「ビューティフルピープル(beautiful people)」2021-22年秋冬コレクション「SELF-LOVE-LIVE」
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Image by: FASHIONSNAP

Mugita Shunichi

モードノオト 2021.03.15

麥田俊一

ファッションジャーナリスト

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「ビューティフルピープル(beautiful people)」2021-22年秋冬コレクション「SELF-LOVE-LIVE」 Image by FASHIONSNAP
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 「ドウデス?クマキリ、ナカナカ見セルデショ?」。これ見よがしにドヤ顔を決め込むのをグッと我慢した私は、敢えて言葉にはせずに、なんとなく北叟笑みを浮かべながらショー会場を出て彼と駅に向かった。はて?今宵のS君、普段と様子がちと違う。今週は、我がパイセン的S君に番度登場して貰うことになるが(マニアックな読者諸氏であれば既に彼の正体をご存知ですね)、そのS君の、斯様な迄に興奮した気配に少しく驚かされたのである。彼はたった今見たばかりの「ビューティフル ピープル」を絶賛している。絶賛振りなら人後に落ちぬ矜持を懐にする私がたじろぐ程の昂りようである。折角の気勢を削がれた態となった私は、煮え切らぬ表情を顔に貼り付けたまま改札口にて彼と別れた。地元に戻り、早くも咲き乱れる桜の樹に独り凭れて、チーズバーガーを頬張りながら缶酎ハイを煽った。空は綺麗に晴れ、十七夜の月が殆ど頭上にあった。淡い花弁の塊が月光を吸い、いつ迄でも眺めていたい夢幻的な光が遍満している。私の夜はいま始まったところだ。

 彬々(ひんぴん)たる文章で綴られた記事が既に巷間に溢れているだろうから、今更私などがチビた筆で後追いしても始まらないし、熊切秀典に勝るとも劣らぬ天邪鬼な私のことだから、端より服の細部とか演出とかを詳らかにするつもりはない。但し一つだけ気になったのは、コレクションノートに記されていた、リー・アレキサンダー・マックイーンのショー(当時ドラッグスキャンダルに巻き込まれたケイト・モスに、親友として励ます意図から、リーは自身のショーのフィナーレにてホログラムを駆使して等身大の彼女が宙空で舞い踊る虚像を描いて見せた)と、今回のショーの演出が意図するところの相似点が伝わり難く(私だけだろうか)、況してや実際にその場に居合わせて眼にした天女のようなケイトに胸震わせた一人としてはどうにも慊らなかったことだけは記しておきたい。夢とは、外界から隠され、神秘に包まれた潜在意識が作り上げるものだろう。夢そのものになるため、ひとは只管意識を集中する。夢とは、観念への強い執着とダンディズムの揺るがぬ精神を支えに、初めて実像に結ぶ(実現可能なものになる)。

ビューテフルピープル2021-22年秋冬コレクション

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 凡ての謎は完全には解き明かされていないものの、ただそこに露になっているように思う。熊切の最近のコレクションを見ると、つい私は観念的になってしまう。つまり、外にあるものは、内にあると云うこと。独自性の補完的な側面として、意識と潜在意識は、実は同一のものなのではないかしら、と。ここ数回続けてきた熊切の習作(エチュード)は、知的な仕事をする者に独特な分別の良さで諧謔を投げ合い、拾い上げ、洒落や軽口に興じる、彼の意識の集中の度合に比例して質が高まっている。自らが開墾した大地(「Side-C」と云う服の設計概念)だもの、既に道があいているのだから、進み方も速い。服の構造に接近すればそれだけ、服に施されるべき独創の仕掛けに対する彼の青写真は自覚的に拡大され、一方では、微に入り細を穿つ精度を持ち始める。そう云うと、如何にも深刻振って聞こえるけれど、彼がものする散文には、軽やかさ、優雅さ、伸びやかさ、大らかさ、それに多少の卑俗さ(エロさもある)が感ぜられる。逆にそう評すると、重さや実体を欠いている風を思わせなくもないが、実際はそうではない。彼のファンタジーは、我々の脳裏に様々なイメージとビジョンを呼び起こすのだ。私はそんな熊切を、綱渡り芸人だと思っている。

 ファンタジーと云ったとて、イリュージョン的な情熱とか、手品的でステロタイプ化したものとは異なるのだ。それは、作り手の「汗」に塗れたファンタジーである。服のデザインとは一つの訓練である。そしてこの、創作に於ける訓練の「汗」を、作品と呼ぶことが出来る。訓練の汗でないような作品、如何なる肉体の努力よりも強い意志を必要とする、鍛錬された発想の結果でないような作品、底の浅い作品は凡て、装飾的で空想的な作品と云ってもいいだろう。例えば、山本耀司が、馥郁たるパリの伝統的なエレガンスとか高邁なブルジョア精神とかに噛み付いてきたように(彼は現在、モード創世記の19世紀に噛み付いている)、熊切もまた、往時のパリシックとか1990年代初頭に勃発したモードのデコンストラクション(脱構築派)とかの、所謂、アンチの対象(声高に物申す相手)を明確に自覚している間は、臆することなく歩を進めていく筈である。(文責/麥田俊一)

beautiful people 2021年秋冬

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【麥田俊一のモードノオト】
モードノオト 2021.03.14

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