ビジネス界のトップランナーのキャリアを「丸ハダカ」にする、新感覚対談「Career Naked」。今回登場いただくのは、エイチ・アンド・エム へネス・アンド・マウリッツ・ジャパン株式会社の室井麻希氏。幼い頃から難民問題や世界の貧困に心を痛め、国連で働くことを目標にしていた室井氏だが、自分の適性ともう一度向き合い、方向転換をすることに。広告代理店でキャリアをスタートし、その後、アジアでモデルとして活動。下着の通信販売会社であるピーチ・ジョンでPRという仕事に出会い、今は世界的ファッション企業のH&MでPR部門のマネージャーとして活躍している。朗らかで一瞬にして空気を明るく変える室井氏のこれまでの道のりと、現在の職場であるH&Mの魅力、また室井氏が行っている子どものためのサンタプロジェクトについて、業界屈指のエグゼクティブ人材紹介実績を持つ北川加奈氏が話を聞いた。
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室井 麻希さん/エイチ・アンド・エム へネス・アンド・マウリッツ・ジャパン株式会社/PRコミュニケーション マネージャー
宮城県出身。大学卒業後、外資系広告代理店に入社。3年ほどで退社後、モデル活動をしながら香港をベースに台湾、シンガポールなどアジア各地で暮らす。2008年にピーチ・ジョンのPRに転職。マーケティングPRマネージャーとして活躍後、H&Mにヘッドハンティングされ2012年より現職に就任。プライベートでは2児の母。
北川 加奈さん/エーバルーンコンサルティング株式会社 ヴァイスプレジデント
静岡県浜松市出身。大学卒業後イギリスへ留学。帰国後は地元の静岡にて塾講師として勤務。2008年にウォールストリートアソシエイツ(現エンワールド)入社のため上京。2017年にAllegis Group Japanに入社、ASTON CARTER プリンシパルコンサルタントとして勤務。2021年1月にエーバルーンコンサルティング入社。
国連を目指すも、周りから浮いてしまう!?葛藤の末に見つけた自分らしくいられる場所
―室井さんはもともと国連に入りたかったそうですね。
そうなんです。大きなきっかけが2つありまして。1つは幼い頃から貧困状態にいる子どもたちや難民の映像を見るたびに胸が熱くなり、どうしようもできず自分の部屋に戻って、作文を書いてその気持ちを発散していたんです。
さらに私の家はホームステイの受け入れ先で、5年生か6年生の時にミャンマーからの留学生が滞在したことがありました。彼女は「祖国は軍事政権下でミャンマーという名前にされている。だから私はビルマという名前で祖国を呼んでいる」と言っていて。まず自分の国の名前の呼び方が2つある、ということに衝撃を受けたんです。さらに彼女が尊敬しているアウンサンスーチーさんが軟禁状態になっている、ということなど、普通に日本で生活している小学生には、まったく想像ができないレベルの話を生で聞きました。辞書を引きながらの会話だったのですが。
そして彼女のお母さんが国連で働かれていたんです。国連というキーワード、さらにそういう世界があることを知って、中学生になってからは途上国にどんどん興味を持って。そこからずっと「国連に入りたい」という夢を持ち続け、国連の就職に近い大学を選んで、元国連で働かれていた先生のゼミを選択しました。青春時代は国連のことばかり考えている日々を送っていたんです。
―就職活動はどうされたのですか?
実は国連のゼミに入った時くらいから、来てくださるゲストの方や周りの学生の雰囲気が自分とは違う気がして。皆さんきちんと地に足がついたような方ばかりで、私だけフワフワしていたんです。だからこの場所にいて、自分らしくいられるのか、心地いいのかがまず分からなかった。両親に相談したところ、「1回外に出てみたら。まず就職活動をしてみて、それでも国連に入りたかったら、行ったらいいんじゃない?」とアドバイスしてくれたんですね。
そしていざ就職活動を始めたら、私が大学で会ったこともないような、いろいろな考え方の方々に会うことができたんです。特に入社を決めた広告代理店は、自分が浮いている感じがまったくしなかった。「この人たちと毎日一緒に仕事をしてみたいな」という感覚になって、就職を決めました。
―1社目の広告代理店ではどんな仕事をされましたか?
