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半世紀以上「時代」を捉えてきた写真家 森山大道と探る、現代と未来へのヒント

 「What is the future you really want?(本当に欲しい未来はなんだ?)」これを合言葉に、世の中を分断する「二項対立」ではなく、未来をつくる「三者対話」により未来のあり方について考える、ソニーx元日本版WIRED編集長 若林恵によるプロジェクト「trialog」。7月30日、「時代」をテーマにvol.7が開催された。ゲストは、世界的写真家・森山大道と、長年彼の歩みを近くで見守ってきたAkio Nagasawa Gallery主宰・長澤章生。デビューから50年以上に渡って第一線で活躍し続ける森山は、どのように「時代」を映す写真と向き合っているのか。

森山大道
1938年、大阪生まれ。写真家・岩宮武二、細江英公のアシスタントを経て64年に独立。68〜70年には写真同人誌「プロヴォーク」に参加し、ハイコントラストや粗粒子画面の作風は"アレ・ブレ・ボケ"と形容され、写真界に衝撃を与える。2019年ハッセルブラッド財団国際写真賞受賞。主な写真集に「にっぽん劇場写真帖」(1968)、「写真よさようなら」、「狩人」(1972)、「光と影」(1982)などがある。

長澤章生
Akio Nagasawa Gallery/Publishingディレクター、森山大道写真財団理事。自身のギャラリー Akio Nagasawa Gallery(銀座&青山)で年間各5本程度の展覧会を開催し、展覧会に併せ、自身の出版社より多数の写真集を出版する。主な写真集に、森山大道個人写真誌「記録」、ウィリアム・クライン「東京1961」、川田喜久治「地図」(復刻版)、細江英公「シモン私風景」などがある。

若林恵
1971年生まれ。編集者。ロンドン、ニューヨークで幼少期を過ごす。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業後、平凡社入社、「月刊太陽」編集部所属。2000年にフリー編集者として独立。以後、雑誌、書籍、展覧会の図録などの編集を多数手がける。音楽ジャーナリストとしても活動。2012年に「WIRED」日本版編集長就任、2017年退任。2018年、黒鳥社(blkswn publishers)設立。

情報の少ない60年代、自分の"好き"を辿った

 刻一刻と変化する時代。表現者にとって、時代の流れを捉えることは重要なスキルだ。冒頭、若林は「第一線で長く活躍し続けるには、時代に寄り添いすぎないことが大事なんじゃないか」と提唱し、トークイベントはスタートした。

写真家・森山大道

森山:子どもの頃から勉強がまるっきりだめで、絵だけは好きだった。しょっちゅう神戸に行ってはキャンバスに絵を描いたりして。画家になるつもりだったんだろうな。若い頃は商業デザインをやっていたけど、なぜか写真やっちゃったんだ。

若林:商業デザインと写真、何が違ったんですか?

森山:デザインってデスクワークじゃない?体質的にデスクワークがだめなんだよ。でも、写真にはそれはないと思って、訳も分からず突っ込んだ。露出も分からない、カメラも分からない、という状態。そこから始めて、何十年もやっているうちに、写真ほどポテンシャルを持ったメディアはない、と思うようになってきたわけ。

 森山がデビューした60年代は、まだインターネットが普及していない、情報過多と言われる現代と比較して情報の少ない時代。商業デザイナーから写真家に転身し、今もなお第一線で活躍し続ける森山は、シンプルに自分の"好き"を辿っていた。

森山大道の写真論「非日常の連続が日常」

 半世紀以上に渡って時代を映してきた森山。彼自身は、その被写体をどのように捉えているのだろうか。

若林:森山さんがシャッターを切るとき、サブジェクトはどういうものなんでしょうか?

長澤:例えば「大阪」や「新宿」など、場所がタイトルになっている写真集がありますが、それはただ大阪で撮った、新宿で撮っただけであって、大阪を撮ったわけでも新宿を撮ったわけでもないんです。見る人との接点としてタイトルにつけているだけで、森山さん個々の写真にタイトルはないですもんね。

森山:うん、ないね。

若林:その時は何を撮っていることになるんですか?僕らはそこに何が写っていると見るべきなんでしょうか。

森山:一枚の写真を撮るっていうのは、この性格や、性癖、記憶とか、そういうものを持ってる僕が、たまたま街で出会ったものを撮っているに過ぎない。一枚の写真には確かに僕自身の中から出たものを写しているけど、それはそこまでで、後は勝手に見てくださいと。見る人がいちいち僕になぞって写真を見るわけではないから。一枚の写真に対して、見る人がそれぞれ自分と対面するわけで、その人の性癖や歴史に、実は関係しているんだよね。

長澤:カメラって面白くて。100人が同じカメラでこのペットボトルを撮ったら100人違う写真に仕上がるんですよね。同じ機械で撮ってるが故に、ダイレクトにその人の個が出るわけ。つまりは僕の解釈ですが、森山さんが撮るワンストロークにそれまでの全人格が写っちゃうんですよね。

