ADVERTISING

「ファッションスタディーズ」の目的と意義 消費と切り離された服の研究は社会に何をもたらすのか

Image by: FASHIONSNAP(Masahiro Muramatsu)

Image by: FASHIONSNAP(Masahiro Muramatsu)

「ファッションスタディーズ」の目的と意義 消費と切り離された服の研究は社会に何をもたらすのか

Image by: FASHIONSNAP(Masahiro Muramatsu)

 社会や思想とファッションを紐付けて研究する「ファッションスタディーズ(Fashion Studies)」という分野。その第一人者であるFITミュージアム(ニューヨーク州立ファッション工科大学ミュージアム)の館長兼チーフ・キュレーター ヴァレリー・スティール(Valerie Steele)博士の重要論考をまとめた日本オリジナルの著作集「ファッションセオリー――ヴァレリー・スティール著作選集」が発売された。同分野は、日本では「ファッション論」とも呼ばれ、現在では東京大学や京都大学でも講義が開かれるほど、注目を集めている。同書の発売に合わせ来日したヴァレリー博士の講演会「FITミュージアムにおけるファッション展」には、70人の定員に対して応募が殺到。世間の関心の高さがうかがえた。本記事では、同講演内容をもとに、同氏の研究領域である「ファッションスタディーズ」について、そして人間と密接に関わるファッションを「人間から切り離して」研究することの意義について、第一人者の考えを紐解く。

FITミュージアム館長兼チーフ・キュレーター

ヴァレリー・スティール

Valerie Steele

FITミュージアム(ニューヨーク州立ファッション工科大学ミュージアム)館長兼チーフ・キュレーターであり、1997年以来、25以上の展覧会を企画、30冊以上の書籍を執筆・編集してきた。同氏の著書は、中国語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ポルトガル語、ロシア語、スペイン語に翻訳されている。このほか、ファッションスタディーズ分野における初の学術誌「Fashion Theory: The Journal of Dress, Body & Culture」の創刊者であり、現在も編集長を務めている。

イェール大学で博士号を取得した高度な学識に、優れたコミュニケーション能力を兼ね備え、著述家、キュレーター、編集者、知識人として、ファッションスタディーズという現代的分野を創り上げ、ファッションの文化的意義に対する認識の向上に貢献してきた。ワシントン・ポスト紙には「ファッション業界で最も聡明な女性」と評され、スージー・メンケスには「ファッション界のフロイト」と称された。また、Business of Fashion 500の「世界のファッション業界を形成する人々」(2014年~現在)に選出されている。

「ファッションスタディーズ」とは何か?

ADVERTISING

 現在「ファッションスタディーズ」と呼ばれている研究分野の源流は1980年代ごろに遡る。20世紀後半から「カルチャラルスタディーズ(文化研究:文化を社会や政治と紐付けて分析する研究分野)」が勃興し、その系譜の中で1980年代頃から「ファッション」の研究が行われるようになった。そうした学問は「ファッション論」、日本では特に「ファッション学」と呼ばれており、「ファッションスタディーズ」という呼称が学術的に用いられるようになったのは比較的最近のこと。「ファッション論」が誕生する以前は、主に服飾史や被服学といった枠組みで研究がなされてきたが、1985年にエリザベス・ウィルソン(Elizabeth Wilson)が著した「Adorned in Dreams」やヴァレリー氏の「Fashion and Eroticism」を契機に、ファッションを文化的・社会的現象として捉える研究が台頭。学際的な領域として「ファッションスタディーズ」が形成され始めたと考えられているという。特に重要な動きとしては、ヴァレリー氏が1997年に創刊した学術誌「ファッションセオリー(Fashion Theory)」が挙げられる。同誌を通じて、「服飾史」とは異なる文化研究としての学際的な「ファッションスタディーズ」という分野が広く認知されるようになった。正式な教育課程として「ファッションスタディーズ」を冠した最初の大学院プログラムは、2010年に米パーソンズで設立された修士課程とされ、2009年には「The Future of Fashion Studies」と題された初の学術ワークショップが開催された。こうした動向から、「ファッションスタディーズ」という用語の使用も2010年代から徐々に普及していった。

 「ファッションスタディーズ」とは非常に分野横断的な学問で、ファッションを単一的な視点で見るのではなく、ヴィジュアルカルチャーや人類学、文学や哲学といったさまざまな視点を介して、なるべく多角的な視点で、事実だけでなく思想や社会の動きと紐付けて分析していくというのが分野としての定義、目的になると同氏は説明する。

