2023年7月16日に76歳で亡くなったジェーン・バーキン。彼女のことはよく知らなくても、その名を聞いたことがないという人はほとんどいないでしょう。特にファッション界においては長らくファッションアイコンであり続け、それはきっと今後も変わることはありません。それほどジェーン・バーキンのスタイルがファッション界に与えた影響は大きく、とりわけ1960年代から70年代にかけては、その時代を代表するスタイルアイコンだと言えます。そこで今回はジェーン・バーキンへの追悼の意を込め、ファッションから自然体な生き方にまで、改めて彼女の魅力にフォーカスしていきましょう。
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フランスに愛された英国人、ジェーン・バーキン
コケティッシュな表情にバングスありのロングヘア。若い頃のジェーン・バーキンの姿を見ると、フレンチ・シックという言葉はこの人のためにあるのではと思うほど。パリジェンヌとしての印象が強いものの、実はジェーンはロンドン出身の英国人です。17歳で舞台俳優として活動をスタートしたジェーンが渡仏したのは1968年のことで、18歳で結婚し長女であるケイト・バリーを授かるも3年で破局。離婚後にパリへとやって来ました。その後フランス人アーティストのセルジュ・ゲンズブールと事実婚の関係になるのですが、当時はまだフランス語を話せなかったそう。
ゲンズブールからフランス語を学んだという彼女ですが、亡くなるまで英国訛りのアクセントが抜けることはなく、そのアクセントも含めて大きな魅力になっていたのです。なお、彼女の死を受けてフランスのマクロン大統領は自らのSNSで「彼女は自由を体現し、私たちの言語で最も美しい言葉を歌ったことから、ジェーン・バーキンはフランスの象徴だった」と追悼しています。
ところでジェーン・バーキンの本業は?と気になる人もいると思いますが、俳優であり歌手、モデルなど、幅広い分野で活躍したアーティストである、というのが正確なところでしょう。
ジェーンが愛したフレンチ・シック
切りっぱなしのブルージーンズに白いTシャツ。ジェーンの自然体な生き方を体現したのが彼女のファッションです。時にフェミニンな要素をプラスしながらもエフォートレスで、今なお色褪せることのないフレンチ・シック。彼女が愛したのはいずれもベーシックなアイテムながら、時代を超えて愛される名品ばかり。特に好んで身につけていたのは、白いTシャツやボーダートップス、カットオフデニムにカゴバッグやバレエシューズなどで、時にレーストップスなども取り入れて甘さを加えるのもジェーン流でした。
一方でドレスアップの際はシースルーのワンピースを纏ったり、年齢を重ねてからはマニッシュなジャケットを好むなど、ハンサムな装いもお手のもの。アイテムこそベーシックですが、彼女のリラクシーな着こなしと相まって唯一無二な雰囲気を醸し出していたのです。
ジェーンの愛用品
定番を素敵に組み合わせる天才だったジェーンが愛したアイテムは数あれど、代表的なのはカゴバッグでしょう。セルジュ・ゲンズブールが出会って間もない彼女にカゴバッグをプレゼントし、それ以来どこへ行くにも、季節や目的を問わずにそのカゴバッグを愛用し、ボロボロになるまで使っていたのだとか。カゴバッグは夏のイメージですが、お気に入りが見つかればルールやイメージにとらわれることなく常に愛用する。それだけ自分のスタイルが確立していたともいえます。なお、年齢を重ねるごとにジェーンのファッションも変化しますが、基本は無造作でシンプル。ファッションについて聞かれたジェーンが「夏はリネン、冬はカシミアを着るだけよ」と答えた逸話はとても有名です。
エルメスとジェーンの素敵な関係
ジェーン・バーキンの名を冠したエルメスのバッグ「バーキン」。バーキンが誕生したのは1981年ですが、きっかけはエールフランスの機内での会話でした。偶然客席でジェーンと隣り合わせたジャン=ルイ・デュマは、エルメスの5代目会長。その際にジェーンが持っていたバッグを見た彼が「もっと相応しいバッグがあるはずだ」と、彼女のためにバッグを作ることを提案します。当時子育て中だったジェーンは収納力があってなんでも詰め込めるバッグを探していたため、エルメスを代表するバッグ「ケリー」よりも大きく、ゲンズブールが持っていたスーツケースよりは小さいハンドバッグをと、機内にあったエチケット袋にスケッチを描いたそう。
その後ジェーンは機内でオーダーしたバッグを購入するためにエルメスへ足を運んだところ、デュマはバッグ名をバーキンにする代わりにバッグを贈ることを提案。これがバーキン誕生の内幕なのです。送られた黒のバーキンはジェーンによって日本のお守り(!)を含む多くのチャームがつけられ、ステッカーが貼られ、世界にひとつのバッグとなりました。ところでバーキンは高価さとその入手困難さでバッグの最高峰的な印象がありますが、あくまでもカジュアルなバッグ。蓋は開けたまま持つのがお約束で、フォーマルな場で持つバッグではありません。これはバーキン誕生の由来を知っていると、なるほどと頷けますね。
よりジェーンを知るための名作映画
今私たちが目にするジェーン・バーキンは、雑誌などに掲載される写真が中心。ナチュラルなスタイルで微笑む彼女の魅力は静止画の写真からでもしっかりと伝わってきますが、動くジェーンを見るとその魅力の奥深さに圧倒されます。そこでジェーンの魅力をより知るための映画を3本ご紹介しましょう。
「ジュ・テーム・モワ・ノンプリュ(1975年)」
1969年に発表された同名の曲をモチーフに、パートナーのゲンズブールが脚本と監督を務めた作品。ベリーショートヘアでボーイッシュなファッションに身を包んだジェーンがジョニーという両性具有的な存在を好演し、フェミニンなジェーンとは異なる魅力に触れられます。
「太陽が知っている(1969年)」
主演はアラン・ドロンとロミー・シュナイダーながら、ジェーンの出演作としても有名な一作。アラン・ドロン演じるジャン・ポールを誘惑しようとする18歳のペネロペを演じたジェーンの小悪魔的な可愛さが印象的で、クレージュが手がけた衣装も相まってファッションの見どころも多数あります。
「ジェーンとシャルロット(2023年)」
ジェーンの娘であり、フランスの女優であるシャルロット・ゲンズブールが初監督を務めたジェーン・バーキンの真実に迫ったドキュメンタリー映画。ジェーンが家を出て行った後、父であるセルジュ・ゲンズブールの元で育ったシャルロットが、母であるジェーンにいくつかの質問を投げかけます。母であり女性であり公人であるジェーンの素顔に迫る、優しい時間が流れる映画です。
ジェーン・バーキンと日本
日本での知名度も人気も高いジェーンは、親日家としても知られています。愛用のバーキンに鶴岡八幡宮のお守りやこけしのキーホルダーがつけられていたのは有名で、40年にわたり何度も日本を訪れていました。なかでも印象深いのは、2011年の3月に起きた東日本大震災直後の来日。原発のこともあって反対する周囲を押し切り、自費で来日し東北でのチャリティーコンサートを敢行しました。その時彼女が手にしていたのは、お馴染みのバーキンではなく布製のバッグ。なんと愛用のバーキンはサインをしてオークションに出し、その売上を復興支援に充ててくれたのです。困難にある時に手を差し伸べる優しい心、そして勇気ある行動力。ファッションはもちろんですが、その生き方や人柄こそが、ジェーン・バーキンが国や人種を超えて人々から長く愛される理由なのだと思います。
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