森山:あるものと出会った瞬間、自分の気持ちの奥の奥に潜んでいるものが、ある日ぽっと出てくるという感じなんだよ。スナップっていうのはね。

長澤:それと写真って決定的な瞬間を撮っていると思われるけど、森山さんから言わせると「何気ない日常なんて一瞬たりともない。非日常の連続が日常で、どの瞬間もシャッターチャンスだ」と。そういうふうに世界と対峙してる人が撮る瞬間と、何気ない日常と思って「あ、今あれが面白い!」と撮る人では違うんだよね。

若林:僕は完全に後者です。(笑)でもそうだとすると、気が抜けないですね。

森山:この外界は千変万化するわけ。同じように見えるかもしれないけど、全然違うわけだよね。だから気は抜けない。少なくともカメラ持って彷徨いている時は、いろんなものを見ているつもり。ちょっとでも引っ掛かったらとにかく撮る。もう考えないよ、僕の場合。

森山大道の代表作の一つ(© Daido Moriyama photo foundation Courtesy of Akio Nagasawa Gallery)

若林:変な質問かもしれませんが、1時間街中を歩いたら何回くらいシャッターを切りますか?

長澤:
数年前にモロッコのマラケシュで展覧会があって僕も一緒に行ったんですけど、その日は森山さん1日で1500枚は撮っていましたね。

森山:そのくらいは撮るよね。特にマラケシュの場合、もうどこも撮り外せないっていうの?みんなおかしいんだ。みんな面白いし。

長澤:でも、ロンドンでベニスみたいな風景があるらしいということで行った時は、タクシーから降りた瞬間「OKです」と言って何も撮らずに帰っていましたね。(笑)

若林:面白いですね。それは何の違いですか?

森山:僕の性癖だよね。僕は大体、如何わしいものが好きなんだよ。だからあんまりきちんとしていると、どうもいいやって。例えば新宿を撮っていると、どうしても歌舞伎町の方に行っちゃう。西口のビル街の方へはなかなか行かない。

若林:
「60年代の新宿は楽しかった」というようなお話をよく聞きますが、そこから開発がどんどん進んで、細々したお店は更地になって、ビルが増えました。それをご覧になってきて、都市に面白みが無くなってきているという感覚はありますか?それでも変わらず都市は面白いですか?

森山:面白いね。よく「昔は良かった」とか言うけど、それは昔の話。今面白くなければ意味がないの。カメラマンは今しか撮れないわけで、今しか写せないわけだ。だから「昔は」なんて言ってる暇はないわけ。

若林:森山さんは「都市の欲望」という言葉をよく使われている印象ですが、それってどこにあるんでしょうか?

森山:渋谷も新宿も、僕から見ると街全体が「欲望の塊」に見えるわけ。「欲望のスタジアム」っていう言い方を僕はよくするんだけど。欲望が渦巻いているわけじゃない?それを撮らないわけにはいかない。

若林:そこに流れている欲望は変わるものですか?この時期は性欲が強いとか、金銭欲が強いとか。

森山:それはね、混沌としてある。エロティックな部分も、金銭的な欲望も混在して、氾濫している。それが都市だよね。だから面白い。

《東京・日本》のアイデンティティ、独自に進化した日本の写真文化

 なぜ、森山の作品は世界で高い評価を得るのだろうか。森山が「かなり成熟している」と話す日本の写真界。その背景には何があるのか。話題は東京・日本のアイデンティティ、そして未来について。

Akio Nagasawa Gallery主宰・長澤章生

若林:いま海外で森山さんの需要がどんどん高まっている理由は何だと思いますか?

長澤:「森山大道=東京」っていうイメージなんですよね。「アンディ・ウォーホル=NY」みたいな、そういう感覚。それと、諸説ありますが、写真が誕生して数年後には日本にカメラ機材は上陸していて、写真の歴史って世界同時で「よーい、どん」で始まっているんです。それぞれ独立した歴史があって、技術的な優劣はなく、あとは感性の話。その時に、どう逆立ちしても森山さんのような写真は撮れないと彼らは思って、憧れるんですね。

若林:スナップは日本の写真の歴史において、特異な進化を遂げたジャンルと見なすことはできますか?

長澤:世界的にいうとスナップは劣勢なんです。なんでもない原っぱを写して、「ここで第二次世界大戦中大虐殺がありました」とか、写真とキャプションをいじるようなコンセプチュアル・アートとかの方が優勢。だけど、スタイルが違っても、写真やってる人同士通じ合うんだと思いますよ。

若林:森山さんは、「森山大道=東京」のイメージや日本的だという海外の評価についてはどう思いますか?

森山:なんでそんな面白がるのか、俺はよく分からないんだよ。面白いと思ってくれているのは嬉しいけど。その内訳なんか聞きたくないし、聞いてもどうしようもないじゃない。この間、ブラジルからあるキュレーターが来たんだけど、彼は「日本の写真はこんなにもグレードが高いのか」とびっくりしたみたいね。外国を知らなかっただけでさ、日本の写真はすでにかなり成熟していると、実は思うよ。

若林:日本人は写真に向いているんでしょうか?