 ファッションスタディーズという分野の第一人者としてヴァレリー氏はさまざまな切り口からファッションを紐解いた研究を、そのテーマごとに「書籍」化すると同時に「展覧会」として発表してきた。学術的にも革新的で価値のある研究内容を、書籍の読者に限らず、幅広い鑑賞者に発信してきたことが同氏の功績の一つでもある。「基本的に“ファッション”というものは、知識の多寡に関わらず、どなたも自分の中である程度理解したり受容したりできるものだと考えています。そして、展覧会にはそういった考えを持って足を運んでくれる方が多いと感じています」。専門家に限らず、多様な鑑賞者に対して研究内容を伝えることができることが展覧会の利点であるが、一方で研究論文の内容をそのままキャプションに書いたところで幅広い客層の理解を促すのは難しい。「視覚的に理解することができる展示のしつらえを工夫し、そこから直感的に私がどのような考えを持っているのか感じ取ってもらえるように工夫しています」。

Image by: FASHIONSNAP(Masahiro Muramatsu)

人間を前提とする「服」を人間から切り離して展示する意義

 服は実際に着ることで成立するが、ミュージアムにおいて、「人間から切り離した形」で衣服を展示することの意味はどこにあるのだろうか?

 日々の生活の中で目の当たりにする“ファッション”は、他人が着ている服であったり、雑誌の中で紹介されるコーディネート、店頭やSNSで目にする服など、自分自身がその服を「着たい」もしくは「欲しい」といった欲望を感じるかどうか、そしてその商品の金額が自分の手の届くものなのか、といった消費に伴う物差しで無意識のうちに測られる。会場からの質問に対しヴァレリー氏は、ミュージアムにおける人間不在の服の展示では、「“誰が”着ているのか」といった個人的な状況や「商品」としての文脈から切り離し、ファッションを「アートの文脈」の上で捉えることができると説明。ファッションの批評を語る際にアートがよく引き合いに出されるのは、絵画や彫刻と同じ眼差しで「その服はなぜ生まれ、他とどう異なるのか」を問い直すことで、消費に縛られない新しい視点や考え方が芽生える可能性があるからだ、と同氏は指摘する。

 一方、ミュージアムで展示される服の多くは本来、「展示品」としてではなく「商品」として作られたものであったはずだ。そういった商品としての文脈を意図的に無視することは、デザインの本質やファッションの歴史そのものを捻じ曲げることにもなりかねないのではないだろうか? ヴァレリー氏は「資本主義社会において、人間の欲望は必ずしも全て内側から溢れ出るものではなく、『欲しい』という欲望は社会の外的要因から生み出されている状況もあります。2013年に企画した靴にフォーカスを当てた展覧会「シュー・オブセッション(Shoe Obsession)」では、そういったテーマにもフォーカスし、靴というアイテムが人々を熱狂させる背景を考察しました」と話す。

 ミュージアムでは衣服展示の際、人間の代役としてマネキンが用いられることが多い。しかし、このマネキンの扱い方は「非常に難しい」とヴァレリー氏は語る。十分な予算があれば展示テーマに合った「理想のマネキン」を用意できるが、実際には限られた資金のなかでやり繰りせざるを得ないのが実情だ。

 加えて、市販のマネキンに多い純白のボディカラーは、白人の肌の色を暗示するメタファーとされているところがある。「世界にはさまざまな肌の色の人がいるのだから、マネキンももっと多様な肌の色を表現してもいいはずです。現状のようにマネキンが白ばかりだと、“ファッションは白人だけのもの”という表現にもなりかねない。かといって、例えば、ブリジット・バルドー(Brigitte Bardot)のような顔つきのマネキンに18世紀のドレスを着せても説得力がないように、マネキンの汎用性は高くありません」。人間不在の展示空間において、人間の役割を担うモノにどのようなパーソナリティや人間味を付加するべきかという議論は、具体性を追求すればするほど、展覧会運営の視点からは難易度が高まるという現実もあるようだ。

「一番理想なのは“見えないマネキン”だと思っています。服は着ていても、“マネキン”という存在は見えないようなもの。ドレスフォームを使うこともありますが、人が着ているように見えないので悩ましいところです」(ヴァレリー氏)

