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【インタビュー】STREET、FRUiTS創業者 青木正一「今年は撮るかも」

Image by: Fashionsnap.com

 原宿ストリートの重鎮 青木正一。85年にスナップ誌の先駆けとなった『STREET』を世に出し、96年には"原宿フリースタイル"をコンセプトに『FRUiTS』を創刊。原宿界隈では彼に撮られる事が最高のステータスとなり、旧原宿GAP前には彼を待ち伏せる"青木待ち"なる現象も起った。今年で『STREET』創刊から27年。スナップサイトの乱立やファストファッションの台頭と激変した原宿に何を思うのか。当時を振り返りながら今を語ってもらった。

 

青木 正一(あおき しょういち):1955年東京生まれ。プログラマーを経て独立後85年に『STREET』を発行。原宿ストリートにいるリアルな被写体を収めた『FRUiTS』を96年に発行し世界から注目を集める。その後、FRUiTSのメンズ版『TUNE』を発行し、現在は『STREET』、『FRUiTS』、『TUNE』、『.RUBY』4誌の編集長を兼任。レンズ株式会社代表。

――『STREET』を始める前は何をされていたのですか?

 以前はプログラマーなどをやっていましたよ。勤めていた会社を辞めてぶらぶらしてた頃に『STREET』を始めて、その後に会社を立ち上げました。実はプログラミングは今でもしていて、『FRUiTS』のiPhoneアプリは自分で作ったんです。Androidはまだやっていませんが、さすがにそこまではね。


――『STREET』を始めた理由は?

 会社を辞めて、自分で何かやってみたり試行錯誤しながらぶらぶらしてたのが5年間くらいあったのかな。その間の半年くらいはヨーロッパ中を回っていたのですが、そのときパリの女性のファッションを見て「日本と全然違うな」と思ったんです。ただ、当時の日本はハマトラとかニュートラがトレンドだったこともあり「全然違う」という印象だけを持ち帰ったような感じでしたね。

 帰国後も日本でぶらぶらしてたんですけど、30歳前だし何かしなきゃいけないなと思っていた時にヨーロッパに行った時の印象が残っており、「ファッションって結構面白いかも」と考えるようになったんです。すると日本にも文化の中で生まれたファッションがあるように、パリや、ロンドンにも文化の中で生まれたファッションがあると思うようになりました。

 当時のアパレル雑誌は、洋服のことしか載っていなかったけど、「文化や国で異なるスタイルこそが本当のファッションで、メディアとして伝える事に意味があるんじゃないか」と思ったので、凄く安易なのですが「だったら雑誌を作ろう」という流れで『STREET』が生まれました。写真は、メディアを作りたかったから勉強し始めました。

fruits-street-001.jpg――1985年に発行された『STREET』は36ページで280円でした。最新刊は76ページで860円です。※インタビュー時


 よく知ってるね(笑)。『STREET』を始めてすぐに東京に出てきたんですが、 ビジネス的に考えて、「さすがに36ページのままではな」という思いがあって、何がきっかけだったかは覚えてないのですが、体数やページをちょっと増やそうと思いました。それでも多分、日本で1番薄い雑誌ですよね。流通に乗せることができるようになったんですけど、最初書店に置いてもらった時は薄すぎて「パンフレットと間違えて持っていかれるよ」とか言われました。


――1996年には『FRUiTS』を刊行しましたが、なぜ始めようと思ったのですか?

 『STREET』を始めた当時、事務所は原宿にあったのですが、僕はロンドンなどの海外ファッションを日本に伝えることに集中していたので、東京のファッションにはほとんど興味が無かったんですよ。でも事務所を原宿から恵比寿に移してからは、「原宿のファッション、面白い子出てきたな、おしゃれな子増えてきたな」って思い始めた。今で言う『FRUiTS』的なファッションがポツポツと出だしてきたんです。

 そこで『STREET』内に、東京の写真として載せてみたら凄く売れたんですよ。反応は凄かったです。載せ始めて1年くらい経つと、原宿ファッションがさらにボンって面白くなっちゃったので、『FRUiTS』を発行してみることにしました。

――『FRUiTS』としての反応はどうでしたか?

 書店に並ぶだけの状態なんですけど、凄い売れました。反応が本当に良くて、原宿の中でもかなり話題になったので、僕が原宿へ行くと、みんなが僕の顔を知っているような状態でしたね。

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――当時は"青木待ち"という現象もありましたね。

 僕は寄って来られるのが嫌だったのですが、立ち止まると撮られたい人が集まっちゃうので、ずっと歩き回ってました。こそこそしながら探していましたよ。それが今のハンターの撮影スタイルにもつながっているのかも。

――現在、青木さんはスナップ撮影をしていませんが、どうしてですか?

