今年のお買い物を振り返る「2025年ベストバイ」。7人目は漫画家の魚豊さん。「チ。―地球の運動について―」や「ひゃくえむ。」などの話題作を手掛ける人気漫画家としての顔を持つ一方で、実はファッションギークな一面をお持ちです。今年は連載の狭間ということもあり、インスタグラムでの偶然の出合いから、好きだと話すSF的世界観に刺さるデザイナーズブランドのパンツに名作小説まで、普段以上に食指が動いた1年だったという魚豊さんが今年買って良かったモノ8点とは?
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目次
SOSHIOTSUKI ブラックスラックス

FASHIONSNAP(以下、F):最初にご紹介いただくのは、「ソウシオオツキ(SOSHIOTSUKI)」のブラックスラックスです。
魚豊:太いブラックスラックスをずっと探していたものの、若干テーパードしていたり、太すぎたり、長さが足りなかったり、ウエストが緩かったり、自分の求める絶妙な1本がずっと見つからなかったんですが、ようやくソウシオオツキで出合いました。春夏のアイテムなので軽い素材なのに、テロテロにならずイラストで描いたときのような芯のあるシルエットが出て。ストンと落ちる感じも、裾の溜まり具合も、ちょうど靴にかかる長さも、全てが完璧。それまでのブラックスラックスは、ルックで見たときと自分で着たときとのギャップに悩まされていたんですが、これはそのままで最高でした。あと、本来は懐中時計を入れるためのウォッチポケットのディテールが憎いです。




ソファに掛けられているのは、「ハトラ」のジャカード織タペストリー「VJQN」。
F:どのように見つけたのでしょうか?
魚豊:インスタグラムですね。もともと持っていたソウシオオツキのジャケットとセットアップで合わせられるし、「ソウシオオツキにだったら騙されてもいい!」と、賭けで試着もしないで購入したらばっちりでした(笑)。
F:どういったシーンで穿かれましたか?
魚豊:ピシッとした洋服を着る機会はあまりないんですが、取材などの硬い場で穿くことが多かったですね。クローゼットの手前に置いて日常的に穿くというよりも、「今日はこれ」といった具合に意志を持って足を通す1本でした。
F:完璧なブラックスラックスとのことですが、他にはどのようなパンツを持っているのでしょうか?
魚豊:ブラックのパンツは、これ1本に他がほぼ駆逐されましたね(笑)。残っているのは「アンリアレイジ(ANREALAGE)」のラッピングパンツです。こちらも最高で、まず形が面白いのと、丈がちょっとだけ短くて足元が出るシルエットが良くて、黒はソウシオオツキとアンリアレイジの二大巨頭です。同じ黒のパンツでも、全くスタイルが違う。あとは黒スラックスではないですが、「ダイリク(DAIRIKU)」のデニムや「シュタイン(ssstein)」のチェックパンツも気に入ってよく穿いています。
JOHNDOE アノラックパーカ

F:2点目は、東京を拠点とする謎の気鋭プロダクトレーベル「ジョンドゥ(JOHNDOE)」のアノラックパーカですが、どのようにして知るに至ったのでしょうか?
魚豊:結構前なので覚えていないのですが、たしかインスタグラムだった気がします。それからしばらくして、梅田サイファーに所属しているテークエムさんというラッパーの方が、アルバム「Communication」のアートワークでカッコいいアイテムを着ていたので気になったものの、一部分しか写っていなかったので特定できなかったんですよ。でも、去年後追い的にジョンドゥのアノラックパーカだと分かって、今年念願の入手に成功しました。普通にアノラック自体もずっと欲しかったけどドンピシャがなかったので、やっと買えたという感じです。