何も分からない新卒の私たちにも、役割やチャンスをくれるような環境でした。22歳なら20代前半をターゲットにしたスキンケア会社やエンターテインメント会社などの担当にしてもらって。本当に楽しいと感じられる、すごく充実した日々を送ることができたと思います。
ただそこは3年足らずで卒業しました。最後に海外のスポーツブランドの仕事をして、本国チームに対してのプレゼンテーションが終わった瞬間、ふっと1つの思いが切れて。このまま結婚して、子どもを産んで、と自分の人生の先がなんとなく想像できてしまい、“このままここにいていいのかな?”と思いました。完全に若気の至りなんですけれど、“何のしがらみもなく外に出てみたいな”と考えたんです。そこで以前、大学生の時にモデルの仕事をしていた関係で、エリート・モデル・マネジメントの香港と契約をして、まずは香港に行くことに決めました。
―大学時代にしていたとはいえ、もう一度モデルになって、さらに海外で活動しようと思われたのは、すごい決断ですね。
モデルとしてキャリアを積みたいというよりも、香港がいろいろなマーケットの拠点になっていることは知っていたので。香港に行ったらいろいろなところに住めるんだろうな、という思いで飛び込んでみました。
―香港での生活はいかがでしたか?
当時、香港・シンガポール・台湾に事務所があり、あとはフリーとしていろいろな国で仕事をさせてもらいました。インドネシアのグリーンティーのコマーシャルに出た時も、周りの方がほとんどムスリムの方や熱心なクリスチャンの方で、1週間合宿のような感じでロケをやって、それも本当に楽しかったです。でもそういった環境で過ごしているうちに、出演している役割よりも、その撮影を組み立てたり、そのキャンペーンの戦略を立てる方に俄然興味があったんです。自分が満足する分野はそこではなくて、やはりビジネスの場であると気づいて。だから早くビジネスの世界に戻りたい、と思っている時に、下着の通信販売会社であるピーチ・ジョンが香港に進出してきたんです。
実は創業者の野口美佳さんは私が通っていた中高の卒業生で、進路についての講演会にいらっしゃったんです。当時も本当にかっこいい方で、すっかりファンになってしまって。その後も野口さんの記事はずっと読んでいました。そんなあこがれの野口美佳さんが香港に進出されるきっかけもあり、ありがたいことに会いに行けることになったんです。その時は自分の中で、「野口さんのところで働かせてください」とお願いしようと決めていました。
実際にその気持ちをお話したところ「あなたはたぶん、広報に向いているから」と言われて、日本のピーチ・ジョンの本社で、PRとマーケティングを任せてもらえることになったんです。
―その一言で、室井さんの人生が決まったといっても過言ではないのですね。
そうなんです。話していて3分くらいで「広報に向いている」と判断されたのは、本当にすごいと思います。野口さんのおかげで、広報という仕事に出会うことができました。しかも広告代理店の時に身につけたマーケティングの知識も、少し生かすことができたんです。
―新卒ではないですから、経験がない仕事に携わるのは、非常に難しいのではないでしょうか?
当時はみんな手探りでやっていて、相談相手はもっぱら野口さんだったんですけれど、それがすごく良かったんです。なんでもやらせてもらえましたし。ピーチ・ジョンには3年半在籍していましたが、とにかく中身の濃い日々でした。TVコマーシャルを作ったり、ちょうど中国に進出するタイミングだったので、中国で採用活動を行ったり、PR活動をスタートしたり。中国に半分くらい住んでいた時期もありました。
ただ、仕事は非常に楽しかったんですけれど、途中で会社が買収されて、企業文化が変わっていったんです。「私が貢献できるところはなさそうだ」と感じるようになった時に、ちょうどH&Mから声がかかって。お話した社員の方が、人事をはじめ皆さんすごく素敵だったんですね。野口さんには大変お世話になって心苦しかったのですが、最終的に気持ちをお伝えしてH&Mに転職しました。今年で11年目になります。
気づいたら在籍10年。働き続けられるのは、つねに変化があって成長できるから
―10年という長きに渡って1社で働き続けることができているのは、何がポイントですか?
