
Kanako Yoshida
Image by: FASHIONSNAP
フィジカルでもオンラインでもグローバルにつながることが容易になった現代。ビューティの世界でも、日本を飛び出し海外で経験を積む人が増えた。メイクアップアーティストのKanako Yoshidaもそのひとり。現在も日本とパリを軽やかに行き来するKanakoさんはどうやって“今”にたどり着いたのか。そしてこれからの未来をどう見据えるのか聞いてみた。
目次
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キャリアのスタートはロンドン 手探りでキャリアを積む
⎯⎯現在はパリを拠点に、年に数回帰国する生活されていますが、元々パリでの仕事を目標にしていたのですか?
高校生の時にアメリカに留学したことをきっかけに将来また海外で生活したいと考えていたのですが、当時はパリは想像もしていなかったですね。巡り巡ってたどり着いたな、と感じています。
⎯⎯どんな経験が今につながっているんでしょうか。
留学した当時はメイクを目指そうと思っていたわけではないですが、アメリカの授業を通じてコミュニケーションや自己表現って何かということに向き合う様になりました。いきなり文化が全く違う国で、現地の高校に通ったことが、考えやカルチャーに大きな変化を与えてくれました。日常的に外国人に触れる生活をして、見る雑誌や音楽などが変わっていく中で、やっぱり私の興味はファッションにあるなと思いました。
⎯⎯日本に帰ってきて、ヘアメイクの仕事を目指すようになったと。
メイクを勉強しにすぐに海外に行くこともできたんですけど、知識も経験もなく、突然英語でメイクを学ぶことに不安も感じていたので、一度日本でメイクの勉強をしてからその先のことを考えようと思いました。専門学校でメイクとしての仕事内容がどんなものなのか、具体的に学んでいって、私には向いてるなと以前よりも強く思うようになりました。在学中に出来るだけのリサーチをして、自分がどんなメイクアップアーティストになりたいのか、どういう順序を辿ればいいのかなど、漠然とプランも考えてみてました。東京でアシスタントをするのはきっと向いてないだろうなと思っていたので、卒業後は1年間母校で働いて、それからロンドンにいくことにしました。

⎯⎯アメリカではなかったんですね。
留学先は田舎でしたが、とても好きになりました。初めて住んだ海外として文化的にも受けた影響は大きかったのですが、今アメリカに引っ越してしまうと、ヨーロッパに住む機会がなくなるんだろうな、と漠然と思ったので、同じ英語圏だったイギリスを選びました。
⎯⎯バックグラウンドが何もないところでキャリアを積むことは難しいと思います。どうやって経験を積んでいきましたか?
文字通り手探りでした。東京でのアシスタント歴もなかったので、業界のことも正直全然分かっていなかったですし、つながりもなかった。ロンドンでの目的は現地でアシスタント経験を積むことでした。ただ、今みたいにSNSも普及していなければ、そこまで日本人が多く活躍していたわけでもなかったですね。今では、どのチームにも日本人がいるんじゃないかってくらい、窓口は広がったなと感じます。
最初は雑誌でメイクさんを調べてはその事務所にメールをして。みたいなことをやってみても返事はもちろん来ない、という感じを繰り返していました。できればアシスタント経験をしっかり積みたかったんですけど、できないものは仕方ないので、友達に頼んで自分のウェブサイトを作って、できるだけ多くの撮影に関われる様に積極的にアプローチしていくことにしたんです。当時の目標は、年間100回撮影をすることにしていました。
⎯⎯年間100撮影!日本との違いや、吸収した知識にはどんなことがありますか?
一番の違いはモデルの人種の多さですね。日本では触れることがなかった肌の色、骨格にまず慣れる必要がありました。当時ロンドンで求められていたメイクは、陰影をはっきり出して、目の周りを黒く囲むようなハードなルックが多かったのですが、そういうメイクをそもそもしたことがなかったので、毎回たくさんのリファレンスを集めて撮影に挑んでいました。