 『FRUiTS』を始めてから、『STREET』の撮影との両立は難しかったので、他の子に『STREET』を頼んで、『FRUiTS』を自分で撮っていました。『FRUiTS』を始めて5年間は自分で撮っていたのですが、ホコ天が終わって3年目くらいかな? 雑誌『mini』のような"シンプルがおしゃれ"といった傾向が盛り上がってきた。すると「(FRUiTSのような)派手な格好してどうすんの?」「凝った格好をして意味あるの?」「シンプルで良いじゃない」という考えの子が増えてきて、僕が「良いな」と思う子や、撮れる子がいなくなっちゃったんですよね。だから撮れる人に「ちょっと撮ってみて」という感じで任せるようになりました。

 よく勘違いされるのですが、僕は"撮る"という行為に対しては特に何のこだわりもないんですよ。『FRUiTS』や『STREET』のように被写体を収集、記録して他の人に伝えたいという"思い"がベースなんです。なので誰が撮っても同じかなと思っています。

――スナップをする人をハンターと呼んでいる理由は?

 フォトグラファーだと、フォトグラファーの表現手段である写真に、自分のクリエイションを加えますよね。でもウチは被写体という表現をただ撮っているだけなんです。写真の中に自分のクリエイションを入れるのではなく、カメラという機械でお洒落な子を採集しているだけのハンティング作業に近い。なのでハンターと呼んでます。いつも撮影の仕方を「彫刻を撮るカメラマンみたいな感じで」と言ってます。

――今、雇われているハンターはもともと被写体だった人が多いですね。

 ハンティング作業なのでおしゃれな子ならばファッションも詳しいかなという考えで採用しています。 時々ヒットしますけど、時々失敗もしますよ。本人はおしゃれな格好してるのに、ハンターをやらせてみると「なんでその子撮るの?」ということもよくあります。そこは不思議ですね。

――『FRUiTS』と『TUNE』はデジタル化していますが、他は今もフィルムで撮っているんですか?

 『STREET』と今度出す『.RUBY』はフィルムで撮ってますが、今後はカメラ次第ですかね。フィルムに対するこだわりは無くはないのですが・・・。ただ、うちのスタッフのカメラは途中からデジタルにしたので、フィルムにこだわってる部分があると思う。コレクション撮影のカメラマンも、今はほぼデジタルですよね。彼等はプロだから100万円とかのカメラを使えば良いんですけど、それと同じようなものをスタッフには渡せないです。すぐ落とすし(笑)。

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昔買ったというマルジェラのニットを着用。マルジェラ本人とも会って話した事もあるという

――青木さんが撮影していた時と変わって、現在はファストファッションが人気ですね。

 Forever21にしてもH&Mにしても、かなりデザインされたファストファッションじゃないですか。全体からしてみると、安くおしゃれができるようになっているのでファッションのレベルが凄く上がっているような気がしますね。

 撮影するとき、ハンターには「被写体は変えろ」と言ってるんですよ。全体的におしゃれになってるので、底上げされた人を撮っても媒体としては意味がないんです。

 以前の原宿は大きいトレンドの中で、高いレベルの格好していると、面白がったり、笑ったりする雰囲気があったと思うのですが、今はそういうのが無いですね。いろんな格好していてもおかしいと思われないし、そのレベルがちょっと低くても全体的な方向性が無いので「それもアリかな」となってしまう。停滞している感じはしますが、過去にもそういう事があった後に、バーっと花開いたので今は見守っています。

――原宿アイコンとしてきゃりーぱみゅぱみゅが人気ですね。

 最近はわからないけど昔、『FRUiTS』に載ったときから目には付いてる。 ファッションの基本は、かなりデタラメで、ダサい格好もいっぱいあるんだけど、そこを平気でやってるところが"かっこいい"のかなって僕はちょっと思ってて。凄くバランスの良いときも、そうじゃないときもあるから面白いんだよね。彼女にはオーラもあるし。

――東京コレクション(Mercedes-Benz Fashion Week TOKYO)について、どのように思っていますか?

 最近はずっと無視してたんだけど、コンテンポラリーフィックスの吉井さんのやったこと(※VERSUS TOKYO)は面白そうだなと思いました。全体的には頑張っていて、良いデザイナーも出てきているように感じますね。

 ただ、流通がきちんと対応してないように感じています。ショーに参加したデザイナーの服が、どこで買えるかがわからないどころか、売ってないじゃないですか。東京で2カ所しか販売していないとか、伊勢丹の2Fにポツンとあるだけになっているとか。ある百貨店の人に「どうせ売れないんだから、ワンフロア全部日本の若いデザイナーに開放すれば良いのに」と言ったこともあったのですが、残念ながら全然相手にされなかったです。

