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仕事に勉強、家事に育児と、普段は忙しくてなかなか映画を観る時間が取れなくても、ゴールデンウィークならなんとかなる、なんて方も少なくないでしょう。今回はネットフリックスとアマゾン プライム ビデオで現在配信中の、ファッションに関係するお勧め映画をまとめてみました。(内容は2025年5月4日現在のものです)
目次
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マルジェラが語る“マルタン・マルジェラ”
あらすじ
なぜ、マルタン・マルジェラは評価され続けるのか?革新的、繊細で優しく、かつ大胆不敵、本質を見極め、決して妥協しない。マルジェラの創造性と仕事術、その全貌が明かされる。
1988年に自身のブランドを設立し、解体や再構築など斬新なアプローチでファッション界に多大な影響を及ぼしたデザイナー、マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)。1997年から2003年にかけて、フランスの老舗メゾン「エルメス(HERMÈS)」のウィメンズプレタポルテのアーティスティックディレクターを務めたときは、装飾を抑えたミニマルなデザインが評価されました。マルジェラは匿名性を重んじ、自身の顔を公開せず、メディアのインタビューもほとんど受けないという秘密主義を貫き通し、2008年にファッション業界を引退しました。そんな彼の本当の姿に迫る作品です。
プラダを着た悪魔
あらすじ
恋に仕事にがんばるあなたへ贈るゴージャス&ユーモラスなサクセスストーリー。ジャーナリストをめざしてNYにやってきたアンディ。オシャレに興味のない彼女が、世界中の女性が憧れる仕事を手にしてしまった!それは一流ファッション誌“RUNWAY”のカリスマ編集長ミランダのアシスタント。しかし、それは何人もの犠牲者を出してきた恐怖のポストだった!悪魔的にハイレベルな要求と鳴り続けるケイタイ、「センス、ゼロ!!」と酷評され、私生活はめちゃめちゃ。このままでいいの? 私って、本当は何をしたいんだっけ?
ファッションに関する映画のなかでも、ひときわ有名な作品ではないでしょうか。原作者ローレン・ワイズバーガー(Lauren Weisberger)本人が、かつて米国版「ヴォーグ(VOGUE)」でアシスタントとして働いていた体験を反映しているとされ、劇中で主人公アンディをこき使う「ランウェイ」誌の編集長ミランダのモデルは、ヴォーグの名物編集長アナ・ウィンター(Anna Wintour)だと言われています。
メットガラ ドレスをまとった美術館
あらすじ
メトロポリタン美術館(通称:メット)にて、年に一度開催される世界最大のファッションイベント「メットガラ」。その主催者は、ファッション誌US版「VOGUE」の編集長で、メットの理事でもあるアナ・ウィンター。彼女が主催するこのイベントの目的は、服飾部門の活動資金調達(アナが理事就任してからの活動資金総額は1億2千万ドル超)。そんなイベント開催に向け、アナとコンビを組むのはメットのキュレーター、アンドリュー・ボルトン。彼は従来の服飾展示を脱却した挑発的な展示で人々から絶賛を浴び、アナからも一目を置かれていた。そして二人は、15年の企画展「鏡の中の中国」に向け、アジア美術部門に企画を持ち込むが、様々な問題が発生し…。本作は史上最多の入場者数を記録した展示会の制作過程やスタッフ、豪華セレブ陣に密着した、至福ドキュメンタリーである。
プラダを着た悪魔の登場人物のイメージソースとされる、アナ・ウィンターが主導するファッションイベントが「メットガラ(Met Gala)」です。数多くのセレブリティが、著名デザイナーによる趣向を凝らしたファッションでレッドカーペットに登場することで知られており、これまでリアーナ(Rihanna)やレディー・ガガ(Lady Gaga)、キム・カーダシアン(Kim Kardashian)らのスタイルが、世界的な話題になりました。
アンドレ・レオン・タリー 美学の追求者
あらすじ
