Image by: 伊藤聡美

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ミラノ・コルティナ2026冬季五輪では日本が団体戦で銀メダルを獲得し、この後の個人競技に向けても注目が高まるフィギュアスケート。技術力に加えて芸術性の高さを競い合うという特徴から、ビーズ刺繍などの繊細な装飾が施されたまるで「オートクチュール」のような衣装が用意される同競技には、「服好き」だからこそ楽しめるポイントがあるのでは?
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羽生結弦選手から、団体戦で日本を破る原動力となった米国のイリア・マリニン選手まで世界のトップアスリートたちの衣装を幅広く手掛け、今秋はパリでのショーも予定している衣装デザイナー 伊藤聡美さんに、知ればフィギュアスケートがもっと面白くなる、見どころや衣装の奥深さについて聞いた。
目次
衣装デザイナーが考える、フィギュアスケートの魅力
2007年、浅田真央選手の「ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア」のプログラムを見たことをきっかけに、真央選手のファンになったという伊藤さん。

伊藤聡美
当時、テレビではトリプルアクセルで注目をされているようでしたが、ジャンプよりも音楽にのせた身体表現にとても感動したのを覚えています。そこからさまざまなスケーターを知り、フィギュアスケートを観るようになりました。
伊藤さん考えるフィギュアスケートの魅力は、まず第一にスポーツでありながら表現力も求められる「アートスポーツ」であるということ。ジャンプのダイナミックさに加え、ステップやスピン、スケーティングといった高度な技術、さらに身体表現まで求められる。見えている以上に大きな負荷を抱えながら、スケーターたちは表現の精度を磨き上げている。
そして、衣装もフィギュアスケートの大きな魅力。毎シーズン音楽を変え、それぞれのプログラムに合わせた衣装を用意する。スケーターの個性とデザイナーの個性が重なり合って制作される衣装は、プログラムを構成する重要な要素の一つ。毎シーズンどのような新しい衣装が披露されるのか心待ちにしているスケートファンも多いのでは。
◆「美しさ」は大前提。スケーターと衣装は三位一体
衣装を「美しく仕立てる」ことは大前提。しかし、それだけでは「魅力的な衣装」「特別な衣装」にはならないと伊藤さん。「音楽」「振り付け」、そして「スケーター自身」が三位一体となったとき、初めて本当の意味で魅力的な衣装になると語る。

伊藤聡美
例えば、羽生結弦選手がオリンピックで二連覇を達成した際のプログラム「SEIMEI」の衣装が多くの方の記憶に残り続けているのは、音楽や振り付けに本人の圧倒的なパフォーマンスがあってこそです。浅田真央選手のソチオリンピックでのラフマニノフのプログラムも、あのブルーの衣装以外は考えられません。音楽と演技、スケーターの存在感が完全に一致してこそ、衣装も一層輝きを増し、強い印象を与えます。

伊藤さんが手掛けた羽生結弦選手 「SEIMEI」衣装
Image by: 伊藤聡美

「SEIMEI」衣装デザインスケッチ
Image by: 伊藤聡美
特にオリンピックのために用意されるプログラムは、音楽も振り付けも、より特別な想いが込められる。今シーズンはイリア・マリニン選手のSP(ショートプログラム)とFS(フリースケーティング)、両方の衣装を制作した伊藤さんだが、音楽と振り付け案を受け取った時点で、オリンピックに対する高い熱量を感じたという。アイスショーに合わせて来日した振付師のシェイ=リーン・ボーンが伊藤さんのアトリエにも自ら足を運び、途中経過を細かく確認しながら制作が進められた。

伊藤聡美
その想いに応えるため、衣装も決して負けないデザインを心がけています。制作途中の衣装を見たシェイが「これはオリンピックに相応しい衣装だね」と言ってくれたことが、とても印象に残っています。
「服好き」がフィギュアスケートをもっと楽しむための3つのポイント
ジュニア時代は保護者が手作りするケースも多く、「手作業」が基本のフィギュアスケート衣装は、「オートクチュール」に通じるような労力や時間をかけて1着ずつ作られる。その制作の裏側や、ファッション好きにこそ注目してほしいマニアックな魅力、知っておくと面白いポイントを厳選して3つ紹介。
①装飾だけで70時間? 手作業が基本の細かな仕上げ
型紙の作成からフィッティング、染色、装飾まで、衣装制作のほとんど全ての制作工程は手作業で行う。納品後も、スケーターやコーチ、振付師からの指摘を受け、完成した衣装を手直しすることもしばしば。伊藤さんの場合、制作期間は通常2〜3ヶ月ほどだが、状況によっては1ヶ月でスピーディに仕上げるケースも。具体的な金額は非公開だが、業界内の1着あたりの平均価格は25〜30万円程度だという。
フィギュアスケートの衣装は伸縮性のある素材で作られるため、使用するミシンも一般的な洋服とは異なる。そして、最優先するのは「動きやすさ」。伸縮性のないレースやモチーフを使用する場合は、パーツを細かくカットし、衣装をトルソーに着せた状態で伸びる糸を使って縫い留めることで動きやすさを担保する。ビーズ刺繍やラインストーンももちろん全て手作業で、かなり稀なケースではあるものの、装飾だけで70時間かかった衣装もあったとか。