F:どちらで購入されたのですか?
魚豊:二次流通ですね。ジョンドゥは毎シーズン、代官山で誰でも入れる展示会を開いているので伺っているものの、これは僕が存在を知ったときには完売していた数年前のアイテムになります。表地も裏地も水を通さない生地でグシャっと丸めても平気だから、バッグに入れておいて雨が降ってきたら被るみたいな、そういう用途で着ていました。首元のドローコードを収納するためだけのディテールとか、たまんないんです。
F:先ほどのソウシオオツキとは打って変わったテック系アイテムですが、こちらのテイストもお好きなんですね。
魚豊:テック、ノームコア、グランジを行ったり来たりですね。ただ、テック系アイテムはドンピシャを見つけるのが難しくて。自分の中でテック系アイテムの最高傑作は、結構前に発売されていたドレイク(Drake)の「ノクタ(NOCTA)」と「ナイキ(NIKE)」のコラボシェルジャケットで、やっぱり素材や値段含めて大企業の強みを感じます。そんな中、国産デザイナーズのテック系ブランドが出てきて、本当にジョンドゥには「ありがとう」と言いたいです。
_J.L - A.L_ ナイロンパンツ

F:続いては、イギリス人デザイナーのジャン=リュック・アンブリッジ(Jean-Luc Ambridge)が手掛ける「ジェイラル(_J.L - A.L_)」のナイロンパンツです。
魚豊:ずっと追ってきたブランドで、今回のベストバイはジェイラルばかりにならないように頑張って1個に絞りました(笑)。このナイロンパンツは、ちょっとミッドセンチュリーなディストピアっぽいSF感がありつつ、やりすぎていない引き算感も好きで、太さも、タックも、ドローコードも、バックポケットも、内側のタグも最高で、「もう買わざるを得ないだろ」って。これは“お金で買えてありがとう”な洋服ですね。




F:ジェイラルは、まだ日本ではあまり認知度の高くないブランドかと思います。
魚豊:ジェイラルもインスタグラムで流れてきて知って、なんとなく存在を認知してる期間が長かったんですが、ブランドとデザインが明確に結びついたのは、偶然流れてきたYouTubeショートの「ニュージーンズ(NewJeans)」です。ニュージーンズがライブでやたらカッコいいジャケットを着ていて、あまりにも欲しくて画像検索で捜索したらジェイラルで、見たら「全部好きだ……」みたいな(笑)。その後、「ゴールドウイン ゼロ(Goldwin 0)」のアイテムをはじめ(注:以前ジャン=リュックがデザイナーとして参加)、「あの時にカッコいいと思っていたアイテムはジェイラルだったのか!」といった気付き直しが何度もあり、手に入れるしかないなと。でも、最初は読み方も分からないし、調べてもデザイナーの情報があまり出てこなかったし、大変でしたね(笑)。
F:話を聞いていると、「アクロニウム(ACRONYM)」や「シーピーカンパニー(C.P. Company)」、「ストーンアイランド(Stone Island)」もお好きそうですね。
魚豊:おっしゃる通りです!ただやはり、値段が値段なので……(笑)。あまり所有はしていません。とはいえ、シーピーカンパニーと「パレス スケートボード(PALACE SKATEBOARDS)」のダウンジャケットはゲットしました。今年の冬はこれで挑みます!

F:気になったのですが、好きな洋服のテイストが自身の作品に影響を与えることはありますか?
魚豊:おこがましいですけど、とても刺激を受けています。良くも悪くも服やスタイルは、当然社会階級や風土、職業を象徴し、興味の有無に関わらず、服は物語世界にとって重要な要素です。また、そのような間接的な意味においてもですし、将来“衣服”に関する漫画を制作したいと思っているので、直接的にも創作に影響していると思います。
F:漫画における登場人物の服装は、非常に重要な要素ですよね。
魚豊:洋服を着ることは社会的な行為で、そこには客観性やメッセージが含まれているから、作品作りにおいてはキャラクターの服装はかなり比重が大きいです。だからこそ、映画にはスタイリストさんが入っているんでしょうし、逆に漫画家はそれをしないからこそエクストリームな面白さもあると思っています。例えば、近年はデムナ(Demna)が「バレンシアガ(BALENCIAGA)」にいたとき、彼自身の経験や出自を元に、今までこの世界に無かった、もしくはファッショナブルとは思われていなかったアイテムやスタイルを提案して、衣服の認知領域や社会の自由度を拡張させましたよね。いつの世も、ファッションデザイナーは現実の円周を広げる力を持っています。芸術家の中でも社会への影響力が強い方々で、作家として興味深く思いますし、尊敬していますね。
F:スタイリストさんが漫画の洋服の監修に入る時代が来るかもしれませんね。
魚豊:あると思います。多くの出版社はファッション誌も抱えているので、協力してもいいはずだけど、漫画家独自のオリジナリティのある服装が好まれる場合もあるので……難しいですね。お金の都合もあるでしょうし(笑)。
藝祭アートマーケット Tシャツ

