Fashion インタビュー・対談

【インタビュー】イッセイ ミヤケ メンを率いる27歳の新デザイナー高橋悠介

デザイナー高橋悠介
デザイナー高橋悠介
Image by: Fashionsnap.com

 「ISSEY MIYAKE MEN(イッセイ ミヤケ メン)」のデザイナーに、27歳の高橋悠介が就任した。創業デザイナー三宅一生の元で学び、2014年春夏コレクションからチームを率いてパリコレのデビューを果たした高橋だが、いったいどんな人物なのか。ファッションの世界を目指したきっかけから、40年以上の歴史がある株式会社イッセイ ミヤケの代表ブランドのひとつを入社からわずか3年目で託された経緯などを本人に聞いた。

 

■アートを学び、ファッションの道へ

―ファッションの道に進んだきっかけは?

 祖父が建築家だった影響もあって、子供の頃の夢は建築家でした。でも高校生になって進路を考える頃には、建築以外にもインテリアやプロダクト、そしてファッションなどいろいろと興味が広がっていましたね。特にファッションは、当時「裏原」系が流行っていてメンズのスタイリストの仕事に興味があったり、靴が好きだったので靴職人とか、色々とやってみたいことがありました。

―ファッションの専門学校ではなく芸術系の大学を選択したのはなぜ?

 まずは芸術全般を学べる学部がいいと思ったからです。やれることはやってみようという性格で、デッサンや油絵、プロダクトデザインやインテリアデザインなどいろいろやったんですが、特にはまって深く学んだのはテキスタイルデザインと現代アートでした。

―海外経験はありますか?

 大学の海外留学プログラムを利用して、1年間ロンドンにある大学に通いました。ダミアン・ハーストやヴィヴィアン・ウエストウッドも輩出している学校なのですが、パンク色が強く型にとらわれない校風は刺激を受けましたね。作品の縫製や形が綺麗だとか物理的な完成度より、その裏にあるコンセプトや、何を主張しているのかという部分が評価の対象で、服を作るというよりもアート作品を創るという感じでした。でも技術をもっと身に付けたくて、日本に戻った後に文化服装学院のオープンカレッジに通って、そのまま大学を卒業した後に文化ファッション大学院大学に進みました。

―その在学中、新人デザイナー対象のファッションコンテスト「装苑賞」を受賞しました。

 大学院で僕は、縫製とか技術の面では他に負けていると思っていました。それで、長く取り組んでいたのがコンピューターニットだったので、ホールガーメントの手法でニット作品を作りました。普通の糸じゃなくてコードや針金で作ってみたる、いろいろと試して最後は太い天蚕糸を編み込んでみたら、有機的なフォルムができました。それで装苑賞を取って、イッセイ ミヤケに入社するきっかけにもなったんです。まあ、もともとイッセイ ミヤケに入りたいと思っていたので、無意識にそういう作品を目指していたのかもしれませんね。

―イッセイ ミヤケに入りたいと思ったのはいつから。

 大学1、2年生くらいですね。自分はテキスタイルを勉強していたので「見たことないテクニックを使っている!」という服を見るのも着るのも楽しくて。プロダクトや建築が好きだったこともあって、そういった分野とも関わりが深く、21_21 DESIGN SIGHTというデザイン施設も持っているイッセイ ミヤケは魅力的でした。「そういえば、建築家はよくイッセイ ミヤケの服を着ているな」とも思っていましたね。

 それから「装苑賞をとれば入社出来るかもしれない」と思って挑戦して、賞を取った後すぐに三宅デザイン事務所宛に入社希望の手紙を書きました。面接を受けることが決まって3週間ほど期間があったので、装苑賞の作品をリアルに着れる服に落としこんで、山ほどニットを作って段ボールいっぱいに詰めて持っていったんです。学生とプロとの違いって、リアルに着たいかどうかという事だと思ったので。面接のプレゼンテーションでは三宅さん含め、ポジティブな反応を頂けたのを覚えています。

 次のページは>>最初の仕事で失敗、入社3年でメンズデザイナーへ

最新の関連記事

おすすめ記事

Realtime

現在の人気記事

    Ranking Top 10

    アクセスランキング