
Image by: Runway:FASHIONSNAP、 Backstage:FASHIONSNAP(Sumire Ozawa)

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衣食住という言葉が示す通り、「衣服」は誰の生活にも不可欠な、最も身近な存在だ。しかし、それがひとたび「ファッション」と呼ばれてランウェイという舞台に乗った途端、世の中の圧倒的大多数の人々とは距離や隔たりのある、特別で排他的な色を帯び始める。
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一般的に「東京のファッション」と聞いてまず思い浮かぶのは、「黒の衝撃」に象徴されるアバンギャルドや、原宿のデコラティブなカワイイ文化、あるいは裏原宿のストリートカルチャーだろう。だが、ファッションやカルチャーの中心地から視線を外し、東京の街全体を広く見渡したとき、そこに最も普遍的に存在するのは、ユニクロや無印良品、イオンなどの量販店の売り場に並ぶような、ある種スタンダードでプレーンな“普通”の服だ。そんなファッションメディアやモードの世界が、“風景”として長年見過ごし透明化してきた「何気ない日常の服」をクリエイションの起点としたのが、村上亮太が手掛ける「ピリングス(pillings)」の2026年秋冬コレクションだった。

元来ピリングスは、社会との折り合いがつかない内向的で不器用な人間像を掲げ、世の中の“普通”との摩擦や齟齬をデザインに落とし込んできた。設立から10年を経て、先シーズンからはその人間像はそのままに、これまで誰もが気に留めず“風景”として見過ごしてきたような、日本の「日常の服」にフォーカスを当てはじめた。
先の2026年春夏シーズンでは、都市型小型スーパーの「まいばすけっと」を着想源に、家にひきこもっていた内向的な女性が部屋から一歩踏み出し、近所の“まいばす”に向かうような世界観のもとでコレクションを製作した。一方今季は、風景を意味する「Landscapes」と題し、より俯瞰した視点で東京の街やその郊外を眺めた際の「何気ない日常のドレスアップ」をベースに、現実とファンタジーのあいだにある世界を想像し表現したという。

ショーの舞台となったのは、有楽町・東京交通会館12階にあるダイヤモンドホール。1960年代の面影を残すレトロなオフィスのような空間と、大きな窓の向こうに広がる、新幹線が行き交いビル群が立ち並ぶ東京の街の風景。村上はこの場所を選んだ理由を、「閉鎖的な空間と窓の外に広がる開放的な街の景色とのコントラストが、リアルとファンタジーの間にある場所のように感じたから」と明かした。
都心の喧騒から切り離された高い場所から、街や地上を行き交う人々を眺める「俯瞰」の視点は、今回のコレクションのムードボードにあったという、写真家のホンマタカシが1990年代に東京郊外の街の風景や人々をフラットな視点で切り取った写真集「TOKYO SUBARBIA」のイメージへとリンクする。当時の郊外は、団地やチェーン店、ショッピングモールなどが立ち並ぶ「無個性で何もない、空虚な場所」として捉えられていた。では、今の村上の俯瞰的なまなざしには、東京の郊外とそこで生きる人々の姿はどのように映っているのか。
これまで、内向的で生きづらさを抱えた人の内面と生活に近い距離で向き合ってきた村上が、俯瞰した街の「風景(landscapes)」へと視点を移したとき、そこに見えてきたのは、ピリングスが表現する「わだかまり」や「生きづらさ」のデザインがもたらす新たな意味と、「正解」や「最適化」が求められる今の社会に対する、村上なりのメッセージや応答だった。

「何気ない日常のドレスアップ」が起点になったという言葉の通り、今シーズンのアイテムやスタイルのベースは、郊外の街で働き生活する、平凡でありふれた人々の装いだ。ファーストルックのネイビーのジャケットと膝丈のタイトスカートのセットアップスタイルや、ハイゲージのタートルネックニットにカーディガンを羽織り、スラックスを穿いたルックは、コンサバな職場で働く事務職の会社員や公務員のような印象を与える。格子柄やケーブル編みのニットに膝丈のスカートを、グレーのフーディーにデニムパンツを合わせたスタイルは、街中やスーパーなどで見かける普段着のようにも見える。


しかし、セットアップのスーツはクリーニングもアイロンもされていないかのようにしわくちゃ。カーディガンのボタンは掛け違えられ、スラックスのウエストには内面のわだかまりが表出したような溜まりがあしらわれ、ニットの襟元はだらりと伸びきり、スカートのウエストは、サイズが合わなくなり余ってしまったかのように垂れ下がっている。そうしたピリングスらしい「生きづらさ」や「ままならなさ」のデザインや装飾が施されていることはある意味“いつも通り”だが、そこである違和感に気づく。それは、「こうしたプレーンなデザインの日常着を、普通はこんなにくたびれたりサイズが合わなくなってまで外着として着続ける人はいないのでは?」という、リアリティの中に混ぜられた“嘘”だ。