F:4点目は、東京藝術大学の「藝祭アートマーケット」で購入されたというTシャツだそうですね。
魚豊:藝祭アートマーケットは、以前藝大生の方にインタビューをしていただいた際に教えてもらったのですが、学生たちが上限3万円の売値で自分たちの作品を販売することで1年分の制作費を賄っている面があるらしく、みんな本気で出店して売りに行ってると聞いて、面白そうだと思い今年初めて行ってきました。事前情報通り、本当にいい商品が目白押しで、その中でも一目惚れして買ったのがこのTシャツです。

F:魚豊さん的には、どこに惹かれたのでしょうか?
魚豊:アヒルかヒヨコか分からない不思議なキャラクターが謎のものに追われているグラフィックと、アラビア文字の「走れ、走れ」が頭抜けてカッコいいし、白地にオレンジっぽい赤を載せた色味が良くて。というのも、今年の頭にドバイへ行ったとき、現地の「アディダス(adidas)」で白地にオレンジ色でアラビア文字の“أديداس(アディダス)”がプリントされたTシャツが売っていて、欲しかったんですけど判断を誤って買わずに帰国し、しばらく後悔していて(笑)。その悔しさを、このTシャツが高次元で解消してくれましたね。
F:サイズは少し小さめなようですね。
魚豊:今年は小さめのTシャツの気分だったのでサイズ感もベストで、単体やチェックシャツと合わせたりしてかなり着ていました。……あ、このデザインって時間に追われている様子を表現しているから「走れ」ってことなのかな?しかも、この閉鎖空間というかリミナルスペース的なものは、ゲーム「バックルーム(The Backrooms)」からインスパイアされている気もしてきました。

F:かもしれませんね!ちなみに、価格はおいくらだったのでしょうか?
魚豊:4500円くらいのちょうど悩む金額が付けられていて、しかもTシャツのボディごとに値段が違いました(笑)。でもこれは、ただ浮世離れした芸術家ではなく市場と適正価格を把握している想像力があるからこそなので、学生のたくましさを感じて嬉しかったですね。
F:今回は衝動買いでしたが、普段からTシャツはよく購入されるのでしょうか?
魚豊:1年中、自分でも問題だと思うほど買っていて。今年はブランドよりもアーティストのグッズやマーチャンダイズが多く、名作絵本「ふたりはともだち」、中国の現代アーティスト、企業のロゴTなど、とりとめなく30枚ほど買いました。増えていくスピードが早すぎて、家が耐えきれない量になっています。
maastik 「スリングバッグ 7.6」

F:5点目は、2025年春夏シーズンにデビューしたばかりのギアブランド「マースティック(maastik)」の「スリングバッグ 7.6」です。
魚豊:テックしかり、機能にアダプトして効率化された造形美に目がないんですよね。
F:どちらで購入されたのでしょうか?
魚豊:ブランドは全然知らなかったんですが、インスタグラムでスリングバッグの発売情報が流れてきて、年始に公式オンラインストアで購入しました。これまでバッグは挑んでは敗れるを繰り返し、ベストな形に全く出合えず取り回しが悪いボディバッグを仕方なく使っていた中、モデルさんの着画だけから判断したギャンブルは大成功です。




