岐阜県羽鳥市に工場を構える三星グループは、織物・編み物などの衣料向け繊維素材の企画・製造を行う三星毛糸㈱と樹脂コンパウンドを行う三星ケミカル㈱を中核とするグループ企業だ。創業から133年もの歴史を経て、世界で認められるメイド・イン・ジャパンの生地を生み出し続けている同社の5代目、岩田真吾代表取締役社長にインタビュー。会社の歴史、そして繊維業界の未来についてお話を伺った。
岩田真吾さん/三星グループ代表取締役社長
昭和56年生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒。三菱商事株式会社、ボストン・コンサルティング・グループを経て平成21年、三星毛糸㈱・三星ケミカル㈱入社。平成22年、三星毛糸㈱代表取締役社長就任。平成27年、三星ケミカル㈱代表取締役社長就任、平成28年一宮商工会議所議員就任。個人として、平成30年よりフィンランド・サウナ・アンバサダー就任。
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―岩田社長は5代目。会社は1887年に創業し今年で133年になるのですね。
1887年に、私の高祖母にあたる初代の岩田志まが、愛知・岐阜に広がる尾州産地で綿の艶つけ業として創業したのがはじまりです。その頃は和服が主ですので、ウールではなく綿やシルクといった素材で生地づくりを行っていた時代です。当時は糸の質が悪かったり、織りの技術もまだまだだったので、整理加工という、洗ったり揉んだりして生地を整える、最後の仕上げの作業がとても重要でした。そのなかで艶付け業という水に付けて石の上に布を置いて砧と呼ばれる木の棒で叩くといった技術で整理加工を行っていたのが三星の原点です。
―三星毛糸といえば今では最高級品のウール生地メーカーのイメージですが、そのような原点があったのですね。
和服からスタートしているので尾州産地も綿が中心でしたが、まさに明治時代初期の文明開化によって、ウール産業が一気に花開きました。そこで弊社としてもウールに転換していき、屋号も三星に変え業績も大きく伸びていきました。当時から積極的に生産現場への見学を受け入れるなど教育にも力を入れていたため、1968年に当時の皇太子殿下、美智子妃殿下が尾州産地にいらっしゃったときに、なんとうちを視察先に選んでくださったんです。規模や歴史で言えば他社もあるなかで、三星のオープンな姿勢を評価いただき訪問いただけて、これは今でも大変誇らしいことです。
そして艶付け業から生地づくりへ広がり、一時は紳士服(イージーオーダー)をつくったりもしてきましたが、現在は生地づくりをメインに、皇室御用達の老舗テーラーの金洋服店や、銀座英國屋、国内外で高い支持を得ているmastermind JAPANやRING JACKETといった一流のテーラーやブランドにお取引いただいています。
―時代とともに変化していくことは、歴史ある御社にとって重要なことですね。
私が家業に戻った時、繊維産業はとても厳しい状況でした。ファッション自体の国産自給率は3%を切っており、繊維生産量は最盛期の1/10という数字です。尾州産地の社数でいうと最盛期4000社以上あったのが今は100社くらいしかありません。ビジネスの側面だけみると、国内は非常に厳しい状況で、私は跡継ぎとして「自社で良いとしている生地は、どれだけいいものなのだろうか?自分の目で確かめなければ」と考えるようになりました。確かめるには世界で認められないといけない。そう思って、今までは商社に売ってきてもらうスタイルでやっていたものを、自分たちで海外に行き、ヨーロッパのラグジュアリーの世界に売り込むことをはじめました。それが2012年、プルミエール・ビジョン・パリでの出展です。何年か出展を続けて2015年に、三星毛糸のウール生地をエルメネジルド・ゼニアの「メイド・イン・ジャパン・プロジェクト」に選出いただきました。そこを皮切りにトップのラグジュアリーブランドとの取引もはじまり、今でも継続して取引いただいています。
―そうしたチャレンジでの結果は、御社にとってかなりの自信になったのでは?
