩間違えたらテロリストになるかもしれない人が、スーパースターになるかもしれない。ピュアだからこそ、世の中の不条理や不合理を受け入れられなくてくすぶってしまうけれど、その行き場のないエネルギーは、何か新しいことを始めたり、ものづくりへと昇華できると信じています。僕たちは現代の東京という大都会でそんなくすぶった人間たちの最後の砦、駆け込み寺でありたいんです。

⎯⎯ お店の外観はクローズドな印象を受けますが、そのハードルを超えて来店した顧客にはとても親身になって接客をしていますね。
龍允:僕たちのチームのファッションは尖っていたり、ハードコアに見えてしまうかもしれませんが、馴染むためのファッションではなく、強く美しく生きるための武器として物を身につけている。自分の弱さを認めているからこそ内からみなぎる自信をつけたいというのは僕たちも同じです。「メガネ」はまさに、顔という最もパーソナルで最もソーシャルな部分を覆うもの。顔に対するコンプレックスはきっと誰しもが持っているので、まずは本人が求めるものや抱えている問題についてしっかりヒアリングして、どうなりたいのかを聞いてから提案します。
例えどんなに明確なファッションスタイルを持っているゲストであっても、選んでいただいたものがたとえご本人が満足していてもレンズを入れた後に十分に似合っていないと思ったら正直に伝える。レンズに度を入れて仕上げてみたらイメージと違うこともあるので、もっと追求できると思ったらレンズやフレームの選び直しの提案をすることもあります。購入後でも、もし使いにくい理由があるなら満足行くまで付き合います。
※店舗では、最新の機材を使用した視力測定に始まり、レンズを手仕上げで加工、通常の数倍の時間をかけてフィッティングを行う。また、ソラックザーデで購入したメガネの修理は永久無料。長年の着用で出た歪みだけでなく、愛犬に噛まれたメガネや交通事故で破損したメガネも修復対応を受け付ける。

⎯⎯ 客層も幅広く、ハリウッドセレブもプライベートで来店されていたり、海外からの来店も多いです。
龍允:最近、ハリウッドスターの間で「いいとも」の「テレフォンショッキング」のような感じで紹介が続いているんですが、きっかけは当時22歳だった無名のアメリカ人ギタリストでした。有名人だろうがなかろうが関係なく、僕たちはゲスト1人1人を特別扱いしますが、彼は3本の最強のサングラスと出合ってすごく喜んでくれたので、店を一緒に出て「きっとこの店も好きだと思う」と言って、弟と3人で原宿の古着屋を何軒か一緒に回りました。そうしてすっかり友達になったんですけど、翌年から彼はグラミー賞を連発するハリウッドの最重要プロデューサーになったんですよ。すごいなあと思いながら見ていたら、今度は自分がプロデュースするアーティストたちに「東京行くなら絶対ソラックザーデに行った方がいい」と言って、次々店に送り込んでくるようになりました。アンドリュー・ワット(Andrew Watt)という名前なんですが、彼が手掛けるアーティストは若手のスーパースターから、レッチリのような大御所まで幅広い。うちのゲストも老若男女10代から90代までと幅広いので、同じですよね(笑)。昨年はレディ・ガガの楽曲をプロデュースしていて、ちょうどさっきもアンドリューから「My man I’m sending Lady Gaga to you」とメッセージが来ました。

初来店したときのアンドリューワット(2017年)
Image by: SOLAKZADE®︎

左から:岡本龍允、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリー、岡本竜(2022年)
Image by: SOLAKZADE®︎
龍允:そういう意味で、ソラックザーデの体験って「自分たちのものだけを売る」という枠を飛び越えているのかも。90代の常連さんは、階段を降りるのもやっとなのに喜んで来てくれるから、僕たちも駅まで見送りに行く。接客ってそういうものなんじゃないでしょうか。

「この間はブラピから『Hi Tatsuya, I’m brad. A friend of Flea’s.』と連絡があったんだけど、最初はスパムメールかと思った(笑)」

