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【インタビュー】ジュリアン・オピーが今気になっている日本人アーティスト

ジュリアン・オピー氏の自画像 ©Julian Opie

ジュリアン・オピー氏の自画像 ©Julian Opie

【インタビュー】ジュリアン・オピーが今気になっている日本人アーティスト

ジュリアン・オピー氏の自画像 ©Julian Opie

 イギリスの現代美術家ジュリアン・オピーが手掛けた新作映像作品「マラソンウーマン(Marathon, Women.)」が、GINZA SIXの吹き抜け空間で公開された。シンプルかつカラフルな線画で描かれたランナーたちが、異なるスピードで躍動的に走る様子を、幅10m、高さ1mの大きなLEDサイネージを宙に浮かべる形で展開。2階から5階までの4フロアで、スクリーンの内外両面に映し出され、多角的に鑑賞できるのが特徴だ。作品制作の背景には、ボリビア代表マラソンチームのためにアートを制作したことがあるという。オピー氏は「走るという行為は、人間の本質的で美しい表現だ」と語る。人間の身体能力が長距離走に優れていることを踏まえ、今回の作品では女性マラソンランナー7人をモチーフにしたが、男性ランナーも撮影し、それらも作品化しているという。

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Image by: FASHIONSNAP

 作品公開に合わせて来日したオピー氏は、報道陣の前で記者会見を行ったが、影や手足を含むポートレートの撮影は一切禁止という独自のルールを設けていた。FASHIONSNAPは単独インタビューの機会を得て、日本との関わりから、美学、そして撮影禁止の理由や哲学などを聞いた。

Charles. Jiwon. Nethaneel. Elena.(2024) ©Julian Opie

──オピーさんの「美しいもの」の定義を教えてください。

 私にとって美とは「エンゲージメント」。つまり関わる、関与するという言葉と近しいと思っています。突然周りの世界や人と関わりを持ち、「繋がった」と感じる瞬間に美しさを感じます。客観的にはタージ・マハルやファッションモデルも美しいのでしょうが、本当の美しさとは、自分の中から外に出て何かと繋がった時に感じる、衝動的なものだと思います。

──では最近、日常の中で「美しい」と感じた瞬間はありますか?

 夏休みをフランスの田舎で過ごし、ずっとサイクリングをしていました。そこには緑の畑が広がり、まるで動かない海のようでした。森林や丘が連なる風景との長い関わり(エンゲージメント)を感じることができました。もちろん、ただサイクリングの技術や道に集中していたら、そうした繋がりは持てません。田舎の静寂の中で、何かが自分の中で満たされていく感覚、それに美しさを感じました。街中でも可能でしょうが、人とぶつからないように歩かなければいけないので、なかなか難しい。旅に出ている時によくそういったことを感じます。

 また、何か一つに没頭することも「美しいもの」だと思います。今、トーテムポールに関心があって、幸いロンドンには素晴らしい博物館がたくさんあります。大英博物館のカフェのメインスペースで、違う文化、違う時代の人が作ったものを1時間ほどずっと観察する。そこにも大きな美しさがあると感じています。

Exhibition at Tokyo Opera City Art Gallery(2019) ©Julian Opie

──日本の都市風景や人々の動きから影響を受けたことはありますか?

 まるでプロモーションのように聞こえてしまうかもしませんが、家族も含めて日本が大好きです。日本に定期的に来ることで、この国をより深く知り、文化や景色を自分の中に取り込んできました。昔から日本の美術には関心があり、個人的に浮世絵や現代アートをコレクションしています。それは「アーティストが日本人だから」ということではなく、自分がその作品に反応するからです。他の国のアーティストの作品ももちろんコレクションにあります。

──現在注目している若手の日本人アーティストはいますか?