差別の激しかったアメリカ南部に生まれた彼がいかにしてファッション界の伝説となったのか。その足跡と彼の哲学を、アナ・ウィンターやトム・フォードといったファッション関係者に加え、ウーピー・ゴールドバーグ、イザベラ・ロッセリーニをはじめとする彼をよく知るセレブたちのインタビューを通して明らかにしていく。
アナ・ウィンターの右腕として知られたのが、ファッションジャーナリストのアンドレ・レオン・タリー(ANDRÉ LEON TALLEY)です。1988年にヴォーグ初の黒人男性クリエイティブ・ディレクターに就任。2メートル超の長身と華麗なケープ姿、豊富な知識と鋭い審美眼で業界に大きな影響を与えました。
マドモアゼルC ファッションに愛されたミューズ
あらすじ
2011年、10年間君臨した仏「VOGUE」誌の編集長を突如として辞任したカリーヌ・ロワトフェルド。その後、自らの名前を付けたレーベルを発表し、自伝的な本の出版、かつてない斬新な雑誌「CR Fashion Book」の創刊など、現在59歳にして次から次へと新たな挑戦に乗り出している。カール・ラガーフェルドやトム・フォード、ドナテラ・ヴェルサーチといったトップデザイナーの素顔を通してファッション界の裏側を覗きながら、新雑誌の制作過程から発売までを追う。
カリーヌ・ロワトフェルド(Carine Roitfeld)は、モデルとして活動した後に、ファッション雑誌「エル(ELLE)」のフランス版でスタイリストとしてのキャリアを築きました。著名なフォトグラファー、マリオ・テスティーノ(Mario Testino)との協業が注目を浴び、トム・フォード(TOM FORD)時代の「グッチ(GUCCI)」や、「サンローラン(SAINT LAURENT)」のキャンペーンにも携わります。その後、2001年から2010年までフランス版ヴォーグの編集長を務め、2015年には「ユニクロ(UNIQLO)」とのコラボレーションも行うなど、今もファッション界に多大な影響力を持つ人物です。
マリー・クワント スウィンギング・ロンドンの伝説
あらすじ
第二次世界大戦後、戦争の爪痕と階級差別が残るロンドンで、若者たちは自由を求めていた。フランスのオートクチュール発の優雅で女らしいファッションに窮屈さを感じていたマリー・クワントは、1955年に自分が着たい服をクリエイトしたロンドン初のブティック「BAZAAR」をチェルシーのキングス・ロードにオープン。開店直後からマリーがデザインした服は奪い合いになり、60年代初めには動きやすく少女らしさを演出するミニスカートが世界中で大ブームを巻き起こす。若い女性の“ほしい”に敏感なマリーを支えたのは、夫のアレキサンダー・プランケット・グリーンと友人のアーチー・マクネア。ブランドのアイコンであるデイジーはファッションから下着、メイク、インテリアと生活に広がり続け、3人はファッションビジネスの新機軸を打ち出してゆく。
第二次世界大戦後のイギリス・ロンドンではベビーブーマー世代が成長して消費者として力を持ち始める一方、保守的な価値観に飽き足らない若者たちが新しい文化を求めていました。そんな世情を背景に、「ザ・ビートルズ(The Beatles)」や「ザ・ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)」らミュージシャンとともに、世界のトレンド発信地になった「スウィンギング・ロンドン」を象徴するファッションデザイナーが、マリー・クヮント(Mary Quant)でした。特にミニスカートの普及において中心的な役割を果たし、若い女性たちが大胆に脚を露出する自由と自己表現を後押ししたことは、ファッション史を語るうえで欠かせない功績です。
エンペラーズ ジュエル 皇帝の宝石 - ブルガリ ホテル ローマができるまで
あらすじ
アウグストゥス帝政時代から2023年6月8日の新しいホテルのグランドオープニングイベントまでのタイムラインを描きながら、観客をブルガリ ホテル ローマの舞台裏へと誘う、ビジュアル豊かなドキュメンタリーです。ブルガリ ホテル ローマ開業プロジェクトの背後にある綿密な計画、建築の素晴らしさ、芸術的なヴィジョンを掘り下げるこの作品は、ホテル建設とブルガリのジュエリーのクラフツマンシップとの類似性を描き、ローマの伝統、イタリアの創造性、時代を超えたデザインを強調しています。