来店したブラッドピットと岡本竜(2026年)
Image by: SOLAKZADE®︎
「ファッションをやっている感覚はない」
⎯⎯ 改めて、幅広いファッションアクセサリーの中で最初に「アイウェア」を専門にされたのは、顔を装うというパーソナルな身体感覚に着目されたからなのでしょうか。
龍允:そうですね。身につけるだけで変身できる感覚が他のアイテムと比べても特に強いと思います。髪型もそうですが、メガネって顔にパーツを加えるので、顔そのものを変えるようなすごくパーソナルで大きな要素です。
あと、まず言っておくべきこととして、僕は「ファッション」をやっているという感覚が全くないんですよ。ファッションを学校で学んだこともないし、ファッション業界とのつながりもほとんどない。強いて言うなら“人間というパーソナルなものをやっている”と思っています。
⎯⎯ ファッションではないとしたら、アイウェアやジュエリーをどのようなものとして捉えていますか?
岡本竜(以下、竜):ゲストから「この店で買ったもので人生が変わりました」と言われることがあります。この店での出合いをきっかけに人生が違うルートに乗る、良い意味で新しい可能性が開いた、と。店を出た後にも続くそんな体験を与えられるものは、単なる装飾品の域を超えているんじゃないかと思うんです。
僕は兄貴の目線とはまた違うと思うんですが、僕もくすぶってる人間の1人でした。だからこそ、命を燃やせるような、没頭できる何かが欲しかった。兄貴に誘われて店を始めた時は「大丈夫か?」なんて言っていましたが、大阪での7年間、東京に出てきてからの10年間も、ひたすら好きなことに夢中になっていたら時間が過ぎていました。
職人としてアトリエで物作りにも携わっていますが、店頭に立つときは、僕がメガネに夢中になったように、ゲストの人生に少しでも良い変化を与えたいと思って接客をしています。くすぶっていた時は、自分が社会との接点を持てるとは思っていなかった。社会に希望を感じていなかったからこそ、今がすごく楽しい。僕みたいに、人生変わるほど夢中になれるものに出会える可能性がある人はもっとたくさんいると思うんです。

「昨日、お客さんと店の外で缶コーヒーを飲んでいたら『ソラックザーデってあったかいですよね』って、言ってもらいました」
龍允:ただのメガネ屋ではありたくなかったし、“ただメガネをやっている”つもりもない。肩書きとしては経営者ではあるけれど、単なる経営者ではありたくない。ただの商売やただの買い物にしたくない。そういう“概念の向こう側”に到達したいんです。商売は商売、仕事は仕事、メガネはメガネと割り切って終わらせることが僕たちにはできません。でも、僕たちだけでなく、例えば「今日という日をただの1日で終わらせたくない」というような矜持って誰しも少なからず持っているものだと思います。
学校でも就職先でも馴染めなくて「人生、これでいいのかな」と思ったり、歳をとってからふと「このまま人生終わるのかな」と思ったり、良い学校を出て良い就職をして「人生ってもうクリアしちゃったのかな」と虚しくなったり。どんな境遇でも世代でも、どんな人にでも、そういうくすぶりってあると思う。

職人としてアトリエでメガネを作る岡本竜
Image by: SOLAKZADE®︎
⎯⎯ 単なる店ではない在り方のスタンスとして、創業当初から「世界一ヤバイ店」を指標に掲げています。この「ヤバイ」の定義とは?
龍允:周囲が僕らに対して良くも悪くも期待したり決めつけたりするのものの向こう側に常に行きたい。何度も来てくれるゲストが多いんですが、一度来て感動したら、次に来た時は最初の感動が指標になってしまうから、また新しい感動を作らないと期待を超えられません。「ヤバイ」と思ってもらえるかはゲスト次第ですが、相手の心が動く瞬間はどこにあるのかをわからないとその感動は作れない。僕からしたらゲストも仲間も一緒で、心に刻まれる、記憶に残る時間になって欲しいと思って接するだけですね。