自社で良いと思ってつくってきた生地が世界トップのラグジュアリーブランドに認められたことは、非常に誇らしいことでしたし、弊社のクリエイティビティやクオリティは未来に残すべき価値あるものなのだと、私のなかでも腹落ちしました。さらにこれをどうやってビジネスとして成立させていくか?そう考えたとき、生地づくりだけでは良いものを伝える限界があるので、自社ブランドの「MITSUBOSHI 1877」を立ち上げることにしたのです。
―2015年に東京とパリで発表されたとか。
最初はストールなどの触感が伝わりやすいアイテムからはじめました。去年、クラウドファンディングを活用して「23時間を快適にするTシャツ」というプロジェクトを出し、お陰様で大変好評でした。今はこのラインにパーカーやカーディガンジャケットなどのアイテムを増やし、コロナ禍ではありますが順調に売上が伸びてきている状況です。
―三星毛糸が大切にしているモノづくりとは?
素材の良さを引き出すことを大切にしています。料理に例えると分かりやすいかもしれません。例えば、農家が丹精込めて作った野菜を乱暴に食べるのではなく、温度管理や切り方などを工夫して、最適な調理をして素材の良さを引き出した方が美味しいですよね。実は服も同じなんです。羊飼いが丹精込めて育てた羊の毛(ウール)を仲買人がしっかりと目利きし、厳選された素材を日本に持ってきて、紡績工場で糸にします。その糸を僕らが織るわけですが、機械が自動で織ってくれるわけではなく、職人が一つ一つ丁寧にスピードや張りの強度を調整します。全ての工程に熟練職人の手が入っており、各人が素材の良さを活かすよう努力しています。つまり、良い素材であることは大前提で、その素材の味をどう引き出すかが僕らの重要な仕事なのです。
―海外に認められるきっかけはなんだったと思いますか。
やっぱり2012年に自分たちで現地に行ったことですね。我々の生地って、一見すると地味に見えるんですよ。だから最初は丁寧に説明しないと通り過ぎられてしまう。最高級の素材なのである程度値段もしますし、その背景やモノづくりの想いというのをきちんと伝えたいというのがまず一つ。あとは、どのビジネスも同じですが、上手くいかなかったときに自分たちでやっていると学びがある。失敗したときになにが駄目で、次にどうしていくのか、これが商社という1レイヤーが入ることでわからなくなってしまいます。プルミエール・ビジョン・パリに出展した当初は現地エージェントと組み信頼関係を築いていき、ここ2,3年でようやくラグジュアリーブランドと我々が直接やりとりできるようになりました。そうすると、生地の話をしたあとに最近はこんなことに取り組んでいるとか、こんなものを今作っている、など、そういう先の話などもできるようになってきて。そういう会話が直接できるので順調に売上も上がってきて、8年前からは5倍近く伸びています。
―新型コロナウィルスによって御社にはどういった影響がありましたか?
私たちもコロナの影響によって海外に行けなくなりましたが、逆にイタリアの生地メーカーも日本に来ることができなくなりました。さらに、ヨーロッパは厳しい時期が長かったので、モノづくり自体ができなくなったところは多かったと思います。弊社はありがたいことにモノづくりは持続できていたので、大変ですがこういうときこそ積極的に種をまいていこうと考え、高品質の生地を使用していたブランドへのアプローチをはじめました。
結果、海外の生地メーカーからの納品が遅れて困っていたブランドの方々から「三星のクオリティなら、海外トップメーカーと同等だから使いたい」と評価いただけたので、これも一つの自信にもなりましたし、この評価をもっと外へ伝えていきたいと思いました。
―この代官山ショールームをつくった理由もこうしたモノづくりを発信する意図からでしょうか。
はい。作り手としてお客様と直接接点を持つ場所は必要だよね、と2018年につくったのがこのショールームです。クラウドファンディングで「代官山に小さな工場を」というキャッチコピーでプロジェクトを立ち上げ実現しました。実際に工場で使われているシャトルという横糸を飛ばす道具をアップサイクルしてハンガーラックに使用したり、振り落とし機という生地を折りたたむ機械をランプシェードにするなど、実際に工場で使っているものを見て、体感していただけるのではないかと思っています。私たちは生地メーカーなので、こういった表現でお客様に少しでも作る環境を感じていただければと思っています。ここでは三星の生地を使用したメイド・トゥー・メジャーも行っています。