「ブルガリ(BVLGARI)」は、1884年にギリシャ出身の銀細工師ソティリオ・ブルガリ(Sotirio Bvlgari)がローマに開いた宝飾店がルーツで、古代ローマ遺跡やルネサンス芸術に着想を得た大胆な色石使いと幾何学的デザインで評判を呼び、1950~60年代にはエリザベス・テイラー(Elizabeth Rosemond Taylor)などの映画スターが愛用。その後、時計や香水、レザーグッズなどを手掛けるようになります。2001年にはホテル事業を開始。ラグジュアリーライフスタイルを総合的に提案しています。
ヘルムート・ニュートンと12人の女たち
あらすじ
1920年ベルリンに生まれ、映画やラジオなどの大衆文化が広まったワイマール文化の中で育ったニュートンは、50年代半ばから各国版の「ヴォーグ」誌をはじめとするファッション誌にユニークかつ衝撃的な作品を次々と発表。ワーグナーの歌劇に登場する女神のような女性たち、バロック趣味のインテリアや建築物に覆い尽くされた作品世界は、それまでの着せ替え人形のようなモードを見慣れていた読者に強烈なインパクトを与えた。だが、その作品は「ポルノまがい」「女性嫌悪主義」との議論も巻き起こし、「20世紀を最も騒がせた写真家」とも呼ばれた。本作は、2020年にニュートンの生誕100年を記念して制作されたドキュメンタリー。
20世紀を代表するファッションフォトグラファーである、ヘルムート・ニュートン(Helmut Newton)。1960年代よりパリを活動拠点に活動を始め、そのモノクロの洗練された光と影のコントラストと、人間の肉体美を大胆に捉え、官能性・挑発性を帯びたフェティッシュな作風で一躍注目を集めました。
ホワイト・ホット: アバクロンビー&フィッチの盛衰

ホワイト・ホット: アバクロンビー&フィッチの盛衰
Image by: Netflix映画『ホワイト・ホット: アバクロンビー&フィッチの盛衰』独占配信中
あらすじ
90年代後半から2000年代前半、魅力あふれるモデル、高鳴るダンスビート、刺激的な香りでショッピングモールを席巻したアバクロンビー&フィッチ。広く熱烈な支持を得るなか、排他的なブランド戦略と差別的な人材雇用の実態が明るみに出ると、アメリカの若者を象徴するブランドイメージが崩れていきます。
「アバクロンビー&フィッチ(Abercrombie & Fitch)」は、1892年にニューヨークでデビッド・T・アバクロンビー(David T. Abercrombie)が開いた高級アウトドア用品店が起源。市場変化で衰退し1977年に一度清算するものの、1988年にリミテッド傘下となって若者向けカジュアルブランドへ転換し、2000年代にはアイビーリーグの学生やビーチリゾートのライフスタイルを思わせる、健康的でスポーティー、かつセクシーな打ち出しで高い人気を集めました。
HOMECOMING: ビヨンセ・ライブ作品

HOMECOMING: ビヨンセ・ライブ作品
Image by: Netflix映画『HOMECOMING: ビヨンセ・ライブ作品』独占配信中
あらすじ
「HOMECOMING: ビヨンセ・ライブ作品」は、2018年のコーチェラ・フェスティバルで魅せたビヨンセの歴史的なパフォーマンスに密着。その中で彼女はアメリカの歴史的黒人大学に敬意を表しています。ありのままの映像とインタビューが散りばめられ、準備段階や彼女のビジョンの裏に秘められた力強い意図までが詳しく描かれている「HOMECOMING: ビヨンセ・ライブ作品」は、ショーとしてのコンセプトから文化運動に至るまでの込められた熱い想いをたどります。
ビヨンセ(Beyoncé)はR&Bグループ「デスティニーズ・チャイルド(Destiny's Child)」で頭角を現し、2003年のソロ作「Dangerously in Love」でグラミー5冠を達成。パワフルな歌唱と高度なダンス、映像演出を融合させる表現力で、ポップ・R&Bの地平を拡張してきました。ファッションアイコンとしても絶大な影響力を持っており、SNSでの発信やレッドカーペットでの着こなしには大きな注目が集まっています。
最終更新日:
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