メガネを通して紐解く人類史
⎯⎯ まだ誰もまとめていなかったメガネの歴史を体系的に研究なさっているのも独自な点です。
竜:店を立ち上げる時に兄貴は、「アイウェアはまだ世界中で誰も歴史を体系化していない、だから世界最強を作れると思う」と言いました。そして「こんなに俺らが面白いと思うなら、根拠はないけど、世界の裏側にでも1万人や2万人、俺らと同じように面白がってくれる人が絶対いる」と。
龍允:19歳の頃に、会社に就職するなんて自分には絶対向いていないと悟りました。でも「歴史的」「世界的」みたいなスケール感のことしかやりたくないと思っていたから、どうやって生きていこうかと、22歳になるまで3年くらい試行錯誤していました。そういったスケール感で語るならジュエリーも良いですが、「カルティエ(Cartier)」には勝てないと思ったし、当時はお金もなかった。まず純粋に何か一つのことに対して「最強」になりたくて、メガネなら世界最強になれると思ったんです。
当時、文化人類学者の中沢新一さんが「芸術人類学」というジャンルを確立し始めていました。文化人類学は、数万年の歴史的スケールで人類が生み出してきた文化を通じて、人類って何なのか、僕らは何者なのかを探る学問。中沢さんは「芸術人類学」の中で、芸術を通じて人類を紐解いていた。それが面白かった。岡本太郎も、「なぜ描くのか」という画家としての自分のルーツを探す中で、1930年代にパリ大学で人類学を学んで縄文時代にたどり着き、自身のスタイルを確立しています。自分が何者かを探るとき、人類史を原点まで探りに行く人類学って実用的なアプローチだなと芸術人類学をかじった20代の時に感じました。時代を超えて社会が変わっても変わらない人間の本質を発見できるからです。僕はこれを雑学として知識を終わらせるのではなく、自分の人生に実用で取り入れたいと企んでいました。
メガネの歴史は数百年程度ですが、人類史の中では、僕らホモ・サピエンスの先輩たちは数万年前から途絶えることなくずっと装飾品というものは作り続けられてきました。そして僕が20代の時に、ヴィンテージメガネの生産時期を10年刻みで区切って時代背景を見ていくという研究に没頭しました。1つのジャンルのある時代だけではなく、約200年前から現在までのアメリカもヨーロッパも、日本も全部集めた。硬派な古着屋さんは、「50年代のアメリカだけが好き」「フレンチヴィンテージだけが好き」というその時代のスタイルを好んでいる方々も多いですが、僕たちは特定の好みも確かにあるものの、超えていくことを通じて解明したいものがあったので、蒐集・研究対象を面で広げていきました。
そしてあるとき気づいたんです。原始時代の人類の装飾史の原点である「洞窟体験」が、僕ら兄弟の、ソラックザーデの原点そのものでもあるということに。

⎯⎯ 原宿の一等地、ゴローズの地下にある狭く薄暗い店舗はまさに洞窟のようです。
龍允:思春期に、人間関係が急に煩わしくなってしまったんですが、一方で、三島由紀夫やバスキア、昔の映画になどには純粋に共感できました。なので、あるとき思い切って全ての連絡を断ち切り、友人関係を捨てた。日当たりの悪いコンクリート打ちっぱなしのワンルームマンションに弟だけを呼んで、小さなブラウン管テレビで古い映画を流して、音楽を聴いたり本を読んだりして過ごした。小さなパーソナルスペースに、ぼーっと光だけがあるような情景って、多分未開の時代の人類にもあったんじゃないかな。洞窟の中でたいまつの火を焚いて。嵐が来て、もう地球が壊れてなくなってしまうんじゃないかと思うような不安の中で、洞窟に逃げ込んで描かれた壁画を火で照らして。美しい貝殻や石を身につけたり、首を伸ばしたり、タトゥーを入れて身体変更して、祈りを歌って踊って神と繋がろうとしたはず。現在に繋がるファッションや音楽、映画といった文化や産業の始まりは、弱い心が暴れるのを鎮めるために行っていたカミと繋がる儀式のようなもので、美しいものを身につけることは、今でもお守りのような感覚としてありますが、昔の人にとってはもっと実用的な切実なものだったのではないかと思います。現在では信じるものの形が変わって、ファッションとかブランドがその役割を担っている。日本に古くから伝わる八百万のカミの感覚と同じで、僕たちにとってはひとつひとつのアイテムが神様みたいなもの。お店自体が“神様集め”みたいな感覚なんです。
洞窟で人類が守られたように、僕が部屋で映画を観て心理的に守られていたように、この空間も誰かにとって弱い心を引っ張り上げてくれる場所になってほしい。最初はただ無我夢中に、自分のために作った場所だけど、振り返ってみると、そういう店を目指していた気がするんですよね。

