Image by: FASHIONSNAP

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「ボッター(BOTTER)」や「ニナ リッチ(NINA RICCI)」で経験を積んだデザイナー 加藤大地が2024年秋冬シーズンに立ち上げたブランド「オムナ(HOMMENA)」。精神的な性のグラデーションを肯定し、男性と女性それぞれの身体を美しく見せることを目指す同ブランドの服は、“人との違いやズレ”を特徴的なシルエットとどこか愛おしくポジティブなデザインへと落とし込んだ、唯一無二の個性と魅力に充ちている。
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かつては「敷かれたレールの上を歩んできた人間だった」という同氏は、一度就職した後に服飾学校に入り直し、パリに渡ってデザイナーになった経歴をもつ。会社を辞めてデザイナーを目指したきっかけから、パリで過ごした日々、メゾンブランドでの研鑽で得たもの、自身の服作りに込める思いまで、同氏とブランドのこれまでの歩みと未来像を訊ねた。
目次

2026年春夏コレクション
Image by: HOMMENA

「敷かれたレールの上を歩んできた人間」
「敷かれたレールの上を歩んできた人間」が踏み切った、デザイナーへの道
── 一度就職した後にデザイナーを目指されたそうですね。
4年制大学で社会学と心理学を学んだ後、会社員として4年間働きました。最初は販売職、2年目からはセレクトショップ事業部のマーチャンダイザー兼バイヤーを担当していました。元々「洋服の企画やデザインをしたい」という思いがあり、多少はそういった仕事に携われていたものの、「自分がやりたいことをやり切るには、デザイナーになるしかない」という気持ちが日に日に強くなって。年齢的にも「道を変えるなら今しかない」と会社を辞めて、服飾専門学校に入学しました。
── 仕事を辞めてデザイナーを目指すことに対して、葛藤はありましたか?
僕はそれまで、「敷かれたレールの上を歩んできた人間」だったんです。普通に大学に行って、新卒で会社に入って、定年まで勤め上げる、というコースから外れたことがなかった。なので、自分にとってその選択は大きな変化ではありましたが、「やっぱりやりたいことをやっておかないと人生が楽しくないな」と思って、踏み切りました。

── そもそも、ファッションに興味を持ったきっかけとは?
一つは兄の影響で古着屋に行くようになったこと。もう一つは、自分の身体にコンプレックスがあったことです。中学生のころに少しでも見た目を良く見せようと工夫したのが、おしゃれに興味を持ったきっかけでした。
── その後、服を「作る」側を志したのはなぜですか?
進路を考えていたとき、ファッション以外に全く興味が持てなかったんです。元々絵を描いたりものを作るのが好きだったこともあり、一番好きな業界で、洋服のデザインの仕事をやりたいと。それで、自然と「デザイナーになりたい」という目標が明確になっていきました。

実力で掴んだ、パリ留学のチャンス
── 服飾学校に入られてからの歩みを教えてください。
学校では、ウィメンズの基本的な服作りを学んだ後、メンズクラスに進んでテーラードを中心に学びました。元々、3年目にパリへ留学するコースに通っていたんですが、制作の兼ね合いから金銭面でも不安があり、このままでは留学は無理だと諦めかけていたんです。ちょうどそのとき、受賞すると留学のチケットを獲得できるコンテストがあったので応募したところ、幸運にも受賞することができて。そのおかげで、パリに留学することができました。

── 留学のチャンスを自らの手で掴んだんですね。パリの学校ではどんなことを学びましたか?
パリでは、日本ではなかなか学べない技術を身につけたくて、オートクチュールを主に学びました。日本では、パターンを引いたりデザインをしたりするときは平面で行うことが多くて、パターンを引いてから立体にして、それを見て調整するというのが主なやり方でした。でもパリのオートクチュールは、パターンは引かずに全てマヌカン(ボディ)に布をドレーピングして形を作り、その布がそのままパターンになるという方法だったんです。
例えば、前後の脇の長さが多少ずれていても、それが一つのデザインになってしまう。その考え方にはすごくショックを受けましたが、それが新しい学びでもありましたし、立体的にデザインを考える方法が自分には合っていると感じました。平面と立体の両方ができるようになったことは、今では自分の強みです。