Image by: 伊藤聡美
②実はフィギュアスケートの衣装を手掛けていた「あのデザイナー」
実際にクチュールメゾンがスケーターの衣装を手掛けている事例も少なくない。今シーズンは、カナダのペアスケーター、アメリカのデアンナ・ステラト選手の衣装を「オスカー・デ・ラ・レンタ(Oscar de la Renta)」が制作。過去には「クリスチャン・ラクロワ(Christian Lacroix)」がフランスのスルヤ・ボナリー選手、「ロベルト・カヴァリ(Roberto Cavalli)」がイタリアのカロリーナ・コストナー選手、「ヴェラ・ウォン(VERA WANG)」がアメリカのエヴァン・ライサチェックやネイサン・チェンの衣装を制作している。日本では、衣装デザイナーのワダエミさんが安藤美姫選手の衣装を制作したこともある。
フィギュアスケート衣装のデザイナーたちの中には、オートクチュールやメゾンブランドのランウェイからインスピレーションを受けている人も多く、近年のトレンドとなっているヌーディーな色彩や透け感のある素材感といった要素からの影響を受けた衣装デザインも増えているという。
③競技に応じたデザインの細かな違いにも注目!
フィギュアスケートには、基本的にシングル、ペア、アイスダンスの3種目があり、それぞれ衣装のデザインには種目の特性に応じた微妙な違いがある。例えば、女子のペア選手の場合、ツイストリフトやリフトといった大きな技があるため、動きを妨げないようスカート丈はできる限り短く設定されていることが多い。一方で、アイスダンスはリフトはあってもジャンプがないため、ロングスカートの衣装が多く見られる。また、ペアもアイスダンスもパートナーと組んで演技を行う競技のため、ボディ部分に立体的な装飾があると、相手の衣装に引っかかったり、リフトの際に男性側の装飾が女性のタイツに引っかかってしまうこともあり、デザインの際にも注意が必要だ。

伊藤聡美
こういった競技特性を理解したうえで衣装を見ると、種目ごとの違いや工夫がよりはっきりと見えてきて、いっそう面白く感じられるのではないでしょうか。
フィギュアスケート衣装デザイナーの苦悩と挑戦
今大会も含め、多くの選手たちの晴れ舞台を彩ってきた伊藤さんだが、2026年以降は「フィギュアスケート衣装デザイナー」としての活動をセーブし、新しい挑戦への準備を重ねている。
フィギュアスケートのデザインは、そのプログラムの「音楽」や「テーマ」に基づいてデザインを進めることから、「トゥーランドット」「ラ・ラ・ランド」「オペラ座の怪人」といった定番曲は、複数の選手からの依頼が重なることもあるという。そこには、デザイナー自身の表現したいテーマをデザインに落とし込む機会が少ないからこそ、時には息苦しさを感じてしまうという、衣装デザイナーならではの葛藤があった。
そこで伊藤さんが取り組んだのが、衣装デザインとは無関係な作品制作。詩人 村山槐多の詩からインスピレーションを得たコレクションを2023年に発表した。今年9月には、この作品の延長線上にある新たな作品をパリで発表する予定。衣装制作で培ってきた技術を取り入れながら、新しい表現に挑戦する。「パリでのショーがどのような評価を頂けるかはわかりませんが、新しい挑戦としてまずは一歩踏み出せました。なお、まだ1着もできていませんが、きちんと発表できるように頑張ります」と伊藤さん。

詩人 村山槐多から着想を得た作品
Image by: 伊藤聡美

詩人 村山槐多から着想を得た作品
Image by: 伊藤聡美
2015年の独立当初は、口コミで評判が広まり、膨大な量の依頼を受けていたという伊藤さん。それにより、本来一点物の作品である衣装に“量産品”のように向き合わなくては立ち行かず、似通った衣装を作らざるを得なかった時期もあった。今後はパターンなどの技術と表現の両面で研鑽を重ね、フィギュアスケート衣装の世界でもさらなる高みを目指すとともに、スケート衣装以外の領域にも積極的に活動の幅も広げていきたいと展望を描く。

伊藤聡美
将来的には、レッドカーペットで着てもらえるようなドレスを制作したい。また、ギレルモ・デル・トロ監督の作品が好きなので、いつか監督の目に留まるような仕事ができたら嬉しいですね(笑)。世界観を共有できる方々と、分野を越えた創作に挑戦していきたいと思っています。
スポーツ競技の衣装という特性ならでは制限の中で、選手、音楽、振り付けと一体となって美しさを追求するフィギュアスケート衣装の世界。今後は、選手の演技と共に衣装にもぜひ注目を。
<ミラノ・コルティナ2026冬季五輪 今後のフィギュアスケート競技スケジュール(日本時間)>
👗:伊藤さんが衣装を手掛けたプログラム
- 2月11日(水)2:30〜6:43 男子シングルショートプログラム(👗:イリア・マリニン選手「The Lost Crown」、ボーヤン・ジン選手「Fought & Lost」)
- 2月12日(木)3:30〜6:51 アイスダンスフリーダンス(👗:フィービー・ベッカー選手 FD「ロミオとジュリエット」)、6:57〜7:04 アイスダンス表彰式
- 2月14日(土) 3:00〜6:57 男子シングルフリー 、7:03〜7:09 男子シングル表彰式(👗:三浦佳生選手「シェルブールの雨傘」、イリア・マリニン選手「A Voice」、ボーヤン・ジン選手「Perfect Symphony」)
- 2月16日(月)3:45〜6:54 ペアショートプログラム
- 2月17日(火)4:00〜6:52 ペアフリー、7:04〜7:11 ペア表彰式
- 2月18日(水)2:45〜6:58 女子シングルショートプログラム
- 2月20日 (金)3:00〜6:57 女子シングルフリー、7:03〜7:09 女子シングル表彰式
伊藤さんが手掛けた今大会出場選手の衣装とスケッチ








イリア・マリニン選手 FS「A Voice」
Image by: 伊藤聡美
最終更新日:
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