 こんな現状だからこそ、昔のDCブームみたいに、今の若い子たちが「どこかのデパートのワンフロアへ行けば、東コレの面白いデザイナーたちが手がけた服が揃ってる」といった場所を作らないといけないんです。ある程度大きな規模の若手のデザイナーの服が揃う場所があれば、買い手も増えると思うんだけど。僕が言ってもしょうがないんですけどね。

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ミキリハッシンやSPANK!などストリート編集室ならではのセレクトが話題だったFRUiTS MIX。

――デパートのワンフロアで東コレブランドを売るという発想に近いと思いますが、2009年から約1年間『FRUiTS MIX』をマルイ ワンにオープンさせました。

 マルイから「やってみませんか」と頼まれたのでやってみました。ただ、場所なのか、マルイも「合わなかったなぁ」という感想ですね。違うやり方をすれば、もうちょっと面白いことになったかもしれないですけど。ブランドのセレクトは僕がしてスタッフと一緒に店作りをやったり面白いのは面白かったと思うんですけど、やり方があまりよくなかったかな。

――通販もされていましたよね。

 今はほぼ中止状態ですが、通販もやってます。何が伸びるかわからないので、過去にはいろいろと手を出してみましたよ。ただ、アフターケアに関してや、注文して受け取らない人などの問題が多く、それが数件に1件でも問題が起きてしまうと利益が出なくなってしまうので大変でした。

 だからこそ雑誌を発行している状態で、通販もやるのは難しいと判断しました。 でもやってみて良かったですよ。

――『STREET』は27年、『FRUiTS』は16年目です。

 ストリートファッションを取り上げている限り、失敗はしないように思います。スナップ雑誌がいろいろと出ていますが、「その内容で売れるのであれば、ウチもやってもいいかな」とは思います。

 『FRUiTS』が出た最初の5年は、ブームだったこともあり、かなり利益が出ました。しかし、その後には、ブームの反動の恐ろしさを初めて勉強しましたよ。ブームになって有名になったあと、拡大路線にしてよく潰れてるじゃないですか。そのときに、よく言われるのは「贅沢をしだした」とか「お金をたくさん使うようになった」とか。でもそうじゃないんですよ。経験しないとわかんないことが次々と起こってくるんです。

――スナップサイトについては、どう思われますか?

 凄いブームになったような気がしますけどね。基本的には『FRUiTS』の真似をしている気がします。本人達もそれを認めていたので、スナップサイトの人に「うちも真似させてよ」とよく言ってたんです(笑)。

 ただ一部のスナップサイトでは、人海戦術で凄い大人数でやってるけど、実は全部ボランティアで交通費も無しということも聞きます。それで儲けたお金を上の人が持っていくのは「ちょっと違うんじゃないかな」とは思いますね。

 そんな体制でないと運営できないのであれば「やめちゃえば良いのに」って思う。 僕には、撮影をボランティアでお願いすることなんてできないし、お願いするなら必要最低限の金額でも払ってあげたいと考えています。もちろん、それで採算取れるかわからないものには突っ込めないしなっていう葛藤もあります。だから早くビジネスモデルを考えてほしいですね。

――実はスナップサイトは、どこもビジネスモデルが出来ず苦戦しているようです。

 そうなんだ、やっぱり難しいのかな。『Fashionsnap.com』さんは、今はサイトが全然変わってビジネスモデルも違いますよね。スナップは昔ちょっと模索しつつみたいな感じだったのが最近絞ってきてるのかなって。あとはもうニュースが中心のファッションメディアというかポータルサイトですよね。

――最近では、スナップサイトが苦戦している間に、ファッションブロガーが台頭してきています。

 ブロガーさんもスナップをやり始めてますよね。新しいビジネスモデルを開拓したり、新しいおしゃれな子たちを開拓してくれたら良いんですけど。ウチと同じようなやり方やエリアで、同じような人を撮っても、そんなに多くのビジネスチャンスがあるわけないんですけどね。だけど同じような事をするサイトや人がそこに集中してて、なんかちょっと変だなと思ってます。

ruby02.jpeg――刊行される『.RUBY』は、なぜやろうと思われたのですか?

 去年の暮れくらいから、表参道や、六本木の地下鉄の駅で「おしゃれな子が乗ってくるな」とずっと気になっててたんです。「おしゃれな子が表参道や六本木にはよくいるから見ていてね」とスタッフに言っていたのですが、「わかんない」と言われていました。

 そんなことをやっている時期に、僕の写真展を表参道GYREでやりました。その時、渋谷109系のブランド「EMODA(エモダ)」が来ていたんです。うちのスタッフからブランドのことを聞いて「ああいう格好いい人がやってるんだ」と思ったので、その人の話を聞くと、僕が思っている事と全く同じ事をアパレルでやろうとしてたんですよ。

