全く異なるジャンルでありながら、古くから蜜月関係にあるファッションと音楽。ここ十数年でその結び付きはさらに強くなり、今やファッションメディアでなにがしのアーティスト名を見ない日は無いと言ってもいいほどである。だがアーティスト名は目にするものの、彼/彼女らがファッションシーンへと参画した経緯や与える影響力、そして何よりも楽曲に馴染みが薄く、有耶無耶の知識のまま名前だけを認知している人も少なくないだろう。
そこで本連載【いまさら聞けないあのアーティストについて】では、毎回1組のアーティストをピックアップし、押さえておくべき音楽キャリアとファッションシーンでの実績を振り返り、最後に独断と偏見で「まずは聴いておくべき10曲」を紹介。第5回は、第44代ファーストレディーのミシェル・オバマ(Michelle Obama)ですら「Queen」と呼ぶ女帝ビヨンセ(Beyoncé)をピックアップする。(文:Internet BoyFriends)
■いまさら聞けないあのアーティストについて:連載ページ
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別人格"サーシャ・フィアース"の気付き
ビヨンセことビヨンセ・ノウルズ・カーター(Beyoncé Knowles-Carter)は1981年9月4日、アメリカ・ヒューストンでアフリカン・アメリカンのマシュー・ノウルズ(Matthew Knowles)と、アメリカインディアンとフランスおよびカメルーンの血を引くティナ・ノウルズ(Tina Knowles)の間に長女として生まれた。ビヨンセという名はもともと母ティナの旧姓であり、結婚時に苗字を継ぐ男兄弟がいなかったため生まれた長女に旧姓を授けたそうだ。また、ご存知の方も多いだろうが、ビヨンセ誕生の5年後に生を受けた次女が、ソランジュ(Solange)の名で知られるソランジュ・ピアジェ・ノウルズ(Solange Piaget Knowles)である。
少女時代のビヨンセは、マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)に憧れを抱きながらジェームス・ブラウン(James Brown)、マーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye)、アレサ・フランクリン(Aretha Franklin)、ホイットニー・ヒューストン(Whitney Houston)らR&Bやソウルミュージックのアーティストを聴く中で、次第に自らの音楽スタイルを求めるように。そして、小学校低学年のある日、人生の転機が訪れる。
通っていたダンス・スクールの講師の勧めで学校主催のショーに出場したところ、自身がステージ上では全くの別人に生まれ変わることに気付いたのだ。現在でもこの感覚は持ち続けているそうで、ステージ上での挑発的でグラマラスな別人格の自分を"サーシャ・フィアース(Sasha Fierce)"と呼び、2008年にリリースした2枚組の3rdアルバムを「I Am... Sasha Fierce」と名付け、真の自分を素直に表現した静的な「I Am」と、ステージ上での動的な「Sasha Fiears」で構成している。なお、別人格が宿るあまり時折ステージで何をしたのか覚えていないことすらあるそうだ。
このショーでのビヨンセの活躍ぶりを目の当たりにした両親は、愛娘にアーティストとしての成功を感じ、地元ヒューストンでガールズ・タイム(Girl's Tyme)というガールズ・グループを結成させた。だが、活動から数年が経っても思うように結果を残せずにいると、痺れを切らした父マシューが当時勤めていたゼロックス社を自ら去り(年収数千万円だったとの噂も)、マネジメントを一手に引き受けることを決意。このタイミングでグループ名もデスティニーズ・チャイルド(Destiny's Child)へと改名し、彼の厳しい指導とマネジメントから次第に評判を呼び、同年にコロンビア・レコードとの契約を勝ち取ったのだ。1996年、ビヨンセが15歳の時である。
デスティニーズ・チャイルドの一員として