F:お気に入りポイントを教えていただければと思います。
魚豊:まず、このスケルトンすぎず剥き出しにならない独特の生地感が良いですよね。素材的に軽い雨だったら問題なく耐えられるし、開口部分も止水仕様かつダブルファスナーで、こう見えて意外と大容量。それと、本をよく持ち歩くため“ハードカバーが入るかどうか”はかなり重要なのですが、それもクリア。ボックスティッシュまですっぽり入り、コンパクトに収まってかさばらない。ポケットも多く、ストラップのバックルはワンタッチで外せて、何よりあまり見たことがないデザイン。僕が望んでいた全ての要素を兼ね備えていて、サンプリングソースなど、どこから発想が生まれたのか気になります。
F:相当なお気に入りのようですが、バックパックなどマースティックの他のアイテムもお持ちなのでしょうか?
魚豊:今のところ、これひとつでマイベストですね。バックパックは日常であまり使わず、打ち合わせ時にB4(漫画原稿用紙のサイズ)も入る「バッグジャック(bagjack)」を、旅行時に「ナイキ ACG(NIKE ACG)」を背負う程度です。

F:独特なキーホルダーが付いていますが、これは?
魚豊:これも藝祭アートマーケットで買ったもので、質感もクオリティも高いのにひとつ2000円くらいでお買い得でした!モチーフが謎すぎますが(笑)。
goyemonのÉDIFICE別注モデル「unda NEBULA」

F:6点目は、プロダクトブランド「ごゑもん(goyemon)」が展開する雪駄とスニーカーを融合させたシューズ「雲駄(unda)」の、セレクトショップ「エディフィス(ÉDIFICE)」の別注モデルです。
魚豊:雲駄が発売された当初(2019年頃)、一度購入したんですが鼻緒部分が足に合わず、痛くて履けなくなってしまったんです。ただ、ごゑもんのインスタグラムはフォローしていたのでエディフィスとの別注モデルが目に入り、デザインが刺さったので6年越しに買いました。




F:この別注モデルは、宇宙に漂う雲「星雲(ネビュラ)」に着想した「ツキ-ネビュラ(TSUKI-NEBULA)」と名付けられているそうです。
魚豊:そこが惹かれたポイントですね。通常モデルより太めの鼻緒が宇宙船っぽくも見えるし、おかげで以前の痛さが全く無く、めちゃくちゃ履き心地が良くて長時間でも歩けました。長いこと“一癖ありの決定版サンダル”を探していたので嬉しくて、夏は先に紹介したジェイラルのパンツと雲駄のセットで生活していましたね。
F:今回の雲駄をはじめ、ここまでご紹介いただいたアイテムの多くはインスタグラムで見つけられていますね。
魚豊:この1年は漫画を描いていないので、でも外にも出ず、もう狂ったようにインスタグラムを見ていて(笑)。逆に、連載中は目の領土が原稿に奪われて全く見れないので、間違いなく反動ですね。
P.A.M. フラワーモチーフネックレス&ピアス

F:7点目は、「パム/パークスアンドミニ(P.A.M./Perks And Mini 以下、パム)」のフラワーモチーフのネックレスとピアスです。
魚豊:もともとパムが好きで、ネックレスはチャームが付いたデザインを探していたとき、何かないかと思って公式オンラインストアを訪れたら偶然見つけました。ピアスは……。
F:いかがされましたか?
魚豊:ネックレスと合わせて紹介する予定だったんですが、この取材の前にお風呂に入りタオルで髪の毛を拭いていたら嫌な音がして、気付いたらキャッチだけになっていました……(笑)。風呂場で無くしたから絶対に室内にあるはずなんですけど、どこを探しても見つからなくて、おそらく排水管の中に落ちたんだと思います。東京のドブに消えてしまった記念日ですね……。


F:災難でしたね……。どのようなデザインだったのでしょうか?
魚豊:ネックレスに似たフラワーモチーフの2025年春夏の商品で……。今までピアス欲は無かったのですが、それを付けたくてファーストピアスを開けて、届いてからは1年中着けていたんですけどね。でも、さっきサイトを見たら在庫があったのですぐに買い直せました。取り憑かれてる……。
F:魚豊さんはフラワーモチーフがお好きなんですね。
魚豊:花に特別詳しいわけではないんですが、好きですね。丸いものもあるし、細いものもあるのに、統一感がある。花は本当に不思議なデザインで、なんであんなにカッコいいのに可愛らしいんですかね?例えば、花柄はあのやわらかさをスタイリングに落とし込むのが難しそうだからこそ、どうにかして合わせたい意欲に駆られます。

