ADVERTISING

【連載:ゆるふわファッション講義】第5回 インターネット普及以後の日本ファッション⎯⎯平面性と物語性

ジュンヤ ワタナベ/ミナ ペルホネンから紐解く

ゆるふわファッション論のトップ画像

Image by: FASHIONSNAP

ゆるふわファッション論のトップ画像

Image by: FASHIONSNAP

ゆるふわファッション論のトップ画像

Image by: FASHIONSNAP

 「ゆるふわ大明神」の異名を持ち、長年京都を拠点に大学でファッション論を教える傍ら批評家・キュレーターとしても活動してきた京都精華大学デザイン学部教授の蘆田裕史氏が、「ファッション」や「ファッション論」について身近なものごとから考えるコラム連載。「黒の衝撃」から辿って日本の90年代ファッションを再考した前回に続く第5回は、1990~2010年代ファッションを振り返る。

ADVERTISING

 今回のコラムでも、前回に引き続き、1990年代~2010年代の日本のファッションデザイナー/ブランドの話をもう少しだけ続けさせてください。(文:蘆田裕史)

2000年代⎯⎯造形的な服と平面的な服の時代

 前回紹介したユトレヒト中央美術館での「Made in Japan」展をはじめ、日本のファッションデザイナーが出展する展覧会でしばしば取り上げられるのが、「ジュンヤ ワタナベ(JUNYA WATANABE)」の渡辺淳弥です。2000年代前後の日本のファッションデザイナーの中で、ジュンヤ ワタナベの特徴は、いわゆる「造形的な服」⎯⎯このことばはあまり好きではないのですが⎯⎯だと言えます。ワイヤーを駆使してさまざまなフォルムやラインを作り上げた1998年秋冬コレクションなどがそのわかりやすい例です。

「ジュンヤ ワタナベ」1998年秋冬コレクションのショールック

「ジュンヤ ワタナベ」1998年秋冬コレクション

Image by: Giovanni Giannoni/Penske Media via Getty Images

 その一方で、この時代は「平面的な服」が増えてきた時代でもあります。平面的な服とは、グラフィカルな要素をプリントしたTシャツや、テキスタイルデザインを特徴とする服などがそれにあたります。前者は裏原系のブランドの特徴のひとつと言え、後者の代表的なブランドは「ミナ ペルホネン(minä perhonen)」でしょう。裏原系とミナ ペルホネンは対極にあるように感じられると思いますが、「平面性」という点では共通しているのです。では、なぜ平面性が重要なのでしょうか。それはインターネットの普及と関係しているように思われます。

「視覚優位」へ⎯⎯インターネットが変えた服の見方

 Windows 95が発売され、一般家庭にインターネットが普及し始めたのが1995年と言われます。その後、さまざまなECサイトがあらわれ、2004年には「ゾゾタウン(ZOZOTOWN)」がスタート。一方、1999年に「Yahoo!オークション」(現 ヤフオク!)のサービスが開始され、インターネットを通じた個人間売買も行われ始めました。

 インターネットが普及しても、私たちが現実世界で服を着るという生活は特に変わりませんが、どのように服を見るか(探すか)は少しずつ変わります。それは、ディスプレイを通して服を見るようになった、ということです。実店舗で服を探す場合は、生地を触って、試着して、自分に似合う服や自分がほしい服を選ぶことができます。しかし、ディスプレイを通して服を見た場合、手触りもわからなければ試着することもできません。そうすると、私たちが服に求める情報のうち、二次元的な、視覚を通じて認識できる要素の比重が高くなってきます

 こうして、グラフィカルな要素を特徴とする服がより求められやすくなります。その後、SNSが普及することによって、この流れに拍車がかかります。平面的なグラフィックを極限まで推し進めた(わかりやすくした)ものがブランドのロゴだと言えますが、SNS時代にロゴが大きくあしらわれたアイテムが人気になるのもこの流れだと言えるでしょう。

「20471120」「ビューティビースト」の流れにあるミナ ペルホネン?

 ところで、さきほどミナ ペルホネンについて少し触れましたが、ミナ ペルホネンの特徴は平面性だけではありません。「チョウチョ(choucho)」や「タンバリン(tambourine)」といったミナ ペルホネンの代表的なテキスタイルを見ると、「マリメッコ(Marimekko)」のような北欧的テキスタイルデザインの系譜にあるようにも思われますし、実際そう捉えることもできるでしょう。けれども、ミナ ペルホネンのテキスタイルには、北欧的な⎯⎯もっと言えば西洋的な⎯⎯テキスタイルデザインと大きく異なる部分もあります。

