昨年10月、イタリア・ミラノの老舗ジュエリーブランド「ブチェラッティ(Buccellati)」が、初の旗艦店を銀座にオープンさせた。同ブランドは2019年に「ヴァン クリーフ&アーペル(Van Cleef & Arpels)」、「カルティエ(Cartier)」と並び、リシュモングループ傘下となった。歴史あるブランドの日本での新たな事業展開を一手に担うのは、元・報道記者という異色の経歴を持つ安達美里氏。現在一児の母でもある安達氏。記者時代のエピソードからジャパンCEOに就任するまでのキャリアについてお話を伺った。
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安達美里氏/リシュモン ジャパン株式会社ブチェラッティ(Buccellati)ジャパンCEO
2006年東京大学教養学部卒業後、テレビ朝日報道局入社。夕方のニュース番組「スーパーJチャンネル」、社会部に所属。2011年に退職後、私費でMIT留学。MIT卒業後の2013年より9月にマッキンゼー・アンド・カンパニーに勤務。2017年9月にリシュモンジャパン入社。
厳しい報道記者の世界。留学までの道のり。
―報道の世界を目指した理由とは?
アメリカ・ボストンで生まれたこともあり、海外への興味は小さい頃から持っていました。日本で育ち、ほとんど海外で過ごした記憶がなかったので、自分が生まれた国のことをテレビの報道を通じて知るようになりました。私にとってテレビは世界を広げてくれて、学びを与えてくれる存在でした。そうして少しずつ報道の世界に憧れを抱くようになって、学生時代には憧れだった安藤優子さんに会いに行ったこともあるほどです(笑)。当時はどうやったら報道の世界に入れるか、そればかり考えていましたね。
―そこから努力が実り報道の世界へ。華やかに見えるTV業界ですが、実際に入社されて大変だったのでは?
入社後夕方のニュース番組『スーパー J チャンネル』に配属されて、AD、ディレクターの仕事をしていました。当時はデジタル化が進んでいなかったので、印刷した原稿やテロップを片手に報道フロアを走り回っていました(笑)。その後は社会部に異動して、警視庁捜査2課の担当として日々さまざまな事件を追いかけ、あらゆる場所に取材に行きました。事件があれば、被害者の方もいらっしゃいます。その度にジャーナリズムとは何か、常に葛藤をしながら、放送までにどう形にするかを秒単位で考え、動く毎日でした。
―まさに一分一秒の厳しい世界ですね。
当時はスマートフォンもなかったので、地図を片手に現場で聞き込みなどもしていました。取材相手の方との関係構築がとても重要で、飛び込みで行ってその方たちにどう信頼してもらえるかが問われましたし、心が痛む事件と直面するたびに、「報道はなんのためにあるのか」と自問自答を繰り返しました。ほかにも取材のために14時間外で立ち続けたり、ときには変装をしたり。思えば、いろいろな技を身につけましたね(笑)。大変な日々でしたが、寝る時間以外ほとんどの時間を一緒に過ごした素晴らしい先輩たちに鍛えてもらい、数々の貴重な経験ができました。
―記者の仕事で忙しいなか留学をしようとおもったきっかけは?
入社2年目のとき、“ロス疑惑”の取材でアメリカに行ったことでした。事前取材もないなか、その日の放送のためにさまざまな取材をし、現地の方と関わることで、やはり日本だけでなく、どこの国でも活躍できる人に成長したいと思うようになりました。当時は会社の留学制度もなかったので、私費留学を前提に朝回り夜回りの間、移動の間などに単語帳を開いたり、休みの日に塾に通ったり、できるだけ働きながら勉強を続けました。
―そしてMITに合格されたのですね。
MITに受かって留学するというタイミングに、3.11の震災が起きました。報道の意味が最も問われる瞬間だと感じました。災害と戦争、この2つの時に一番報道が意味を持つと考えていたので、留学を諦めることもよぎりました。留学のことも忘れるほどの忙しい毎日を過ごすようになり、たくさんの葛藤をしましたが、最終的に留学を実現するために退社し、渡米しました。渡米した後もしばらく報道に気持ちが引っ張られていたのですが、大学の授業や友人たちとの関わり、そしてインターンでいったネパールの国連事務所での数ヵ月など、さまざまな影響を受けて、報道とは別の形の社会への貢献方法に目が向くようになりました。
大手外資系コンサルティング会社からラグジュアリーブランドへ。
―帰国後、マッキンゼーに就職されました。その理由は?
報道を離れて留学して、いざビジネスの世界に飛び込むとなったときに、明らかに経験やスキルが足りないと感じていました。大好きな仕事を長く続けるためには自分で人生や仕事でグリップを効かせることができる人間にならなければと思い、短期間で確実なスキルが得られるマッキンゼーに就職しました。働いている人のバックグラウンドも医者だったり軍隊や官僚だったり、とても幅広くて、そういった点も魅力的に映りました。
―その後、リシュモン ジャパンに転職されましたが、まさに異業界からの転職でしたね。
マッキンゼーでの濃密な4年間を経て、出会ったのがリシュモンでした。次のキャリアを考えたときに、自分が次の場所に求めることは何かを考え自分が働くうえで大事だと考える軸をリストアップしていきました。そして、リシュモン傘下のウォッチブランド、ボーム&メルシエを選びました。当時、エージェントもなにも介さずに、自分で人事にアプローチしました。とても驚かれました(笑)。
―さすがの行動力ですね(笑)。ボーム&メルシエはリシュモンのなかでも知る人ぞ知るブランド。異業種からGMへの転職。どうでしたか?
