


裏路地を熱狂させたセレクトショップ「PROPELLER」 と「プロペラ通り」を紹介!
神宮前4丁目にある“プロペラ通り”って知ってる?
青春時代をその時代に過ごしてきた人に話を聞けば「ああ。プロペラ通りね。ウェンディーズ(現在はCHARLES & KEITH)のところを左に入ったところでしょ?」なんて返答が高確率で得られるだろう。

「LONGCHAMP(ロンシャン)」と、「CHARLES & KEITH(チャールズ & キース)」の細い路地が“プロペラ通り”。
正式名称は「穏田仲(中)通り」というこの細い裏路地が、なぜ「プロペラ通り」と呼ばれているかご存知だろうか?そこには、後に裏原ブームとも紐つく、メンズファッション史における伝説的ショップの存在と熱狂があった!
服屋に「本物のポルシェ」があった!? きみは『PROPELLER』を知っているか?
時は1988年(昭和63年)。竹下通りでは松田聖子を始めとしたアイドル・タレントショップが全盛だった原宿で、神宮前4丁目の周辺は沿道には現在の「ゴローズ」があり、のちのプロペラ通りとなる裏路地には「バナナボート」がポツンとあるだけだった。それもそのはず。今では人とショップで賑わう路地は、そもそも70年代には長屋や民家がある住宅街で、商業の場所ではなかったのだ。
そんな場所に、あえて店を構えたのがアメカジ系セレクトショップの草分け的存在「PROPELLER(プロペラ)」だった。ファッションが好きな人なら名前は聞いたことがある人も多いはずだ。

プロペラがあったのは通りの比較的奥(原宿通り寄り)、現在の「KIKSLAB.HARAJUKU」が入るサンエムビル。
そのPROPELLER、オープンするやいなや当時盛り上がっていた「渋カジ」ブームの波に見事乗り、革ジャンを始めとしたアイテムが爆発的に売れる驚異的な大盛況。商品もそうだが、そのお店の持っている世界観も凄まじいインパクトがあった。1階には本物のポルシェが展示されていたという。1台だけではなく、バイク、クルマなど実車がズラリと並んでいたのだから驚きだ。

置いてあるクルマやバイクは一台どころではない。写真:BACKDROP ショップブログ(株式会社リムジンインタナショナル)
「渋カジ」といえば頭から足先までUSインポートで固めた無骨なワーク&ミリタリースタイルがベース。中でも「バンソン(VANSON)」やニューヨークの「ショット(Schott Bros.)」のレザージャケットに「レッドウイング(RED WING)」のエンジニアブーツ、そして「リーバイス®(LEVI’S®)」の501が鉄板である。アメカジといえば代表格だった“アイビールック”とは一線を画すスタイルが熱狂を生んだ。

積まれたリーバイス®の棚 おそらくプロペラに行けば『渋カジ』スタイルに必要なものは全てあった 写真:BACKDROP ショップブログ(株式会社リムジンインタナショナル)
内装はアメリカ中西部の「木造の納屋(バーン)」をイメージ、というよりほぼ再現するクオリティ。なんと2階の床には農村よろしく藁が撒かれていて、アヒルもいるというユーモアとセンスの良さを併せ持つ。

アメリカの「木造の納屋(バーン)」を忠実に再現するこだわりっぷりに脱帽だ。写真:写真:株式会社リムジンインタナショナル
アメリカのリアルなワーク、ミリタリーを中心とした本物志向の圧倒的なアイテム展開と世界観で魅了する。まさにPROPELLERは原宿にプロペラのごとく新風を巻き起こす、大人の隠れ家だった。店名の由来は、アメリカのフリーマーケットで買った木製のプロペラだというから、大人な余裕というか、遊び心も粋である。