「ありふれたプレーンなデザインの日常着」は、今の時代では比較的高品質なものを数千円で買うことができるため、実際にはくたびれたり、サイズが合わなくなったりしたら、新品に買い替える人が多いはずだ。けれども、村上のまなざしが捉えた「何気ない日常の服」には、それを着て日々働き生きる人々の、平凡で泥臭くて生々しい生活や、その中で感じてきた葛藤や摩擦、ささやかな幸福の時間とその痕跡が、装飾やデザインとしてあしらわれている。それによって「平凡で普通」だったはずの服たちは、唯一無二の服へと昇華されているのだ。
朝方に見る夢のような、現実か嘘かわからない、その両方が入り混じった境界線にあるような不思議な感覚。あるいは、事実かどうかはわからないけれど、自分の中で大切にしまっているぼんやりとした記憶。そういったものに、今すごく価値があるのではないかと感じています。現代は、正しいことや明確な答えが好まれる時代ですが、その間にあるグレーゾーンのような部分を拡張したり、そこから新しい何かを見つけたりすることが、創作における一つの意味でもあるのかなと思っています。
ショーを終えた村上が語ったこの言葉を聞いたとき、昨年発売された話題の新書「考察する若者たち」の中で、文芸評論家の三宅香帆氏が「令和の若者は『報われたい』という思いが強く、意味や正解、最適化されたものを求める傾向がある」と語っていたことをふと思い出した。


今の時代、東京の郊外で暮らす“普通”の人が着る“普通”の服の最適解は、おそらく今季のコレクションのベースにあるような、ユニクロや量販店的な服だろう。けれども、正解に最短距離で効率よく辿り着くことが良しとされる時代の中で、村上は社会に自分をうまく最適化できず、もがいたり、葛藤したり、壁にぶつかったり、ままならなかったりする人の姿や生活、時間の痕跡を、隠したり消したりすべき欠点ではなく、愛おしく豊かな個性としてデザインに表出させる。そこには、わだかまりを抱えて不器用に足掻きながら生きる人々への共感や肯定のメッセージと、やさしくあたたかなまなざしが込められているように思える。
もう一つ、今回のコレクションで目を引いたのは、淡いパステルカラーや繊細で可憐な花の刺繍、おとぎ話のプリンセスのような立体的なシルエットのニットドレスといった、極めてファンタジックで牧歌的な要素だ。



一見すると、これまでの「郊外のリアリティ」とは対極にある表現に見える。しかし、この「ファンタジー」は、単なる現実逃避ではない。村上が今季のコレクションで「現実とファンタジーのあいだにある世界」を表現することを選んだのは、最短距離で正解を出し、自分を社会に最適化することを求められ続ける息苦しい現実の中で、意味や正解への強迫観念から私たちを一時的に解放し、思考や想像のための「余白」を取り戻すためではないだろうか。
村上は、過去のコレクションで太宰治や宮沢賢治をはじめとした文学作品から度々着想を得ているほど、文学作品や物語に影響を受け、大切に思ってきた人でもある。物語やファンタジーは、それが直接自分の現実に作用して何かを解決してくれるわけではないが、傷ついた心を癒してくれたり、「自分は独りじゃない」と思わせてくれたり、間接的に勇気や示唆をもらったりするような懐の深さや、想像や思考を促す余白をもつものだ。その豊かさや力を知り、信じているであろう村上だからこそ、今回現実とファンタジーの狭間の世界を描いたコレクションには、コスパやタイパ、最適化が求められる時代の中で、自分だけの形にでこぼこしているからこそ豊かで愛おしい、人間味と体温のある衣服と無数の生き方を肯定する、祈りのようなものが感じられる。


昨年はLVMHプライズでセミファイナリストに選出され世界的な注目を集め、3月にはパリでの展示会も控えるピリングス。日本国内だけでなく、世界に向けて発信していく日本発のデザイナーズブランドとして、「アバンギャルド」でも「原宿」でもなく、日本のファッション業界すら透明化し見過ごしてきた「日本で暮らす普通の人の普通の服」を、ブランド独自の内向的な人物像とファンタジックな世界観、ハンドニットを軸に独自性のあるテクニックとともに表現するピリングスの在り方は、グローバルでみても特異なものではないだろうか。

そして、かつて1990年代には「空虚」と結び付けられた郊外という場所は、今を生きる多くの人にとっての「ホーム」であり、生活の時間と記憶、温もりが積み重ねられてきた場所でもある。今回のコレクションに、色褪せ少し埃をかぶった実家にあるような花柄の毛布を思わせるセットアップや、どこか懐かしいノルディック柄のセーターなどが散りばめられているのも、かつて団地に暮らしていたという村上が「郊外」を「ホーム」と捉えていることの証左だろう。
ピリングスというブランドが、村上と彼の母が二人三脚で手掛ける手編みのニットから始まったように、その服は、どんなに時代が変化しても、どれほど効率的な「正解」にそぐわなくても、存在そのものを無条件に肯定してもらえる「ホーム」のような包容力で、私たちの生と生活に寄り添い続けてくれる。以前は「社会との折り合いがつかない内向的で不器用な人」に向けて作られていたものは、今やより広く普遍的な、時代にはびこる生きづらさを共有する多くの人々へと、開かれたものになりつつあるようだ。

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