コンサルからラグジュアリーへの転職ですから、良くも悪くも色眼鏡で見られるのではと感じていましたが、実際はそこまでギャップはありませんでした。売上拡大やブランド認知拡大など、自分に課せられたKPIに向けて課題の掘り下げをするところからスタートしましたが、マッキンゼー時代の経験が大きく役立ちました。着任した1ヵ月でホールセールの店舗をすべて回って、取引先スタッフの方や顧客様ととにかく会話をして、戦略立案の大切な材料となりました。
―まさに記者時代の聞き込みが役に立ったのかもしれませんね。リシュモンでは産休に入ることもご経験されました。
ボーム&メルシエのGMとして2年ほど勤めたあとに産休に入りました。仕事をしていて、こんなに長いお休みをもらうのがはじめてだったので、とても申し訳ない気持ちでいっぱいだったのですが、リシュモン ジャパン代表取締役社長兼リージョナルCEOの三木に話をしにいったら、「当然とるべきだしサポートする。社会のためにも女性が産休をしっかりとることが大切だ」といわれて、女性がしっかり産休・育休が取得できる環境をサポートするリシュモンに改めて感謝をしました。
―ブチェラッティ ジャパンのCEOに就任した経緯とは?
産休から明けるころに「ブランドの立ち上げをやってほしい」と、ブチェラッティ ジャパン CEOとして声がかかりました。しっかり育休を取得させてもらい、会社には非常に感謝していたので、やる気がみなぎりました。巨大グループが傘下におさめるブランドの立ち上げという貴重な機会に、大きなサポートを得ながら精一杯集中できることに有り難さを感じています。とはいっても大変な部分も多く、旧インポーターとの交渉や取引先との条件交渉、在庫の買い入れから店舗設計、メディア投資プランまで、すべて0から関わってきました。おおよそ半年の立ち上げフェーズは終わり、いま成長フェーズに入ったところです。ブランドが100年以上育んできた歴史を大切にしながら、ブチェラッティジャパンをつくっていきたいです。
CEOであり母である今、大切にしたいこと。
―これまで安達さんがさまざまな仕事を通じて追求してきたこととは?
報道記者からスタートしたとても濃い5年間は、悲しみや苦しみと向き合い、どちらかというと社会の“負”の側面の問題に目が行くことが多く、そういうなかで健康でいることの大切さ、前向きで豊かな感情を持ち働くことの大切さに気づきました。そして家族ができた今、改めて相手の立場に立って考えられる、広い視野を持つことの大切さを感じています。どんな職種に携わっていようと、そこの軸は変わらないと思っています。
―キャリアのビジョンについてはどう考えていますか?
私はどちらかというと、目の前のことを一生懸命やったその先に見えてくる、新しい世界や考えがあると思っています。3〜5年頑張ってみると、その先に自分のやりたいことが見えてくるという繰り返しです。やはり留学前と留学後ではまったく視点が変わりましたし、2019年に出産した後にもキャリアを見つめる視点が変わっています。きっとこれからもキャリアに対する考え方は変わっていくのだろうと思います。
―子育てと仕事はどのように両立されていますか?
正直、まったく両立はできていないと思っています(苦笑)。両立なんてほど遠く、毎日戦争です。大切な家族、そしてそれと同じくらい大切な仕事、その2つをなんとか24時間のなかでやりきるために、まわりの素晴らしい先輩方のティップスをたくさん取り入れて、なんとかこなしているという感じです。最近はコロナ禍で保育園は休園、シッターさんも見つからないこともあり、子どもを膝にかかえながらコールにのることが増えてきています。先日、イタリアの同僚とのコールで、申し訳ないと思いながらも子どもを抱えながら参加したら、こちらの姿を見て「こっちにもいるわよ」と、赤ちゃんが出てきたんですよ(笑)。それを見てすごく安心しました。リシュモンにも子育てをしている人は多く、皆それぞれの事情がありながらも自分たちができる最大限の貢献をしていると認識した瞬間でした。
―最後にブチェラッティの日本での展望についてお聞かせください。
ブチェラッティは1919年にミラノに創業した老舗のジュエラーです。1世紀以上続いているブランドであり、現在3代目、4代目がクリエーションにかかわっています。歴史がありますが、これだけ長く続くその裏側には、時代にあわせた革新をつづけているから。すべての商品が手仕事でつくられているので、素晴らしい高揚感を感じてもらえるのではないでしょうか。女性用がメインですがユニセックスのジュエリーも充実しているので、日本の働く女性や男性の“特別な日”を後押しするようなブランドになっていたいと思っています。特におすすめしたいのは「マクリ」というコレクション。彫金の技をひと目で見ていただける美しい作品です。
日本には現在6つの直営店とホールセール店舗がありますが、今後3年かけて店舗展開も加速させる予定です。大企業ですがブランドとしてはまだまだスタートアップの段階。一緒にブランドを成長させてくれる仲間も募集中です。ぜひご応募お待ちしています。
撮影:Takuma Funaba
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