── 言語面などで苦労はなかったですか?
当時は苦労しました。学校では基本的にフランス語だったので、最初は授業に全然ついていけなくて。だから、デザインの先生との面談があるときはちゃんと準備していかないと分かってもらえないと感じて、フランス語で台本を用意して、それを覚えて顔を見て話せるように練習したりしていました。そういったことを続けているうちに、徐々に日常会話は聞き取れるようになっていきました。
「ボッター」と「ニナ リッチ」──タイユールとフルー 両方を担うポジションに
── その後、どのようにして「ボッター(BOTTER)」に入ったのでしょうか?
現地ではブランドで働くにはインターンから始めるのが基本なので、いくつかのブランドにポートフォリオを送ったり、直接出向いたりしながらインターン先を探していました。その中で、元々興味があったボッターのInstagramにDMを送ってみたところ、すぐに返事が来て。「ポートフォリオを送って」と言われて送ったら、「明日、会いましょう」と。作品のプレゼンを評価してもらい、翌週から働き始めることになりました。
── ボッターではどんな日々を過ごしましたか?
最初の1週間はトライアル期間で、初日に「この1週間でコレクションに使うアウターを3型考えて見せてください」と言われたんです。デザイン画と言葉だけで説得力を出すのは難しいと思い、トワル*も3体用意してプレゼンに臨みました。すると、全部合格をもらえたんです。当時は語学力もあまり高くなかったのにスキルをちゃんと認めてくれたのは、ボッターというブランドの良さだなと感じました。
はじめはデザイナーのアシスタントとして入ったのですが、当時はルシェミー・ボッター(Rushemy Botter)とリジー・ヘレブラー(Lisi Herrebrugh)のデザイナーデュオ2人を中心とした少数精鋭のチームだったこともあり、早い段階でデザインからパターン、縫製まですべてを任せてもらえて、そこで一気に力がつきました。
*トワル:洋服のデザインやシルエットを確認するために、仮の生地(シーチングなど)で作った立体見本のこと。

── ボッターでは、どれくらいの期間働かれたんですか?
半年間はインターンとして、その後半年間はデザイナー兼パタンナーとして働きました。3シーズンくらい関わったと思います。
── その後、「ニナ リッチ(NINA RICCI)」に移った経緯は?
ボッターのデザイナーの生活の関係で、「アトリエをパリからアムステルダムに戻す」と言われたことがきっかけでした。ついて行くという選択肢もあったのですが、パリを離れてしまうと他のブランドで働くチャンスも少なくなると思い、パリに残ることにしました。
当時、彼らはニナ リッチのクリエイティブディレクターも兼任していたので、パリを拠点にしているニナ リッチにも声を掛けてくれたんです。ウィメンズでも経験を積んでみたいと考えていたので、デザイナーとして移籍しました。ちょうど移籍したタイミングでボッターの2人は退任することになってしまったので、ニナ リッチで一緒に働くことは叶わなかったのですが。


── ニナ リッチでの経験は、ボッターとはまた違いましたか?
ブランドの規模が大きいので、デザイナーはデザインのことしかしない、完全な分業制でした。そこで初めて、普通のメゾンブランドのあり方を経験しました。
それまではテーラリングのような硬い生地ばかりを扱ってきたので、ドレスに使うような柔らかい生地(フルー)の扱い方が分からなくて、最初は苦労しました。フルーの生地は、全体の落ち感や流れの美しさが大事。他のデザイナーの仕事を見ながら、盗みながら学んでいきました。はじめはテーラリング担当でしたが、最終的にはタイユール(テーラリング)とフルー(ドレス)の両方を任されるようなポジションになりました。
── その後、ニナ リッチを辞めてご自身のブランドを立ち上げることになったきっかけは?
ニナ リッチで2年間、5シーズンほど経験して、「学べることは学びきったかな」と思ったのが最初のきっかけです。他のブランドも受けてみたのですが、いざとなると「本当にここで働きたいのかな?」という思いが湧いてきて。デザイナーとしてデザインはするものの、最終的にはブランドのため、ディレクターのためにデザインしているので、100%自分を出し切れているわけではないというフラストレーションがあったんだと思います。
メンズもウィメンズも経験して、年齢的にもそろそろ自分のブランドを立ち上げることに本気になってもいいのかもしれないと思い、ブランドを立ち上げることにしました。