長澤:土壌として、世界的なカメラメーカーがいくつもあって、60〜70年代から印刷技術が世界に先駆けて発展したことで印刷文化があるとか、写真と親和性が高いものがいっぱいあるんですよね。例えば、欧米だと一枚の写真を収めるための本が写真集だったけど、日本の場合は本・写真集を作るための写真を撮っていた。あくまでも本が主体で、ベクトルが逆なんですよね。そういう写真のあり方がまず根本的に違いました。

若林:日本人は写真集好きですよね。

長澤:欧米は基本、写真・マージン・キャプションの繰り替えしで、要は作品を収める箱。でも日本は、ページをめくる時間や運動を活かしたページネーションや断ち切りとか、そういう行為を作品化していくようなところまでいっていたから。欧米の若い人たちは日本の写真集をすごく勉強しています。ファッションでいうと、欧米に対するアンチでコム デ ギャルソン(COMME des GARÇONS)が生まれたら、今度は逆に向こうがコム デ ギャルソンを学ぶといったような、写真集においてはそんな現象があります。60年代は田中一光さんや杉浦康平さん、横尾忠則さんといったデザイナーが写真集を作っていて、どちらかというとデザイナーの本という感じもありましたよね。川田喜久治さんの「地図」は杉浦康平さんのデザインなんですが、戦後の写真集でベスト3に入ると僕は思いますね。

若林:ちなみにそのベスト3は?

長澤:1位は「写真よさようなら」(森山大道)ですね。あとは横尾版の「薔薇刑」(細江英公)かな。

森山:この間、細江英公先生の「薔薇刑」を久しぶりに見返したんだけど、やっぱりいいよね。僕はその撮影の時の助手だったから全部見てるわけだけど、長い年月を経て改めて見ると、本当に稀有な写真集だと思う。

長澤:あの中で三島由紀夫にホース巻いてるの森山さんですよね。

森山:細江先生が巻けって言ったから。

長澤:あれ細江さんが28歳の時ですからね、恐ろしいよ。

若林:日本が成熟したということは、生々しさの前に色々なコンテクストが走ってしまうといったことがあるのでしょうか?

長澤:日本は成熟して、なだらかに腐り落ちていく過程だと思います。それはそれで爛熟した美というものがあるし、中国やアジア圏は青春のような生き生きさや、勢いがあって、それぞれの美があると思います。

若林:日本は衰退していくところのある種の美しさがあるとして、もう一回青春期みたいなものはやってくるのでしょうか?

長澤:同じことは起きないと思います。例えば、中国に日本の爛熟した退廃的な美を求めるのはナンセンスだし、日本に中国の勢いのある青春を求めるのもナンセンスですから。何かあるとすれば、我々が今の概念では考えられないような、違った形の何か。例えば技術革新によってなのか...。ちょっと前まではインターネットなんてなかったわけだし、何がどうなるかなんて分からないですよね。

森山大道の「時代との距離感」

若林:時代時代の、流行っている写真家は気にしてご覧になったりしますか?

森山:あんまり見ないけど、若い人は写真集とか送ってくれるし、なんとなく分かってはくる。「こいつ基本あんまり面白くないけど、この写真とこの写真はすげーいい」とか、「これを撮れるっていうことはそういう体質を持ってるんだな」とか思うと、一枚の写真に僕は嫉妬する。口には出さないけどさ、悔しいから。

若林:影響は受けないまでも、その後写真を撮る時になんとなくそれが残っていたりしますか?

森山:そんなの残らないよ。その場だけで嫉妬してる。

若林:さきほどの「欲望のスタジアム」という話に戻りますが、森山さんはそれを傍観者として見ているんですか?それともその中にいる人間なんでしょうか?

森山:それは両方だよね。カメラを持って街を歩いて見ている以上、完全な傍観っていうのはあり得ないよね。

若林:全面的にその一部というわけではなく、少し引いたところにいるイメージでしょうか?

森山:引いたところというか、この性癖、性格みたいなものは僕のものだから。それがあっちこっちに出て行くだけだね。

 トークショー後半、会場に詰めかけた来場者から「スマートフォンや携帯で写真を撮ることがかつてないほど多いこの時代をどう思うか」と質問を投げかけられると、森山は以下のように答えた。

森山:女の人が、食べる前に写真撮るじゃない?それを「いいな、一枚また世界に写真が増えたよ」という感覚で僕は見てる。写真はもっともっと氾濫して欲しい。簡単に言うと、写真は"記録"ですから。大げさに言うと、世界の記録なんだよね。そう思うと、一枚でもみなさん撮ってください、と思うね。

 80歳にして、今も第一線で活躍しクリエイティビティを発揮する森山。自身の欲望に素直に向き合っているからこそ、彼の作品は半世紀以上に渡って、人々の心に訴え続けることができるのだろう。情報がかつてないほど氾濫する現代。外にばかり意識が向いて、時に自分を見失ってしまうことさえある。意識的に内面に目を向け、時代との距離感を保つアイデンティティを確立することが、現代を生きる、そして"本当に欲しい未来"を手に入れる第一歩かもしれない。

trialog:公式サイト

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