世田谷美術館で開催中の展覧会「つぐ minä perhonen」でのテキスタイルの展示

世田谷美術館で開催中の展覧会「つぐ minä perhonen」でのテキスタイルの展示

Image by: FASHIONSNAP

 たとえば、2000年秋冬に発表されたテキスタイル「travel」。オオカミのような動物が野原を歩いている場面が描かれていますが、このシーンは絵本の一ページのようにも見えます。ミナ ペルホネンは発表したテキスタイルをウェブサイトにアーカイヴしているのですが、そこではこのような説明がなされています。

スカートの中を旅する四つ足の動物。スカートの脇にプリントされて、履いた人が座って初めて、この生き物が地上を歩き出す。物語が始まる。

ミナ ペルホネン 公式サイト「TEXTILE」ページ「travel」より

 ミナ ペルホネンにとって、テキスタイルの柄は単なる模様ではありません。そこから私たちの想像を膨らませる、物語の起点なのです。まるで絵本の一ページのような。そのことは、現在開催中の展覧会「つぐ minä perhonen」からも見てとることができます。この展覧会では、テキスタイルが作られるまでの背景⎯⎯つまりは物語⎯⎯や、顧客がミナ ペルホネンの服とどのような物語をつむいできたかが語られており、ミナ ペルホネンがいかに物語を重視しているかがわかります。そして、この点において、ミナ ペルホネンが前回の「20471120(トゥー・オー・フォー・セブン・ワン・ワン・トゥー・オー)」や「ビューティビースト(beauty:beast)」からの流れに位置づけられることとなります。

2010年代⎯⎯キャラクターから「物語」へ

 アニメやマンガなどのサブカルチャーを取り入れたブランドと北欧的な雰囲気をもつミナ ペルホネンに関連があると言われると、驚く人もいるかもしれません。前回、20471120やビューティビーストはファッションにキャラクター性を持ち込んだと言いましたが、そもそも「キャラクター」とは何でしょうか。それはすなわち、物語の登場人物になりうる存在だと言えるでしょう。

 現代の日本は、企業のキャラクターや自治体のキャラクターなど、キャラクターにあふれた社会です。こうしたキャラクターのなかには、一見すると物語と無関係に見えるものもあるかもしれません。けれども、たとえば「くまモン」にせよ「ひこにゃん」にせよ、キャラクターは現実社会と関わり、さまざまな場所で何がしかの行動をすることになります。広報誌で名産品を紹介したり、着ぐるみとなって観光地でイベントをしたり。二次元か三次元かを問わず、こうしてキャラクターが行動することによって、物語が生まれてきます。そう、キャラクター的なファッションのたどり着く先は、物語的なファッションなのです。それを先取りするかのように、20471120のキャラクターである“ヒョーマ君”を用いたアイテムでは、彼がマンガの登場人物であるかのような場面⎯⎯食事をしたり排泄をしたり⎯⎯が描かれた絵がプリントされてもいました。

 第3回でも書いたように、衣服は他のジャンルの作品と比べると、情報量の少なさが特徴のひとつです。1990年代までに、服として成立するようなシルエットはほとんど出尽くしていたため、モノ自体で新しさを生み出すことがだんだんと難しくなります。それゆえ、前回お話ししたような「キャラクター」を取り入れ、服の情報量を増やすことの必要性が生まれたと言えるでしょう。しかし、キャラクターだけでは限界があります。キャラクターは物語の起点になるものではあるけれども、物語そのものではないからです。

「ユキ フジサワ」が2019年に原美術館で行ったプレゼンテーションより

Image by: FASHIONSNAP

 こうして、2000年代後半以降、物語的なファッションを作るデザイナーが増えてきます。たとえば「リトゥンアフターワーズ(writtenafterwards)」の山縣良和、「アシードンクラウド(ASEEDONCLÖUD)」の玉井健太郎、「ユキ フジサワ(YUKI FUJISAWA)」の藤澤ゆきなどがそこに位置づけられると思います。はからずもミナ ペルホネンの話に紙幅を大きく割いてしまいましたので(ウェブの時代に「紙幅」という言葉は許されるのでしょうか……)、その後の流れについてここで詳細に論じることはやめ、またいずれどこかで別の機会があれば書こうと思います。

ファッション業界に足りないのは「語ること」と「残すこと」

 もともと前回と今回のコラムでやりたかったこととして、歴史に埋もれてしまったブランド/デザイナーを掘り起こすことがあったのですが、そこからだいぶ逸脱してしまいました。本当はもっと色々なブランド/デザイナーを取り上げるつもりでした。たとえば、