⎯⎯ 多様な時代や国のアイウェアが集まっていますが、統一されたムードを感じます。
竜:兄貴が昔、店を作る前によく言っていたのは、「1つの部屋にキャビネットを沢山配置してその中に“全部”をディスプレイしたい」ということ。歴史上の文化の全てを展示して、収納しておきたい。アイウェアに関しては、これまでの歴史の中で押さえられていないものはないと思います。かといって、何でもかんでも仕入れているわけではないんですけど。
⎯⎯ 3万本以上のアイウェアの在庫を抱えています。仕入れはどのように行っていますか?
龍允:アイウェアはジュエリーや時計と違って、産地に行ってデッドストックを見つけることができます。主要なところだと、日本とイタリアとイギリスとフランスとドイツ。アメリカは昔は名産地でしたが、最近はあまりありませんね。歴史を把握しているからこそ、デッドストックが出てきそうな場所や時期はある程度予想できます。そして、実際に足を運んでみると、本当に1000本、いや1万本ものデッドストックが出てきたり。仕入れには基本的に僕たち2人で行くことが多いですが、最近は店舗の若いメンバーに行ってもらうことも増えてきました。最初は古い個人店から在庫を譲ってもらうところから始まりましたが、現在は東京でヴィンテージやデッドストックを取り扱う店としてはソラックザーデが代表的な存在として認知されているので、世界中のアイウェアメーカーなどからデッドストックが大量に見つかった際は、必ず僕らに連絡がきます。ヨーロッパではそのボリュームの在庫を買い取れる店はありません。そして、連絡をもらった場所を回っているだけで1年が終わるほどです。

⎯⎯ 日々多くの商品に触れる中で、店に置きたいと感じるアイウェアの条件は?
龍允:時代や歴史的な目線で見てその時代として王道的に重要なものとはみ出した突然変異のような物。そして、とにかく美しかったり、かっこよかったり、デザインが優れているもの。この2つの目線に加えて、寿命がしっかりあると保証できるだけの状態かどうかもシビアに確認しています。ソラックザーデに置いているのは全てデッドストックと呼ばれる未使用の新品ですが、モノによっては未使用でも水分が抜けてしまっていたり酸化していたりと劣化が見られる場合があります。この点を現地でも表面の手触りやニオイからチェックして、さらに入荷してからのチームでの検品体制をクリアした寿命を担保できるものだけ仕入れて販売しています。
※入荷したセルフレームの検品では、水分量や酸化度合に厳しい基準を設けている。入手したフレームのうち、1940〜50年代の約半分、1960年代の約3割は不合格となる。

⎯⎯ 3万本の在庫全てをデッドストックで揃えることができるのも、メガネという比較的新しいジャンルならではでしょうか。
龍允:古着やクラシックカー、ヴィンテージギターなどの他のジャンルではあり得ない話ですよね。そのうち無理になる時は来ると思いますが、メガネに関してはまだ未使用だけでもやっていける。20年前はヴィンテージアイウェアというジャンルすらなく、僕たちがパイオニアになれたからこそです。普通は眼鏡店1店舗あたり1000本も在庫があれば多い方なので、未使用品だけでもまだ数十年はやっていけそうです。
竜:僕からすると、兄貴は買い方がすごい。状態を重視するのはまだわかりますが、僕から見たら「それ?」というようなぶっ飛んだデザインやブランドのものも、1000本単位で買い取る。俺にはまだ見えてないものが兄貴には見えているんです。例えば、今では「シュプリーム(Supreme)」がコラボしたり、一般的にイケてると言われる「ジャンポール・ゴルチエ(Jean Paul Gaultier)」のサングラス。当時は僕には何がいいのかわかりませんでしたが、今では1本数十万円の値段がついています。カルティエだって、ジョニー・デップが愛用している「タート オプティカル(TART OPTICAL)」のアーネルだって、「大量に出てきたから全部買うたんや」って。本当に“張り方”がすごい。
龍允:手元に金がなくてもモノが出てきちゃうので、銀行からその度に数千万円の借金を繰り返してでも買ってきました。
竜:流行っているから買う、だったらわかるけど、兄貴は誰も知らないようなジャンルのものも買ってくる。20年前には、当時まだ誰も注目していなかった1940年代フランス製の太いフレームを山盛りに数百本買ってきた。「金ないのにどうすんねんこんなメガネ!」って(笑)。でも兄貴は「絶対これは良い」って確信してたんですよ。刻印もありませんが、「マックス ピティオン(MAX PITTION)」というブランドのタグがあり、当時これに「ポリティシャン」というモデル名を付け、数本だけあった極太フレームは「プレジデント」としました。そして、今ではその復刻みたいなデザインが世の中に溢れているという。
龍允:ギタリストのジョン・メイヤー(John Mayer)がうちでそのフレームを買って惚れ込んで、そのブランドごと復刻したんだよね。「龍允、どうして復刻しないの」と聞かれたので、「僕らは復刻に興味ないからやってくれていいよ」と言いました。

