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連載ふくびと「カワイイを世界へ」6%DOKIDOKI代表 増田セバスチャン

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 当時僕は25歳になったばかりで、もちろんお金なんて無くて、借りられたのは裏通りにあるビル3階のわずか8坪のスペース。当時は「裏原宿」なんて名前もなく、表通りに出すお金がないから裏にしか出せなかったんです。最初は自分や仲間達が作った作品や、アメリカから買ってきた古着や雑貨とか、店の名前のように自分が少し「ドキドキ」するものを集めました。

 「センセーショナルラブリー」というコンセプトは当時から変わっていません。アメリカのドラックストアにある子供のおもちゃや、当時の僕が最もリアリティを感じていたカラフルな色彩、クレイジーでカワイイものを店中に並べていました。でも最初はほとんど売れなくて、豆腐さえ食べられませんでしたね(笑)。それでも自分の信じる「表現」を続けるために、閉店後に肉体労働などをやりながら店の存続は死守していました。

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 思いがけずブレイクのきっかけになったのは、映画監督のソフィア・コッポラさんがお店に来て「ここは東京らしいクレイジーな店だわ!」と言ってくれた辺りからですね。それからは雑誌に載ったり、新しくて面白い何かを探している "ファッション" の子達が集まってきてくれました。ジャンクな雑貨や、クラブやレイヴに行くときに目立つ為のおもちゃを、徐々にファッションとして取り入れる子が増え始めたんです。取り入れるものも、取り入れ方もさまざまで、部屋に飾るのれんをヘアアクセにしたり、虫取りかごをバッグにする子もいました。

 僕は「6%DOKIDOKI」をファッションのお店にしようなんて思っていなかったのに、自然にファッションに絡めとられていきました。ホコ天もどんどん盛り上がって、原宿の若者が主役のストリートスナップ雑誌が創刊し、1997、8年頃には「インディーズブランドブーム」が到来。カオスな小さい店は連日満員で、入場制限するほどてんてこ舞いでした。


ホコ天閉鎖で変わる原宿とストリートファッション

 1990年代後半、イタリアのブランド「BENETTON(ベネトン)」が奇抜な原宿の若者たちを広告ヴィジュアル取り上げるなど、徐々に原宿の個性が世界的な注目を浴びていった。しかし、盛り上がる街の雰囲気を変える出来事が訪れる。1998年、若者文化の発祥地だった原宿ホコ天が全面閉鎖。変わりゆく街を映し出す鏡のように、原宿のストリートファッションにも変化が現れはじめる。それでも全国的に「原宿」の価値は上がる一方で、「6%DOKIDOKI」はカルト的な人気を獲得。全盛期には直営店が5店舗、取引先は全国で30〜40店に増えた。

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 僕は当時の原宿をすごく客観視していて、若者の個性とエネルギーが集まっていたホコ天を「ファッションの甲子園のようだな」と思っていました。路肩ではインディーズブランドが服やアクセサリーを売っていたり、みんな個性を競い合っていましたね。自分達で工夫して、他の人とは違う自分だけのセンスやファッション。「これが自分なんだ」と主張していた彼らはきっと、自分たちのリアリティを欲していたんです。

 僕はそんな子達の声に応えたり、あるいは概念を壊すものをどんどん提案したりを繰り返していきました。それは自然発生的で、完全に「ストリート発」なんです。そんな現象が街のあちこちでも起こっていて、こうしてどこにも属さない「原宿」だけの自由な空気とポップカルチャーが形成されていきました。

 しかし、そんな原宿にも大きな変化が訪れます。ゴミや騒音の問題による「ホコ天」の閉鎖に続き、「UNIQLO(ユニクロ)」が原宿に進出、シンプルブームの到来。「裏原ブーム」も、今で言う「ファストファッションブーム」も、本来の街とは異質に感じる文化でした。地価が上がったことも手伝って、当時人気だったインディーズブランドやショップは軒並み無くなり、「表参道ヒルズ」のオープン、ホコ天時代の象徴的なスポットだった神宮前交差点の「Gap(ギャップ)」の閉店。明治通りには海外ブランドが次々と出店し、画一化した街へと変貌していきます。それによって新たな人並みが押し寄せるようになりましたが、90年代のように若者が個性を競い合い、いつも皆が集まる場所という役割は失われてしまいました。

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6%DOKIDOKIヴィジュアルショー「千夜一夜物語~月と砂漠と魔法のランプ~」

 ホコ天が無くなった一方で、「6%DOKIDOKI」は2000年代始めに支店を出店。全国で売られるようになると、僕も必然と「売れるもの」を考えるようになっていきました。特に地方では流行を追い求めた商品、つまり原宿では既に最先端ではなくなったものが求められます。それに答えるのはビジネスとして必要な事なんですが、自分がやろうとしてた事からどんどんかけ離れてしまうことに気づいたんです。本当の自分の探していた表現は既成概念を壊す新しいものを作る事だったのに、まったく逆のことをやろうとしている。それに気付いた時に僕は支店を全部閉め、原宿一店舗に集約することを決心しました。


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