何よりもH&Mの柱となっているバリューと、そのバリューを持っている同僚が大好きだからでしょうね。自分らしくいられる考え方とすごく合致していて、本当に呼吸がしやすいんです。
―どんなバリューがあるのでしょうか?
7つのバリューがあります。たとえば“We are one team、We are straightforward and open-minded”というバリューがあります。社員はオープンマインドかつストレートフォワードでいなければならないので、陰口は基本的にNG。もし万が一ランチなどで愚痴を聞いたら、「本人に言ったらどう?」と言うくらい、率直にバン!と言わせてもらえるカルチャーなんです。それが私は心地よかった。
あとフィードバック・カルチャーというものがあって。入社初日に「フィードバックはギフトです」というトレーニングを受けるんですね。「もらうのも受け取るのもプレゼントですよ」ということをまず叩き込まれて、フィードバックすることもされることも、非常に奨励されるんです。360度、誰からもフィードバックをもらえるので、成長し続けている感覚があって、それがたぶん飽きないのだと思います。
11年前に入った時からH&Mは非常に変化しています。ずっと同じセブンバリューといいながらも、会社がフォーカスしていることや、大事にしようとしていることが、いい意味で変化し続けているので、そこも面白いのかなと思います。
―10年同じ会社にいると、成長しているという感覚はどんどん薄れていくと思うんですよ。でも10年、11年経っても成長していると言える、その環境はすばらしいですね。
ちゃんと成長していると良いのですが(笑)。弊社は例えば産休を取らせていただく時、チームの誰かに自分の役割をお願いするんです。よく「産休から戻った後はどうするんですか?」と聞かれるんですけれど、戻った後は、基本的にそのチームがやりたい仕事だったら、そのままその仕事は残して、私は別の仕事に取り組むことができます。仕事はいくらでもありますからね(笑)。
よくスウェーデン人(H&Mはスウェーデンのアパレルメーカー)と話すんですけれど、「産休は長い80年の人生のうちのたった1、2年でしょう?」といった感覚なんですよね。H&Mの本国に行くと面接を控えている人の中には、妊婦の方がいらっしゃったりするんです。「あの方はもうすぐ出産ですよね?」と担当者に聞くと、「出産後に入社してくれるの」と普通に答えてくれるんです。産休を特別視していなくて、長期的な視点で考えているというのが、よく分かります。
―日本だと「仕事に穴があく」と、ネガティブに捉えがちですよね。
罪悪感を持ちがちですね。でも弊社の産休は「いなくても、まったく大丈夫だね」という感じ。逆に寂しくなるくらい(笑)、みんなキラキラしています。
H&Mはどんなことを言われても受け入れることから始める
―H&Mのダイバーシティ&インクルージョンについて教えていただけますか?