 私はかなり自己中心的なので、普段は自分と作品に集中しています。教えたりレクチャーをしたりすることは、避けられるのであれば避けています。年を重ね、自分のための時間を大切にしたいのです。

 ただ、本や雑誌、アートフェアなどで何か心に訴えかけてくるものに出会うと、もっと知りたくなり、購入したいと思うことがあります。最近では、日本人のアーティスト数名とそうした経験をしました。一人は彫刻家の鈴木友昌さん。彼は非常にゆっくりと作品を作る方で、私が彼の作品を2つ持っているということは、彼の半年分くらいの制作量をもらったようなものだと思っています(笑)。

 もう一人はイノマタアキさん。動物や自然現象をうまく作品に取り込んでいて、彼女の作品もたくさん持っています。実は作品の交換もしたことがあります。これはアートを手に入れる最良の方法ですが、複雑なのでなかなか実現しません。

 宮島達男さんも大好きですが、私の妻が非常に数学的な頭脳の持ち主で、家の中にあれだけ数字があると頭がおかしくなってしまうと言うので、彼の作品は家にはありません(笑)。それから、奈良美智さんの作品も持っています。ずいぶん前に2つの封筒を買ったのですが、とてもラッキーでした。

──このGINZA SIXの吹き抜け空間に作品をお願いしたいと言われた時、どのように感じられましたか?

 どのようなプロジェクトでもご依頼をいただくと、まずはバーチャルリアリティでその空間をなるべく再現するように努めています。ロンドンのスタジオで、頂いたプランを元に似たような世界を作り出し、そこでどういう機能ならその空間を使えるかということを考えます。毎回その場所を訪問することが可能ではないからこそです。

 若い頃はギャラリーの段ボール模型を作って、しゃがんで下から見るとどうなるだろうかと検証していましたが、今はVRモデルで検証できます。この空間を色々な角度から見て、やはりミュージアムやギャラリーとは違う、非常に独特な空間だと認識しました。

Image by: FASHIONSNAP

──美術館やギャラリーではなく、GINZA SIXのような商業施設で展示することの魅力や挑戦はどこにあると思いますか?

 私の方針として、どんなアートワークもその空間のためにあるような、見ていて完璧なものを作りたいと思っています。ここは皆様が芸術を鑑賞する場所ではなく、お買い物に来たり、お友達と一緒に楽しむ場所です。なのでアートの役割は美術館とは異なり、主たる目的は「見る」ではなく「楽しむ」こと。皆様の動きや、ここを歩いている時の考えに合っていかないといけないと思いました。ですから、買い物している時の体験の中に溶け込むような作品を目指しました。

 アーティストはご依頼を頂くと、その瞬間に取り組んでいる作品の中から色々と考えます。私はこの「走る」ということとスプリンターのプロジェクトを動かしていたのですが、今回のプロジェクトではまさにこのランナーが合うだろうと思いました。まるでつま先で浮いているように、ほとんど地面に足がつかない。まるで飛んでいるような表現ができると思いました。

──LEDを作品に用いるのはなぜですか?

 LEDは20〜30年、私の作品の中に取り込んできましたが、まさに「街の言語」で、公式な言語の表現に使われていることが多いと思います。アメリカのアーティスト、ジェニー・ホルツァー(Jenny Holzer)さんが最初に使っていたと思いますが、いわゆるLEDは非常にアグレッシブで威圧的なところがあります。何か指示を出し、公的なアナウンスをするものです。一方、彼女の作品は人生や夢、思考に考えを馳せるような対話式のものが多い。このコントラストに私も興味を持ちました。

Walking in Lisbon.(2022) ©Julian Opie

 実は、80年代に日本で初めてその権威的なLEDの使い方を見たんです。エスカレーターで「あちらに行きなさい」という指令、命令のような強さを感じました。と同時に、シンプルなLEDでグラフィックとして動きがあることにも面白さを覚えました。

──今回、GINZA SIXに現れた作品「マラソンランナー」は、一方通行で走り続けています。

 LEDの特徴である「アグレッシブで直接的にメッセージを伝えるもの」を使いつつ、人間らしさとのコントラストをもたらしたいと考えました。なので、「走れ」「あちらの方向に行け」ということではなく、太陽の光がキラキラと水面に輝いているのをずっと見ていられるような、そこから何かを思い起こせるようなものを考えて作っています。

