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Art インタビュー・対談

【インタビュー】絵師として約50年、佐伯俊男が"現代の春画"を確立するまで

Update:

【2018年2月20日追加】会期が3月3日(土)まで延長が決定 ※2月21日(水)は臨時休業

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 1970年に「平凡パンチ」でデビューしてから50年近く"絵師"として活動する佐伯俊男。セーラー服を着た女の子が男の子を罵ったり、おばけのような魔物が女の子を襲ったりと、その独特な作風は"エログロ"や"現代の春画"とも表現される。海外からも支持される同氏の作品はどのようにして生まれたのか。1月20日にスタートした個展「雲然」の会場でデビューから現在までを振り返ってもらった。

 

【展覧会の詳細】"現代の春画"佐伯俊男の過去最大規模の展覧会が開催

ボロアパートでの生活から生まれた"現代の春画"

―過去最大規模の個展とのことですが、今回のきっかけは?

 以前から南塚さん(会場のNANZUKAオーナー 南塚真史)に「一緒にやりましょう」と言われていたんですが、なかなかタイミングが合わなくて。4年もかかっちゃったんですけど、ようやく。僕は絵は熱心に描きますが、展覧会は成り行き任せというか、あまり計画性がないんですよね。実現できたのも、ひとえに南塚さんが僕の絵を高く評価してくれて、僕がのらりくらりとしていた間も、一生懸命に待ち続けてくれたからだと思います。 

―実際に展示会場を見ていかがですか?

 若い人たちが来てくれて作品を見て喜んでいる様子を伺うとね、良かったなと。

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―"現代の春画"と呼ばれるように、独特の世界観がありますね。

 実は、僕自身こういう絵でプロになっていくとは考えてもいなかったんです。美術方面には進むつもりでしたけど。

―ではどのようにして絵師になったんですか?

 絵は小さい時から好きで習っていました。やがて絵描きさんに、という漠然とした考えを持っていたんです。けどね、家庭の経済的な事情もあったので学校には行かずに、広告関係のデザイン事務所に就職したんです。

―どうしてデザイン事務所へ?

 当時はグラフィックデザインブームの手前で、広告のデザインがオシャレになり始めたり、イラストレーションという言葉も出てきた時代だったんです。若いうちに社会に出て、こういう新しい波に乗って、イラストレーターやグラフィックデザイナーの道に進むのも悪くはないのかなと思ってね。

―当初は商業イラストを専門にされていたんですね。

 2〜3年頑張って、そういう"オシャレ風な"イラストレーションが描けるくらいまでにはなったんですよ。ただ、自分の絵が八方美人的な、クライアントが喜ぶ絵になっていく。それが商業主義というやつなんですが。いつのまにやら自分の絵が描けなくなってるなという危機感があったけど、今さら絵描きさんを目指すのも何だかなあ、とも思っていて。

ーですが結局、会社を辞めて東京に?

 ちょうどその頃、東京には商業イラストレーターや挿絵画家とは違って、雑誌や書籍で自分の表現に近い絵を描いている人が活躍していたんです。宇野(亞喜良)さんなどがスターで売れていた頃ですね。呼んでくれた友達もいたし、僕も書籍を中心に仕事をするイラストレーターになってみようかなと思って、上京しました。

―東京ではすぐに仕事を始められたのでしょうか。

 作品を売り込むにしても自分のスタイルがまだ出来ていなかったので、とりあえず大阪で働いた分の貯金が無くなるまでに何かものになればいいなと。ぼろアパートにみかん箱のような箱と黒インクとケント紙を持ち込んで、まずは遮二無二絵を描きまくりました。お洒落だったり古風だったり、いろんな絵を描いて「自分の個性はどこにあるのかな」と探っていましたね。

 でも2カ月も続けていると、さすがに疲れちゃって。もう無理かなと思った時に「もうお洒落は抜きにして、本音みたいなものは何だろう」ってふと考えて。そうしたら、割と素直に"セーラー服を着た女の子"を描いちゃったんだよね。そういうのは泥臭い感じがあって、今までは描きもしなかったんだけど。セーラー服は思春期のものだから、性的にもちょっと怪しい匂いがある。それで股間に蛇が潜り込んでいるようなものも描いたら「あれ、これは面白いぞ」と感じて。この線でやってみたら、イメージがどどどどどーっと湧いてきて、あっという間に50枚くらい描けちゃったんですよ。友達もみんな「面白い」って言ってくれて、文化的な仕事で活躍していた知り合いからも「絶対にものになるぞ。頑張りなさい」なんて励ましを受けたりしてね。

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―そこから今のスタイルにつながっているんですね。

 でも出版社の編集部は面白がってくれたものの、「雑誌に載せるとなったら内容的にちょっと問題があるな」と言われて(笑)。そんな時に知り合いの印刷屋さんに「生原稿はちょっと生々しすぎるから、カードみたいな印刷物にしたら、出版社ももっと具体的に考えることができるかも」と提案してくれました。

 「印刷代は売れた時に払ってくれればいいから」と親切にしてくれて、50枚の作品の中から16枚を選んで、一色刷りでカード状にして500部刷って。それを出版社や東京在住の文化人に送ったら、寺山修司さんや澁澤龍彦さんから「感動しました」とか「面白いです」という激励のハガキが届いたんです。それと同時に「平凡パンチ」から「うちで特集やらないですか?」って声をかけてもらえて。もういきなりですよ。当時の平凡パンチは若者みんなが読んでいたような本だったから、グラビア特集で載せてもらったら翌日から電話が鳴りっぱなし。テレビ局からも連絡が来たり、他の出版社からも画集や挿絵を頼まれたり。突然プロになっちゃったんです。25歳の時でしたね。

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