右)岡﨑乾二郎 Mount Ida ─ イーデーの山(少年パリスはまだ羊飼いをしている)
2022年6月、立川高島屋 S.C.の全館リニューアルを受けて、敷地内に設置されている岡崎乾二郎の作品「Mount Ida─イーデーの山(少年パリスはまだ羊飼いをしている)」を撤去すると報じられた。本件に関して、多くの記事が発表され、文化面のニュースとして少なくとも一時は中心的な話題となっていたように思う。報道によると、作家である岡崎氏は、高島屋や立川高島屋 S.C.を所有管理する東神開発株式会社ではなく、作家選定から設置までを担ったアートフロントギャラリーを通じて今回の撤回を初めて知ったそうだ。岡崎氏にとってはまさに寝耳に水であったことだろう。そして、年が明けた2023年1月17日、高島屋は作品の撤去を撤回すると発表した。
様々な報道、あるいは批評や論説の中で、今回の件においてアートフロントギャラリーの代表を務める北川フラムという一人の強い当事者についての話題が少なかったことは特筆すべきかもしれない。というのも、今回、渦中となった作品は、JR立川駅北口の米軍基地跡地の再開発事業により完成したエリア「ファーレ立川」のプロジェクトの一環で製作、展示されたものであり、そのディレクターには北川氏が起用されている。
ファーレ立川というエリア
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そもそもファーレ立川は1977年、立川飛行場がアメリカ軍から全面返還されるにあたり策定された市街地再開発事業で生まれたエリアであり、エリア内には109点のアート作品が設置されている。ファーレ立川の完成にあたって発行されたパンフレットには「先進の都市基盤を整備し、機能をアートにした新しい都市景観を創出」ともある。1977年の返還から2年後の1979年には処理の大綱が策定され、更にその3年後である1982年には基本計画が打ち立てられた。アートフロントギャラリーの創業が1982年であることを考えると、北川氏が基本計画にどの程度かかわっていたかは詳しい調査が待たれるが、この基本計画から12年をかけた1994年の完成にあたるまで北川氏が少なからず関係を深めていったことは想像に難くない。北川氏がディレクターを務めたファーレ立川の成功は確かであり、ここから北川氏の「地域社会への直接的な貢献を謳う芸術祭」というあり方が始まっているようにも思う。実際、アートフロントギャラリーおよび北川氏はその後、2001年に立川国際芸術祭(1998〜2002)のディレクターを務めるなど「まちづくりと芸術を架橋する」仕事を続け、それ以後は、北川氏の代表作ともいえる大地の芸術祭(2000〜)や瀬戸内国際芸術祭(2010〜)などを主催。国内でも知名度のある芸術祭へと成長させてきた。
大地の芸術祭、瀬戸芸と他の国内芸術祭の違い
北川氏が打ち出した芸術祭が、他と異なっていた点は、地域社会への貢献ではなく、地域経済への直接的な貢献を目的としていたことであろう。これはファーレ立川のコンセプト「機能(ファンクション)を美術(フィクション)に」においても、その萌芽が見られる。大地の芸術祭や、瀬戸内国際芸術祭が登場する以前の国内芸術祭は、直接的にまちづくりを謳って企画されるのではなく、あくまで文化的なイベントを行うことによる間接的な地域経済への貢献という題目が多かった。その代表的な例が横浜トリエンナーレ(2001〜)および愛知トリエンナーレ(2010〜)といった人口20万人以上を抱える政令指定都市や中核市が委員会を組織し開催するタイプの芸術祭である。これらの芸術祭はそもそも人口の多い地域での開催ということもあり、上記の直接的なまちづくりではなく間接的な地域社会への貢献というスタンスが受け入れられやすく、また実際に地域住民への社会的・文化的貢献が公金の搬出先として理解を得やすい。(また愛知トリエンナーレ2019は、この理由が原因となり大きな摩擦が生まれ、作品の非公開という決断を下した)。
一方で立川市(人口約18万人)や越後妻有地域(約7万人)、また人口の少ない瀬戸内の島群を会場とする瀬戸内国際芸術祭においては、問題となるのは地域社会への貢献ではなく、地域経済への直接的な貢献であり、すなわち一般的な芸術祭と北川氏の芸術祭において目指されるものは基本計画の時点で大きく異なることが容易に想像できる。北川氏および、アートフロントギャラリーが目指してきたものが独自であり、また通常の芸術祭との違いを乗り越えて北川氏が企画を継続できる、目的の違いのよるものだろう。
アート界で続く作品の撤去、紛失、破損
