Hiroshi Ashida

ゆるふわ東コレ日記1日目──メディアの特性

蘆田裕史

京都精華大学ファッションコース講師 / 批評家

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今日から2015年春夏東京コレクションについての日記を(おそらく)毎日更新していきます。一見、東コレのレポートには見えないかもしれませんが、実際に東コレのショーや展示会を見て思ったことを、普段から考えていることと交えて書いていきたいと思います。速報的な記事が苦手なので内容がゆるくなってしまうこともありますが、その点はご容赦ください。

 この日記を書くにあたって僕のスタンスを表明しておきたいのですが、ブランドに対する批判的な見解を書くこともあるかもしれませんが、原則として僕が良いと思っているブランド、評価できると思っているブランド以外を取りあげることはしません。最初から言い訳がましいと思われるかもしれませんが、文章のみでのコミュニケーションはしばしば誤解を生みますので念のため強調しておきます。


 それでは、1日目を始めます。

ファッションは何よりもまずデザインである。そのことを認識しているブランド/デザイナーはとても少ないように思われてならない。ただし急いで付け加えなければならないが、ここで言うデザインとは服の形や素材をどうこうすることだけが念頭に置かれているわけではない。



 ファッション史を繙いてみれば、歴史に名を残したファッションデザイナーはなにかしらのコトをデザインしている。
 チャールズ=フレデリック・ワースはオートクチュールという「システム」をデザインしたと言えるし、ポール・ポワレは香水で利益を出すというという「ビジネスモデル」をデザインし、マドレーヌ・ヴィオネはバイアスカットという「方法論」をデザインした。
このことは何もブランド/デザイナーのみに限った話ではなく、あらゆる仕事においてあてはまることであるが、ファッションにおいてより顕著に現れていると言えよう。



 それは、衣服の持つ情報量が少ないからである。
 たとえば一枚の絵画と比べてみればわかるように、一着の服から読み取れる情報はきわめて少ない。それゆえファッションデザイナーは服だけでなく、イメージや売り方など様々なコトをデザインしなければならない。



 その際、まずもって重要なのはさまざまなメディア──ここでは何かを伝えるための媒体となるものを指すとひとまず定義しておく──の特性を理解することである。



 たとえば衣服のプレゼンテーションを行うにあたって、デザイナーはファッションショーを選択することもできれば写真を選択することもできるし、あるいは映像を選択することもできる(先の定義に従えば、ここではショー、写真、映像を服を伝えるためのメディアと呼ぶことになる)。



 自分が作ったコレクションを受容者に伝えるためにファッションショーがよいのか、あるいは展示会が相応しいのか、はたまた写真で見せるのが適しているのか、そのことを考えているデザイナーがどれだけいるのだろうか。助成金がもらえるから、あるいは目立てるからという理由だけでファッションショーを選んではいないだろうか。もしデザイナーを名乗るのであれば、自分のコレクションを見せるためのメディアの選択に必然性を持たせてほしい。



 もうひとつ同時に考えるべきなのは、「果たしてその行為が業界/社会をよくするのか?」という点である。たとえば、原稿のコレクション雑誌ではファッションショーを行っているブランドの方がより前のページに取り上げられるという現実がある。そのことに鑑みれば、雑誌でより多くの人の目に止まるためにショーを行うという選択肢を選ぶのもひとつのデザインだと言える。そのときに先ほどの問いを思い出して欲しい。自分が選んだ行為はファッション業界をよくするのだろうか、と。私としてはどうしてもそうは思えない。


 もちろん、この問題に関しては、ブランド側は既存のシステムを有効に利用しているだけであるので、本来責められるべきなのはむしろ雑誌側だろう(雑誌がショーも展示会もフラットに扱えばよいだけの話である)。それでもなお、ブランド側が自らの行為の社会的意義に疑問を持つことができれば、不必要なショーを行うことにならないはずであることは言を俟たないだろう。



 さて、上記を踏まえた上で今回取りあげたいブランドは、今回が2シーズン目となる「malamute(マラミュート)」(デザイナー:小高真理)である。デビューしたばかりのブランドの多くは、自分の打ち出すポイントを自覚できないままコレクションを制作するためか、コレクションの焦点がぼやけがちである。それはすなわち、そのブランドの作風、言い換えれば「らしさ」を提示することができていないということだ。


 「malamute」が優れているのは、ニットという技法に特化していること、そして一見野暮ったくも見えるFEILERのハンカチのようなレトロな花柄を象徴とすることによって、「らしさ」をわかりやすく提示できている点においてである。

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©森栄喜

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©森栄喜

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©森栄喜



 「malamute」の課題をひとつ挙げるとするならば、先述の「メディアの特性」の使い分けが甘いことであろう。「malamute」の今シーズンのコレクションは森栄喜による上掲の写真だけでなく、映像というメディアによっても提示された(もちろん、そのほかに展示会も行っている)。

 

 写真と映像の大きな違いは時間性と運動性にある。映像は写真と異なり、時間も流れれば、登場人物が動きもする。それゆえ、それぞれのメディアにおいて最適なモデルも違うはずなのである。大雑把に言えば、映像においては人は不可避的に運動性をはらむために「動ける」者──俳優やダンサーなど──の方が向いており、写真においてはポージングが重要となるために「止まれる」者──雑誌などに登場するいわゆる「モデル」など──が向いている。



 さて、「malamute」の写真と映像とを見比べてみよう。写真において自然に振る舞っているモデルの動きが、映像ではややぎこちないことが見てとれる。それはこのモデルが、止まることに長けていても動くことに慣れていないことに起因する。ここで言いたいのはもちろん、このモデルが悪いということではなく、デザイナーが常にメディアの特性に注意を払うべきだということである。




 ここで取りあげたことは些細なことに思われるかもしれない。だが、こうした小さな物事の積み重ねが大きな差異を生むことは間違いないだろう。そしてこのことはショーか展示会か、写真か映像かといった問題だけにとどまるのではない。たとえば熟慮の結果ショーを選択したのであれば、次はショーの会場についてしっかりと考えてほしい。JFWの指定会場だからとか助成金が出るからとかではなく、自分のコレクションを見せる場として本当に相応しい場所がどこなのか。そしてその選択が自分のブランドだけでなく、これからのファッション業界にとっても有益なものであるのかを。

蘆田裕史

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