Image by: ANREALAGE
今夜のデジタル配信の時刻に間に合わせねばと思いながら、そぞろとして籠居していること能わず、家人とは別仕立ての湯豆腐で軽く腹を拵えてから近所の酒場に向かったのである。気温の高い夜で曇っているのだろう。空には月もなく星も見えない。いつになく空気は土の匂いと花の香り(はて、この季節に何の花かしら)とで微かに甘く、重たく湿っていて、それが時を切って強く匂うように感ぜられる。焼酎の葡萄酒割りをちびちびと舐めながら、メモ用紙を片手にこの稿のネタ繰りを始める。「辛い」と「幸せ」の違いは、僅か横棒一つの差でしかないのになぁ。時節柄、そんなたわいのないことが気に係ったから、これもメモしておくことにする。所詮は十円銅貨の裏表のようなもんさ。せいぜい一文字一円ほどの価値しかない売文業だぜ。一端を気取っても始まらぬ。
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消閑の遊戯的気分と幾許かの自嘲から、やや世を拗ねた脱俗離世のポーズを構えながら、四角な文字を連ね、しかつめらしい文体で夢幻の気漂うファッションの現場の嘘誠を写しておかしみをとると云うような筆荒(ふでずさ)みを続けているのである。デジタル配信に危惧するなぞと、昨日の稿で書いておきながら言を左右にするつもりは毛頭ないが、文章が筆に乗って先立ったかも知れぬので、首尾を一貫させるために一応後戻りをする。心に染み入る動画には言及しておかねばならぬ、と思ったのである。
この稿は東京のファッションウイークに紐付くものだから、「アンリアレイジ」を取り上げるのはフェアではない。だが、今回はパリでショーをする代わりに動画配信した、その映像が面白かったから原則を曲げてみたい。毎回新しく繰り出される作り手の物語を即座に咀嚼し、かつこれに通暁すると云う芸当はなかなかに許されることではない。まして受け身の立場であったなら評論のファインプレーは至難に近付く。私の場合の評論は、どうでもファインプレー、少なくともフェアプレーで乗り切らないことには、書き手としての一分立たぬ状況に置かれてしまのだけれど、そこを曲げてみたいのである。
「ANREALAGE」2021年春夏コレクション
Image by: ANREALAGE
「HOME」と題した2021年春夏コレクションは、当今に紐付いた発想である。雄大な富士山を背景に、様々な形のテント(=服)が、麓の鮮やかな緑に映った逆さ富士を思わせる配列で並んでいる。ソーシャルディスタンスを保って居並ぶテント。動画の全貌をここで詳らかにする野暮は避けたい。このファンタジーを追体験したいと云うなら、是非とも動画を見て欲しい。森永邦彦の意図とは少しく異なっていると思うが、私には、モデルたちの姿が、近未来の遊牧民の勇姿に重なったのである。それは私の抱く勝手なイメージである。一定の地に定住せず、牛や羊などの家畜と共に水や草を求めて移動しながら生きる彼等の逞しさ。周囲の環境に左右されることのない強靭さ、そして武骨さ、素朴さ、堂々とした威厳。時節柄、蔑ろにされがちだけれど、忘れてはならない人間の本質のようなものだと思う。故に、私は遊牧民に憧れる。端より彼等のような叡智と屈強さなぞ持ち合わせていないから余計に恋い焦がれるのである。所詮は十円銅貨のようなもんさ、だけれどもね。因みに、今回使用された服地は、微量の銅をポリエステル繊維に混ぜた抗ウイルスの開発素材だと云う。
【全ルック】ANREALAGE 2021年春夏コレクション「HOME」
森永が作る服には、遊牧民の持つ土臭さはない。垢抜けのしない容姿が、生命力の強さを誇示する遊牧民に比して見れば、寧ろ森永の服は洗練され、綺麗でさえある。「家のような服」「服のような家」と云う副題が添えられている。骨格を入れると2メートルのパーソナルスペースを確保し、空間に変化するが、骨格を外し、ドローコードでギャザーを寄せて括ることにより、空間は服に変わると云う設計。過去に発表した「○△□」(2009年春夏)と「BONE」(2013年春夏)の発想を巧みに発展させ進化させている。動画を見ると、開放感のある大地に映える発色の強い色彩が眼に飛び込んでくるが、これは「BONE」の時の配色である。
どうやら人間の想像力は、或る物体が一定の大きさのままに留まっていることに、いっかな満足しないようである。想像力は常に、対象の急激な拡大と縮小を可能ならしめるところの、不思議の国のアリスが飲んだ水薬のようなものを欲しがっている。周囲の評価を気にする程度に神経質で、愛他精神と利己主義を兼ね備えた即物的センチメンタリスト。これは最近の私の森永評である。揶揄や否定的な意味はない。また彼には、己顕示欲の強い一面と隠者的な一面があるが、いずれにしても、ラジカルへの陶酔は覆い隠し難いものがある。とりわけ今回は、これまでの創作過程を度外視したら生まれてこない面白さが戻ってきている。そもそも「神は細部に宿る」の題目を唱え、膨大な時間を掛けた手仕事に、尋常ならぬ情熱を注ぎ込んでいたブランド初期の創作は、回を重ねる度に重苦しく見えてきた。マンネリズムに嵌った丁度その時分、森永は起死回生の「○△□」コレクションを発表して、文字通り新たな境地を拓いたのである。これまで番度見てきたが、如何に発言するかと云う方法論(トゲのある形容だけれど、奇術師が見せるトリックのような仕掛けは、森永独特の修辞表現なのだけれど)に固執するのも良いが、今回は、何を発言するかと云う思想とか、問題提起に重きを置いた観が強い。誤解を招くかも知れないけれど、パンデミックの影響が効果覿面に影響して、彼なりに現実を直視することが出来たのだろう。これ迄が実験的過ぎたから、まだ色眼鏡で見る人もいるかも知れない。また、服=家の発想は新しいものではない。だが、今回のファンタジーは、時節も手伝ってか「幸福感」に満ち溢れていたと思う。(文責/麥田俊一)
【ファッションジャーナリスト麥田俊一のモードノオト】
・モードノオト2020.10.12
・モードノオト2020.10.14
・モードノオト2020.10.15
・モードノオト2020.10.16
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