以前、弊社の人事がワークショップに参加するということで、私もついて行ったことがあるんですけれど、その際、アライ(LGBTQ +当事者たちに共感し、寄り添いたいと考え、支援する人)という言葉を初めて聞いて、びっくりしたんです。なぜ驚いたのかというと、おそらくH&Mはアライしかいないからなんです。もちろんアライという言葉はポジティブで良いことなのは分かっていたのですが、なぜか違和感があって。そうしたら一緒に参加した人も同じ意見で、「なぜだろう?」と話してみたところ、たぶんH&Mにはアライしかいないからだと。アライではない人は面接に通らない。だからその言葉自体に違和感があるんだろうな、と思いました。
H&Mの面談の時に、7つのバリューのチェックとか、その人がインクルーシブであるかとか、多様性を受け入れられるか、人事が必ずダイレクトな質問ではないところで見ているんです。それがスタンダードになっているからこそ、「何が特別か」と言うのは、逆にすごく難しいと感じています。
―H&Mではインクルージョン&ダイバーシティと、インクルージョンから先に言うそうですね。
私たちはインクルーシブを非常に大切にしていて、「まずは受け入れよう。その上の多様性だよね」という話をよくしています。フィードバックも同様なのですが、まずはどんなことを言われても、受け入れるというところからスタートしよう、と。本当にいろいろな国のいろいろな価値観がぶつかり合う会社ではあるんですけれど、どんな意見も、どんな考え方も、まずは1回受け入れることを大事にしています。
―「受け入れる」と言葉で言うのは簡単ですけれど、フィードバックの場合、「つらいことを言われてしまった」という時もありますよね。それを受け入れるのは、本当に難しいと思います。それも皆さん訓練されることで、しっかり受け入れることができているんですね。
頑張っているプロジェクトであればあるほど、言い訳をしたくなったり、受け入れづらくなったりしますよね。私も例に漏れず、フィードバックをもらい、傷ついてしまったこともあります。でもその度に当時のウェーデン人のボスから「Maki、それは絶対にパーソナルに受け取らないで」とつねに言われ続けていて。パーソナルなものと仕事であげた成果は別物だ、ということが理解できるようになりました。最近新たに日本に着任したポーランド人のボスがいるのですが、彼女は、「私たちは問題に対してクリティカルになるし、それを解決しようとするけれど、それは問題を抱えている当事者に対してではない」と言っていて、問題と、人とを切り離すことの重要性を明確に語っていました。
線引きが上手にできるようになると、本当にフィードバックは宝物になっていくんです。おそらく、日々やり続ける努力が必要なんでしょうね。さらに、信頼関係も影響してくると思います。
―H&Mにとって、今後の課題は何でしょうか?
H&Mは2030年までに、使用するすべての素材をリサイクルまたはサステナブルに調達されたものに切り替えるという目標を掲げています。現在コットンは100%、すべての素材では80%まで切り替えを完了しています。
お店では、サステナブルに調達された素材を50%以上使用している商品にグリーンのタグをつけていますが、将来的にはタグがなくても手に取った商品が当たり前にサステナブルに作られたものである状態を目指しています。そしてビジネス全体として100%循環型になることや、2040年までにクライメット・ポジティブになるという目標を掲げています。これは、企業として排出する二酸化炭素の量よりも吸収量を多くすることを意味しています。
このように結構、厳しい数値目標を掲げていて、それに向かってまだまだいろいろな努力をしていかなくてはいけないと思っているのですが、日本では特に、H&M=ファストファッションというイメージを持たれがちで。H&Mが日本に上陸した当初のイメージで、大量生産とか環境負荷が高い、ととらえている方もたくさんいらっしゃるかもしれませんが、実はものすごく献身的な努力をしていたり、先進的に取り組んでいる企業なんです。
取り組み自体もそうですが、私たちの伝え方に関しても、もっと改善しなければいけないこともありますし、まだまだ取り組んでいかなければいけないことだと感じています。グローバルでは「よりサステナブルなファッションの未来に向けて、私たちの規模や影響力を活かしてファッション業界全体をリードする」というコミットメントを出しているんですけれど、日本はまだイメージとしてそこまで行っていないな、と感じることもあるので、今までと違うアプローチや努力が必要なのかな、と思っています。
―具体的にはどのような活動を行なっていますか?