F:他にもパムのアクセサリーは持っているのでしょうか?
魚豊:これ以外は持っていないですね。そもそも人と会う機会が極端に少ない人間なので、普段からアクセサリーを着けているわけでもなく、人に会うときに着ける意識がある程度で強いこだわりはないです。ただ、「ハトラ(HATRA)」のイヤーカフや「グッチ(GUCCI)」の時計とブレスレットが一体になったモノはお気に入りですね。
本 チャーリー・カウフマン「アントカインド」ほか3冊

F:ラストの8点目は、4冊の本になります。連載がないとはいえ多忙な日々だったかと思いますが、読書量はいかがでしたか?
魚豊:あらゆるメディアの中で1番好きなのが本です。全然読書家ではないのですが、連載中はあまり読めないからこそ連載前にがっつり読んで、連載中に枯渇して、また連載前に読むの繰り返しですね。今年は、作業することが少ない1年と分かっていたので心置きなく本に浸れましたし、例年と比べて良い本に出合えました。

F:それでは、1冊目のご紹介からお願いできればと思います。こちらは、「マルコヴィッチの穴(Being John Malkovich)」や「エターナル・サンシャイン(Eternal Sunshine of the Spotless Mind)」など、奇想天外なストーリー展開で知られる脚本家で映画監督のチャーリー・カウフマン(Charlie Kaufman)が2020年に発表した初小説「アントカインド(ANTKIND)」です。
魚豊:チャーリー・カウフマンの映画作品がめちゃくちゃ好きなんですけど、数年前から一部の読書好きたちの間では「とうとう彼が小説を出すぞ」と騒然としていて(笑)。ただ、日本語訳には時間がかかるので今年ようやく発売され、読んでみたら人生トップレベルに面白くてびっくりしました。今までは、時の試練に耐えた歴史に残る名作と、現行の作品を比べると、やっぱり前者が勝つことばかりだったのですが、「まさか現行の本がNo.1になるとは」って感じです。大好きな芸人 かもめんたるさんと小島秀夫さん(注:「メタルギア」の生みの親として知られるゲームデザイナー)の世界観の融合のような……。ポストモダン文学のパロディなんですが、明らかに2020年代の小説で、意識してなかったですが「今自分はこういう質感を読みたかったんだ!」と気付かされ、初めて声を出して笑いながら本を読みましたね。
F:どのような点が面白かったのでしょうか?
魚豊:ネタバレになるからではなく、意味不明なので詳細は省かせていただきますが(笑)、今の一部の表現者がどういう状況で何を考えざるを得ないのか、みたいなことをテーマにしつつ、「映画とは」「芸術とは」「コミュニケーションとは」みたいな要素を過剰に戯画化して出力しています。やり口はいかにも文学っぽいのですが、“炎上を恐れる意識”にここまで執着してるのは、19~20世紀の小説にはあまりないことで、現代でしか不可能だと断言します。しかも、普通に超笑える。今の人たちが何を考えて生きていたかの証拠を、後世の人たちに向けて上手く戯画化しているので、歴史に残る作品だと思いますね。
F:読了まではどれほどかかりましたか?
魚豊:この時は、この本に付きっきりだったので4日くらいですね。


F:装幀家 川名潤さんが手掛けられた装丁も素敵ですね。
魚豊:この装丁は、家にあったら絶対にいいというか、モノとしても欲しかったので手に入れました。本が売れないこの時代、川名さんも相当頑張られたはずなので、少し値は張りますが適正価格だと思いますね。
F:ページの端を見ると、かなりの折り込みがあります。
魚豊:読み返すときのために好きなページを折っているんです。所有物の意識というか、自分のモノだからこそ折ったり書き込んだりと良い意味で雑に読んじゃうタイプなんですよね。にしても、ここまで折るのは珍しいです。お気に入りの証拠ですね。