Image by: FASHIONSNAP(Masahiro Muramatsu)

「ファッション」は社会の関心と時代の変化を映し出す研究対象

 講演会では、ヴァレリー氏が過去に手掛けた多種多様な展覧会の内容が紹介された。新しいものを生み出してきたと同時に、ステレオタイプな価値観の浸透の一助となってしまう可能性を持つ「ファッション」の暴力性、権力性について、会場からは熱心にさまざまな質問が投げかけられた。

 歴史家ミシェル・パストゥローの色の研究からインスピレーションを受け、ピンクという色に対する歴史的な価値観の変遷を紹介した「ピンク:パンクでプリティでパワフルな色の歴史展*」では、明確な理由なく「女性はピンク、男性はブルー」といったステレオタイプな価値観が浸透してしまった背景にもファッション産業が関わっていたことが紹介される。なぜ、「ファッションはステレオタイプを生んでしまうのか?」という質問に対して、ヴァレリー氏は「性差というものは、“社会的な関心を常に反映するファッション”にそのまま現れる、ということだと思います。社会が男性に求める役割は男性服に、女性に求める役割は女性服に反映されてきました。しかし近年、性別による役割分担そのものに疑問を抱く声が高まり、とくに若い世代ではマスキュリン/フェミニンという二元論にとらわれない服を選ぶ傾向が強まっています。結局のところ、どの時代でも社会の意識や価値観が服に反映され続けているのです」と回答した。

ヴァレリー・スティール編 「PINK」の書影

*ヴァレリー博士が過去に企画した展覧会。同展の1章では、「ピンク=少女、ブルー=少年」というステレオタイプな価値観がどのようにして生まれたのかを歴史から紐解いている。同氏の研究によると、ピンクとブルーの色分けは、19世紀のアメリカのメーカーが子ども向けの商品を一括りに「子ども向け」とするよりも、色分けをした方が収益性が高まることを発見したことから始まったマーケティングの一種だったという。その際「男児」と「女児」どちらをピンク、どちらをブルーにするかについては、マリア像はブルーの布を纏っているイメージがあるのに対して、ピンクに類似する赤は軍隊で用いられることから男性性を象徴するとされる一方で、ピンクは頬の色や純朴さ、メイクアップにも使われる色でもあったりと意見が分かれた。1920年代に「タイムズ」誌がアメリカ中のデパートを対象に行ったアンケート調査では、どの性にどの色を販売しているかは半々であったことが記録に残っている。そうした議論を決定付けたのは、同じく1920年代にアメリカの有名なアートコレクターが購入して広く紹介された18世紀のヨーロッパ絵画「ピンキー(ピンクの衣装を纏った少女像)」とトマス・ゲインズバラ(Thomas Gainsborough)の「青い少年」だ。偶然紹介されたこの2枚の絵画によって、18世紀からヨーロッパでは「少女=ピンク、少年=ブルー」という通説が存在しているかのような証拠として誤認され、ステレオタイプ化して世界中に広まったと考えられている。しかし、アフリカ系アメリカ人もしくはアフロカリビアンカルチャーにとってもピンクは重要なカラーであり、アフリカ系のラッパーがピンクを着て活動をしたことがメッセージ性を持ったこと、川久保玲が多様なピンクを表現したコレクションを発表したことなど、男女を問わずピンクをまとう文化に影響を与えてきた。同展では、歴史的なピンクの表象のされ方と受容の仕方に多様な姿があることや、単純なフェミニンさだけを象徴してきた色ではないということ、そして、ピンクの中にもさまざまな意味合いを持つ色が存在することを紹介した。

 1999年に米国で開催された「チャイナシック:東洋と西洋の融合展(China Chic: East Meets West)」では、西洋のデザイナーが東洋のイメージを表面的に取り入れた作品も展示された。しかし今日の視点で見ると、そうした手法は「文化の盗用」として批判の対象になり得る。現代の視点では褒められないものも歴史の一部として、展覧会においては向き合う必要があるが、ヴァレリー氏は「ファッションデザイナーたちは多様なカルチャーからインスピレーションを得てきました。それは今も続いており、批判の声が多くなっているというのが現状です。この議論において重要なのは、どういった場合は適切で、どういった場合は搾取になるのかという線引きを理解することです。例えば、私にはインド人の友人がいて、彼女がインドの伝統的な手法で作られたパンツをプレゼントしてくれたので、私はよくそのパンツを穿いていますが、これは文化盗用ではないと思います。私がその背景を尊重し大切にすると彼女が信じてくれている、互いに合意のある共有だからです。対照的に、あるデザイナーが別文化で神聖な意味を持つ布柄を『見た目が素敵だから』と理解も許可もなく利用したらどうなるでしょう。そこに権力構造があり、声を持たない側の資源が一方的に使われるのであれば、許可なく引用されたものは文化盗用で、搾取であると言えます」。