⎯⎯ 今後価値が高まる、再評価されるものを見極めているんでしょうか?
龍允:価値が上がるかという目線でもないし、売れるかどうかという目線でもありませんね。店の中に、景色というか、宇宙や世界のようなもの作るためにピースを集めている感覚です。
でもやっぱり、すぐにお金がなくなって。会社を始めてすぐの、20代前半から中盤までの数年間は、周囲からは趣味みたいなものだと思われていたから、お金も借りられなくなっていきました。大先輩の社長に「そんなのは経営じゃないし、お前は経営者には向いてない」とも散々言われたし、生まれたての子どもがいたのにそんな感じだったので、「お前は妻、子どもに楽な暮らしもさせず自分の好きなことをやって、人でなしだよ、まだ遅くないからサラリーマンやった方がいい」と言われていました。確かにその通りだとは思いながらも、悔しくて、どうしても見返したかったし、諦めたくなかった。お金を稼ぐために、時々大阪からニューヨークや香港、東京へ行商に行っていたんですが、そこではすごく手応えがありました。なので最後の挑戦だと思って10年前に東京に来たんです。東京に知り合いは全然いなかったけど、唯一知っていたのが「グレイト(GR8)」の久保(光博)さんで、久保さんが紹介してくれた縁で原宿で長くからやっている不動産屋さんの安野さんと知り合ったんです。その方は昔ゴローズビルの隣で今アトモスがある場所に事務所を構えていて、ゴローさんは安野さんだけにこの物件を任せていました。そして、10年以上もずっと誰にも貸さずにいたのに、僕ら兄弟に貸してくれた。なぜか気に入ってくれたんでしょうね。

ゴローズビルの地下はソラックザーデが入店するまで10年間空き家になっていたという。兄弟は当時ゴローズの存在を知らなかったが、内見したのはこの1件のみで即決した。
⎯⎯ 苦労した期間も長かったんですね。
龍允:僕ら兄弟の20代は影の時代とも言えるかもしれないけど、研究開発期間だったとも思っています。当時は、お客さんに向き合うよりも、「レイバン(Ray-Ban)」のカタログを60年分並べて、古いメガネの構造を研究する時間の方が重要だった。例えば、なぜ1973年からメガネの主要な素材が変わるのか。そんなこと検索しても当然出てこないんです。でも実は1973年にオイルショックやドル安による世界経済の混乱によって金の価格が上がっている。その影響で「ロレックス(ROLEX)」の金無垢は値段が3倍になったんですが、メガネは全般的に素材が変わり、金張から金メッキになりました。実用品であり日用品なので簡単に3倍には値上げできなかったんでしょうね。金は薄くなり、金メッキ加工が普及したんです。そうやって謎解きのように、僕らなりに歴史のストーリーを語っていたのが出回って、現在は一般的な知識としても知られるようになっています。そうした知識は、元を辿ると、幅広い地域や時代を横断して一つずつ歴史を解明していったストーリーなんですよね。
⎯⎯ 素材や産業の歴史からアイテムのディテールを紐解くのは、古着に通じる面白さがありますね。
竜:そうですよね。化繊の洋服が普及する時期と、樹脂フレーム(セルフレーム)のメガネが増え出す時期って同じなんですよ。1940〜50年代って、今と逆でナイロンがウールやレザーより高級だったように、当時は新素材である樹脂フレームの方が金張のメタルより高級品でした。
最強の専門店がメゾンブランドになる
⎯⎯ メガネから始まり、ジュエリーや時計、車までジャンルを拡大していますが、服は取り扱っていません。
龍允:服自体は昔からすごく好きですし、自分たちのスタイルといえるものがありますが、他にもすごい人がたくさんいることがわかっているし、そういった方達へのリスペクトがあるので。そして、ただセンスがいいんじゃ嫌で、専門店であり、専門家でありたい、という理由もあります。
メゾンブランドの店員さんは販売員で、売上の成績で評価されている。そういう商売のゲームにしたくない。僕らがやっていることは、紐解いていくと、150年前のヨーロッパのメゾンブランドと同じです。「エルメス(HERMÈS)」や「ルイ・ヴィトン(LOUIS VUITTON)」だって、元々個人の専門店だった。素材や製法に詳しくて、お客様の要望をしっかりヒアリングして、問題解決ができる専門家。呉服屋さんもテーラーもそうです。そういうプロフェッショナルな接客が信頼を得て、何かのジャンルで最強になった人たちが、結果的に今ではライフスタイル全てを網羅するブランドになったわけです。僕たちも、まずは何かにおいて最強になるべきだと思ったからこそ、最強なものを求めている人間の信頼を勝ち取るためのジャンルをギュッと絞った。最強な上でセンスがあれば良いけど、センスだけに頼らない「ブランド」になりたかったんです。