F:2冊目は、チェコスロバキアを代表する文学界の巨星 ミラン・クンデラ(Milan Kundera)が1990年に発表した長編小説「不滅(Immortality)」です。
魚豊:1冊目のチャーリー・カウフマンの「アントカインド」が、人生No.1に食い込んだのですが、それまでの人生No.1はミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ(The Unbearable Lightness of Being)」(1984年)でした。それで、「アントカインド」を読み終わった翌日、ミラン・クンデラの最高傑作と呼ばれている「不滅」を読んだことがなかったので読んでみたら、「え、これも人生No.1かも!?」みたいな(笑)。明らかに強度がありすぎて、あの1週間は“当たり読書”が続いて本当に嬉しかったですね。
F:どのような点に心を揺さぶられたのでしょうか?
魚豊:これも小説のあらすじ自体は省かせていただくんですが、作品を通して“残る”こと、要は“不滅”がテーマなんですけど、人は死んでしまうからこそ名声などの不滅を求めると。ただ、不滅になること自体どんな意義や価値があるのかという問いも当然入る。そして、「不滅」を書いているクンデラも、この小説を名作とすることで不滅の一部になりたいんだろうと、僕は思うわけです。
こういった複数レイヤーで読みが可能な作品なので濃度がすごいし、作品構造自体も、クンデラが本作を制作している現実世界と、描かれたフィクション世界を行き来する、というか融解して同時に進むような仕組みなので、読み感が圧巻でしたね。

F:小説ではあるけど、現実もリンクして書かれていると。
魚豊:まさに!小説とエッセイと評論が同時進行だけど、それぞれが章ごとに分かれているのではなく有機的に繋がった構成で、これは映像作品では絶対に表現できないんです。例えば、映像だとインタビューシーンと演出描写を繋げるとき、どうしても場面が切り替わってしまうじゃないですか。それが、小説もエッセイも評論も全て文字媒体だから、現実のクンデラの思考を読んでいると思ったら急に物語の内容になっていたり、切断線が分からないよう滑らかに接続できるんです。文学上のテクニックとして「意識の流れ」という発明があるのですが、それともちょっと違う。「小説でこういうことできるんだ」「人間ってこんなことできるんだ」という感覚に陥りましたね。

F:3冊目は、ヨーロッパを代表する小説家で詩人の鬼才 ミシェル・ウエルベック(Michel Houellebecq)が2010年に発表した「地図と領土(La carte et le territoire)」ですが、こちらは何を動機に読まれたのでしょうか?
魚豊:もともとミシェル・ウエルベックが好きだったものの、「地図と領土」はずっと放置していて、読書欲が高まっていたので手に取りました。
F:ということは、先の2つの後に読まれたのでしょうか?
魚豊:いえ、その前なんです。「地図と領土」を読んで、「あ、今年イチが決まったな」と思っていたら、後の2つが強すぎました(笑)。でも、内容が渋くて自分が味わうには少し時期尚早だった気もしましたね。

F:こちらを本稿の読者に向けて少しだけご紹介いただけますか?
魚豊:これも「不滅」と同じように、作者のウエルベック自身が作中に登場する、ちょっと変な小説ですね。作中には、ウエルベックや芸術家、刑事、猟奇殺人犯などが登場し、芸術家は芸術を作ること、刑事は犯罪を解決すること、猟奇殺人犯は人を殺すこと、ウエルベックは「地図と領土」を書くことなど、それぞれが生き甲斐に夢中なんです。でも、登場人物全員が次第に生き甲斐への意欲が削がれて、停滞し、足掻く意思も消え去り、死に、最期は草のみが残る⎯⎯これを悲しいことだと捉えず、人は誰しも意欲の花が咲く時期があり、それが徐々に閉じることは自然だと締めているんですが、終わりの美学としてカッコつけているわけではなく、ただ実直に何かが生まれて終わっていく様を書いているんです。この質感の小説もあまり読んだことなくて、“芸術とお金と意味と、その全てを剥奪する死”を書くのが渋いですね。