── ご自身のものづくりを100%でやってみたい、と。
元々はパリで立ち上げることも考えていたんです。でも、パリのファッション業界で働く中で、日本人特有の奥ゆかしさや空気を読む性質が、時にストッパーとしてネガティブに作用する場合があると感じて。その性質自体は日本人の良さだと思っているのですが、技術も高く実力も負けていないのに目立って活躍しにくく、評価されづらいことにもどかしさや寂しさを抱いていました。
日本人としての文化的なアイデンティティは変えられないので、それなら一度日本に帰国してブランドとしての力をつけ、より注目を浴びる存在になってからパリに再挑戦しようと考えました。
人との違いやズレを肯定し、身体を美しく見せる服を
── 「HOMMENA」というブランド名は、フランス語で「男性」を意味する「homme」という言葉に、イタリア語の女性名詞の語尾「a」をつけたものだそうですね。
ブランド名は、ふと降りてきた言葉です。今の時代、精神的なジェンダーはすごくグラデーションになっていますが、生まれ持った身体はやはり男女で分かれている。その、それぞれの身体を一番美しい状態で見せたい、という思いがブランドの軸にあります。だから、オムナは“ユニセックスブランド”にはなりたくなくて、男性と女性、両方の身体を美しく表現することを目指しています。

── ブランドのコンセプトについても教えてください。
このコンセプトには、オムナの服を着て自信がついたり、自分の個性を表現するツールとして使って欲しいといった気持ちもあるのですが、一番は「人との違いやズレを、自分自身も相手にも受け入れてほしい」という思いを込めています。
HOMMENA Brand Concept
精神的な性は、より自由に、グラデーションのように広がっている。
HOMMENAは、その曖昧さを拒まず、むしろそこに宿る美しさを見つめている。
身体には、確かな構造と個性がある。
その現実を受け入れながら、最も美しく見せるための形を探る。
構築と解体を繰り返し、線をほどき、再び結び直す。
マスキュリニティとフェミニニティの境界にある微妙な揺らぎを捉え、構造やディテールの中に静かな違和感として宿らせる。
その違和感は、否定ではなく、肯定のかたち。違いを受け入れることでしか生まれない、確かな美しさがある。
── 歪んだデザインやシワ、ワイヤーが入ったディテールなどが特徴的ですが、そこにはどんな意図がありますか?
ブランドの理念としている「違和感」や「違い」みたいなものを形にしたいという思いが、シワができるようなデザインや、形が変化するディテールにつながっているんだと思います。
── カラーパレットは明るく、前向きな印象です。
色の選択やモチーフの選択は、結構直感です。ピンクが一番好きで、元々可愛らしい色合いやモチーフも好きなので、それを選ぶことが多い傾向にあります。あとは、「ブランドとして常にポジティブな方向でものづくりをしたい」という思いもあります。オムナの服を見たり着たりすることで気持ちが明るくなってほしいので、そんな色合いを選ぶことが多いです。
── これまでのコレクションテーマについて簡単に教えてください。
デビューコレクション(2024年秋冬)のテーマは、「究極の欲求」です。本当は着たいけどサイズが合わない、自分には似合わない、といった服を無理やり自分の身体に合わせて着てしまおう、という発想から生まれました。今見返すと、自分のフェチにかなり忠実に、自由に表現していたコレクションだったなと感じます。