「ナショナルスタンダード(national standard)」、「アツロウ タヤマ(ATSURO TAYAMA)」、「キョウイチ フジタ(Kyoichi Fujita)」、「ホンマ(HOMMA)」、「セイケ(SEIKE)」、「シンヤノモト(SHINYA NOMOTO)」、「1%」、「カルシウム(calcium)」、「ピエ ド ビッシュ(Pied de Biche)」、「ユージヤマダ(yuji yamada)」、「栄養失調の勃起」、「フェトウス(FÖTUS)」、「ディフェクティブ・プロダクト(defective product)」、「アンスタンラパリス(en ce temps-là Paris)」、「ナイーマ(NAiyMa)」、「T. クニトモ(T. KUNITOMO)」、「コージ クガ(KOJI KUGA)」、「アスキ カタスキ(ASKI KATASKI)」、「エス オーケストル(es orchestres)」などなど……。

 おそらくこのコラムの読者の9割以上は、いま挙げたブランドの名前のほとんどを知らないと思います。個人的な感傷に浸るだけの行為に見えるかもしれませんが、せめてこのコラムがインターネットの海をさまよって、いつか誰かが検索をしたときに引っかかるといいな、そして誰かがそれを引き受けて何か書いてくれたらいいな、と思っています。

 美術や音楽であれば、1990年代の作家についての記述を今でも探すことがそれほど難しくないような気がします(これまた伝わる人がほとんどいないでしょうけれども、ふと思い出したザ・コケッシーズとか、BLEACH03とか、シーラヴアールとかをググってみたら、インターネットでも情報がわりと見つかりました)。ファッションの場合は、おそらく過去の雑誌をあたらないと、情報を見つけることがなかなかできません。が、ファッション雑誌って図書館できちんとアーカイヴされにくいんですよね。数年経ったら廃棄されてしまったりして。

 けれども、ファッションならではの特徴としてちょっと面白いなと思うのは、メルカリがかりそめのアーカイヴとして機能していることです。件数としては少ないのですが、さきほど僕が列挙したブランド名でググると、メルカリの商品ページが出てくるんです。ユーザーが個人間取引のために作ったページが、意図せず誰かの目に触れるというのはとても興味深いことだと思いました(おそらくそのうち消えてしまうので、厳密にはアーカイヴとして機能しないのですが)。

 繰り返しになりますが、ここで描き出した歴史観はあくまで僕自身の体験にもとづく歴史観によるところが大きいです。この流れがメインストリームだと言うつもりもありませんし、この歴史観から外れたところで、衣服というモノ自体と向き合ってただひたすらに制作をしているようなブランド/デザイナーも少なくありません。もし自分のお気に入りのブランドがあれば、残るような形で文章化してほしいな、と思います。ファッション業界に足りないのは語ることと残すこと、つまり言説とアーカイヴです。いっとき話題になった「国立デザイン美術館」を作るようなことはなかなか実現が難しいかもしれませんが、個人が容易に発信できるこの時代、ノート(note)などで記事を残すこともできますので、みんなもっと語ってくれたら嬉しいです!

★今回のテーマをもっとよく知るための推薦図書
深井晃子(監修)、キャサリン・インス+新居理絵(編)『Future Beauty 日本ファッションの未来性』平凡社、2012年
高木陽子+成実弘至+西谷真理子+堀元彰(編)『感じる服 考える服:東京ファッションの現在形』以文社、2011年
『つぐ minä perhonen』青幻舎、2025年
皆川明『ミナを着て旅に出よう』文藝春秋社、2014年
(今回はどうしても展覧会カタログが多くなってしまいました。最後の『ミナを着て旅に出よう』はエッセイなのですが、デザイン論として読んでも面白いと思います!)

edit: Erika Sasaki(FASHIONSNAP)
illustration: Riko Miyake(FASHIONSNAP)

京都精華大学デザイン学部教授

蘆田裕史

Hiroshi Ashida

1978年京都生まれ。京都大学薬学部卒業、同大学大学院人間・環境学研究科博士課程研究指導認定退学。京都服飾文化研究財団アソシエイト・キュレーターなどを経て、2013年より京都精華大学ファッションコース講師、現在は同大学デザイン学部教授。批評家/キュレーターとしても活動し、ファッションの批評誌「vanitas」編集委員のほか、本と服の店「コトバトフク」の運営メンバーも務める。主著は、「言葉と衣服」「クリティカル・ワード ファッションスタディーズ」。

◾️ゆるふわファッション講義
第1回:ファッション論ってなに?
第2回:可視化の時代におけるファッションとは?
第3回:美術展とは違う、ファッション展のみかた
第4回:「黒の衝撃」から辿る、日本の90年代ファッション再考
第5回:インターネット普及以後の日本ファッション⎯⎯平面性と物語性

最終更新日:

ADVERTISING

TAGS

記事のタグ

現在の人気記事

NEWS LETTERニュースレター

人気のお買いモノ記事

公式SNSアカウント