―素材のこだわりが凄いですよね。ウールの種類もかなりあるのでは。
ウールをメインに、カシミアやシルク、一部厳選したコットンなど、天然繊維を使用しています。「MITSUBOSHI 1887」のロゴマークにある羊と山羊、桑の葉(シルク)、リネンや綿花といったモチーフは、私たちが採用している天然繊維を表しています。天然繊維の良さを引き出すというのが創業当時からずっとやり続けてきたことなので、ロゴマークに想いを込めました。
羊は3000種類くらいいるのですが、その中でもっとも服作りに適したメリノ種を選び、牧場も同じように厳選します。例えば、我々はタスマニアに縁があり、ウィントン牧場という非常に歴史ある牧場からとれた糸を使って「シングルオリジン」という商品をストールとスーツ地で展開しています。ほかにも良い牧場はたくさんあるので、来年以降はRWSという、どこの牧場、どこの紡績で作られたウールなのかという認定を得るなど、トレーサビリティの面でもきちんとしていこうと考えています。これはSDGsの12番目にある“つくる責任、つかう責任”にあたると思っていて。ウールは化学繊維と異なり、太陽と草と羊がいればとれるものですが、さらにアニマルフレンドリーに取り組んだり、環境負荷を改善できる余地はあります。そういう活動をきちんとやった上でなおクオリティが高いというのが我々の目標です。
―持続という意味では、地域を支え合う取り組みも行っているとか。
尾州産地というのは分業体制になっていて、我々のように企画する会社だけでなく、協力して織ってもらっている工場もたくさんあり、昔から長いお付き合いをしています。そういう工場ではやはり高齢化で跡継ぎ不足のため、このままだと廃業というところが何社かあるのです。せっかく技術があって、よく手入れされた道具もあるので、なんとかそういった場所を未来につなげたいという想いから、通常の工賃ベースではなく固定でお支払いをして、さらに弊社の社員を派遣して技術伝承してもらう取り組みを去年からはじめています。まだ1社だけですが、これを成功事例にして続けていきたいと思っています。
実は今取り組んでいる機場さんとはご縁があって。この取り組みをやろうと何社か回った際に、たまたまその機場の方が「この機械は、三星の先代に資金協力してもらって購入した機械なんです。私が『新しいチャレンジをしたい』と話したときに先代がサポートしてくれて、それで事業をやってこれた。そして今、今度は息子さんに助けてもらえる…本当にうれしい」とおっしゃられたんです。世代を超えたつながりを感じ、このご縁を未来へ繋げたいと思って、この機場からスタートしようと考えました。
―よりサステナブルな産業にしたいという願いから自社ブランド「MITSUBOSHI 1887」もスタートしたということですね。
繊維産業が持続可能になっていくためには、使い手と作り手が直接つながるべきだと考えています。これまでは作り手が使い手に会うことってほとんどありませんでした。使い手の方から「ありがとう」と言われる機会ってすごく少なかったと思うんです。なので、モノづくりのなかに「ありがとう」がもっと循環するように、工場見学などの交流の場を定期的に創っていきたいと考えています。
そうすることで、お金だけでない別のかたちの報酬も得ることができて、作り手のモチベーションも上がります。また、作り手の想いを知ることで、使い手にとってもより価値のある服になると思います。こういった良い循環をつくることが、サステイナブルな社会に繋がっていくと信じています。
―こうした取り組みから働き手が増えていくのかもしれませんね。
そもそも艶付け業や整理業などの工程は、仕事として存在を知らない人も多いと思います。知られていないとそもそも働きたいという人も増えませんから、まず知ってもらうための活動をしていかないとならない。私は大学での講義も長年やっていますが、そういった活動から会社や繊維業界について、少しずつですが広めていければと考えています。
個人でも「アトツギ思考」という事業承継についてのブログ執筆を行っている岩田社長。その活動の根源となっているのは、何世代もつながってきた尾州・繊維産地のバトンを、より良い形で未来へつなげようという責任感と夢なのだろう。岩田社長のさまざまな種まきは今後一つ一つ実を結び、業界に新たな風を吹かせてくれるかもしれない。世界に誇る生地メーカーのこれからの挑戦に目が離せない。
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