2024年秋冬コレクション
Image by: HOMMENA

次の2025年春夏は、前シーズンからの続きのような形で「欲求の余韻」をテーマにしていました。海軍の制服であるセーラーやスカジャンなどをモチーフに、昔憧れていたものや着たかったものを今改めて着てみよう、という思いを込めた、少し懐かしい雰囲気のコレクションです。

2025年春夏コレクション
Image by: HOMMENA

── そして、今ちょうど店舗で展開している2026年春夏コレクションのテーマが、「Je ne corresponds pas(私は完全に一致しない)」ですね。
このコレクションは、「オムナらしさを明確にしよう」と思って作った、ブランドとして何をやっていきたいのかを改めて考えるきっかけになったシーズンでした。
パリに住んでいたとき、現地の友人から「もうパリジャンになったね」と言われたことがあったんです。言葉も完璧じゃないしフランス人でもない「違い」があるのに、それを含めて現地の人と認めてくれたことがすごく嬉しくて。その経験をコレクションで表現したいと思い、このテーマにしました。国立西洋美術館で観た肖像画展もインスピレーション源になっていて、「一番美しい瞬間を切り取る」というアイデアと、実際の自分との違いや違和感をどう混ぜ合わせるかを考えて、例えば「前立てや裾にワイヤーを入れて形を止める」といったディテールで表現しています。

2026年春夏コレクション
Image by: HOMMENA

── コレクションを製作するときは、毎回どのような手順で進めますか?
まずはノートにアイデアを言葉として書き出して、自分のやりたいことを整理し理解するところから始めます。そうすると、自ずと加工やディテールのアイデアが浮かんでくるので、それをドレーピングで試作してみる。その後、スケッチを描き、最終的なデザインへと落とし込んでいくのが一連の流れです。具体的なデザインを考える際は、絵を描くよりも先にメンズ・ウィメンズ両方のボディに直接布を当てて、立体的にフォルムを作っていくアプローチを採っています。
テーマに関しては、その時々の気分や人の感情などを集めてきて、そこから見えてくるものを形にすることが多いです。

── ブランドを立ち上げて4シーズンが経ちましたが、今の手応えはいかがですか。
ありがたいことに、ファーストシーズンから取り扱ってくださっているセレクトショップさんとの関係や、PRやセールスの方々の協力もあって、一人ではできなかった広がりを感じています。少しずつですが、前に進んでいるという実感はあります。
唯一没頭できるもの、それがファッション
── 今後の目標や展望を教えてください。
直近の目標としては、3年から5年の間にパリに進出したいです。まずはショーや展示会など、パリで何かしらの活動をすることを目指しています。LVMHプライズ(LVMH Young Fashion Designers Prize)にも挑戦したいと考えています。
最終的な目標は、パリのファッションウィークでコレクションを発表するブランドになること。糸や生地作りから縫製、加工、販売まで、ブランド内で全てを完結できる「メゾン」のような体制を作りたいです。国内の業界を取り巻く厳しい現状を目の当たりにしている中で、確かなものづくりを継承していく手助けができるブランドになりたいという思いがあります。
── 最後に、ご自身にとって「ファッション」や「服」とはどのようなものでしょうか。
唯一没頭できるものです。僕は熱しやすく冷めやすい性格なのですが、ファッションはずっと続いている。半年ごとに新しいことを考えなければいけないデザイナーという仕事が自分には合っていますし、天職だと感じます。そして、ファッションは喜びも苦しみも含めて、すべての感情を感じさせてくれるものでもあります。オムナも、誰かの感情を揺り動かす存在になれたらと思います。

■加藤大地(かとう だいち)
大学卒業後、会社員としての経験を経て、服飾専門学校のエスモード東京校に入学。在学中に「第45回神戸ファッションコンテスト」特選を受賞し、パリへ留学。「ボッター(BOTTER)」や「ニナ リッチ(NINA RICCI)」などで経験を積んだ後に帰国し、2024年秋冬シーズンに自身のブランド「オムナ(HOMMENA)」を立ち上げた。
Instagram:@hommena_official
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