北川氏は、ファーレ立川のディレクションでその功績が認められ、日本都市計画学会が主催する都市計画設計賞を1994年度に受賞した。しかし一方、今回の岡崎乾二郎氏の作品撤去に限らず、いくつかの事件に見舞われてきたのも確かである。2007年から非常勤館長に就任した新潟市美術館での作品保存に関するスキャンダルや、2010年の瀬戸内国際芸術祭での火災による作品焼失、また2021年には瀬戸内国際芸術祭の会場で草間彌生の作品「南瓜」が破損したのも記憶に新しい。今回の東神開発株式会社やアートフロントギャラリーの対応については、今後の誠実さを願うばかりである。一方で上記のような北川氏の歩み、および東神開発株式会社やアートフロントギャラリーの沈黙、あるいは歯切れの良くなさと遭遇する時、筆者は近年の美術業界において一時の話題となったアーツ前橋の作品紛失スキャンダルを想起する。
2018年12月17日、アーツ前橋は群馬県高崎市出身の物故作家2人の作品52点を遺族から預かり、旧前橋市立第二中学校のパソコン室に搬入した。2020年1月6日、このうち3点が見当たらないことを学芸員が確認、2月3日には合計6点(木版画4点と書2点)の紛失が判明した。市長への報告から対外公表までの遅れにより作品紛失だけでなく「隠蔽」の批判も起きた事件である。本件の背景には労務問題もあると言われており、また今回のファーレ立川の事件とは直接的には何らの関係もないものではあるが、前橋市という中核市の持つアートセンターでの事件ということもあり、また館長であった住友文彦氏による反論が市長側の認識と大きく食い違っていたことなどでも話題となった。
今回のファーレ立川における作品撤去の顛末や、同時代に行われた地域住民への文化的貢献を公金の搬出理由とする芸術祭、アーツ前橋での作品紛失などの問題は、直接的な原因は様々であれ作品にとって悲劇的な状況が頻発しているという意味で通底している。この大局的な問題は、一つの具体的な原因ではなく、多くの複合的な原因によるものであることは間違いないものの、一方で現象を取り出して考えてみると日本における芸術の境遇がよく現れていると言えるのではないだろうか。
「地域経済への直接的な貢献」による弊害の顕在化
作品の紛失、撤去、破損が起こった際に作品や作家の行方や想いよりも組織の人事が問題になりがちな日本において、文化や芸術活動を組織の論理と切り離して擁護することは非常に難しい。しかし北川氏はファーレ立川における成功により、一般的な政令指定都市や中核市におけるアートディレクターとは別の形でのディレクターのあり方を体現している。そのような北川氏においても、その活動の焦点が「地域住民への文化的貢献」から「地域経済への直接的な貢献」へと徐々に移り変わっていくにつれて、冒頭の岡崎乾二郎の作品撤去のような形で地域経済からの要請を受けるような状況が顕在化してきたと言えるのではないだろうか。
ファーレ立川アートプロジェクトのコンセプトについて、アートプランナーを名乗る北川氏は以下のように記述している。
「新しくできる機能的な都市空間、そこで働き、訪れる人の五感にささやきかける空間をつくりたい(中略)ファーレ立川は美術の妖精たちの森になるように構成されました。これらの妖精を街のなかに探してください。見るだけでなく、触ってください。ひとつひとつの作品は必死にささやいています。『友だちになって!』」
ーファーレ立川アートマップより引用
芸術祭は通常、まちづくりと芸術の合理的な接点として、地域住民に対する文化的貢献や経済的貢献といった説得により行われる。一方そのように成立した舞台の中で作家や作品は、いわば合理性の外部として参加者との友情を一手に引き受けるよう委託される。ファーレ立川が成功したプロジェクトであるかは、今こそ鑑賞者によって確認されるべき機会と言えるだろう。各トリエンナーレや瀬戸内国際芸術祭の一つの原型として、改めて足を運んでいただければと思う。
1987年東京生まれ。2008年ランドアート作品「渋家」を発表。NHK Eテレ「ニッポンのジレンマ『僕らの新TOKYO論』」など出演。2014年より演劇活動を開始、2015年「非劇」武蔵野文化財団・吉祥寺シアター、2022年「no plan in duty」板橋区・PARA。手売りで累計5000部を発行した批評雑誌「アーギュメンツ」には創刊で携わる。現在、空間演出ユニットhuezを擁する渋都市株式会社取締役(現職)、石川県金沢市にアーティストインレジデンスを運営する46000株式会社取締役(現職)。
(text・edit:古堅明日香)
【参考文献】Description of the artwork "Mount Ida (The boy Paris is still shepherding)"、住友文彦「記者会見配布資料」2021年3月25日、
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