 その後、大阪から出てきた藤田君(.RUBYハンター)が「渋谷と原宿の間におしゃれな人が居るんですけど撮らないんですか?」と企画を持ってきたから「そうそう。僕も思っていたんだよ。だけど人がいなくて大変。それでもでもやってみる?」ということから、発行することが決まりました。

――EMODAは『FRUiTS』とは対極のように感じます。

 そうですね。ただ、ファッションの方向としては完全に『STREET』で取り上げているニューヨークや、パリのモデルのファッション。実際にEMODAの人に話を聞いたら、日本の子にもそういう格好をしてもらいたいという思いがブランドコンセプトだそうですよ。僕たちの始めた『.RUBY』と同じ方向を見てるような気がしますよね。

 原宿にいた『FRUiTS』の卒業生のような子たちが、20後半〜30歳代になり、これまでやってきた『FRUiTS』のような格好ができなくなってきたことで、厳密に言えば微妙に違うのですが、渋谷のギャルと似たような方向性になってきている。「これからの方向性は、そこにあるのかな」と思ったので、苦労するのがわかってたんですけどちょっとやってみたんです。

――撮影は大変でしたか?

 藤田君が相当頑張ってくれました。最初は「レッドベリー」という名前で動いていたのですが、取材がすごく大変で、砂の中から宝石を探すような感覚でした。それから、いろいろと考えている中で"ルビー"の持っている「妖艶でちょっと危ない」イメージが気に入ったので、発行する前に『.RUBY』に変更しました。


――『.RUBY』は不定期で発行ですが『STREET』もはじめは隔月でした。

 撮影がとても困難なので2〜3ヶ月に1回、ネタが溜まったら出すような不定期な存在にしたい。『STREET』は確かに月刊になりましたが、『.RUBY』はどうなのかな。クオリティを高くしたいという気持ちがあるので、月刊はまだ考えられないなぁ。


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――レンズ株式会社(ストリート編集室)のこれからのビジョンは?

 いろいろとやりたくて、『レンズ株式会社』という名前にしたのですが、やはりいろいろとやるのは、大変になるし、中途半端になるので駄目だっていうのがわかった。だから、これからの会社の取り組みとしては、基本的には、ストリートファッションで良いかなと思っています。


 いろいろなサイトができて、僕も自分がやってることを考えるのですが、それらのサイトを見ていると、ウチの撮影を真似してるところが大半。写真を見ていても、僕が考えてるものと何かが違うんですよ。

 海外からスナップの写真集が出ることがあるじゃないですか。彼等の写真を見てても僕が思っているのと違うんです。だから「なんなんだろうな」と考えていたのですが、考えている中で、少しずつわかってきたことがあります。それは「僕はファッション、おしゃれな人を見ると感動する」ということ。「撮らずにはいられない」っていう感覚があって、ファッションサイトとか、海外のスナップ写真集には、その感覚が見当たらない。僕は当たり前に「ファッションは感動するもの」だと思っていたのですが、僕みたいな人は少ないのかもしれません。

 だからこれからの方向性としては、「ファッションは感動するものだ」ということを伝えていくことなのかな。藤田君を見ていると、おしゃれな人を見てすごく感動してるんですよね。撮影で絶対断られるのに何回も何回も挑戦しに行くのですが、それは多分、「仕事として」というよりは「感動して何かせずにはいられない」という感覚なんだろうね。当たり前だと思ってたんですけど、当たり前でもないのかな。

――ハンターとしてまた撮ろうとは思いますか?

 今年は撮るかもしれないです。どうしても撮りたい子が出てきてるので。『.RUBY』を始めてから、ときどきハンターとしての視点で見ていると、「あ、これ撮りたい」と思う場面がある。でもカメラを持っていないので、何回か逃したことがあるんです。でも渋谷で僕が立ってハントしてると多分怪しまれちゃうし、断られちゃうと思うんですよね。でも、すれ違い様に声掛けるくらいなら大丈夫かなとも思う。「この年になって若い子に断られるっていうのはショックも大きいしな」とも思いますけどね(笑)。でもどうしても撮りたい時があるので、カメラを持ち歩こうかなと思っています。

 あと多分ですが、ブログを始めると思う。僕のブログというよりも、僕がどこに感動しているのかを書くブログにしようかと思っています。語らずにはいられないような感動できる写真が時々あるので、その感動を、ちゃんと語っていくような場を作ろうと思っています。

――雑誌を作るときは変化があった時だとよく仰ってました。

 『TUNE』を創刊して『.RUBY』を出すまで8年。長いよね。『FRUiTS』も『STREET』から11年後の創刊だしね。新しいことをやっていかないと僕は生きていけないはずなんですけど、ずっとできなかった。もしかしたら自分も社会も変化が無かったからなのかな。でもそれじゃ駄目なんだよね、本当はね。

                    

聞き手:光山 玲央奈

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