F:ラストの4冊目は、20世紀後半を代表するフランスの哲学者ミシェル・フーコー(Michel Foucault)が1976年に発表した「性の歴史|知への意志(L'Histoire de la sexualité|La volonté de savoir)」です。
魚豊:僕は哲学科だったんですけど、その時期に、まぁそれまでの人生では全く出合わなかった、人類史的に重要とされる本を唐突に何十冊も知らされるわけです(笑)。そしてそれが全部面白そうなのに、全部難しくて、1ページから進まない本ばかりでした。当然、今も読める訳ないんですが、当時より読んでみようという意欲は湧いてきて。それで手を出したらすごく良かった。
まず、超素人でフランス語もわからない僕なりにミシェル・フーコーを紹介させていただくと、一言で言うと「逆説の人」です。もう少し具体的に言うと、「社会が“社会の外側とみなした領域”から、社会を研究してきた人」です。もちろん、それ以外の仕事も多くしていますが、今の僕が惹かれるのはその部分。狂気や犯罪などを通して、人類はいつから、何を異常と思うのか?何を禁止したのか?などを詳らかにし、体制や社会の実態、権力が権力足りうる理由を剔抉(てっけつ)して見せます。

室内には、イサム・ノグチのデザインによるランプシェード「AKARI」も。
そんな中で、今年ちょっと読んでみたいと思ったのが「“性”の歴史」です。 というのも、この“スキャンダル全盛期”なご時世に、とてもアクチュアルな本だと思ったからです。そもそも、なぜ人は性を重要だと“思わされている”のか。それはいつからか?どのようにか?なんのためか?なぜ、社会は性のことばかりをこんなに考えているのか?⎯⎯など、性の角度から人類史に着目した天才的な本です。
性というテーマは、人文や文献の歴史であまり語られてこなかったけど、いかに主体化や個人化、近代化、そして権力にとって重要な要素であるかをソリッドに説いている。人々は今を無批判に受け入れているけど、一昔前は「当然だと思っていることは当然ではない」と、滔々(とうとう)と問い続けている姿勢がカッコいいんです。想像力の胆力、根性が凄まじいと思いますね。
F:正直な話、存じ上げたことがなかったのですが、私含め読者の皆様も魚豊さんの熱量から興味が湧いた方は多いかと思います。
魚豊:そうであれば嬉しいです。しかもミシェル・フーコーは、説教臭くなくクールに提唱するタイプで、文章のバランス感も作家として恐れ多く、リスペクトです。読書って、シンプルにその人が考えたことを“特濃”で読めるのが凄まじい価値だと思うんですが、これはまさにそうで。僕は研究者でもなんでもない一読者なので、単に文章を読むという経験として最高レベルのものでした。
それと、性と洋服は密接に関わっていますが、チャーリー・カウフマン、ミラン・クンデラ、ミシェル・ウエルベックの本を読んでも思うのは、「何を着るか」は社会的に意味のある行為がゆえに洋服の描写が細かくて、だから僕はファッションがおもしろいし好きだと思うんです。
今年を振り返って
F:最後に、今年は偶然出合ったアイテムを買うことが多かった1年だったと思いますが、来年以降はいかがですか?
魚豊:ジェイラルなどずっと追ってるブランドをチェックしつつ、特に、デムナのグッチとグレン・マーティンス(Glenn Martens)の「メゾン マルジェラ(Maison Margiela)」に興味がむいてしまい、恐れています(笑)。両ブランドとも好きだけど値段で踏みとどまれていたのですが、2人が移動してきたとなるとさすがに気になっちゃいます。欲望を抑えられるかの戦いですね……。いや抑える必要も特にないのですが、「購入」という行為にはドラッグ的な側面があると思うので……。まぁそういうのも、経済活動の好きなところなのですが。
F:2026年は、どのような1年にしたいですか?
魚豊:新作を出すので、もしよろしければ読んでいただけると嬉しいです!し、それがうまく受け入れられたら最高です!
F:今回のインタビューで、本当に洋服がお好きなことが伝わってきました。本日はどうもありがとうございました!
魚豊:改めて、洋服ってなんでこんなにも良いんですかね?本当に感謝しています。お声がけも連載がないタイミングで、本当にありがとうございました!
■魚豊(うおと)
1997年生まれ、東京都出身。2018年『ひゃくえむ。』で連載デビュー。2020年から連載した『チ。―地球の運動について―』では、マンガ大賞2年連続ランクイン、手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞など数々の漫画賞を受賞。TVアニメ化もされた。2023年から「ようこそ!FACT(東京S区第二支部)へ」を連載し、現在は完結。
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