1つは古着回収活動です。「皆さん服を捨てないでください」というキャンペーンで、ブランドものでもどんなにボロボロのものでも、H&Mに持ってきていただくと、500円クーポンと交換させていただいています。それが一番お客さまに参加していただきやすい方法だと思うんですけれど、たぶんそれも知らない方がまだまだいらっしゃるので、その周知が必要だと思っています。
それからファッションが伝えていけることは非常に多いので、影響力のあるインフルエンサーの方やメディアの方のお力を借りて、もっと分かりやすい方法でコミュニケーションを取っていくべきなんだろうな、と思います。
“H&Mのイメージを”というよりも、ファッション業界として、絶対そうではなくてはならないと思うので、本腰を入れて、他社様とコラボレーションを行ったりして、実行していきたいと思っています。
「どの家にもサンタが来る世界に」個人活動から全国に拡大中の”tetote”のサンタプロジェクト
―またH&Mのお仕事とは別に、個人的に活動されていることがあるとお伺いしているのですが。
3年前に一人で始めた活動がありまして。以前、何か所かの児童養護施設の話で、冬のクリスマスシーズンになると、近所のケーキ屋さんからケーキが送られてきたり、いろいろな方からおもちゃが送られてきたりする。それはもちろんありがたいことだけど、でも子どもたちは自分が欲しいプレゼントがもらえていないことがある、と聞いたことがありました。自分の子どもを見ていると、なんでも欲しいわけではなくて、具体的に「これが欲しい」という意思がはっきりしているんですよね。そんな子どもたちの願いをかなえることはできないか、と思って。
そこで「30人のお子さんがいたら、30人のサンタさんを集めて、そのお子さんが欲しいプレゼントをマッチングさせていただいて、直接送るという仕組みを考えました。ご興味があれば、ぜひこのアイデアに乗っていただけませんか?」と、いくつかの児童養護施設にアプローチしてみたんです。そうしたら茅ヶ崎の児童養護施設が「ぜひやって欲しいです」とすぐにお返事をくださって、最初は36人のお子さんと36人のサンタさんでスタートしました。
自分のインスタで応募をかけたんですけれど、大した影響力もないから本当にドキドキして。「全部ダメだったら、自分がやろう」と思っていたら、半日でサンタさんが集まったんですよ。うれしくて号泣しました。
サンタさんはネット通販などでプレゼントを頼んでラッピングして送ってくださるんですけれど、皆さんいろいろな気持ちでお買い物をしてくださって。ご自分の思いをつづったお手紙をつけてくださったりして、プレゼント以上のものが込められているんです。そのプレゼントを、クリスマスの何日か前に納品しました。
「この活動をもっと広めていきたい」と思い、2年目から頼れる友人2人と「tetote」というグループを作りました。2年目は2つの児童養護施設、そして3年目の去年は4つの児童養護施設と活動を行って。特に3年目はひとり親家庭の支援をしている2つのNPOも加わり、お子さんの合計人数は176人にのぼったんです。
そして今回からは自分たちですべてやることで間違いがあったら大変だ、ということになり、それぞれの地域に拠点サンタさんを配置して。おそらく来年からもっと広げられると思います。
あと3年ぐらいの間には全都道府県に届けたいし、自分が生きている間には、きっと他に似たような活動している方たちもいると思うので、みんなで力を合わせて、日本に住む子どもたちの中で、サンタさんが来ない家がなくなるような世界にしたいな、と思っています。ぜひ関心のある方は、ご協力いただけるとうれしいです。
―これまでお話を伺ってきて感じたのですが、子どものころの国連という夢とつながっていますね。
そうですね。たぶん自分がやりたかったことのそもそもは、こういった活動なんだろうと今は思います。
―ところで、室井さんはどんなことをマイルールにされていますか?
大人数の時は無理ですが、ある程度の規模の会合などでは、出会ったすべての方とできる限り話すようにしています。あとはブレインストーミングが好きで、自分の意見で決めるよりも、いろいろな人の考えを聞くようにしています。
―それは非常に大事ですね。上にいけばいくほど、「私のやり方はこれだから」とおっしゃる方が多いですから。
最近、それでは通用しないと感じています。Z世代がターゲットになってきているからこそ、自分の意見は年々小さくしています。
―そのほうが若い人たちも“どうしないといけないか?”と自ら考えて、アクションを起こすことができますね。
20代には20代の感覚があるので、それを出しやすい環境にするのは大事ですよね。2022年の私のテーマは“デクレッシェンド”かもしれません。自分の考えはなるべく少なくして、意見が言いやすい環境を整えたり、みんなが、物事が実行しやすくなるべく、走り回るプロデューサー業に徹しようと思います。
取材:キャベトンコ
撮影:Takuma Funaba
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