Hiroshi Ashida

【ゆるふわ東コレ日記6-1】──ルールと価値

蘆田裕史

京都精華大学ファッションコース講師 / 批評家

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 ファッションデザインとはどんな行為で、いったい何をするものなのでしょうか。3日目に行われた「Tokyo 新人デザイナーファッション大賞」のファッションショーはそんな疑問を抱くのにちょうどよい場でした。というのも、このコンテストではプロ部門とアマ部門があるのですが、その2つの「ファッションデザイン」が、どうも同じルールを持ったものだとは思えないのです。この「ルール」というものについて少し考えてみましょう。

2018 Tokyo 新人デザイナーファッション大賞
2018 Tokyo 新人デザイナーファッション大賞


 現代美術はしばしば「(作品の意味が)わからない」と言われることがあります。これに関して、美術家の村上隆は「ルールを知らずに見てたらわからないのは当然だ」というようなことを言います。野球やアメフトのようなスポーツ、あるいは囲碁やチェスのようなゲームには、固有のルールがあります。それは、ピッチャーがボールを投げたらそれを打ち返す、この駒はこんな動きをする、といったものです。ルールを知らなければその競技を楽しめないのは当然ですし、自分がルールを知らないことを棚に上げて「アメフトは面白くない!」と言っても何の説得力もありません。現代美術もそれと同じで、見るためには(あるいは制作するためには)ルールを知ることが必要だと村上は考えます(村上が考える現代美術のルールについては、『芸術闘争論』を参照してみてください)。

 さらに、現代美術も、野球も、囲碁も、プロかアマチュアかでルールが異なるなんてことはありません。そんなことが起きると、プロがアマチュアの努力の延長線上に位置づけられなくなってしまいますし、そもそもそのジャンル自体が成立しなくなってしまいます。果たして、ファッションデザインはどうでしょうか。このコンテストのアマチュアのルールとプロのルールは同じでしょうか。あるいは両者の評価基準は本当に同じなのでしょうか。もちろん、「プロはビジネスを行っているのでその部分の評価基準が含まれるけれども、アマチュアはビジネスを行っているわけではないので基準が異なっても仕方ない」と考えることもできるかもしれません。しかしながら、そうであってもプロをアマチュアの活動の延長線上に位置づけることをしなければ、そしてどの部分が同じでどの部分が違うのかをきちんと言語化しなければいけないでしょう。「教育」や「育成」を謳うのであれば、それが責任だと思うのです。

 ではどのような基準を立てられるのでしょうか。そのひとつには、デザイナーが「価値」を提供できているかどうか、というものが挙げられます。あらゆるモノやサービスは、ユーザーが何らかの価値を見いださなくてはお金を払ってもらえません。たとえば、掃除機の価値は吸引力の強さであったり、軽さであったり、充電時間の短さであったり、見た目のおしゃれさであったりするでしょう。ユーザーによって求める価値が違うので、すべてを兼ね備える必要はありませんが、確実に何らかの価値がそこにはあるはずです。

 服の価値は、着心地のよさであったり、丈夫さであったり、○○な印象を与えられる(○○には真面目そう、悪そう、セクシー、裕福そうなど色んな言葉をあてはめられます)ことであったり、憧れの喚起であったり、値段の安さであったり、最近であればサステナビリティであったりとさまざまです。ファッションデザインにはどのような価値があり、そして作り手がどのような価値を作り上げられているのか、それを評価するようなものでなければ、アマチュアからプロへの道がシームレスにつながることはないでしょう。

【批評家蘆田裕史のゆるふわ東コレ日記】
【ゆるふわ東コレ日記6-2】──価値の話(その2)
【ゆるふわ東コレ日記6-3】──ファッションショーの再演性

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