「チャイナシック展」展示風景(講演会投影資料から引用)

 続けて、「イヴ・サンローラン(Yves Saint-Laurent)やジョン・ガリアーノ(John Galliano)といった、継続的にこうした流用をしてきたデザイナーというのはたくさんいて、もちろん彼ら自身は搾取をするつもりがなく、リスペクトを示す行為なんだ、コスモポリタン的な現代的な行為なんだと主張します。しかし、フランスという“権力”のある環境でものづくりに携わるデザイナーはより一層その権力性について自覚的にならなくてはいけないでしょう」と語った。

 先週パリで、以前FITでインターンをしていた学生を訪ねたというヴァレリー氏。その学生が博士号を取るため準備していた論文のテーマも「文化盗用」についてだったという。フランスのデザイナーたちがオリエンタリズムと称して、「着物」や「シノワーズ」といった他国の文化をどのように取り入れてきたか、その背景を紐解く際には、世界各国を植民地化してきたフランスの歴史や帝国主義の構造を無視することはできない。力を持つ側が、弱い立場にある文化から意匠や技術を一方的に搾取してきた点が問題として挙げられるが、現在のフランスでは、そういった歴史的な観点から自国の文化を批判的に検証するミュージアムは少ないという。それでも、この学生のように見過ごされてきた搾取の歴史に向き合おうとする若い研究者が育ちつつあるそうだ。

 ヴァレリー氏が企画している最新の展覧会のテーマは「精神分析とファッション(Dress, Dreams, and Desire: Fashion and Psychoanalys)」。精神分析の分野には、例えばジャック・ラカン(Jacques Lacan)の理論のように、ジェンダーの観点から問題が指摘されるものも多い。そのため「すべてを無批判に受け入れるわけにはいかない」と彼女は言う。それでも、「なぜ私たちはファッションに惹かれるのか、同時に嫌悪感を抱くこともあるのはなぜか」といった問いを考えるうえで、精神分析は有力なヒントになる。理論を手がかりにすれば、人間がファッションに抱く感情や欲望を新しい角度から説明できるかもしれないからだ。ファッション研究とは、過去と現在の装いを読み解き、社会が抱える無意識を可視化する試みであると言えるだろう。

Image by: FASHIONSNAP(Masahiro Muramatsu)

※本記事は、東京オペラシティ文化財団と京都服飾文化研究財団(KCI)が主催する特別展「LOVE ファッション─私を着がえるとき」(期間 2025年4月16日[水]─ 6月22日[日]、会場 東京オペラシティ アートギャラリー[ギャラリー1, 2])の関連イベントとして開催された同氏の講演会「FITミュージアムにおけるファッション展」の講演内容に、FASHIONSNAPの独自取材を加えて編集したもの。

ファッションセオリー ヴァレリー・スティール著作選集

ファッションセオリー ヴァレリー・スティール著作選集

著: ヴァレリー・スティール 翻訳: 平芳 裕子、蘆田 裕史、五十棲 亘、鈴木 彩希、工藤 源也
ブランド: アダチプレス
メーカー: アダチプレス
発売日: 2025/06/10
価格: ¥6,600(2025/06/13現在)

最終更新日:

FASHIONSNAP 編集記者

橋本知佳子

Chikako Hashimoto

東京都出身。映画「下妻物語」、雑誌「装苑」「Zipper」の影響でファッションやものづくりに関心を持ち、美術大学でテキスタイルを専攻。大手印刷会社の企画職を経て、2023年に株式会社レコオーランドに入社。若手クリエイターの発掘、トレンド発信などのコンテンツ制作に携わる。

ADVERTISING

Image by: FASHIONSNAP(Masahiro Muramatsu)

現在の人気記事

NEWS LETTERニュースレター

人気のお買いモノ記事

公式SNSアカウント