パリへ、加茂克也との出会い
⎯⎯ロンドンの後はパリに行かれたんですね。
ロンドンに3年弱いて、もう少しいたかったのですがビザが難しくて。当時24歳だったのですが、東京で挑戦する為には、もうちょっと経験を積んでおきたいと思い、パリに住んでみることにしました。言語が話せない国へ引っ越すのは億劫ではありましたが、また違う文化に触れて暮らしてみるだけでも価値があるはず、と考えての決断でしたが、いざ住んでみるとパリコレも含めファッションの中心地である魅力やポテンシャルを感じました。
⎯⎯ロンドンとはまた違った刺激があったのではないかと思います。
ロンドンではアシスタントに行ける機会が少なかったのですが、パリでは英語が話せるアシスタ ントとして、色んなメイクさんと働ける機会がありました。 のちに師事することになるルチア(Lucia Pica/現バイレード クリエイティブ イメージアンドメイクアップパートナー)との最初の出会いもこの頃です。加茂さん(加茂克也/ヘアメイクアップアーティスト 2020年死去)に出会ったのも、このタイミングでした。
⎯⎯加茂さんとの仕事で印象的な出来事を教えてもらえますか?
撮影ではメイクを任せてもらえたり、ショーもたくさんご一緒させてもらいました。ヘッドピースを作る所から参加して、ショーの当日を迎えるまで、加茂さんと過ごした時間のすべてが貴重な経験。今でも大きな影響を与え続けてくれています。

mod's hairのアトリエで(提供: Kanako Yoshida)
⎯⎯パリを経て、ベースを東京に移されたんですね?
この時もビザの関係で東京に引っ越すことを決めました。パリで加茂さんと出会っていたこともあり、最初は自分の仕事を増やしていくのと同時に加茂さんの現場にも同行していて、年に2回はコレクションの為にパリにも行っていました。

参加した「mintdesigns」のバックステージ(提供: Kanako Yoshida)
東京で過ごした約6年間でメイクとしても人としても大きく成長できたと思っています。日本で関わった撮影は基本的にはお金が発生する「仕事」で、案件数も多くいただけました。仕事として撮影に関わると、作品撮りとはまた違った責任も生まれるし、学ばさせてもらうことはたくさんありました。できるけ多くの経験を積みたいと思って過ごしていましたが、振り返ると6年間で休む暇もないくらい、たくさんの仕事に恵まれました。当時はそれを望んでいたんですけど、一方でどうしても日々の仕事がルーティーンのようになってしまう感覚もあったんです。日本にいるとその気持ちも断ち切れなかったし、5年後を想像した時にあまり変化を感じなかったので、一度現状に区切りをつけて、もう一度海外に住むことを選びました。そして、再度ロンドンに引っ越しました。
⎯⎯軌道に乗っているものをストップして行くなんて、すごい決心ですね。久しぶりのロンドンはどうでしたか?
これから2年間どうやって過ごそうかな〜って思っていた矢先にルチアのファーストアシスタントのオファーがすぐに来たんです(汗)。すでに「シャネル(CHANEL)」のクリエイティブメイクアップ&カラーデザイナーで活躍されていたので、かなり重要なポジションで大きな経験になることは分かってはいたんですけど、実はファーストアシスタントっていうポジションが私はどうしても嫌で避けたかったんですよ。でも日本ではできない経験をしたくて改めてロンドンにきたので、一晩悩んで受けることにしました。それから約3年間は彼女と一緒に働きました。
⎯⎯トップクリエイターのファーストアシスタントとして、世界的なメゾンのビューティクリエイションを間近で見てみていかがでしたか?
プロダクト開発に関われて、かなり“色”に強くなりました。即興で色を混ぜてメイクで使う程度の経験はありましたが、膨大な色から選んで混ぜて、狙った色に辿り着くというプロセスはとても新鮮で難しくもありました。それから、モデルが100人以上いるショーのバックステージをまとめないといけないって時は、ちょっと途方に暮れましたね(笑)。

「CHANEL」のバックステージにて(提供: Kanako Yoshida)

「CHANEL」のバックステージにて(提供: Kanako Yoshida)
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