2階へと繋がる螺旋階段にレトロなコカ・コーラベンダー。もはやショップを超えてテーマパーク並みのクオリティ。写真:BACKDROP ショップブログ(株式会社リムジンインタナショナル)
それだけ影響力がありながら、意外にも周辺は1988年のオープン当初からプロペラ通りと呼ばれていたわけではないようだ。通りがそう呼ばれるようになったのは「渋カジ」ブームがひと段落した90年代の半ば以降というのが興味深い。全国的に認知された人気の果てに、誰かがPROPELLERを通りの“象徴(シンボル)”として据えたのではないか。おそらく、ファッション誌などによるメディアの仕掛けもあったかもしれない。

当時、店を訪れた人はワクワクしながら服を見ていたに違いない 写真:BACKDROP ショップブログ(株式会社リムジンインタナショナル)
「プロペラ通り」は93年代以降、NIGO®や高橋盾による「NOWHERE」が近隣の横道に創業し、そのあとプロペラ通り沿いに移転する。後のA BATHING APEのショップ「BUSY WORK SHOP」となる場所だ。他にも「NEIGHBORHOOD」といった裏原を代表するブランドが時代を経て集結し、プロペラ通りは“渋カジの聖地”から“裏原の中心地”へと移り変わっていく。
結果的に通り自体は若者で賑わうファッションストリートへと変貌し、隠れ家的な趣は残念ながらなくなってしまった。「大人の隠れ家」として始まったプロペラだったが、皮肉にも大人の客が減ったことを憂い、運営会社の社長は閉店を潔く決断したという。こうして惜しまれながらも、原宿のアイコン的ショップは2003年に通りから姿を消したのである。

プロペラの外観 写真:株式会社リムジンインタナショナル
PROPELLERがなくなった後も“プロペラ通り”という呼称は残り、現在まで受け継がれていることこそ、その影響力の大きさを物語っている。そしてこの裏路地に蒔かれたファッションの種は今もなお見事に根付いていると言えよう。
このPROPELLERの姉妹店こそ、日本で初めてバンソンとショットを輸入販売し、「渋カジ」の代名詞である渋谷「BACKDROP」だ。現在もブランドは続いており、2021年からこのPROPELLERへの敬意を込めて「PROPELLER」ラインのアイテムをリリースした。当時の店舗ロゴをプリントしたTシャツやフーディ、スウェットをレギュラーで販売した。かつてあった渋カジの金字塔の名を、未来へと繋いでいくために企画されたアイテムだという。

店舗ロゴをプリントした「PROPELLER T」シャツ(8,800円 税込)。ボディは創業以来一貫してUSAコットンにこだわる「GOOD ON」を採用した逸品。そのほか、フーディやスウェットも 写真:BACKDROP オンラインサイト 商品ページ
商品は当時のデッドストックショッパー付き。PROPELLERが原宿から姿を消して、早20数年。 街の新陳代謝が激しい原宿において、当時の圧倒的な熱狂を知る人は徐々に減りつつある。若い世代にとっては、なぜこの道が「プロペラ通り」と呼ばれるのか、またはその呼称すら知らない人も当然いるだろう。しかしながら、かつてあった渋カジの金字塔の名は、こうして形を変えながらも未来へと繋がれている。

当時実際に使われていた紙ショッパーのデッドストック プロペラに通っていた方は嬉しいはず 写真:BACKDROP オンラインサイト 商品ページ
一軒の店が残したものは、決して建物や商品だけではなかった。時代とこの通りを沸かせた偉大なショップへの敬意と共に、「プロペラ通り」という名がこれからも原宿の歴史の一部として語り継がれていくことを願ってやまない。
次にこの道を歩くときは、少しだけ「プロペラ通り」という名前を意識してみてほしい。その名前の向こう側には、裏原ムーブメント以前の1980年代後半から原宿を沸かせた一軒のショップと、ファッションの熱狂が確かにあったのだ。

Photo:
株式会社リムジンインタナショナル
OMOHARAREAL編集部
Text:Tomohisa Mochizuki
最終更新日:
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