⎯⎯ メガネで「最強」になったからこそ、ジュエリーや時計に領域を拡大していった。
龍允:今も取ってあるんですが、20歳の時にスケッチブックに描いたソラックザーデの未来像には、当初からメガネだけでなくジュエリーもクラシックカーも建築もありました。
⎯⎯ 7月には青山に新しく、オリジナルブランドのお店を出店されるそうですね。
龍允:はい。南青山に「グリーンシェルター」と名付けた住所非公開の場所をオープンします。2階建ての緑色の一軒家を「ショールーム兼アトリエ」として使い、1階の「グリーンアトリエ」では職人たちが日々の制作を行います。2階の「グリーンルーム」は100年前の舞台の楽屋のワードローブのような空間にして、「ソラックザーデ・オリジナル(SOLAKZADE®︎ORIGINAL)」だけを全面に置いてみます。シャツ10型をはじめとした初の布帛の洋服を作るほか、レザージャケットやブーツ、そしてメガネをオリジナルで制作します。これまでの接客の中でも、ヴィンテージメガネだけじゃゲストが抱える問題を解決できないことがありました。メガネだけでは足りず、靴やストール、服が必要な場合も増えてきた。これまでも隠しメニュー的にビスポークを受け付けていたんですが、しっかりとオリジナルブランドとして発表し、育てていくことにしました。この青山の場所の存在意義も、原宿のソラックザーデの体験と本質的には同じです。

7月に新たに南青山にオープンするアトリエ外観
Image by: SOLAKZADE®︎

SOLAKZADE®︎ORIGINALのアイウェア
龍允:昔のメゾンブランドは、一つの建物の中にショップも工房もある。懐の深い販売員と、扱いづらい異常な職人と、文化を護る器の大きな経営層が一緒に働いていた。カルティエのタンクウォッチやエルメスのバーキンは、そういう中でのやり取りから生まれたからこそ、長い時間を超えて今でも愛されている。現状のラグジュアリーブランドはそういうものづくりはしなくなってしまったかもしれませんが、現代でそうしたブランドを作るというのが、新しくて古い僕らなりのものづくりかなと。何年後になるかはわかりませんが、「ソラックザーデ」と言う名前を店名ではなくブランドとして認識してもらいたいですし、いずれはヴィンテージからオリジナルに移行していきたいというヴィジョンがあります。

SOLAKZADE®︎ORIGINALのホースレザージャケット。ボタンは純銀製。店の扉の模様をあしらっている。眼鏡も弟の竜による完全ハンドメイドの一本。
Image by: SOLAKZADE®︎
原宿で職人を育てること、新しい職業を作ることに意味がある
⎯⎯ 復刻には興味がないとおっしゃっていましたが、オリジナルブランドのデザインはどのような着想源から生まれますか?
龍允:オリジナルでも、ヴィンテージでやってきた「タイムトラベル・カルチャートラベル」ができるようなワードローブの広がり、奥行きを作りたい。僕らデザイナーの個性を出したいんじゃなく、「強いモノ」を作りたい。ものづくりって「美意識 × 手仕事」でしょう。そして、手仕事は「素材 × 製法」。美意識の歴史やデザイン史、素材、製法の変遷を知ることで、歴史的な知見の中からの価値のある要素にもう一度光を当てたい。
僕たちは、プロダクトという工業製品ではなく、クラフトという工芸の領域でものづくりをしています。国産メガネの99%が福井県の鯖江で作られていますが、あれらは工業製品です。もちろん鯖江製品も素晴らしいですが、作家的な職人の手作りによるアセテートメガネにはシンプルなデザインでも、躍動感があり、生命が宿っているかのようです。デザインじゃないところで物として力強いのがいい。
例えば、べっ甲は亀の甲羅からできていますが、亀の甲羅って熱を加えると天然の接着剤が出るので、それを活用して板状の甲羅を重ねていくことで造形していきます。べっ甲特有の模様は、職人が一枚ずつ甲羅を貼り合わせるときに柄を合わせて表現するんです。オリジナルで制作したこのべっ甲のメガネは、職人によってすべて手作業で作られました。

