【連載】老人ストリートスナップ:Not Plastic Fashion 「#2 ケイスケホンダな人」
写真家YUTARO SAITOのスナップ連載
【連載】老人ストリートスナップ:Not Plastic Fashion 「#2 ケイスケホンダな人」
写真家YUTARO SAITOのスナップ連載
真に個性的なファッションとは、本来、自分自身にベクトルが向いたものではないだろうか。しかし近年は、流行、憧憬、価値などのように、記号的で「他者にベクトルが向いたファッション」=「プラスチック・ファッション」が一般化しつつある。そんな中、「自分の生活しやすい服」「趣味を通じた服」を好む傾向が強く、パーソナリティやライフスタイルと地続きである老人(おじいちゃん)のセルフスタイリングにこそ、本来の“ファッション”は見出せるのではないか。被写体へ実際にインタビューを行うことで、おじいちゃんファッションの背景、ひいては本当のファッションを写真家YUTARO SAITOと探求する連載「ノット・プラスチック・ファッション」。第二回は「ケイスケホンダな人」。
プラスチック・ファッション(Plastic Fashion):写真家のYUTARO SAITOが昨今のモードを表した造語。SNSの発達とメディア構造の変化により、洋服の物質的な消費よりも、記号的な消費が加速する現状を、ロゴやキャッチコピー、ビビッドで目を引くカラーリングなどのラベリングを行ない、ドラッグストアに並べられるプラスチック製商品になぞらえている。プラスチックファッションを選択する人々の意識は、「他者へのベクトル」が強い傾向にあるとしている。
ノット・プラスチック・ファッション(Not Plastic Fashion):プラスチックファッションの対義語。「自己にベクトルが向いたファッション」を指す。斉藤は、ノット・プラスチック・ファッションの例えとして、「自分の生活しやすい服」「趣味を通じた服」を好む傾向が強く、パーソナリティやライフスタイルと地続きである70代〜80代の老人のセルフスタイリングを挙げる。
「70歳〜80歳のおじいちゃんたちは似合っている、似合っていないという視覚的な要素を超越した段階にいる。ファッションの『見る/見られる』という関係性から遠く離れた彼らは、選ぶ段階での意思が強く反映された極めて機能的な服を無意識にまとっているのだ」ーYUTARO SAITO
(文・写真:YUTARO SAITO)
※YUTARO SAITOのnoteから2023年8月25日公開記事を再掲
2023年7月23日日曜日、昼過ぎ、私は東京の池袋にいた。池袋は家から近く、老若男女雑多な人々で溢れているので良い写真スポットなのだ。この日はまだ7月なのにありえないくらいの暑さで、灼熱の太陽とそれに照らされたトーキョーのアスファルトヒートが上からも下からも体を蝕んでくる。もはや熱いを通り越して肌が痛いくらいのヒートだ。地獄の入り口があるとしたら、だいたいこれくらいの温度だろうか。
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さて、そんなこんなで灼熱の池袋を彷徨っているとIWGP(池袋ウエストゲートパーク)に到着した。しかし、そこに広がっている光景は見慣れたIWGPではなかった。普段はベンチで会話する人々や、噴水で遊ぶ子どもたちで賑わう広場が、今日はアロハシャツやロコモコ、アサイーなどハワイアンなモノを販売する出店で溢れていて、広場に併設された舞台ではフラダンスが披露されていた。舞台に掲げられた横断幕を見ると「東京フラフェスタin池袋2023」と書いてある。今日は日本の全ハワイ好きが待ち望む年に一度のフラフェスタの開催日であった。
灼熱のハワイアン広場はたくさんの人で賑わっていた。数ある出店の中にひとつ、色とりどりのアロハシャツを売っている出店を発見した。立ち寄ってアロハシャツを眺めていると、大学生のころに留学していたハワイを思い出した。4ヶ月の留学中、ハワイでアロハシャツを買うことはできなかった。現地で売っている柄の良いシャツは$100以上するものがほとんどだったので、そんな余裕は無かったのだ。代わりにABCマートの$5のTシャツを何枚も買ったことを覚えている(Tシャツを買った日は代わりに昼飯を抜いていた)。軒先のワゴンに大量に無造作に積まれた$5Tシャツ。ダサダサデザインのオンパレードだったが、ワイキキではなぜかそのTシャツがカッコよく見えた。ボディの素材も統一されていなくて、ヘインズ(Hanes)のビーフィー(BEEFY-T®)を使用したお宝もたまに掘り出すことができた。
と、懐かしい思ひでに浸り、灼熱の炎天下、意識も朦朧としてきたところで、妙な服装のおじいさんを発見した。そのおじいさんは、ハワイでも見たことがないような、ガウンのように丈の長いアロハ柄のシャツを着ている。真っ青な色合いが、まるで灼熱の池袋に現れたオアシスのようだ。さながら水を発見したサハラの遭難者のように駆け足でおじいさんに近寄る。
現在63歳のこのおじいさん、話を聞くと3年くらい前にこのフラフェスタでアロハガウンを購入したらしい。ブルーの発色が美しく、柄が可愛いお魚さんでオシャレっぽくなくていい。ちなみに特にハワイ好きではないとのこと。近くに住んでいるのでたまたま通りがかり、ハワイアンになったらしい。 と、アロハガウンについて話をしていると、おじいさんの手元が気になった。
YT:あの、これ左手にはなんで腕時計2つもしているんですか?
ケイスケホンダな人:これはもうじき死ぬ奴から買ったんだ。
YT:ご友人ですか?
ケイスケホンダな人:飲み仲間だよ。酒を買いたいから(時計を)買ってくれって言われて。
もうじき死ぬ友人の酒代のために、その友人から1000円で購入したらしい。冗談なのか本気なのか。しかしおじいさんの目と語気は本気だった。それ以上友人のことについて聞くのは辞めた。時計はどちらも日本時間を指している。
おじいさんにとってこの黒い時計は友人との絆を現す、思い入れのあるアイテムなのだろう。もしかしたら形見になってしまうかもしれないほど重要な。だが、ここで一つの疑問が発生する。なぜ片腕2個づけなのか。どうやら正常に動いているようだし、この黒時計の1個づけでも良いのではないか。それでも十分友人との繋がりを見出せる。
洋服や装飾品というのは身体的なモノだ。それらのものは直接に人間の体に触れたり感覚が伝わったりする。腕時計も例外ではない。Tシャツもメガネもネックレスも腕時計も、絶えず着用者の皮膚に刺激を与える。着用しているアイテムの素材感や重量で、与えられる感覚は時には快感に、時には不快に。僕はおじいさんの腕時計2個づけには、身体感覚のこの「不快感(違和感)」が関係しているのではないかと思う。腕時計を2個づけをすることで着用者が時折感じる身体的な違和感が、その時計の存在を意識させる(=友人に思いを馳せる)、記憶装置のスイッチとして機能しているのではないだろうか。腕時計1個づけという平凡な着用方法=自己という内部にこの時計をすんなり取り込むのではなく、片腕2個付という違和感を残し、外部としての線引きをすることであえてこの黒腕時計に他者性を保持している。外部としての線引きをすることで、上でも言ったような過程を経て逆説的におじいさんと黒腕時計の関係をより強固にする。つまり腕時計2個づけは友人との関係性をより強いものにする行為なのではないだろうか。
YUTARO SAITO
写真家。1994年生まれ。ファッションと消費文化をテーマに写真作品を制作。2021年11月「20’s STREET STYLE JOURNAL」を出版した。
公式インスタグラム
(企画・編集:古堅明日香)
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