デスティニーズ・チャイルドは、1997年公開の映画「メン・イン・ブラック(Men in Black)」に提供した楽曲「Killing Time」をきっかけに、同年にデビューシングル「No No No, Part II」をリリースすると、これが全米R&Bチャートで1位を記録。そして、翌1998年にリリースしたデビューアルバム「Destiny's Child」で人気の下地を作ると、1999年リリースの2ndアルバム「The Writing's on the Wall」が全世界で1000万枚を超えるヒットとなり、デビューからわずか2年ほどで世界的ガールズ・グループの地位を確率したのだ。だが、父マシューがマネージャーを務め、母ティナが衣装デザイナーおよびスタイリストを担当するというノウルズ家による家族経営は他メンバーの反感を買い、数度の入れ替わり立ち替わりを経て、ビヨンセ、ミシェル・ウィリアムズ(Michelle Williams)、ケリー・ローランド(Kelly Rowland)の3人に定着。すると、映画「チャーリーズ・エンジェル(Charlie's Angels)」の主題歌に抜擢された「Independent Women」が全米シングル・チャートで11週連続で1位となり、2001年リリースの3rdアルバム「Survivor」もデスティニーズ・チャイルドとして初めて全米アルバム・チャートで1位を獲得するなど充実した日々を過ごすも、同年8月にそれぞれのソロ活動に力を入れることを理由にグループとしての活動休止を発表した。
こうして、デスティニーズ・チャイルドのメンバーとしてではなく1人のアーティストとしてビヨンセの活動がスタートするのだが、デスティニーズ・チャイルドは3年の充電期間後の2004年に4thアルバム「Destiny Fulfilled」をリリースし、翌2005年にはワールドツアーを開催する精力的な活動を見せるも、同ツアー中に突如として解散を発表。これ以降、2006年、2013年、2018年にそれぞれ1日限りの復活を果たしているが、残念ながら現在まで再結成には至っていない。
待望のソロデビューと音楽史で起こした数々の革命
デスティニーズ・チャイルドが活動休止中の2002年7月、ビヨンセは自身が女優デビューを飾った映画「Austin Powers 3」の主題歌でもある「Work It Out」でソロデビューを果たす。同楽曲は、デスティニーズ・チャイルド時代ほどチャートを賑わすことはできなかったが、2003年5月に当時ボーイフレンドで後に生涯の伴侶となるラッパーのジェイ・Z(Jay-Z)との楽曲「Crazy in Love」をリリースすると、これが全米シングル・チャートで8週連続1位という、この夏最大のヒット作に。そして、レコーディングに1年半を要し2003年6月にリリースしたソロデビューアルバム「Dangerously in Love」は、全世界で1100万枚以上のセールスを記録する大ヒット作となり、ビヨンセはミシェルとケリーの助けなくしてアメリカを代表する歌姫としての地位を不動のものとしたのだ。
2003年にデビューアルバム「Dangerously in Love」をリリース後、2006年の2ndアルバム「B'Day」、2008年の3rdアルバム「I Am... Sasha Fierce」、2011年の4thアルバム「4」、2013年の5thアルバム「Beyoncé」、2016年の6thアルバム「Lemonade」は、いずれも全米アルバム・チャートで首位を記録しているのだが、デビューから6作連続で1位を達成したのは史上初の快挙。先週リリースしたばかりの7thアルバム「RENAISSANCE」も好調な出だしを見せているため、偉大な記録の数字が1つ伸びるのは確実だろう。
上記の記録をはじめ、ビヨンセが音楽史に残した偉業と影響は枚挙にいとまがないため、ここでは2つに絞ってご紹介したい。
1つ目は、グラミー賞での記録だ。ビヨンセのこれまの受賞数は28回で、これは31回の数字を誇る指揮者のゲオルク・ショルティ(Georg Solti)に次ぐ史上2番目に多い数字。だが、女性アーティストおよびシンガーとしては歴代最多の受賞数で、ノミネート数でも79回で女性トップをひた走っている。なお、ノミネート数の史上最多は夫ジェイ・Zの83回で、夫婦で見ると計162回のノミネート数、計52回の受賞数という桁違いの数字に。しかし、主要部門での受賞となると、2010年に「Single Ladies(Put a Ring on It)」で獲得した最優秀楽曲賞の1回のみ。2017年には、6thアルバム「Lemonade」が最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞、最優秀アルバム賞にノミネートされ、受賞が確実視される中でアデル(Adele)が3rdアルバム「25」で全てを掻っ攫い、アデル本人が授賞式のステージで「今年の最優秀アルバム賞は絶対にビヨンセの『Lemonade』が獲るべきだった」と発言し、物議を呼んだことは記憶に新しい。また、この20年間で黒人女性アーティストが最優秀アルバム賞を獲ったのは、1999年のローリン・ヒル(Lauryn Hill)のみ。果たして、7thアルバム「RENAISSANCE」は2023年のグラミー賞でどのような結果を残すことができるのか。