奥:手作りのべっ甲メガネ。(左側の紙状のものが熱を加える前の甲羅)、手前:手作りのアセテートメガネ
⎯⎯ オリジナルメガネはビスポークを中心に提案されるのでしょうか。
竜:ビスポークだけだとすごく限られた人のためのものになってしまうので、ビスポークとメイドトゥオーダー、量産の3つのラインを用意します。量産では、鯖江で生産したものをベースに、最後の表面の繊細な磨き仕上げの魂を吹き込む工程だけを青山のアトリエで行います。
⎯⎯ その仕上げは鯖江ではできないのでしょうか。
龍允:鯖江では僕らの感性をカタチにできる職人さんを知らないので。そして物を良くすることも当然ながら、自社の職人の機会創出という目的もあります。くすぶっているかっこいい奴が、店員の気前のいい兄ちゃんで終わるのではなく、手に職をつけて職人として、表参道・原宿で活躍していたら、世界中がビビるしリスペクトする。今は職人は田舎にいるというのが一般的なイメージですが、「原宿や青山でかっこいいやつが職人をする」という、新しい職業を作りたいんです。そういうやつがかっこいい、という景色を作りたい。
⎯⎯ 職人の育成にも力を入れているんですね。
龍允:めちゃめちゃ育てています。最終的にシンプルな丸メガネに行き着くとして、最後は、誰に作ってもらうかが重要じゃないですか。そして、目の前の、かっこよくて、いいやつで、人間的にははみ出し者で手に負えないところもあるけど、最高の仕事をしてくれるような人間的魅力に溢れた職人が作ることに意味がある。昔の職人さんたちは、専門学校ではなく、師弟関係で育った人たちだったから。うちの店にもピュアでいいやつがたくさんいるので、そういうやつらの活躍の場をもっと作りたい。うちにはいろいろなバックボーンの人間が入ってきますが、昔から、ソラックザーデでは最初の3ヶ月間は修行をして、実際に一通りメガネが作れるようになるまでは人前に立たせないという伝統があります。技術は弟を中心に僕たち2人で教えています。


ソラックザーデの店内では職人が制作を行っている。
⎯⎯ お二人はどのように技術を習得されたのでしょうか。
龍允:大阪拠点のビスポーク眼鏡工房の「Glass Tailor」の吉田直樹さんと、鯖江のアセテート生地商社「KISSO」の吉川精一さんのおかげです。ビスポーク眼鏡職人の吉田さんは、工房に数回通った弟に、眼鏡作りのコツを惜しみなく伝授してくださった。KISSOの吉川さんは20代の時に鯖江に行ったら僕たち兄弟に興味を持って、とてもよく世話をしてくれて、知っておくべき工場全部を案内してくれた恩人です。鯖江の工場は分業制で、1つのメガネができるまでの400以上の工程それぞれに専門の職人がいるんです。吉川さんには今もお世話になっていて、古い機械を扱っている店も教えていただき、機械も集めるようになったり。福井の方々には助けられています。教えてもらった技術は自分たちのアジトに持ち帰って夜な夜な練習しましたね。だから僕らも、やる気のある若いスタッフには惜しみなく教えます。