 エンドレスに走っているという点については、アンディ・ウォーホル(Andy Warhol)の初期映像作品もまさにそうですが、物語もスタートも終わりもありません。音楽や映画や本であれば始まりと終わりがありますが、アートにはそれはありません。あなたが見始めた時が「始まり」です。

 余談ですが、先日、マックス・リヒターさん(Max Richter)の「Sleep」という8時間続くコンサートに行ったのですが、集中する必要がないということがいかに快適かを感じました。フォローするストーリーもないので、リラックスしてただその場にいればいい。人生と同じで、いつでも自分の好きなように来て、見て、考えればいい。この7人のランナーも、永遠に走り続けていますから、同じようにリラックしてみてください。

──「マラソンランナー」の完成形を見た時、どのような感情を持ちましたか?

 実は、この作品が完成したのをちゃんと見たのは昨夜が初めて。お披露目の前夜でしたが、色を調整する必要がありました。私は色盲に近いので、色の差別化をもっとはっきりさせたいな、と。そして今朝ここに来て、すごく落ち着いた気持ちでいます。皆さんの顔を拝見したり、ガラスに作品が反射して外の世界に広がっていく様子を感じ取ったりしながら、今は楽しんでいます。皆さんも、1つの作品で5つぐらい楽しめるのではないでしょうか。

 アートワークを作ることは、結婚と似ていると思います。つまり新しい関係を構築するもので、アップダウンがあります。

 作品を作り始めるときはハネムーンのようで、エネルギーに満ち溢れています。もっとやりたい、もっといろんなものを吸収しようと、止まらないくらい楽しい。そこから長い共同生活のフェーズに入り、ワクワクもするけれど、ギブアンドテイクの関係も出てきて、うまくいく時もいかない時もある。そして、展示する直前、結婚式の前夜のように「本当にこれでいいのか」と不安になります。しかし、当日になるとその恐怖心は消え、良いも悪いも分かち合おうと、人生を共に歩み出す。コンセプトを作り、努力してアイデアを形にしていく中で、エキサイティングな感覚から「受容する」段階に移ります。ここが一番難しいところで、私は毎回このプロセスで大きく学んでいます。

──記者会見を含め、ポートレート撮影が禁止されました。どのような考えから自分の顔がメディアに出ることを避けているんでしょうか?

 写真を撮ったり撮られたりするというのは、お互いに多くのものを分け与える、非常に親密な行為だと思います。私も昨夜、レストランでスタッフ皆さんの写真を撮らせていただきましたが、それは皆さんが寛大に受け入れてくださったからです。ただ、「写真に写らなければいけない」というように要求されることには、直感的に抵抗を感じます。

 具体的に言うと、メディアのカルチャーは個人への関心が非常に強く、それによって本来関心を持っていただきたい作品そのものから焦点が削られてしまうと感じています。私の仕事は、有名になったり雑誌に載ったりすることではありません。私の仕事はイメージを作ることです。自分の顔やパーソナリティが前に出ることで、自分が作った作品のイメージを妨げることはしたくないのです。例えば誰かをGoogleで検索すると、最初にその人の顔写真が出てきて「ああ、宮島(達男)さんはこういう人なんだ」と思ってしまう。でも、大切なのはそこではありません。彼がどのような作品を作っているかです。

ジュリアン・オピー氏の自画像 ©Julian Opie

 私の理想は、私をGoogleで検索したときに、私の顔写真ではなく作品の画像が出てくることです。だから、写真の代わりに自画像を提供することがよくあります。私の顔を知りたいと思った人に、作品として自画像を渡している。これはちょっとしたトリックですね(笑)。

最終更新日:

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ジュリアン・オピー氏の自画像 ©Julian Opie

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