ちなみに、6thアルバム「Lemonade」のタイトルには、誰よりも"黒人らしさ"を意味する"Blackness"や、フェミニストとして女性の地位向上にこだわってきたビヨンセなりの意味が込められている。というのも、アメリカには「人生がレモンを与えたなら、レモネードを作りなさい(酸っぱいレモンを渡されても、おいしいレモネードを作ろう=災い転じて福となす、逆境をバネにする意)」という諺「When life gives you lemons, make lemonade」があり、ジェイ・Zの祖母の90歳を祝う誕生会に同様のスピーチがあったことからタイトルに抜粋したそうだ。実際、作中には義祖母の声がそのまま使用されている。また、ケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)とのコラボ楽曲でリードトラックの「Formation」は、政治的議論を巻き起こすリリックから"2016年に最もGoogleで検索された曲"となったので検索してみてほしい。
2つ目は、"初めて音楽フェス「コーチェラ」のヘッドライナー務めた黒人女性アーティスト"だ。当初、ビヨンセは2017年に「コーチェラ」のステージに立つはずだったが、双子を妊娠したため異例の出演延期。そして翌2018年に、ザ・ウィークエンド(The Weeknd)とエミネム(Eminem)と共に満を持してヘッドライナーを飾った――通称"Beychella"だ。約2時間のステージでは、デスティニーズ・チャイルドのリユニオンもあり、YouTubeのライブストリーミングでは史上最多となる45万人以上が同時視聴するなど商業的な大成功と共に、"Blackness"の観点での歴史的偉業を成し遂げた。
これについて書くだけでも1本の記事になってしまうので端的に説明するが、多くの黒人アーティストはメインストリームで活躍するために"白人層からの指示を得るために一部の黒人層から離れた存在になること"が必要だったが、ビヨンセは"白人ばかりの観客"の前で揺るぎない"Blackness"をパフォーマンスしたのだ。これについてビヨンセは、「今の自分のキャリアにおいて、誰にも好かれることをやる時期ではない。世界にとって何が重要かを考える責任がある。ライブで見てクールだと思うことがあったら、そこにどんな意味があるかを勉強してほしい。そうやって、カルチャーのギャップを埋める架け橋になりたい」と語っている。そして、"Blackness"のメッセージはステージ衣装にも散りばめられており、この日のために特別にデザインされた紋章は、黒人説がある古代エジプトの王妃ネフェルティティ(Nefertiti)の横顔、プロテストを象徴する突き上げた拳(レイズド・フィスト)、1960~70年代にかけて黒人解放闘争を展開していた政治組織のブラックパンサー党を意味する黒豹、"Queen B"と呼ばれるビヨンセに従う働き蜂(=ファン)の4つのモチーフで構成されていた。なお、本パフォーマンスについては"百読は一見に如かず"なので、一部始終を追ったNetflixのドキュメンタリー映画「HOMECOMING」をぜひ観ていただきたい。
ファッションアイコン以上の存在
デスティニーズ・チャイルド時代、母ティナが衣装デザイナーを担当していたと先述したが(黒人女性に衣装を提供してくれるハイブランドがほぼなかったため)、祖母も裁縫士だったりとDNAレベルでファッション的センスも持ち合わせているビヨンセ。2005年にはデスティニーズ・チャイルドの解散後、すぐに母ティナとファッションブランド「ハウス・オブ・デレオン(House of Dereon)」を立ち上げ、百貨店のメーシーズ(Macy’s)にも出店するなど10年ほど続いたが、とある理由で消滅することに。その後、2016年に「トップショップ(TOPSHOP)」のオーナーだったフィリップ・グリーン(Philip Green)と共同でアスレジャーブランド「IVYパーク(IVY PARK)」を立ち上げるも、2018年にフィリップ氏の人種差別的な発言やセクシャルハラスメント疑惑を機に全株式を取得。するとビヨンセは翌年、「アディダス(adidas)」に協力を仰ぎコラボレーションコレクションの展開をスタートし、両者は現在まで良好な関係を築いている。また、数多くのメゾンブランドが彼女をサポートしていることでも知られるが、先の2018年の「コーチェラ」(1週目)では「バルマン(BALMAIN)」が衣装を全面提供。その一方で、まだ無名に近い黒人デザイナーが手掛けるブランドも頻繁に着用することで、彼らのプロモーションを行っている。