※数を減らしていたガラスレンズの需要を復活させるなど、技術の継承や再興にも力を入れている。傷と経年劣化に強く、重厚な質感と光沢を放つガラスレンズの魅力を伝えるため、デッドストックのガラスレンズの入手に始まり、大阪のレンズメーカーと協力して再興させた。このほか、金継ぎでのフレーム修理や、継ぎ目のないレザー巻きカスタム、縁無しフレーム用のレンズのための側面ダイヤモンド鏡面加工など、多岐にわたる実験的な試みにも取り組んでいる。
日本にはまだ、ラグジュアリーブランドが育つ可能性がある
⎯⎯ 新しいブランドは「ポストラグジュアリー」を掲げています。ラグジュアリーという言葉をどのように捉えていらっしゃいますか?
龍允:いつの時代も本当に贅沢なことは、自分の心を喜ばせること、自分の魂を振るわせること、自分の感性を刺激することじゃないでしょうか。そして僕らにとっては、それを実現していたのが100年前の体制だったんじゃないかと思います。1人のデザイナーがイケてる物をいっぱい作って世界で売るんじゃなくて、昔の呉服屋、テーラー、旅行鞄屋のように、ひとりひとりの中にあるスタイルみたいなものを、時間をかけても一緒に作っていく手伝いをする。それは服装のスタイルだけでなく、ライフスタイルかもしれませんし、生き方そのものかもしれない。言うは易しなんですが、僕はお客さんに対しても、仲間に対しても、かっこつけずに本気でそれを具体的に実現したい。
本当に好きなことに正直に、得意なことで飯を食っていくってめちゃくちゃ夢みたいに思えるけど、誰もがやりたいことだと思います。特にファッションの世界では、業界にキラキラしているイメージがあっても、ほとんどの人がただの販売員としてキャリアを終えていく。その好きな気持ちを専門性にまで高めて、お客さんの問題解決ができるまで伸ばすためには時間がかかります。でも、100年前から今まで残り続けているブランドはそれをやってきたんだと思うんです。
この150年間、合理性を追求する過程で失われたものは多い。組織の論理と個人の豊かさのバランスの中で、だいぶ組織のための合理性に寄った思考がビジネスの中心になりました。でも僕たちは、個人を優先する組織、個人を大事にする店舗、ブランドになりたい。偏った社会のバランスを取り直したいんです。

SOLAKZADE®︎原宿の店舗1階の木の玄関は、ナラの無垢材で、家具職人のヘルプのもと、岡本兄弟によって彫られたもの
⎯⎯ 社会や産業に対しても変化を起こしたい?
龍允:ただかっこよくするだけ、ゲストのためだけだったらヴィンテージだけのままでも良いんですが、ゲストに提案するだけでなく、作り手にまで還元されるエコシステムを作りたい。作り手、売り手、買い手の全てが育つための生態系を作りたいんです。
日本には、「ラグジュアリー」を実現するためのすごく良い環境がまだギリギリ残っている。例えばイタリアのものづくりの土壌って、ヨーロッパの数多のブランドたちが存続することで築かれてきた。一方で日本には、ファッションブランドはあっても、ラグジュアリーブランドは存在しません。ヴィンテージ市場を見ていても、日本ブランドのネームはなかなか見かけない。100年続いている高級ブランドとして認知されているのは「ミキモト(MIKIMOTO)」くらいです。日本だってヨーロッパと同様に高い文化力がありますが、なぜラグジュアリーブランドが育たないのか。日本の戦後のものづくりは良いものを安く提供するというお題目で突き進んできて、それがグローバルなイメージにもなった。ただ、その勢いが衰退してきた今、そうも言っていられない転換期が来ていると思います。一見高価かもしれないけど、作り手の利益も考えて、作り手に憧れるような状況を作るためにも、適切な価格で商品が売れることがすごく大事なんです。
⎯⎯ ソラックザーデが目指すラグジュアリーブランド像を教えてください。
龍允:口だけでいうのは簡単で、10年、50年後になってみないとわからないことですが、僕らが作ってきたソラックザーデという店は“100年前にあったラグジュアリー”だと自負しています。ブランドって、信用されるべき存在じゃないですか。だから、ものづくりを通して信頼を得たい。このお店もいろんな方々を巻き込んでここまで来たので、実現できるイメージはしっかりあるんです。今の日本の環境に対しても、可能性を感じています。ライフスタイルブランドとして領域横断的に事業展開をしたいという野望はありますが、規模感はLVMHやエルメスの100分の1で良いから、その分その純度を数百倍にしたい。入荷の順番待ちを受け付けるだけの店員じゃなくて、ちゃんと専門家を10人でも30人でも育てて2〜3店舗を運営している方が、テクニカルに商売をしているメゾンブランド以上の熱狂や信頼は作れるんじゃないかなと思っています。

最終更新日:
◾️ソラックザーデ:公式サイト
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