そして、ナオミ・キャンベル(Naomi Campbell)らモデルが本職の人々を除けば、おそらく最も「ヴォーグ(VOGUE)」で表紙を飾っている黒人女性だろう。さらに、「ヴォーグ」の9月号は秋冬シーズンにあわせて発行される1年で最も重要な月刊号なのだが、2018年にビヨンセは黒人モデルですら成し得えなかった"ヴォーグ9月号の表紙を初めて飾った黒人女性"となった。この時、ビヨンセはタイラー・ミッチェル(Tyler Mitchell)という23歳の黒人フォトグラファーを抜擢したのだが、黒人フォトグラファーが「ヴォーグ」の表紙を撮影したのは120年以上の歴史で初めてのことだったそうで、このことからもビヨンセがいかに"Blackness"を行動軸としているかが伝わるはずだ。
また最近のファッショントピックといえば、ジェイ・Zと共に出演した「ティファニー(TIFFANY&CO.)」のブランドキャンペーンだろう。意外にも夫妻が揃ってキャンペーンに出演するのがこれが初めてで、ムービーではビヨンセが映画「ティファニーで朝食を」の主題歌として知られる名曲「Moon River」をカバーしており、各種ストリーミングサービスなどでは配信されていない贅沢品となっているので、下記から一度チェックしてみてはいかがだろうか。
まずは聴いておくべき10曲
1曲目:Girl
デスティニーズ・チャイルドの4thアルバム「Destiny Fulfilled」(2004年)収録曲で、ドラマティックス(The Dramatics)の「Ocean Of Thoughts and Dreams」をサンプリングした楽曲。もともとのビートは、のちに生涯の伴侶となるジェイ・Z(Jay-Z)が使用する予定だったが、ビヨンセが「使いたい」と言ったことから譲ったという。
2曲目:Crazy In Love
デビューアルバム「Dangerously in Love」(2003年)収録曲で、ジェイ・Zとのコラボ楽曲。2人の距離を縮める一因でもあり、渡辺直美のブレイクのきっかけにもなったエポックメイキングな1曲。
3曲目:Irreplaceable
2ndアルバム「B'Day」(2006年)収録曲で、タイトルは日本語で"替えの効かない存在"。浮気をした恋人に別れを切り出すことを歌った1曲で、リリックの一部はニーヨ(NE-YO)が書き下ろしている。
4曲目:Single Ladies(Put a Ring on It)
3rdアルバム「I Am... Sasha Fierce」(2008年)収録曲で、ビヨンセがグラミー賞で主要部門(最優秀楽曲賞)を獲得した唯一の楽曲。MVはあえてモノクロ仕様となっており、これはエージェンシーから「白黒では売れない」と言われたことに納得がいかなかったため。
5曲目:Love On Top
4thアルバム「4」(2011年)収録曲で、ビヨンセきってのラブソング。結婚式の定番ソングとして知られているほか、MVではニュー・エディション(New Edition)の「If It Isn't Love」にオマージュを捧げている。
6曲目:I Miss You
4thアルバム「4」(2011年)収録曲で、デビュー前のフランク・オーシャン(Frank Ocean)と共同作詞した楽曲。隠れた名曲の1つ。
7曲目:6 Inch
6thアルバム「Lemonade」(2016年)収録曲で、ザ・ウィークエンド(The Weeknd)とのコラボ楽曲。6インチ(約15センチ)のヒールを履き自分を美しく見せるために働く女性について歌っており、階級の高い女性を表す表現として日本を代表する高級ウイスキー「山崎」がリリックに出てくる。
8曲目:Freedom
6thアルバム「Lemonade」(2016年)収録曲で、ケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)とのコラボ楽曲。リリックには、女性の人権や人種差別に対するメッセージが込められており、“Queen”と“King”が共演した必聴曲。
9曲目:Savage
アルバム未収録曲で、ミーガン・ザ・スタリオン(Megan Thee Stallion)とのコラボ楽曲。2人は共にテキサス州ヒューストン出身で、ミーガンが常日頃からビヨンセとのコラボを熱望していたことから、ミーガンのヒット曲にビヨンセが参加する形で実現した。
10曲目:Break My Soul
7thアルバム「RENAISSANCE」(2022年)収録曲で、ロビン・S(Robin S.)の「Show Me Love」やビッグ・フリーディア(Big Freedia)の「Explode」をサンプリングした楽曲。きらびやかなハウス・テイストで、第44代アメリカ合衆国大統領のバラク・オバマ(Barack Obama)が発表した"2022年夏のプレイリスト"にも選ばれている。
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